14話  食べてみたかった

桑上くわかみ 奈白なしろ



「ただいま~~」



家に入って最初に感じたのは肉と醬油の香りだった。そして次に目に入ってくる、シンクに積まれている調理道具たち。それを見て、俺は口をポカンと開いてしまった。


それは、どう見ても料理をしたという痕跡にしか見えなかったから。



「えっ、唯花!?お前、もしかして料理したの………か……」



明かりが消えている唯花の部屋に向かって語り掛ける……が、何故かベッドでぺちゃんこになっているヤツを見て俺は即座に言葉を飲み込んでしまった。


なんかおかしいぞ、この雰囲気。めっちゃくちゃ落ち込んでいるように見えるんだが?



「……おかえり」



こちらに見向きもせずにベッドで突っ伏したまま、唯花が言う。その声を聞いて俺は悟った。


これは、まずいやつだ。変にからかったり冗談を言ったりしたら怒られるやつ。昔もこういうことはちょくちょくあったので、俺はこほんと咳ばらいをしてからゆっくりとあいつの部屋に入ろうとする。


でも、部屋に足を入れようとした瞬間に、唯花が体を起こした。



「あっ、だ……だめ!!入っちゃだめ!!」

「え………?」

「だ、だめ……入らないで。えっと、ごめん。今日の夕飯は……レンジで温めておくから、先に着替えてきて」

「あ……………………わ、分かった」



ちょっと変だな。なんでそんな頑なに部屋に入れてくれないんだろう。俺としては純粋に元気づけたくて入ろうとしただけなのに……部屋にそんなまずいものでもあるのか?


釈然としない気持ちを抱きながらも、俺はとりあえず自分の部屋に入って楽なスウェットに着替える。その間、外では弁当でも温めているのか、レンジが回る音が聞こえてきた。


……あれ?そういえばこいつ、料理したんじゃなかったっけ?



「はい」

「おう、ありがとう……って、え?」



洗面所で足を洗って手洗いまで終えて外に出てみると、さっきレンジで入っていたっぽい焼きめしが皿に盛りつけられていた。それを見て、俺は眉をひそめる。



「ちょっと待って」

「うん?なに?」

「なんでお皿が一つしかないんだよ。お前の分は?」

「ああ……わたしは今日食欲ないから、パス」

「いや、でもなにか食べといた方が―――」

「いいの。ごめんね、一緒に食べられなくて」



……本当にどうしたんだ、こいつ。普段のふざけたようなテンションはどこに行った?



「……んじゃ、いただきます」

「うん、召し上がれ」

「………………」

「………………」

「あ、あのな、唯花。その……家に入った時にな?なんかめっちゃくちゃ美味しそうな匂いしてたけど―――」

「………………」



……気まずっ!本当にどうしたんだよ、こいつ!俺が知ってる夏目唯花じゃないぞ!?もしかして中身を入れ替えられた……?


そうやって色々と考えていたその瞬間、ふと唯花の指先が視界に映った。親指と人差し指に貼られている絆創膏。それを見た途端に、俺は目を見開いた。


美味しそうな匂い。シンクに高く積まれていた鍋と調理道具。沈んだ顔。それに、この絆創膏まで…………ああ。


…………こいつ、まさか。



「唯花」

「……なに?」

「聞かれてたくないなら悪いけど、一つだけ聞いてもいいか?」

「……やだ」

「お前、今日料理しただろ」

「なんで聞くの、バカ」

「あはっ、俺は空気読めないヤツだってお前も知ってるだろ?それで、お前が作ったその料理はどこに行ったんだ?」

「……………」

「唯花?」

「……………意地悪」



なんで、もっと早く気づいてあげられなかったんだろう。


思い返せば、確かにそんな節はいくつもあったと思う。やけに料理ができないのを意識するとか、俺が作った料理を美味しく食べながらもなんだか渋い顔をしていた時とか。


あんなに大丈夫と言ってたのに、こいつはずっと料理ができないのを気にしていたのだ。本当に、バカなヤツ。



「できれば食べてみたいけどな、お前の手料理」

「……………」

「だから、どこにあるのか教えてくれよ。冷蔵庫の中にでも入れたのか?」

「…………捨てた」

「は?」

「捨てたの、全部。あの処理機の中に」

「………」

「あんなもん、食べさせたくなかったから」



……ああ、全く。


俺は持っていたスプーンを下ろして立ち上がる。唯花は、肩をビクンと跳ねさせながらこちらを見上げてきた。


俺は椅子の横に立ったまま唯花の手首を握って、手に巻かれている絆創膏の数を確認する。



「ちょっ……!」



一個、二個、三個。ちょっとだけ血が滲んでいるところまで見えて、思わず自分の下の唇を噛んでしまう。



「は、離してよ。なにするの」

「……お前な」

「なによ、なにが言いたいわけ?」



よく見ると、唯花は目の端に涙まで浮かべていた。こんな時は……本当に、どんな風に言えばいいのだろう。伝えたい感情はいっぱいあるのに、それをまとめられるような言葉が思い出せない。いくら頭を捻っても、適切な答えが見つからない。


