13話 人生2番目の料理
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「よっし!終わったぁああ~」
推敲を終えて担当編集者の鈴木さんにメールまで送った後、私は大きく伸びをしてから椅子にもたれかかる。それからスマホを取って、鈴木さんに電話をかけた。
案の定、彼女は素早く電話に出てくれた。
「あ、鈴木さん!さっき原稿送ったので確認お願いしますね~」
『はいはい、お疲れ様。夏白先生』
よっし、これでやるべきことは全部終わり。後は、白のための手料理を振る舞うだけ!
『そういえば夏白先生、何かあった?』
「え?何かって?」
『最近ちょっと元気なように見えたからさ。いいことでもあった?』
「あ………………」
心当たりがありすぎて、かえって何も言えなかった。
そう、白と一緒に暮らし始めたから。あいつがまだ私に服を選ばせてくれたから。料理できなくてもいいって言ってくれたから……なんて、言えるわけないじゃない!!
『ふうん、もしかして男?』
「なっ……!」
ど、どうやって分かったの、この人!?
「い、いえ!違います!男じゃありませんから!」
『あらあら、じゃなんでそんなに慌ててるの~?ふふっ、もしかして前に言ってくれた幼馴染君と何か進展があったのかな~?』
「違います!!違いますからぁ!!」
なにがそんなにおかしいのか、鈴木さんは愉快そうに笑うだけだった。
『ふふふっ、ごめんなさいね?でも、私みたいなおばさんはついついこういうネタに嚙みついちゃうのよ~!ロマンチックじゃない、20年も片思いしていた相手だなんて』
「うっ……と、とにかく原稿は送りましたから!」
『はいはい、頑張ってね!応援してるから!』
「何を頑張ればいいか分かりません~~!もう切ります!」
ううっ……恥ずかしい。恥ずかしすぎるよ。私ってそんなに分かりやすいのかな?雪にも鈴木さんにも全部バレてるし……。
えっ、じゃあいつはなんで私の気持ちに気づかないんだろ。家族を除いては一番長く一緒にいたはずなのに?高校の時だって割とアピールしたつもりなのに!?この前の服選ぶ時だって……!ああ、本当にあいつはもう!
「はあぁ……でも、仕方ないよね」
……そう、恋愛は先に好きになった方が負けってよく言うしね。互いを異性として見たのは明らかに私が先だから、本当に仕方ないのかもしれない。
あいつはどうなんだろう。私のこと、ちょっとは女として見てくれてるのかな……こんなにも好きなのに早く気づけよ、バカ。一緒に暮らし始めてからもっと好きになったじゃんか。自分だけ格好良くなりやがって、もう……。
うん。だから、やるしかないよね……あいつのためなら。
「よっし!」
両手で頬をパンパンと叩いてから私は部屋を出る。向かう先は冷蔵庫の前。戦場に出る兵士のような覚悟で冷蔵庫の扉を開き、私はあらかじめに買っておいた食材を取り出した。
それをテーブルに持って行こうとした時、ふと視界の端に洗濯籠が見えてくる。
「あっ、洗濯……まあ、いいよね。これ終わった後に回せばいいし」
今は料理だけに集中したい。うん、私は何度も頷きながら、シンクに置いてあるまな板を持ってきた。
今回挑戦するメニューは肉じゃが。初心者でも容易く作れると言われてるから、失敗する確率も低いはず。レシピも昨日の夜に何度も見てたから手順もすべて暗記済み!
「よっし、やっちゃおう」
ベージュ色の前掛けをかけた後、私は本格的に料理を始めた。
先ずは、野菜を全部切って……えっ、包丁はどんな風に握ればいいんだっけ。それに、ニンジンとジャガイモの大きさは?まあ……一口大に切ればいいよね?
そうやってぎこちなく包丁を扱いながらなんとかにんじんを切り終えて、次にじゃがいもを手に取ろうとした瞬間。
私は、ある重大なミスに気づいてしまった。
「えっ、皮剥けてないじゃん!」
そう、にんじんの皮を剝けるのを完璧に忘れてしまったのだ……!
