62話 性癖に応えようとしたら
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お風呂に入ってから唯花におやすみと言った後、俺は自分の部屋でパソコンとにらめっこをしていた。
明日も会社なのに、なんでこんな深夜にパソコンを見ているのか……それは、避けられない戦いがこの先にあるからだ。
「ふぅ………よし。行きますか」
唯花と付き合い始めてから、俺は幸せでいっぱいな毎日を過ごしている。
夜型の生活で眠いはずなのに、唯花は会社に行く時間になったら必ず起きてお見送りのキスをしてくれる。お昼休みには仕事頑張れと応援のメッセージも送ってくれて、家に帰ったら必ずお出迎えのキスもしてくれた。
唯花で彩られた俺の日常は、怖いくらいの幸せに満ちている。でも、それに伴って色々な悩みも生まれてしまった。
そう、たとえば………。
『んむぅっ!?んぶっ!?うぶうぅっ!?!?』
『大丈夫?大丈夫だからね?たっくん、これは気持ちいいことなの。私はたっくんを愛してるから、たっくんが痛がる真似は絶対にしないもん。だから、落ち着いて?ちょっと、ほんのひと時ベッドに縛られているだけじゃない……スマホの写真を現像して部屋に飾っただけじゃない。気持ち悪い?ごめんね、私にもキモいという自覚はあるんだ。でも、ごめんね。私、止められないの。どうすればいいか分からなくて……今すぐたっくんを、食べちゃいたいから……』
『うむっ!?んむぅぅううっ!?!?』
…………………………………………………………あいつがまだアマチュア時代に書いた、このエロ小説とか。
いや、無理……これ無理。なんだこれは、一作目よりさらにハードル高くなってるじゃんか。手枷足枷に目隠しに口閉じテープに上に跨られたままやられるなんて、普通に無理……。トラウマになっちゃいそう。
もしかしてここで鞭とかも追加されたらマジできつい。絶対にまともな男には戻れない気がする。いや、もう二度と唯花以外の女とは関係を持てなくなるかもしれない…………持つつもりもないけど、まあ。
…………いや、持つつもりがないなら合わせるべきなのでは?今はまあ、まだ普通のエッチで我慢できてるみたいだけど、時間が経って普通のプレイが飽きてきたら、こういうことも要求されるだろうし……………ははっ、はっ。
「………………………はぁ……」
おでこを抑えながらつい深々とため息をついてしまった。
これは、なんというか………な、慣れればいいんじゃないか?そう、慣れれば。予めこういった動画とか見てちゃんと予習してから、精いっぱい感情移入すれば……!
「白、起きてる?」
「ほきゃあああああ!?!?」
「………………………入るね」
「えっ、ちょっ!?俺、まだ入っていいとは言ってな―――!」
ノックの音にびっくりしたのが悪手だったか、唯花はパジャマ姿で部屋のドアを開いて、片手に枕を持ったままつかつかと俺に近づいてきた。
光の速さで小説のページをパソコンの背景画面に切り替えた俺は、必死に両手を振り始める。
「ど、どうしましたか、唯花さん?」
「………………………………なに見てたの?」
「え?え?な、なに言ってんのかよく分からないけど~~?」
「正直に言って。なに見てたの?」
「なにも見てませんよ?うん、なにも見てないけど。な、なんでそんなに怖い顔するのかな~ははっ」
「白」
「…………は、はいっ」
「言わなかったら、今日はもう絶対に寝かせてあげないけど……本当に大丈夫?」
「…………………………………」
「一晩中搾り取るよ?ワイシャツの襟でも絶対に隠せないところにキスマークいっぱいつけちゃうよ?やめてって言っても、絶対にやめてあげないけど……後悔しない自信、ある?」
「…………………………………」
俺は、何も言わずにキーボードを操作して再び小説サイトのページをモニターに映した。
「ふうん、AVじゃないんだ」
「いや、どんだけ性欲モンスターだと思われてんだよ、俺」
「私としてる時にはあんなに獣だったくせに…………って!!」
そしてその正体をようやく悟ったのか、唯花も俺と同じく叫び始める。
「きゃあああああああ!!な、なっ………!なに見てんのよ、あんた!!」
「いやいや、書いた本人がそんな反応するな!!これ書いたのはお前だろ!」
「わ、わ、わたしだけど、わたしじゃないの!!って……これ、最後には鞭うたれるやつじゃん!白、もしかしてそういう趣味なの……!?」
えっ、本当に鞭打たれるの!?うわぁ、マジできつい………じゃない!!
「そういう趣味ってなんだよ!せっかくお前のこと考えて少しは……す、少しはお前の性癖に合わせようとしただけなのに!!」
「えっ、合わせようとした……?ま、まさか、こういうプレイに……?」
「そうだよ!後々こういうの要求されると思ってたから!目隠しされたり手首縛られたり………って、ああ……!なんてこと言ってんだ、俺……!」
………ヤバい、割とマジで死にたくなってくる。
くそぉ………なんで、なんで彼女の前でマゾプレイされたいと言わなきゃいけないんだ。俺はこっち側の人間でもないのに……!
「ふ、ふうん……だから、見てたんだ」
「お前鼻息荒げるなよ!?なんで顔もちょっと赤くなってんだ!!」
「うん?あ、これはその……うん。だ、大好きな彼氏が頑張ってくれている姿が嬉しいからというか、なんというか………」
「……言っとくけど、今は無理だからな」
「えええええ~~~!?!?」
「やっぱり期待してたじゃねーか!!こういうSMプレイやるのを!!」
失望するの早すぎだろ、こいつ……!どれだけ俺を縛りたいんだ!
