21話  終わった…もう何もかも終わっちゃったよ

夏目なつめ 唯花ゆいか



「あ……こんにちは、夏白先生」

「はい!こんにちは、鈴木すずきさん。直接会うのは久しぶりですね!」



ここは家の近くのカフェ。鈴木さんとの打ち合わせでよく使っている場所で、私はボックス席に座って自分のコーヒーを注文した。


それから少し会話を交えたところで、私は鈴木さんの様子が変なことに気が付く。



「どうしました、鈴木さん?冷や汗かいてますけど」

「あ……あははっ、えっと。そうね~~最近熱くなったからね!」

「まだ5月にもなってませんけど……あ、ありがとうございます~」



注文したカフェオレを受け取ってから、私は首を傾げる。


鈴木さん、本当にどうしたのかな?私と目も合わせずにぶるぶる触れてるし……普段はもっと堂々とした人なのにな。



「ていうか、会うのは本当に久しぶりですよね!最近はリモート会議ばかりでしたから~~あ、美咲ちゃんももう幼稚園入りましたよね!?」

「あ、そうだね。あの子も今年でちょうど4歳だから、あはは~~」

「……どうかしました?鈴木さん、今日本当に変ですよ?」

「な、な、なんでもないわ!いや、なんでもないわけじゃないけど……」

「そ、そうですか……?」



そう渋々答えると、鈴木さんはまるで自分に活を入れるように咳ばらいをして、普段の真面目な顔に戻る。



「こほん、取り乱してしまってごめんなさい。先ずは、仕事の話をしましょうか」

「あ、はい」



やっぱり何があったのかな……?まあ、私はここに仕事しに来たわけだし、別にいいっか。



「単刀直入に言うと、ぼくすての2巻のプロットをそろそろ練って欲しくてね。急いでいるわけじゃないけど、早ければ早いほど好都合だから」

「ああ~~分かりました。ごめんなさいね、最近はハツルプでけっこう忙しかったので。来週の水曜日までは完成させます」

「ありがとう。ちなみに、どういう話にするかはもう決めているのかしら?」

「そうですね……具体的にはまだ決めてませんけど、とりあえずキスシーンだけは入れてみようと思ってます!ほら、1巻ではお互いのことをけっこうドロドロに意識する段階で終わったじゃないですか。今回はもっと攻めてもいいんじゃないかと思うんですよね~」

「そ、そう……うん、頑張ってね」



……あれ?普段の鈴木さんだったらこの段階でもっと詳しく話を聞いて、色々なアドバイスしてくれるけどな。やっぱり今日はちょっと空気が変わった気がするけど。


それに、プロットの話をするだけなら別にリモートでもよかったんじゃない……?久々に私に会いたいから?まあ、デビュー当時からずっと見守ってくれた編集さんだし、個人的にも親しい関係だからそこまで違和感はないけど………ううん?



「……鈴木さん、やっぱりなにかありました?」

「……………………えっ、と」

「やっぱり何かしら話があってここまで来たんですよね?てことは、もしかして打ち切りとか……?」

「違う!それは違うわ。ハツルプもぼくすても今人気のタイトルだから、打ち切りにするわけないでしょ!?」

「えっ、じゃ本当になんで……?」

「………………えっと」



鈴木さんは一度深呼吸をした後、意を決したように私と目を合わせてきた。私は困惑してただただ目を丸くしているだけだった。



「……夏白先生。最近、幼馴染さんと一緒に暮らし始めたって言ったわよね?」

「あ、はい!確かに一緒に住んでますね」

「……その幼馴染さんからは、まだ何も言われていないのかしら?」

「えっ?言われたことなんて……特にないと思いますが」



でも言われてみれば確かに、一昨日の夜から白の挙動がおかしかった気がする。一緒に食事している間にずっと赤面していたり、私を見た途端にびくびくと肩を跳ねさせたり。今日の朝だって行ってらっしゃいと言ったのに、耳まで真っ赤にさせて。


………でも、その仕草の一つ一つがもうたまらなく可愛らしくて、愛おしかった。それは、この間のキスを白がまだ意識しているという証拠だから。キスしたことも、私に言われたことも……まだ忘れられていない、ということだから。


いや、そういえば簡単に忘れられるはずないよね?私の初キス相手はあなたとか。自分の初キス相手は私とか、お互いそんなこと言っちゃったし……!



