30話 ウソつき
<桑上 奈白>
二度目のキス事件から数日、ようやく心が落ち着いて平穏な日常を送ろうとした俺に、またもや大きなイベントが訪れた。
「は?
「………うん」
夕方、いつものように食事を終えてティータイムを楽しんでいる最中に、唯花がそのことを伝えてきたのだ。
「紗耶香さんがウチに来るって?いつ?」
「……今週末」
「はあ!?今週?えっと、確かに予定はないんだけどさ」
「やっぱりあんたも困るよね?そうだよね!?安心して、私がきっぱり断っておくから!」
「あ、いや。紗耶香さんに会いたくないわけじゃなくて……っ」
「…………………」
その鋭い目つきを見ただけでも分かってしまう。どうやらこいつは、自分の母親の訪れをこころよく思わないみたいだ。
俺は目を逸らしてコーヒーを一口飲んだあと、苦笑を浮かべながら言う。
「ていうか、なんでそんなに嫌がるんだよ。別にいいだろ?」
「だって、なんか変なこと言いそうだもん……あんたもお母さんの性格よく分かってるでしょ?」
「ああ~確かにな。紗耶香さん、ちょっと元気すぎるところがあるからな」
「そうよ!正にそれ!!ただでさえ実家にいた頃も外に出ろとか彼氏作れとかいろいろうるさかったのに、独立してまでそんなこと言われたくないんだもん!」
「まあ、気持ちは分かるけどさ。でも、特別に断る理由がないなら会う方がいいんじゃないか?紗耶香さんもああ見えて心配性だから」
「……むむっ」
「なんで頬を膨らませた」
気持ち的には頬を突いてぐりぐりしたいけど、さすがにそれは我慢することにした。肌に触れた途端に、先日にキスした思い出がよみがえりそうだから。
だから、ただ頬杖をついて笑っていると、唯花はあからさまに不機嫌な顔で目を細めた。
「酷い……あんたは私の味方をするべきでしょ?」
「子供か。俺は別にどっちの味方でもないわ」
「なんでよ~!一緒に暮らしてるんでしょ!?だったら私の肩を持つべきじゃん!」
「ええ~だったらつまらないだろ?紗耶香さんと一緒にお前をいじめた方がよっぽど楽しいし、お前がもがく姿も見たい……ってごめんなさい、冗談でした!冗談だから!!コーヒーをぶっかけようとすんな!」
死んだ目でコーヒーカップを持ち上げるんだから、俺はとっさに両手を上げて言い訳をしてしまった。というか、それ熱いやつだろ!?俺を殺す気か!!
「ふん、バ~~カ」
「ああ……悪かった。悪かったから機嫌直してくれよ。とにかく、俺は別にどっちでもいいぞ。紗耶香さんに会うの久しぶりだから会いたい気持ちもあるけど、お前の意見を無視するつもりもないから」
「……結局、私に選べと?」
「うん、そうだけど……別に無理しなくてもいいぞ」
「え?無理って?」
「俺がどう思うかは気にしなくてもいいから、お前の好きなように選べよ。あんまり、紗耶香さんと会いたくないんだろ?」
俺の言葉を聞いて唯花は目を見開いた後に俯いて、夢中に何かを考え始めた。
正直、俺としては紗耶香さんと会いたいという気持ちの方が強かった。理由は単純に会うのが久しぶりだからでもあるけど……紗耶香さんがウチに来れば、この前にキスしたという生々しい事実も、少しはおぼろげになるんじゃないかという期待があるからだ。
顔を見るたびに思い出されるから。こいつがキスした時の顔とか、唇の感触とか……24歳にもなって童貞丸出しの恥ずかしい理由ではあるけど、こればかりは仕方がない。
「……別に、会いたくないわけじゃない」
「うん?じゃなんで嫌がるんだよ」
「………………」
無言のままじっと見つめられる。心なしか、唯花の顔は少しだけ拗ねてるようにも見えた。あと、何故だかさっきより顔も赤くなっている。
……なんで?意味が分からないけど。目を丸くしていると、唯花はもどかしそうにため息を零して、言ってきた。
「変な勘違いされても、困るし」
「勘違いって……どういう?」
「あのお母さんならきっと、私たちがそういう関係なんじゃないかってからかってきそうだもん」
「…………………っ」
その言葉を聞いてようやく、唯花が悩んだ理由に気付く。
そうか、紗耶香さんは昔からなんだかんだ言って俺たちをくっつけようとしてたから……もちろんそれが嫌なわけじゃないけど、今のような雰囲気にそんな勘違いをされたらちょっとまずい。
少なくとも俺は、確実に慌てる自信がある。口では付き合ってないとか言っても、心の中ではこいつとそういう関係だと勘違いされるのを嬉しく思うだろう。
……でも、俺はその迷いを拒まなきゃいけない。こいつと一緒にいられる時間を守り抜きたいから。
「………どう?それでも、お母さんに会いたい?」
「………………な、なにを言ってんだかよく分からないんだが?」
「……ふぅ~ん」
「だって、お互いそんな関係じゃないだろ?紗耶香さんの言うことなんて適当に聞き流せばいいだけだし、会わない理由もないと思うが」
「………………」
俺は、わざと知らんぷりをして自分の意見を突き通す。唯花は腕を組んだまま俺をじっと見つめて、再びため息をついた。
「……そう?じゃ、お母さんに連絡しておくね。週末空いてるって」
「……おう、よろしくな」
頷いてから、唯花はさっそく立ち上がって自分の部屋に向かった。安堵の息をこぼしながら、俺も自分の部屋に戻ろうとしたところで―――
「ウソつき」
ぽつりと、そんな言葉と恨みがましい視線だけを残して。
唯花の部屋のドアがぱたんと、勢いよく閉ざされる。
「……………………は?」
ぼうっと立ちすくんだまま、俺はその意味不明な行動に打ちひしがれていた。
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