38話 他の女にはそういう気になれない
<桑上 奈白>
旅館の予約を終えて、いよいよGWを来週に控えていた金曜日の夜。
珍しく、あまり鳴ることのない俺のスマホが鳴った。
「うん?」
首を傾げながら画面を確認した瞬間、俺は苦笑を零しながら電話に出る。
「もしもし」
『もしもし~~2週間も母親に連絡がなかった桑上奈白さんで合ってますか~?』
「あはっ、ごめんって。GW前だから仕事も忙しいし、最近は色々あったから……まあ、連絡なかったのはごめん」
『ふふっ、元気そうでよかったわ。唯花ちゃんも元気よね?』
「ああ、あいつは昔通りだぞ」
『ふふふっ、そっか』
椅子にもたれかかりながら目をつぶる。そういえば、母さんの声を直接聞くのは久しぶりな気がするな……いや、こっちが連絡してなかったから当たり前かもしれないが。
でも、この前だって電話よりはメッセージでやり取りすることが多かったから、割と疎遠になっていたのかもしれない。反省しながら、俺は聞いた。
「そっちは?健康とか大丈夫だよね?」
『うん、何も問題はないわ。あ、そうだ。あなた、来週はどうするつもり?実家に帰ってくるわけ?』
「ああ……そうだね。日帰りで顔だけ出すんじゃないかな。今度のGWは予定もあるし」
『ふふん~~なんの予定があるの?』
「……なんでそんなからかうような口調なのかな」
『だって母親としては気になるじゃない。息子の恋愛事情は』
「っ……!べ、別にそんなんじゃ!」
『それで、本当にどんな予定なの?どうせ唯花ちゃんとの約束でしょ?』
……なんでこの母親はこうも的確に内容を当ててくるんだ?実際に合ってるからぐうの音も出せないのが悔しい。
「……ああ、一緒に温泉行くことになった。1泊二日で、前に母さんと紗耶香さんが行ってたとこに」
『ああ、そこか!そうね~~あそこは食事も美味しいし街の雰囲気もいいから。ふふっ、あなたたちのような若者が行くには、ちょっと古っぽいかもしれないけど』
「俺もあいつもそんなこと気にするタイプじゃないから、別にいいだろ。後はまあ、適当に家にくつろぐだろうな。それ以外には特にやることないし」
『そっか……ふふっ、お母さん。一つだけ聞いていい?』
「………ダメだ、聞くな」
『ええ~~なんで?なんでそんなにムキになってるのかな~』
「……………なんでこんなにテンション高いんだよ。普段はもう少し落ち着いてるだろ?」
『いい話を聞けたからじゃないかしら、うふふっ』
お母さんの笑顔が頭の中で鮮明に浮かぶ。紗耶香さんとはちょっとタイプが違う柔らかそうな微笑みで、包容力があるけど……今は正に紗耶香さんに負けないくらいの茶目っ気たっぷりな声が聞えていた。
そして、その感覚に反することなくお母さんは尋ねてくる。
『それで、唯花ちゃんとはどうなの?』
「…………聞くと思ったわ。毎回毎回そればっか」
『だって気になるじゃない。今まで女っ気なんてなかった息子が、初めて女の子と一緒に暮らしているのよ?これは、母親としては期待せざるを得ないじゃない。相手も顔なじみの唯花ちゃんだし』
「……そういえば母さん、俺が大学生だった頃もよく唯花に会ってたっけ」
『そうね。紗耶香が退屈~と言ってよく家に誘ってきたし。どこの誰かさんと違って、私はちゃんと唯花ちゃんを見捨てずに顔を合わせていたからね?』
「………言葉にとげを感じるんだが?」
『ふふふっ。でも、あなたは本当に反省するべきよ?唯花ちゃんもけっこう寂しがってたし、なにより4年間一度も連絡がなかっただなんて、それはさすがに酷いじゃない』
「えっ、寂しがってた……?」
母さんのさりげない言葉を聞いて、自然と目が見開かれていく。
寂しがっていたと……?本当に?