「いひひっ……ひひっ、うひひ……」

「な………夏白先生?」

「あっ、ごめんなさい。えっと……はい。つい楽しくなっちゃって」

「し、幸せそうでなによりだわ……」

「幸せ……ですね。あははっ、そうですね……幸せです。すごく、すっごく………」



きゃああああ~~!私、なにのろけてるの!?もう完全にだらしない女なじゃない……!いくら相手が鈴木さんでもこんな、他人の前でこんなメスの顔を晒すなんて……!



「本当にごめん!!」



でも、そんな風にウキウキしてたのも一瞬。


何故だか、鈴木さんは急に手を合わせて頭を下げてきて、私はびくっと驚いてしまった。もう額がテーブルにぶつかるような勢いだから、口がポカン開かれる。



「えっ、どうしたんですか!?ちょっ、顔を上げてくださいよ!打ち切りじゃないってさっき言ったじゃないですか!」

「確かに打ち切りの話じゃないけど……でも、これはそれよりもっと酷い話になるかもしれないのよ……」

「ええ……?」



……ラノベ作家にとって打ち切りより酷い話?本当になにも思い当たらないんだけど。もしかしてイラストレーターの変更……?いや、そうなったら雪が先に連絡してくるはずだよね?



「あ、もしかして鈴木さん、仕事やめるんですか?編集さんが変わるとか!?」

「そうじゃない……けど、この話を聞いたら編集者を変えてと言われるかもしれないわね……」

「ううん……?」



鈴木さんはようやく顔を上げて、またもや深くため息をつく。


なにも分からないから眉根を寄せていると、鈴木さんはとてつもなく緊張した顔で言ってきた。



「……一昨日ね?私、夏白先生に電話したことがあったの」

「あ、はい。着信履歴あったからそれは知ってますけど」

「……その履歴を見て、何も思わなかったの?」

「え?何がですか?」

「確かに……その、通話の履歴が残っていたはずよ?」



ええ……そうだっけ?あまり意識しないで見てたからよく分からないけど。


試しに自分のスマホを取り出して着信履歴を確認すると、本当に鈴木さんの言う通りだった。昨日のお昼ごろに不在着信が一つで、3分くらい通話をした履歴が………通話をした履歴?


………ちょっと待って。私、一昨日はほとんど寝てたけど?



「……………………………………………………………ま、まさか」

「………」

「す、鈴木さん……?これ、もしかして……」

「………そ、そう。一昨日、夏白先生と一緒に住んでいる、例の幼馴染さんと電話が繋がってしまって」



………………………………………あ。


あああああああああああああ……!!ダメ、ダメ。お願い、お願いだから、それだけは……!



「ま、まさか鈴木さん………彼に、私の仕事を全部……」

「………本当にごめんなさい!夏白先生!!」



鈴木さんは、またもや目をぐっと閉じて両手を合わせてきた。でも、見えない。目の前がよく見えない。


……白が鈴木さんと通話をしたんですって?私が眠っている間に?ははっ、あははっ……。


ま、まさか。たかが3分だもん!それに白は私がラノベ作家やっていると既に知っているわけだし、ペンネームや作品にだけ触れなければ―――



「彼、もともと夏白先生のことを知ってたみたいで、気づいたらもう手遅れだったの!うっかりぼくすての話をしてしまって……!本当にごめんなさい!私、一緒に住んでるからてっきり彼にはすべて話したとばかり思っていて……」

「………………は、はははっ」

「夏白先生……?えっ、夏白先生!?」



ドカン!と大きな音が鳴って、次に鈴木さんの声が聞えてくる。


そう、私はカフェのテーブルに突っ伏したまま、すでにテーブルから垂れちゃいそうなほど涙を流していたのだ。




「ははっ………はははっ、はははははははっ………」

「ごめん、本当にごめんなさい……!私、あんな風になるとは思わなくて……!」



……終わったぁ。あいつとの同居生活、終わっちゃったよぉ……。


あんなに幸せだったのに。昨日まではもう人生一番に幸せだったのに……!あいつとキスした時のことずっと思い返して、布団蹴りながら思いっきりニヤニヤしてたのにぃ……。


終わった、全部終わった……。もうこれ以上生きていけないよ。ちょっと頭がいかれているキモい女扱いされるのに決まってるじゃん、こんなの!白の軽蔑するような顔が目に浮かぶぅぅうう………。



「うぅぅ………うっ、ううううぅうぅ……」

「本当に、本当にごめんなさい……!」



あの後に自分がどうなったのかは、よく分からない。


ただただ確実なのは、私はあいつと別れた時以上に泣いたという事実だけだった。

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