28話  思春期のまま

桑上くわかみ 奈白なしろ



しょうがなかった。あれは反則だろ。あんなに密着している状況でキスまでされたら、正気でいられるわけがない。



「ふぅ……………っ」

「どうした?奈白」

「いや、なんでもない……」

「あからさまにそんな顔じゃないんだけど?どうしたんだよ、例の幼馴染か?」

「っ………」

「ぷはっ」



会社のお昼休み。いつもの休憩スペースで同期の秀斗しゅうとと一緒に食事をしていても、俺の思考はなかなか昨日のあの瞬間から抜け出せないままだった。



「顔赤いぞ?やっぱなんかあったんだろ?」

「……本当になんもねーから。何かあったら相談するから、今はほっといてくれ」

「ははっ、分かった」



秀斗には申し訳ない気がするけど、仕方がない。考えれば考えるほど、昨日触れ合った唯花の唇の感触が蘇ってきて頭が動かなかった。


そして不幸なことに、そんな状態は仕事が終わるまで続いていた。



『け、啓介なら、こんなやり方でキスしたんじゃないかなって……思ってな』



あの時、少しでも言い訳をするためにあんなでたらめを口にしたけど、唯花の返事は予想外のものだった。



『……啓介なら、こんなに優しくはしないもん』

『…………は?どういう―――』

『も、もういい!演技は終わり。わ、私、部屋に戻るから!!』



昨日の夜にそれだけ言い残してから、唯花は自分の部屋に逃げて行った。


いつもは俺が会社に行く時間に合わせてお見送りしてくれるけど、さすがに今日はきつかったのか、唯花の部屋のドアは閉ざされたままだった。



「はああ……………本当に、どうすればいいんだ。これ」



…………前にもこんなことあったよな。キスしてお互い気まずくなって、ほとんど話をしない冷戦状態になってたけど。


バカだろ、俺……あんな経験をしたのに、今度は自分からキスするなんて。いくら演技だとしても、キスは演技の域には入らない。いや、そもそも途中からなにかがおかしかった。


あいつがくれた台本を何度も読み直していた俺には分かる。あれは台本にあるセリフじゃなかった。俺がいなかった間にどうだったのか、俺はただの幼馴染だったのか………あれは全部、俺が聞きたくて聞いただけの質問だから。



「………………………………………死ぬか」



家に向かっている足元がびっくりするくらいに重い。今度はどんな言い訳をすればいいのかも分からなくて、いつも楽しみだった夕飯の時間が今回ばかりは恐ろしかった。


でも、今さら逃げるなんてこともできない。不愉快だったらちゃんと謝ろう。


そう思っていたらいつの間にかマンションに着いていて、俺は緊張しながらエレベーターに乗って鍵を差し込み、家に入った。


そして、次に広がる光景を見て、俺は口をあんぐり開けてしまった。



「………………おかえり」

「た、ただいま……」



なんと、唯花がエプロンをつけたままコンロの前に立っていたのだ。


それに、いつものジャージ姿じゃない。半袖のシャツにショートパンツといったラフな服装で、目のやり場に困る状況だけど……えっ、待ってよ。


こいつ、一体なにを企んでいるんだ……?いや、避けられていない状況に感謝すべきかもしれないが。



「って、なに作ってるんだよ?」

「……チャーハン」

「どれどれ………ぷっ」

「おい」



どうやら、俺は最悪な場面に出くわしてしまったらしい。フライパンの上で炒められているチャーハンらしきものを覗いて、つい噴き出してしまった。


火加減に失敗したのか、ねぎは焦げてるしニンジンのサイズも一々大きいし……なんか、全体的に黒っぽくてビジュアルがいいとはとても言えないものだった。



「……………むっ」

「ぷふっ、いや、ごめん。俺、先に着替えてくるわ」

「笑ったよね!?あんた、今笑ったよね!?」

「笑ってないから……って、部屋まで付いてくんな!!着替えるって言っただろ!!」

「このバカぁあああ!!!」



さっそく部屋のドアを閉じて、俺はクスクス笑いながらもいつものラフな部屋着で着替える。ていうか、チャーハンまであんな状態になるとか……どれだけ料理のセンスがないんだよ、あいつ。


部屋から出ると、待ち構えたようにテーブルに座っている唯花と、皿に盛られている黒めのチャーハンが目に見える。


また噴き出しそうになるのを堪えながら、俺は先ず手を洗って、席に座った。



「いただきます」

「………いただきます」



そういえば、高校の時以来にこいつの料理を食べるのは初めてだな。記念すべき一口をスプーンにすくって、頬張ったところで―――


俺は、つい顔をしかめて感想を零してしまった。



「………しょっぱ」

「………………………………」

「あっ、いや!そうじゃなくて……!」



そう、しょっぱい……!全体的に黒ずんでるのは焦げてるからじゃなくて、単純に醬油を入れすぎたからか!


