54話  紹介してくれないか?

桑上くわかみ 奈白なしろ



「なぁ、奈白。飲みに行かないか?」



仕事が終わった夕方。珍しく秀斗に誘われて、俺は驚きながらも口を開いた。



「ああ、構わないけど……ごめん、ちょっと待ってくれ。彼女さんの許可が必要だからさ」

「ははっ、そうだよな。電話してみろ」

「おう」



秀斗からちょっと距離を取って窓際まで移動した後に、ポケットからスマホを取り出す。


基本的に唯花は俺のために晩ご飯を用意してくれることが多いから、今じゃご飯は要らないと知らせるのが遅いのかもしれない。それでも秀斗の深刻そうな雰囲気がなかなか気になるから、一応聞いてみることにした。


唯花は、思ってた以上に電話に早く出てくれた。



『もしもし~?どうしました?もしかして少しでも早く可愛い彼女さんの声が聞きたいとか?』

「……ぷはっ。いや、声を聞くのももちろん好きだけどさ。夕飯の準備もうできてる?」

『ううん、まだまだ。どうしたの?』

「ちょうど会社の仲間に飲みに誘われてな。けっこう悩んでるらしいから……相談に乗るついでに、飲みに行ってもいいのかって許可取りたくて電話したんだよ」

『……女じゃないよね?』

「バカ、女なわけあるか」

『ふうん』



唯花は若干気に食わない口調で言ってくる。まあ、独占欲の強いこいつのことだし、仕方ないかと思った時。


俺の予想とは裏腹に、あっさりと許可が出てしまった。



『それだったら、許可します』

「……えっ」

『ちょっと、なんでそんな声が出るの?』

「いや、こんな簡単にOKしてもらうとは思わなかったから……どうしたんだよ?」

『……昨日、あんなに愛してもらえたから』



………………………………………………うぐっ。



『まあ、あれほど耳元で好き好きって言われたら私だって……ちょっとは、信じてしまうというか。そういうものなの』

「そ、そうか……まあ、分かった。じゃ、悪いけど今日の夕飯は一人で食べてくれ。帰りは……そうだな。10時前には帰るから」

『うん、あんまり飲みすぎないでね?』

「心配しなくてもそんなに飲まないって。じゃ、また家でな」

『…………………』

「うん?唯花?」



急に声が聞えなくなったと思ったら、少し間を置いて唯花が寂しそうに言ってきた。



『……帰ったら、いっぱい甘やかしてよね?』

「………………ああ、もう」

『なによ、本来なら今すぐ会いたい~~って駄々こねるところだからね?でも、さすがにそこまで困らせたくはないから……』

「……分かった。できるだけ早く帰るから」

『ふふっ……うん。待ってるからね?』

「ああ、また後で」



電話を切ると同時に、つい深くため息をついてしまった。


はあ……この彼女、いくらなんでも可愛すぎだろう。心臓飛び出ると思ったわ、マジで……。


幸い、周りに人があんまいないからそこまで注目されることはなかったけど、今度からは社内での電話はちゃんと控えておこう。表情管理とか全然できなそうだし……。


そんな風に思いながら自分の席に戻ると、秀斗の呆れたような顔が目に入ってきた。



「……な、なんだよ」

「いや~~幸せそうでよかったなって」

「からかうなよ!ほ、ほら、行くぞ?ちなみにどの店行く気だ?」

「デレデレしやがって……はあ」



心なしか、秀斗の顔がもっと沈んでいるように見えた。





「それで、結局どうしたんだよ?お前が飲みたいなんて珍しいじゃねぇか」

「まあ、色々とあるんだよ。とりあえず、乾杯」

「おう、乾杯」



居酒屋に来て当たり前のように生ビールを注文した後、俺たちはジョッキーをぶつけてお酒を飲んでいく。


温泉旅行に行ってきてからはお酒も飲んでいなかったから、普段よりちょっと美味しく感じられた。



「ぷはぁ~~ふう、いいな。久々に飲むのも」

「まあ、うちは飲み会とかそんなにないもんな。んで、何がそんなに悩ましいんだ?」

「……そんなに悩んでいるように見えるか?今の僕」

「普通に色々と抱えてるようには見えるな」

「あはっ、そうか」



ちょうどいいタイミングでおつまみの餃子が運ばれる。向かい側に座っていた秀斗は餃子を一つ口に放り込んでから、本格的に話を始めた。



「あのな、奈白」

「うん」

「……別れて2年以上も経ったのに未だに失恋を引きずっているのは、やっぱり正気の沙汰じゃないよな?」

「いや、そこまで強く言わなくてもいいだろ……でも普通は、それくらい経ったら忘れるよな」



薄々予想はしてたけど、秀斗の悩みはやっぱり元カノに関することだった。俺は苦笑を浮かべながらも、秀斗の言葉に耳を傾ける。



「はあ………もちろん、自分でも情けないとは思ってるんだよ。いくら長年付き合ったとはいえ過去のことだし、そろそろ新しい恋愛をした方がいいと頭ではちゃんと分かってるんだ。でもなかなか、そんな風には行かなくてさ」