『当たり前でしょ?あの子もあの子なりにあなたのこと大切に思っていたから。実際、一緒に住もうって話を持ち掛けてきたのは唯花ちゃんでしょ?』
「それはそうだけど、なんか………いや。ありがとう、おかげでいい話が聞けた」
『うん?いい話って?』
「………なんでもない。とにかく、GWの予定はそんな感じです」
『………ふふふっ』
「な、なんだよ」
目を細めたら、案の定お母さんの皮肉みたいな言葉が飛んでくる。
『うんうん、上手くやっているみたいで安心したわ』
「だから、あいつとはそんなんじゃないって…………」
『その言葉、本気で言ってるの?』
「……………………」
『ちなみに言うと、紗耶香にももう全部聞いたからね?二人がラブラブだってこと』
「だから、そんなんじゃねーって!!」
『ふふふふっ』
はあ……こうなると思ってたわ。どうせ何を言っても最後には唯花の話になるから電話しなかったのに……仕方ないか。
『奈白』
「なんだ?」
『唯花ちゃんのこと、ちゃんと大切にするのよ?』
「……………ああ、分かってる」
『上手く行くといいね、唯花ちゃんと』
「………前々から思ってたけど、唯花のこと好きすぎだろ、母さん。」
『そりゃ息子の一番の親友だし、私たちが辛かった時も一緒にいてくれたでしょ?ある意味、唯花ちゃんは私にとって恩人とも言えるわ』
「………」
母さんがなにを言っているのか、よく分かる気がする。
お父さんが亡くなって、母さんも仕事で家にいない時が多かった昔の俺は、とにかく紗耶香さんと唯花に構ってもらうことが多かった。
まだまだ幼かった俺を毎日のように家に来させて、美味しいおやつを食べさせてくれた紗耶香さんも、よく俺と一緒に遊んでくれた唯花も、確かに俺たち家族には恩人と言えるべきかもしれない。
「……まあ、それは確かにそうだな」
『だから、唯花ちゃんの言うことにはなにがあっても必ず従うこと。分かった?』
「本当怖いこと言うな~~もし唯花と上手く行かなかったらどうするつもりなんだよ」
『その時はその時でしょ?まあ、もちろんあなたが唯花ちゃんと上手く行って欲しいけれど、息子にそれを強要するのも間違っているじゃない。ただ、私の小さな望みというか……こうなれたらいいなと思っただけだから、そこまで気にしなくていいわよ?唯花ちゃんじゃなくて他の人でも、あなたが選んだ人なら信じて迎え入れるつもりだから』
「………………」
母さんの言葉は本音だと見受けられる。実際に、母さんは昔から俺に何かを強要することもなかったし、唯花との関係に関しても口を挟むことがなかった。俺が好きになった相手なら、母さんはきっと前向きに考えてくれるだろう。
……でも、母さんの言葉には一つだけ間違いがある。
「……母さん、俺な」
『うん、なに?』
「…………………たぶん、だけど。唯花じゃない他の女には……あんま、そういう気にはなれないかもしれない」
『………え?』
「……………………………………だから、俺も上手く行ったらいいなと……思う」
よほどショックだったのか、母さんはしばらく何も言ってこなかった。言い出しっぺの俺は片手で頭を抱えて、さっきうっかり口にした自分の言葉を猛烈に後悔している。
でも、母さんに伝えた言葉はすべて本音だった。実際、唯花から離れていた4年間、他の女の子たちに出会っても何も感じられなかったから。
あいつの存在が大きすぎて、この心の中にはもうあいつ以外の誰かが入れないのだ。
母さんは俺の短い言葉だけでその事実を悟ったのか、やがて機嫌のよさそうな笑い声と共に言ってきた。
『ふふっ、そっか。いい報告、待っているわね?』
「…………………ああ」
俺は夏目唯花のことが好きだ。
そして、その事実を20年近くも隠してきたというのに……これ以上隠し通すのはさすがに無理かもしれない。
箱の中に閉じ込めようとした思いが勝手に暴走して、俺を呑み込んでいく。
一歩でも踏み間違えたら、すぐにでも好きだと伝えられそうだった。
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