53話  キスが伝えてくれるもの

夏目なつめ 唯花ゆいか



もっとすごいことを命令されると思っていたのか、白は目を丸くするだけだった。まあ、そうなるよね。キスなんて、昔は一大事だったけど恋人になった私たちにはすごく普通なことだし。そりゃ拍子抜けしちゃうよね。



「えっ、思ってたより普通」

「……ちょっと、私がなにすると思ったわけ!?」

「そりゃ、まあ……お前が書いたエロ小説みたいな、手首縛られることとか」

「……………………………………………」

「ちょっと待って、なんでそこで黙るんだ」

「あ、あら~~~ふふふっ、そ、そんなことするわけないじゃん~!あははっ、あははははは~~!」

「する気だよな!?絶対にする気だよな!?こら、俺の目を見てから言え!!」

「……だって!!」



したくないわけないじゃない!!手首を縛るという行為がどれだけ尊い行為なのかあんたは分からないの!?縛った側の征服欲を掻き立てるのと同時にこの人は私のものだという安心感も与えてくれて手首を拘束されるほどこの男は私に心を許しているんだという愛の深さも感じ取ることができて益々背筋がゾッとして気持ちよくなって興奮してもう食べちゃいたいくらいに愛が爆発する………!その行為の素敵さとエッチさが分からないわけ!?あんた、それでも私の彼氏!?!?!?


……と叫びたいところだけど、うん。いくら幼馴染とはいえ、付き合いたてのホカホカのカップルに拘束の話とか普通にNGだよね……ううっ。常識が憎い。なんで常識なんかに縛られないといけないの……!?



「……ゆ、唯花さん?目が怖い。目が怖いですよ?」

「あ、あら~~ふふふっ、そんなわけないじゃない。私は至って優しい彼女ですよ?まあ、手首縛って目隠しするのは後にして」

「後でする気なのかよ!!」

「と、とにかく今の話題はキス!!キスなの!私は、小説のために、キスの経験が必要なの!!」



パンとテーブルを叩いてから立ち上がって身を屈むと、白はひっと怖がるような声を上げてのけ反る。



「いや、キスの経験って……もしかして、ぼくすて?」

「そう。2巻の原稿作業がちょうど前に終わったから、続いて3巻のプロットやイチャイチャシーンも考えなきゃでしょ?そこで、キスの経験が大事になるわけ」

「いやいや、どう思っても単にお前がキスしたいだけ――――じゃ、じゃないですよね!そうですよね。夏白唯先生ですもんね!俺みたいな愚民に創作の苦しみなんて分かるはずがないしな!あはははっ!!」