「確か、8年だったよな?中学の時から付き合い始めて」

「ああ、中学2年。ちょっと些細なきっかけで付き合い始めて、同じ高校に進学して、お互い大学入った時から同棲を始めたけど……なんか、そこから上手く行かなかくてさ」

「ふうん、ライフスタイルが違ったとか?」

「それもあるな。向こうはずっと夜型の生活してたし」

「ふうん……で、結局一緒に暮らしている途中で別れたんだよな?」

「そう。僕もあいつも合わない部分があったし、なによりあいつはすごいヤツだから……ちょっとした劣等感というか、負い目みたいなものがあってさ。本人には言ってなかったけど、それが主な原因で別れたんだよ」

「………………ちょっと待って、お前が劣等感?実感が湧かないんだけど?」



頬杖をつきながら聞いている途中で、思わず眉根をひそめてしまう。これは友だちの贔屓なのかもしれないけど、秀斗はかなりイケてる方だと思う。いや、女ウケしそうだと言った方がいいかもしれない。


冷静沈着な雰囲気に眼鏡のせいか知的な印象も持っていて、実際にも優しくて仕事もテキパキこなしているから、社内での評価も高い方だ。


なのに、そんなヤツが劣等感を感じてしまう女だと……?俺には想像がつかない。



「なんだ、信じられないのか?でも、実際にそうなんだよ。あいつはすごいヤツなんだ。美人で可愛くて、頭もよくて、気配りもできて、お金もびっくりするくらいに稼いでいる……本当に、すごいやつなんだよ」

「……もしかして社長令嬢とか?」

「いや、そうじゃないけど……まあ、とにかく。最近のお前を見たら、色々と昔のことを思い出してな」

「昔のことって?」

「僕もあの時は幸せだったな~~って。僕もあんな顔になっていたんだなって。やっぱり8年も恋愛したからか、まだ所々に残ってるんだよ。あいつの影が」

「……………ふうん」



その言葉には少しだけど共感できそうな気がする。俺だって、唯花と離れていた大学生活の中で色々と思い出していたのだ。


昔にあいつと一緒に遊んだゲームだなとか、あいつとこのチェーン店来たことあるなとか。一緒にいる時間が長ければ長いほど、そういった影も深くなっていくから。



「それでだけど、奈白。もしかして周りにフリーな女友達いたら、ちょっと紹介してくれないか?」

「は?なんで急に?」

「なんでって、忘れるために決まってるだろ?あいつはそもそも別の彼氏作ってるはずだし、このままぐずぐず引きずってたらどうにもならないんだよ。もしよさそうな人がいたら、紹介してくれよ。あ、お前の彼女さんの知り合いでも全然いいからさ」

「唯花の、知り合いか……」



その言葉を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、GWの時に会った藍坂さんの顔だった。


いや、神イラストレーター白雪先生と言った方がいいだろうか。詳しい恋愛事情はもちろん聞いてないけど、唯花の知り合いで俺も知ってる女の人だとしたら藍坂さんくらいだ。この前会った時に連絡先も交換しておいたしな……。


そういえば秀斗もまあまあオタクだし、割とイラストレーターという仕事に対する理解があるかもしれない。


でも、相手方の許可もなしに紹介するのはちょっとアレだし……俺はとりあえず、口を閉じておくことにした。



「ごめん、今のところはないな。俺、女の友達とかそんなに多くないし、大学で会ったやつらはほとんど県外に住んでるからさ」

「はああ……そうか。まあ、最悪の場合にはデートアプリでも使うか」

「あはっ、他の部署の人たちはどうよ?うち、割と社内恋愛多いだろ?」

「バカ、社内恋愛なんかバレたらマズいだろ。色々気をつけなきゃいけないこともあるし……それは、最終手段として取っとくよ」

「そうか」



でも、藍坂さんか……ふうん、彼氏いないなら普通に紹介してもいいんじゃないかな。よし、今度唯花に聞いてみよう。


俺はその後も秀斗の愚痴を聞いてあげながら、お酒を飲んで行った。

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