いや、もちろん食べられるけど、味見とか全くしてなかったのかよ……!



「……………捨てる」

「待って!!作ったお前が諦めるなよ!」

「だって、美味しくないんでしょ?私が食べても美味しくないもん!!」

「いや、待ってよ!!ちゃんと食べられるから!ほら、味付けはしっかりできてるだろ!」

「うるさい!!あんたもさっきしょっぱいって言ってたでしょ!?」

「いや、それは……!それは、その……」



……どうしよう。正直美味しいとはとても言えない出来だった。ネギも焦げてるし、卵もちゃんと広がってないし、なにより本当にしょっぱいし。でも、我慢して食べられるくらいにはなってるから最大限褒めるつもりだったけど。


……いや、こいつの性格でそれは悪手だよな。俺は本音を言い出すことにする。



「………まあ、確かに美味しくはないけど」

「……やっぱ捨てる」

「話を最後まで聞け!美味しくはないけど……でも、嫌じゃないんだよ」

「へ?」

「俺のために作ってくれたんだろ?だから、文句なんか言えないというか……確かにしょっぱいけど水を飲んだら我慢できるレベルだし、肉も入ってるし。だからそんなにへこむなよ、マジで……」

「……………」



唯花は何故か、酷く不服そうな顔で俺をジッと見つめていた。頬を膨らませて、何かを言いたそう唇を動かして。


でも、最後には少し俯きながらこう言ってくれた。



「……ちゃんと上達するから」

「うん?」

「もっと、上手くなるから。美味しく食べられるように頑張るから……それまで、待っててよ」

「あ…………………あ、うん……」



……ヤバい、心臓が痛いくらいに轟く。


なんなんだ、こいつ。急にいじらしくなって……ガンガンに怒っていた高校の時とは反応が全く違うじゃないか。本当にどうしたんだ、こいつ。


なんで俺のために料理作ろうとしてんだよ、一体……そんなことを聞いたら期待してしまうだろうが。


頭が煩わしい。昨日もキスもそうだし、今日の料理もそうだし、なにもかもおかしい。単なる幼馴染同士がする行動と言うには、あまりにも刺激的すぎる。



「……ところで、白?」

「うん?」

「どうして顔赤くなってるの?」

「………………は?」

「耳まで真っ赤になってんじゃん。ふふっ……私の作った料理、そんなに食べたい?」

「あ、いや。そうじゃなくて……!」

「はあ!?そうじゃないわけ!?」

「キレるな!なんでそっちが逆ギレするんだよ!」



この女!落ち込んだと思ったら急に怒りやがって……!



「いや、食べたいのは本当だけど……だ、だから…………ああ、もう!!」

「……ふう~~ん。素直になったね、白も。昔ももうちょっと素直だったらよかったのにね」

「からかうなよ!大体、料理作らなくてもいいって何度も言っただろ!?」

「…………やだもん、それは」

「は?」



顔を逸らしながら答えた後、唯花はスプーンを取って自分が作ったチャーハンを一口頬張る。


俺は少し呆けたまま、その姿を見ることしかできなかった。



「……なにしてるの?ご飯、冷めちゃうよ?」

「……………分かってる」

「……デザートにアイス買ってきたから、一緒に食べよう?」

「………………ああ」



……………なんだ、こいつ。


お前は平気なのかよ。いや、キスしたんだぞ?俺たち、いくら演技だったとしても昨日キスしたんだぞ?


もちろん気まずくなるよりはいいけど、なんかスムーズに流された感じがして……これはこれで面白くない。いきなりキスの話題を持ち出すのも野暮な空気になっているから、なおさらだ。


……くそ、自分だけ大人になりやがって。


俺は、いつまでも大人になれる気がしない。しばらくは昨日のキスで悶々としてしまいそうだった。


簡単に忘れるには、あのキスが……唯花が見せてくれたあの顔が、あまりにも刺激的だったから。


どうやら俺は、まだまだ思春期の影に閉じ込められているらしい。

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