33話 他の男が見えない
<
お母さんがウチに泊まると言ってからそれなりに時間が経ち、夕方になってようやく話題もなくなってきたところで。
私は、自分の部屋にお母さんを連れてドアを閉めた後に、血眼になって聞いた。
「……正直に言って」
「うん?なにを?」
「なにって、約束なんかないんでしょ!?」
「ううん~~?約束があるのは本当よ?ふふっ」
私のベッドに腰かけているお母さんは、しれっと肩を竦めて知らんぷりをしている。
「ウソでしょ、そんなの……!?一体なにを企んでいるの!?」
「なにも企んでいないわよ?それより、ほら。奈白が頑張って外で料理作ってくれてるのに、手伝わなくてもいいの?」
「こっちの方が大事だから!何があっても口を割らせてもらうからね……!?」
「やあん、こわ~~い。何されるのかな~ふふっ」
本当にこのお母さんは……!うううっ……!
頭が痛くなって両手で抑えていたところで、ふとお母さんの声が響く。
「格好良くなったわね、あの子も」
「え?」
まるで部屋の向こうを覗き込むように、お母さんは閉ざされているドアをじっと見つめながら私に視線を移す。
「あなたも感じているでしょ?奈白がいい男になったってことを。あの子は昔から格好良かったけど、今は本当に魅力的な男になったわ。静華があんなに自慢してたのも納得がいくくらい」
「……それは」
「尻込みしていたら、また逃しちゃうわよ?」
ぐっと、胸の奥に差し込んでくる鋭い言葉に息を呑んでしまう。
おちゃらけな顔はどこに行ったのか、お母さんはいたって真面目な顔で私に言いかけてきた。
「誰がどう見ても、あの子は素敵な男に育った。あなたが知らないだけで、あの子を狙っている人もいるかもしれないわよ?」
「……そんなの、分かってる」
「ふふっ、そうね。あなたたちは幼馴染だから、お互いの変化も一番敏感に気づくだろうし……でもね?唯花」
「なに?」
「一緒に暮らしてるからといって悠長にしてると後悔するわよ?実際に前に一度、後悔したことあるんでしょ?」
「…………っ」
その言葉を聞いて、頭の中である瞬間が呼び起こされる。それは、高校の卒業式の日。私が最後まで白に告白できずに、部屋に閉じこもって一日中泣いていた時の風景。暗かった部屋。
……そう、知らないはずがない。お母さんは昔からずっと、私の気持ちに気付いていたのだ。
「好きなんでしょ?奈白のこと」
「………知ってることをわざわざ聞かないで」
「ふふふっ、ようやく認めてくれたわね~~あなた、大学に入るまではずっと違うって言ってたのに」
「あの時は……!あの時は、その……」
顔に熱が上がってくるのが分かって、恥ずかしさで目を合わせられなくて、私はそっと顔を背けてから言う。
「……好きだったけど、恥ずかしかったんだもん」
「ふふふっ」
「な、なに……なにがそんなにおかしいの?」
「ううん、嬉しくて。ようやくあなたも大人になったわね~」
「うるさい!というか、私と白をくっつけるためにお母さんが泊っていくって、つじつまが合わないじゃん!」
「この子ったら本当に鈍感なんだから……あなたも奈白のこと言えないわね」
「……え!?なにが鈍感なの?なに言ってるのか分からないけど?」
「まあ、よく見てなさい。いい機会を作ってあげるから、ふふっ」
お母さんはいつの間にか余裕たっぷりな顔に戻って、くすくすと笑っている。なに、これ……嫌な予感しかしないけど。
「ほら、あなたは早く奈白のこと手伝いなさい?料理、克服するんでしょ?」
「……ああ、もう。分かった。今行くから」
「ああ~~本当にいいわね、恋って。家では料理なんか見向きもしなかったあの娘が、好きな人と一緒に暮らし始めた途端に意識し始めて」
「う、うるさい!!それ、白には秘密だからね!?」
「は~~い。行ってらっしゃい、美味しい料理期待してるわ」
「もう……」