「分かればよろしい。ほら、立て」

「…………はいっ」



……もう、私がここまで言うんだから少しは誤魔化さずに、ちゃんと察してよ。


あんたも知ってるじゃん。前に演技した時も今も、私の罰ゲームって全部……意図的に、あんたとイチャイチャしたくて言ったことなのに。


あんたも薄々気づいてたくせに、バカ。


本当、この男は素直じゃない。たまにとんでもなく素直になる時があるけど、私から積極的にアピールしたらすぐに尻込みして逃げちゃったり、適当に誤魔化そうとする。


……だから、ちゃんと罰を与えなければいけない。20年も私を悶々とさせた罰を。


まあ、逃げていたのはこっちも同じだけど……私たちはもう、逃げるような間柄じゃないから。



「……どこでする気だ?部屋?」

「部屋だと、なんていうか………ちょっと、我慢できそうにないから。私、この後にちゃんとプロット書かなきゃだし……」

「……………じゃ、ここでするか」

「うん……ここでいいじゃん」



お互い顔を赤くしながら、冷蔵庫の隣にある空きスペースに移動する。


GWの前、私はここで演技という建前を使って白に壁ドンをさせて、しまいには白の唇を奪った。



「……壁ドンは、しなくてもいいんだよな?」

「……うん、今度はちゃんと抱きしめて」

「………………分かった」



私は壁側に寄り添うと、白が私を覆うように目の前に立ちふさがる。体が白の体温に包まれる。


昔の私は、ここで手首を抑えられたまま好きな人の匂いを堪能しながら、理性を蕩けさせていた。


今も、大して変わらない。まだ罰ゲームという仮面を被ってはいるけど、白も私もどうせ知っている。


私たちはただ、キスがしたくて罰ゲームというしょうもない茶番劇を広げていることを。



「………目、閉じて?」

「…………ああ」

「ちゃんと、目閉じて………?ん、ちゅっ」

「んん………ちゅっ」



たかが唇の触れ合い。


たかが密着して、唇を弱く押し付けるだけの行為。


でも、キスはいつだって特別な感情を私にもたらしてくれる。普段より膨らんだ熱と心臓が弾けそうになるくらいの好きで、私の脳をぐちゃぐちゃにさせる。


今も、そうだ。目を閉じているのに白の存在をとても強く感じられる。重なっている唇から、この人のことが好きだという実感と計り知れない幸せが伝わってくる。


好きな人の腕でぎゅっと抱きしめられると、私はちゃんとこの人のモノだという実感が湧いて、涙が滲みそうになる。



「しろぉ……んん、ちゅっ、んむぅ……ちゅっ、ちゅるっ」



息が、少しずつ苦しくなっていく。


唇が湿っぽくなって、普段なら出ることのないいやらしい唾液の音が少しずつ響いて、体がどんどん火照っていく。



「ふぅぅ、ふぅ……えっ、ゆい……うむっ!?」

「やらぁ……んっ、ちゅっ、んちゅっ」



鼻息が荒くなるのが恥ずかしくて音を抑えようとしても、思い通りにはいかない。むしろ、鼻で息をするたびに好きな人の匂いがどんどん体中に染み渡って、頭の中が暴力的に壊れていく。


窒息しかけている状態の中で、私はほぼ白に縋りついたまま愛を求める。


白は、そんな私を引き離すことなくすべてを受け入れてくれる。ぼやけている頭の中で、やっぱり白は酷い男だと何度も思ってしまう。


何もかも受け入れてくれるからどんどん自制心がなくなって、白にすべてを託したくなる。いつの間にか目尻から涙がこぼれて、頬を伝っていくのが分かった。


そして、その直後。



「んっ……!はっ!はあ、はあ、はああ……唯花、ちょっと……待て」

「はあ、ふぅ、ふぁあ、はああ……んふっ、ふぁ、はぁあ……」



ようやく窒息状態から解放された私たちはお互い俯いて、必死にきれぎれの息を繋いでいた。


互いの息遣いが互いの肌をなぞって、ますます体がおかしくなっていく。私はもう………………もう、ダメだった。



「……白」

「………ゆ、唯花?」

「しろぉ………」



…………したい。


またして欲しい。乱暴に求めて欲しい。ぐちゃぐちゃに溶かして欲しい。自分が誰のものなのか、私が誰の彼女なのかを……教えて欲しい。


本当に、いけない男。悪い男。この後にちゃんと仕事しなきゃいけないのに、この男はいつも私の大事なものを奪う。


キスも処女も、初恋も心も仕事に対する義務感も、全部この男に……奪われる。



「お願い、しろ………」

「………………」

「してぇ……して?」

「っ………」



白の目は、普段の優しいそれじゃなかった。明らかにぎらついた、女を見る目をしている。そう、女を見る目……。



「んむっ!?ちゅっ……ちゅるっ、ん、んんんんん!??!?」

「んちゅっ、ん…………はぁ……はぁ……覚悟しろよ」

「あ………………………」



ああ……本当に、こんなつもりじゃなかったのに。


でも、仕方がない。この男が全部悪いんだから。


私は白の背中に回している腕にもっと力を入れて、ふたたび愛している人の唇を塞いだ。

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