ど、どうしよう……普段は料理なんかしないからピーラーもないし、剥けるとしたら全部包丁で剥かなきゃだけど……ふぅ。
「……あいつが食べるものだしね」
うん、剝かなきゃ。めんどくさいけど、あいつが食べるものだから。私一人で食べるものだったら絶対に剝かないけど、あいつのためなら……!
涙を吞みながら、私は慎重ににんじんの皮をむけて行く。あの激辛カレー事件があってからは包丁を握ったことさえないのにいきなり野菜の皮をむいてるんだから、思ってた以上に時間がかかってしまった。それに……。
「痛っ!ああ、やっちゃったぁ…」
途中で親指を切ってしまって、部屋に戻って絆創膏も貼らなきゃいけなくなって。
そう、ちょうどここからだった。すべてがうまく行くと思っていた人生2番目の料理が、大きく歪み始めたのは……。
「あれ……水ちょっと足りないかも。もっと入れよう……って、うわああっ!?」
水分を足そうと思って2Lのペットボトルを掴んだまま水を入れようとしたら、手が滑ってしまったり。
「しょっぱっ……えっ、まさかさっき入れたのって塩!?」
もっと甘めにしたくて入れた砂糖が、実は塩だったり。
「えっ、なんで下が焦げてるの?あんなに水入れたのに!?」
ずっと強火にしたせいで、野菜を炒める過程でジャガイモの下が焦げてしまったりと。
完全にメンタルが崩れて、調味料を入れるタイミングも押し蓋はどうするべきかどうかも全く分からなくなって、急いで動画に頼ってみても………時はすでに遅し。
「ううっ……………………うぅぅうう………」
鍋の中には、煮込みすぎたせいで野菜と肉がふにゃふにゃになって、味もえぐいくらいにしょっぱくて、何十分も煮込んだはずなのに汁がスープみたいに多い……もう、肉じゃがじゃない何かが誕生していたのだ。
分かりやすく言えば、絶望。そう、やっぱり私に料理はできないんだとおでこにレッテルを貼られるような強い屈辱感……!
「うぅぅ……なんでぇ……なんで思い通りに行かないのよぉ……」
ウソだ……こんなのウソだ。皮剝く時に指も3回くらい切ったのに。切った野菜のサイズがバラバラでも味付けさえうまくやればいいと思ってたのに!ずっと強火に煮込んだら水分も飛んでいくと信じてたのに……!
もう、もう何もかもが遅い。ミスを連発して指も何度か切ったせいで完全にメンタルがやられている。ダイニングの椅子にぐったりと座って、私は再び大きなため息をついた。
時間は午後の6時をとっくに過ぎているから、今から作り直そうとしても絶対にあいつの帰宅時間までは間に合わない。だからといって、こんな生ゴミみたいなものをあいつに食べさせるわけにもいかないし。
……こんなの、食べさせられるわけないでしょ。あいつ、せっかく外でお仕事がんばって来たのに……ああ。
「……ふぅ」
なんで、なんでうまく行かないのかな……あんなに動画見てたのに。レシピも全部覚えたのに、なんで上手く行かないの、なんで……。
気持ちが沈んでいく。なんで私はこんな簡単なメニューもできないんだろ。なんか、嫌になる。すごく嫌になる。前に作ってくれた白の料理は全部おいしかったのに。私だってあいつに美味しいもの食べさせてあげたかったのに。せっかく一緒に暮らしているのに……。
「はあああ………」
体を無理やり起こしてから結局、わたしは鍋にある肉じゃがらしきものを全部生ごみ処理機に捨ててしまった。
こんなの、恥ずかしすぎて料理してたなんて言えない。幸い、先週の週末に買っておいた惣菜があるから、それだけでも温めておこう。
……いや、今はちょっとだけ休みたいかな。5分。そう、5分だけでいいから少しだけ休もう。そう思って部屋に戻った後、私はそのままベッドにダイビングした。
「………………あっ」
かちゃりと鍵が回される音が聞えたのは、その直後のことだった。
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