ぶつぶつ言いながらお母さんを一人取り残して、部屋を出る。すると、手際よく料理の下ごしらえをしている白の後ろ姿が視界に入ってきた。
……魅力的な男、か。
確かに、その通りだと思う。昔もよかったけど、今の白は本当に格好いい男になった。今まで付き合った経験がないのがウソだと思えるくらいに、素敵な男に。
そんなことを思っていると、心の奥がズキズキと軋んでくる。子供じみた独占欲がぐつぐつ煮え立って、仕方なくなっていく。
白が私以外の女のものになるなんて、絶対にいやだ。想像するだけでも息ができない。
私の、私の男なの。白は私のものなんだから……絶対に、誰にも渡さない。
「うん?ああ、どうしたんだ?部屋で休んでてもいいぞ?」
「……そういうわけにもいかないじゃん。手伝えることない?」
「ええ~~お前に手伝わせるなんて、不安にしかならないんだか」
「失敬な……人のことをなんだと思ってるのか」
「あはっ、でも、本当に手伝わせるようなことはないぞ?今日のメニューはすき焼きだし」
「うん?すき焼き?」
「そう、だからあんまり手間がかからないんだよ」
………えっ、そうなの?すき焼きって具材いっぱい入るんだから、料理するのも難しいんじゃないの?
「ぷはっ、カルチャーショックでも受けてるような顔」
「なっ……!そ、そんなわけじゃないから!本当に、手伝えることないの……?」
「何度も言わせるなよ、本当にないから。下ごしらえは全部済ませたし、そもそもキッチンが狭くて二人並んで料理できる環境でもないし……でも、そうだな」
「うん?」
「料理、上手くなりたいんだろ?だったらちょっと見学したら?」
そう言いながら手招きをするので、私は大人しく白の近くに行ってフライパンの中を覗き込んだ。
「これ、なに?背脂?」
「いや、牛脂。これをさっとひいて、肉に焼き色を付けて、次々に野菜を入れていくんだよ」
「へぇ……」
コンロの横には、具材たちが綺麗に切りそろえられているまな板が置かれている。それから予め作ったように見える割り下と、お肉のパック。
……私が料理した時とは全然違う。バタバタとその場しのぎに動くんじゃなくて、下準備を済ませてから料理してるんだ。
「……あんたって、やっぱり料理上手だよね」
「いやいや、上手ってわけじゃない。基本的な習慣を身につけてるだけだぞ。たとえばほら、こんな風に手の届く場所に材料を置いておくとか」
「どうしてそれが基本的な習慣なの?」
「こうすると材料を探す手間が省けて、慌てて失敗する確率が下がるんだよ。初心者にはよくある失敗だろ?調味料がどこにあるのか忘れて、探している間に食材が焦げてしまうとか」
「っ……!も、もしかして私が料理してるところ見てた……?」
「いや、そんなわけないだろ……後はまあ、こういった割り下とかソースも予め作っておくとか。いざ野菜とかを焼いてるとなかなか他のことには集中できないから」
「へぇ……そっか。だから私、この前に失敗したのかも」
「ああ~あの肉じゃがの時か。まあ、初心者の頃は誰だってそんなもんだろ。俺だって何度も失敗してたし」
そう言いながらも、白は慣れた手つきで肉を焼き終え、椎茸と白菜などを入れてすき焼きの形を作っていった。フライパンの中をぼんやり見た後、私は白の横顔に視線を向ける。
昔よりもっと大人しくなって、もっと頼もしくなった顔。すっかり料理も上手になって、私の胸をドキドキさせて……。
一方的に好きになってしまうのが悔しいけど、今の私はもうそんなことも言っていられない。
絶対に、誰にも渡したくなかった。ずっとこんな時間が続いて欲しい。いつかはちゃんと美味しい料理を作って、白に食べさせてあげたい………そうなるまで、頑張らないと。
「うん?なんでジッと見てんだよ」
「……なんでもない」
私はもう、桑上奈白以外の男が目に見えなくなっているから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます