23話  ……読んだんだ

夏目なつめ 唯花ゆいか



「に~~~げ~~~る~~~なぁああああああああ!!!」

「きゃああああああああああああああああ!!」

「もう、騒がないでよ~~近所迷惑でしょ?ふふふっ」



光のスピードでドアを開いて白の腕首を掴んだ後、体をそのまま引っ張る。そして白がぱたんと玄関で尻もちをついた矢先に家の鍵をかけて、にっこりと笑って見せた。


白は、まるで死神でも見たかのように慄きながら私を見上げていた。



「ねぇ、白?なんで逃げるの?ねぇ、なんで逃げるの?逃げなくてもいいじゃない~~やあん、寂しい。疲れている幼馴染のためにお出迎えしてあげようと思っただけなのに~~」

「そ、そ、それを言うなら先ずはその野球バットを下ろせ!!」

「ううん~~?なにを言っているのかな?これ、野球バットじゃないよ?これはね、幸せの願望機って言うの」

「え………ど、どういうことだよ」

「これで白の記憶を全部飛ばしたら、もう後には幸せしか残らないじゃない?」

「きゃああああああああああああ!!!!!!!」

「うるさいな~~~大丈夫だよ?痛いのは一瞬だからね?」

「ま、先ずは落ち着け、落ち着け!!お前目が死んでるからな!?」

「こんな状況で目が死なないわけがないでしょ~?ふふふっ」



全身をぶるぶる震わせながらも立ち上がって、白は必至な顔で私の両肩を掴んでくる。



「お、落ち着けよ。状況は分かるけど……!俺、普通にお前のことすごいと思ってるから!」

「……ねぇ、一つだけ答えて?」

「は、はい……」

「ピOシブの小説、読んだ?」

「……………………………………………………」

「読んだんだ」

「いえ、読んでませんっ……」

「ううん~~なんで敬語かな?もう一度聞くね?今度もウソついたら幸せの願望機が発動してしまうよ~?………私がピOシブに上げた小説、読んだ?」



声に低くして再び尋ねると、白はようやくまっとうな答えを返してくる。



「は、はいっ………………」

「ふう~~~ん、やっぱり。で、なに読んだの?」

「は、はい………?」

「20作くらいあったじゃない。その中でなにを読んだのかって聞いてるんだけど」

「……………最初に投稿されたヤツです。その、ビッチ彼女に捨てられたってタイトルの……あれが一番ブックマーク数が多くて」

「はっ、はっ、あはっ、あはははははははっ」

「ちょっ、唯花……?ご、ごめん!!俺が悪かった!俺が悪かったから!!」



あははははははははっ……あはっ、あははっ!!読んだんだ……!読んだんだ、あの小説を!!最後には体も心も支配されてヒロインの指一本を見ても情けなくあそこを勃ててしまうあの小説を……きゃはははははっ!!


………………死のう、死ぬしかない。



「待って!!窓に向かって走ろうとすんな!!飛び降りるつもりか!!」

「離して……離してよ!!この状況でどうやって生きればいいって言うの!?あんなものがバレて正常に生きていけるわけないでしょう!?!?」

「まあ、それはお前の言う通りだけどな!!」

「バカぁあああああ!!!!」



必死に私を止めている白を振り切って、私はそのまま窓際まで突っ走ろうとした。でも、その前に―――



「ああ………もう!」



白に、後ろから強く抱きしめられて。


その瞬間、私は目を見張りながらピタッと動きを止めてしまった。



「……どこ行くんだよ。いくら恥ずかしくても本気で死のうとすんなよ」

「…………し、白?」

「確かに引いてはいたけど、アレもその……まあ、面白かったからな?実際にコメント欄もけっこう盛り上がってただろう?お前、すごいよ。あそこまで没入感のあるもの書けて……!」

「………………あの、白」

「うん?」

「エロ小説の評判をあんな風に言われると、もっと死にたくなるんだけど……」

「あっ……!ご、ごめん!そんなつもりじゃなくて………!こら、また逃げようとすんな!」



本当にもう逃がさないと言わんばかりに、白の腕が私の体をぎゅっと縛ってくる。


白の匂いと息遣いがもっと近くなって、私は再び体をビクンと跳ねさせるしかなかった。



「……だ、大体、俺は嬉しかったからな?」

「………えっ、嬉しい?」

「いや、そのエロいヤツじゃなくて……お前が夏白唯だって知って、めっちゃくちゃ嬉しかったんだよ。俺が一番好きな作家さんがお前だったなんて、本当に想像もしてなかったから」

「…………………………」

「だから、もうちょっと胸を張ってもいいと思うぞ?お前、夏白唯だからな?お前すごい作家だから……確かにまあ、あんなエロいヤツ書いたから俺に教えなかったのも納得はいくけど、できれば俺にも言って欲しかったわ。お前のペンネーム」

「………………本当に?」

「当たり前だろ?幼馴染だから」



……………………ああ、本当にこの男は。


なんなの、この男。本当になに?なんで私をこんなに喜ばせるの?どうしてここまで受け入れてくれるの?心がきゅうってなって、もう泣きそうになるじゃない。


本当にどこまで、どこまで私を惚れさせれば気が済むのよ………どこまで。


こうなったら私はもう、あなたなしじゃ生きられないじゃん……一生、他の男とは恋愛できない体になっちゃうじゃない。あなたのせいで……。



「……本当に?」

「二度も聞くなよ、本当だから。こんな場面でウソつくわけないだろ?」

「…………あんなにキモい小説書いたのに?」

「オタクなら誰しも人には言えない秘密くらいあるだろ?だから、もう安心しろ。嫌だとは思ってないから」

「……………………………っ」

「えっ、唯花……?」



パタンとバットが落ちる音がする。視界が涙で潤って、もう私を抱いている白の両手しか見えなくなる。



「……ったく」



白はそんな状態で私の体を反転させてから、懐にぎゅっと、私の頭を抱きしめてくれた。


私は子供のように、その広い背中に両手を回す。



「怖かったぁ……本当に、怖かったのぉ……幻滅されたらどうしよって。一緒に住めなくなったらどうしよって………」

「そんなことで別れるはずないだろ?言っとくけど俺、お前の幼馴染20年もやってたからな?」

「うん………うん………ひくっ、ありがとう……ありがとう、しろぉ……」

「……はいはい。よく頑張ったな」



何を頑張ったと言っているのかはよく分からないけど、そんな些細な悩みも白の熱で全部吹き飛ばされてしまう。


私は、心から大好きな人の懐で、目元が赤く腫れ上がるまで何度も泣いていた。

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