だから、俺は膝を曲げてあいつをそっと抱きしめることにした。


気持ちを漏れなく伝える方法が、もうそれしかなかったから。



「えっ………し、白?」

「大人しくしてろ」



苦笑しながらあいつの背中をさすってあげると、唯花は分かりやすく慌ててた声を出した。



「なんでそんなに落ち込んでんだよ。頑張っただろ?それでいいじゃねーか」

「………………」

「ああ~~なんでわざわざ作ったヤツを捨てるのかな。せめて一口くらいは食べてみたかったのに。指を3回も切られてまで作ってくれたもんなのに……マジでもったいない」

「……………………あれは、食べられるようなものじゃなかったの」



少しずつ、唯花も俺を抱きしめてくる。



「水も多かったし、砂糖の代わりに塩入れちゃったし、ジャガイモとニンジンも下が焦げてたし………あんなの、料理じゃなかった」

「でも、俺は食べてみたかったわ」

「うっさい……そんなわけないじゃん。頑張って仕事して帰って来たのにあんなもの食べさせられたら、普通の人だったら絶対に怒るもん」

「あのな、唯花。お前、一体俺にどんなイメージ持ってんだよ。俺、料理が美味しくないからって怒鳴りつけるようなタイプじゃないだろ?」

「………………………」

「また黙り込んで……唯花?」

「…………うっ、っ」

「………ふふっ」



食べてみたかったな……聞いた感じだと、メニューはたぶん肉じゃがだったんだろう。


バカめ。好きな人の手料理は男の夢なんだぞ?なんで勝手に捨てるんだよ……俺は、こんなにも嬉しいのに。


俺のためにこんなに頑張ってくれたって事実だけでも、もうお腹いっぱいなのにな。



「っ……ううっ……ごめん……」

「一人でプレッシャー感じなくてもいいから。俺、料理できなくても大丈夫だってもう何度も言ってただろ?」

「でも、でも………」

「あのな、唯花」

「……うん?」

「男って生き物は割と単純でな?不器用でも気持ちさえちゃんと伝わればすべてOKなんだよ。どれだけ不味くても、この人が自分のために頑張って作ってくれたという事実だけで、味なんてもう気にならなくなるんだ」

「………………でも、でも」

「でもじゃない~~全く、頑固なヤツめ……」

「っ………っ……」



唯花は、精いっぱい涙を吞み込もうと必死になっていた。体がぶるぶる触れていて、息遣いも激しくなってて、普段よりずっと小さくてかか弱く見える。


だから、俺は腕に力を込めてもっと強くあいつを抱きしめた。大丈夫だという言葉は、時には声より体温の方がずっと効果的だから。



「唯花」

「………うん」

「今度はちゃんと、お前の料理食べさせてくれよ?あ、指が治るまでは料理禁止だからな」

「……………うん」

「あと、ご飯も一緒に食べような。ぶっちゃけ、さっきは味とか食感とか全然分からなかったわ」

「……………うん、分かった」

「よろしい」



何がこいつをここまで追い込んだのかは分からない。なんでプレッシャーを感じているのかも、分からない。5年という歳月はあまりにも遠く、俺たちを隔てている。


でも、泣いている姿は昔のままで、やっぱりこいつは変わってないなと。


俺はそんな風に、微笑ましい気持ちを抱いていた。






そして、夕飯を食べ終えてシャワーを浴びようとしたところで。



「…………………あれ?」



浴室の隣に置いてある棚にタオルがないのを察して、俺は部屋にいる唯花を呼んだ。



「唯花~~~」

「うん?は~~い」



いつものジャージ姿で現れたあいつは、首を傾げながらこちらに近づいてくる。俺は親指で棚を指さした。



「タオルがないんだが?乾いてるヤツ持ってきてくれないか?」

「………………………………………………………あ」

「うん?」



一瞬で真っ青になったあいつの顔を見て、ふとある可能性が浮かび上がる。


さっそく洗濯機がある場所へ向かうと、案の定……洗濯カゴに、タオルらしきものがいっぱい積まれていた。



「………えっ、と」

「……唯花さん?」

「……で、でへっ」

「罰ゲームおめでとうな」

「なんでぇえええええ!!!!!」



結局、俺はシャワーを浴びた後に小さなフェイスタオルで体を拭くしかなかった。

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