26話 茶番劇の始まり
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唯花に協力を命令されてから三日が経った木曜日。普段より少し緊張感を抱いて家に帰って、いつものように食事を終えたその後に。
「…………………はい」
俺はやや赤面した唯花に、クリップで留めたある書類を渡された。
「え?なんだよ、これ」
「読んでみれば分かるから」
俺は、ブラックコーヒーを口に含んでからその内容を確認し始める。そして、たぶん小説の冒頭っぽい文章とキャラのセリフを呼んだ瞬間……。
「ぷふっ!!けほっ、けほっ、けほっ!!けほっ!!」
「きゃぁああ!?!?な、なにしてるのよ!!」
「いや、けほっ!おまえ、お前が……!これはお前が悪いだろ……!」
見た感じ、たぶんぼくすての2巻に入る内容っぽいけど。でも、でも……!
「なんなんだ、このシーンは!?壁ドンなんて聞いてないぞ!?」
「な、なによ!前に説明したじゃない!ぼくすてはじれじれ感がほとんどないド直球な作品だって……!」
「いや、だからって……!」
俺はもう一度ページに目を通してみる。でも、変わらなかった。何度読み直しても、書かれている文字が変わることはなかった。
紙に書かれているのは、ぼくすての主人公の
「……もしかして、これ」
「…………うん。啓介の役、やってよ」
「いやいやいや!!!俺にこんなことできるわけないだろ!なんだよ、この女性向け作品に出てくるようなイケメンっぷりは!!って、待って。俺が啓介の役なら、怜香は…………」
「………………………………………そう、私」
……………………えっ。え、え、ええええぇ……?
こいつ……なんなんだ、マジで!!これはちょっとおかしいだろ!?
「わ、私、壁ドンなんてされたことないからその時のヒロインの気持ちとかよく分からないもん!それに、こういうイチャコラシーンを実体験したら描写もより上手くできるだろうし……」
「いや、それはそうかもしれないけど、キスって……こ、これ大丈夫なのかよ。お前は」
「………なにが?」
「なにがって……………………………っ」
俺は言葉を呑み込んで、コーヒーの染みがついた紙をもう一度読み上げる。ここに書かれているのはあくまで簡単なキャラたちのセリフと描写だけだけど、こういう短絡的な文章だけでもどういう状況なのかが頭で自然と浮かんでくる。
作中の二人はけっこう密着していながらも、その状況を少しも嫌だとは思っていなかった。啓介は絶対に復讐すると息巻いてはいるけど酷いことはできずにいて、怜香は平然と振る舞いながらも好きな人に手首を抑えられている状況にドキドキしている。
長い間離れていたのに、お互いがお互いを忘れられていないまま、剝き出しの愛を互いに向けていて………なんというか、自然とのめり込みそうな場面だった。
さすがは夏白唯というか、よくもここまで生々しいシチュエーションを作れるわけだ。でも、これを実体験するとしたら、俺は………。
「……………………は、早く覚えてよ。30分以内で始めるからね?」
……こんな、恋人まがいのことをこいつにやらなきゃいけなくなるけど。
なにかがおかしい。どうして?こいつも堂々としているように見えてもう喉元まで赤くなっているし……いや。その反応はおかしいだろ、お前が言ってきたくせに……。
幼馴染だからこういうイチャイチャすることはできないって、無理ってお前が言ってたくせに………なんなんだよ、これは。
お前は一体、俺の心をどこまで弄べば気が済むんだ……。
「……分かった」
でも、俺たちの間でルールは絶対的なものだ。俺には、こいつの命令を拒否する権利がない。
……そして、もしそういう権利があったとしても断る気はなかった。俺も結局、好きなヤツとこういうことしてみたいと思っているから。
俺は、もう一度コーヒーを飲みながら台本みたいなヤツに目を通す。唯花はその間、ずっと顔を背けたままぶるぶる震えているだけだった。
そして、約束した30分が経って。
「…………本当にやるのか?」
「…………当たり前じゃん。早く準備して」
「………場所はどこにするつもりだ?ここ?それとも部屋?」
「ここにしようよ。部屋だと狭いし、こっちでいいじゃん」
「……ああ」
俺たちはゆっくりと立ち上がって、冷蔵庫の横に空いているスペースまで移動する。
唯花は、未だに顔を真っ赤に染めたまま、自分の手首を俺に差し出してきた。
俺は、その細くて柔らかい手首を握って、壁に押し付ける。
「………………い、行くわよ?今からあんたは、啓介だからね?」
「…………………ああ」
そして、俺たちの茶番劇が始まった。
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