「…………そりゃ、まあ。ここまでしてくれてるんだから、期待してしまうのが当たり前というか」
「言うと思ったわ………はあ。マジで先が心配になって来た」
「い、言っとくけど、無理にしてくれなくてもいいからね!?私、白とイチャイチャできるだけでも十分幸せだし、エッチもちゃんと気持ちいいから………その、気持ちよすぎるというか……」
「……………………………………急に生々しいこと言うなよ」
「そ……そっちが悪いじゃん、もう」
……急速に空気が気まずいものになっていく。時間も夜だし二人で見ているものもエッチなものだからか、自然とそんな発言を意識せざるを得なくなっていた。
改めて見ると、唯花は薄ピンク色のパジャマ姿で自分の枕を両手でぎゅっと抱きしめていた。首から上はもうとっくに赤色で、この前にした行為を思い返している気配がありありと伝わってくる。
……枕を持ったまま俺の部屋に来たってことは、たぶん一緒に寝たいってことだろうけど。
「……今日は、別々に寝よう」
「えっ?」
「お願いだ。今日は、一緒のベッドで寝たらもう我慢できそうにないから……」
「……………………」
ここまで言ったら、さすがの唯花でも自分の部屋に戻るだろう。なんとなく俺の意志を第一に尊重してくれるヤツだから。
そう思って、俺はパソコンの電源を落とそうとするけれど―――俺のその甘ったるい幻想は、一瞬で吹き飛ばされてしまった。
「………やだ」
「………………………………は?」
「一緒に寝る。一緒に寝たい………」
「………………………」
口をあんぐり開けて見上げたら、唯花は恥ずかしそうに顔を背けながら言葉をつづける。
「へ、変なことしないから。隣で寝るだけだから……お願い」
「…………お前のそんな約束、一度たりとも守られた覚えがないんだが?いつも欲望に負けてるだろ、お前」
「………………」
「……唯花?」
「あ、あんたが!あんたが私の性癖に応えようとするからじゃない!!」
「は?」
いつの間にか目尻に少し涙まで浮かべて、唯花はもう心配になるくらいに赤くなった顔で叫んできた。
「あんたが、そんなことするから……!私のこと、勝手にドキドキさせるから!キモいと思われても仕方ないのに、あんたが勝手に受け入れるから、もっと好きになってしまうじゃない!!今日は本当に隣で寝るだけのつもりだったのに、あんたがそんなことするから……!」
「………お前、もしかして」
「………そう、したいの!めっちゃエッチしたくなってきた!!なによ、不満ある!?」
「………………………」
い、一回だけならなんとか……いや、始まったらもう一回では終わらないよな?思い返せば一回で終わったことなんてなかったし……やるなら、お互いもう徹底的にやるしかないけど。
でも、明日は会社があるし……ああ、なんでこんなことに…………。
「……でも、明日は会社あるし、あなたに無理させたくないから」
「え?」
「だから、今日は我慢する。一人で……なんとかするから」
「……………」
……こいつ、それを聞いて俺がまともに寝られると思ってるのか――――
「……でも、罰ゲーム」
「は?」
「私の恥ずかしい過去、勝手に掘り下げたでしょ……?これプライバシー侵害だから、大人しく罰ゲーム受けてよ」
「えっ、ちょっと待って。なんでこういう時だけ都合よくルールが適用されるんだよ!?それなら、許可もなしに俺の部屋に訪れたそっちだって……!」
「………お願い」
「………っ」
「一回だけ、一回だけだから、罰ゲームさせてよ。お願い………」
……これは、あの時と同じだ。
前に温泉旅行で漂った空気と同じだ。唯花はあの時と同じ目つきと同じ仕草で、ただ枕だけをぎゅっと抱きしめながら、俺を見ている。
自覚はあるけど、俺はこういう子供っぽくなった唯花には適えられない。
「……罰ゲームは、なににするつもりだ?」
「……ずっと」
「うん、ずっと?」
「………ずっと、一緒にいて」
……………………………………………は?
「なっ……えっ?」
「金曜日に家に帰ってから、来週の月曜日になるまでずっと……ずっと、家で一緒にいてよ」
「い、いや。頼まれなくても、そのくらい……」
「……ウソつき。言葉の意味、分かってるくせに」
「…………………………………」
「……お、おやすみ!」
とうとう耐えられなかったのか、唯花はそそくさと部屋を出てパタンとドアを閉じた。俺は、ぼうっとその姿を見つめることしかできなかった。
ただただ脳内で漂っていた言葉たちが、ようやく合わさって意味を持つ形になって行く。金曜日に、家に帰ってから月曜日になるまで、ずっと………って。
それは、まさか………………まさ、か。
「…………………はああ」
……くそ、あの女。そんな言葉を聞いてまともに寝れるはずがないだろ………!!
そんな風に悶々としていた時に、再びまたぱたんとドアが開かれる。
「え?」
「……………し、失礼します」
そして、あいつはハンガーラックにかけられていた俺のワイシャツを一枚取ってから、こちらをジッと見てきた。
「は?な、なんで持って行くんだよ」
「……………おかず」
「……………………………………は?」
「あ、明日の朝までは、ちゃんと返すから………」
「……………………………………………………………」
「……おやすみ」
ドアがまた閉ざされて、俺は空きが出たハンガーラックをじっと見つめたまま、またがくっと項垂れるしかなった。
結局朝になってもワイシャツは帰って来ず、俺は違うワイシャツを着て寝不足のまま、会社に行くしかなかった。
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