18話  心配してくれる人

桑上くわかみ 奈白なしろ



「はああ……」



仕事も無事に終わって家に帰れるというのに、なかなか気分が晴れない。あんなにも待ち焦がれてきた週末が、今だけは重苦しいものにしか感じられなかった。


唯花とろくに話さなくなってから一週間。状況はますます悪くなる一方だった。


どうやら、あいつはドロドロに酔ってたくせに自分がなにをしていたのかは全部覚えているらしい。そんな状態だからなにかを言いかけようとしても、あいつとの時間を失うかもしれないと思ったら言葉が出なくて、明日でいいかと引きずって……そのまま1週間が経った。


……でもさすがに、このままじゃまずい。今日か明日あたりではちゃんとけじめをつけなきゃ。



「ふぅ………よっし」



ちょうど心を決めていたところで、電車が最寄り駅に着く。電車から降りて、駅から5分くらいしかかからないマンションに到着して、家のドアの前に立って。


もう一度呼吸を整えてから、鍵を差し入れてノブを捻ったその瞬間――――。


俺の目の前に見えたのは、唯花が床で倒れている姿だった。



「………………………は?」



血の気がすって引いて、気づけば俺は大声で叫んでいた。



「ゆいか!!!!」



靴を脱ぐことも忘れずに駆け寄る。上半身を持ち上げて何度も名前を読んだら、ようやく唯花の目が少しだけ開かれた。


それを確認した途端に、俺はあいつを抱きしめた。



「しろ……?」

「お前……お、おまえ、なんで……!」

「あはっ、おかえり………」

「うるせぇ!!おかえりじゃねぇだろ!!」



体が信じられないくらいに熱い。顔を確認したら、汗と共に苦しそうに表情をゆがませているのが見えた。試しに頬に手の甲を当てたらやっぱり熱くて、思わず血が出るほど下の唇を噛みしめてしまう。



「……しろぉ」

「言うな。なにも言うなよ。今救急車呼ぶから」

「大丈夫、ただの風邪だから……」

「うるせぇ!くそ………っ」



幸い、救急車は思ってた以上に早く来てくれた。







「夏目唯花さん?」

「あ、はい」



病院の救急センターの隅。カーテンを開いて訪れた医者さんを見上げながら俺は反射的に答えた。唯花が寝ているのを確かめて、医者さんは会釈をしてから微笑んでくる。



「保護者の方ですか?」

「はい、そうですが……えっと、検査はすべて終わったんですよね?」

「はい、すべて終わりました。先ずはご安心ください。ウイルスやインフルエンザなどではありません。患者さんの場合は体の疲労が溜まって体調を崩しただけだと見受けられます。たぶん、睡眠不足によるただの風邪ではないかと」

「…………じゃ、特に重病とかじゃないんですよね?」

「そうです。検査の結果、他に異常はありませんでした」

「そうですか……ありがとうございます」

「はい。では、ごゆっくり」



カーテンが再び閉められて、俺は平和そうに眠っている唯花の顔をもう一度見下ろす。疲労が溜まった。睡眠不足………その二つの言葉が、俺の心に重しをかけてくる。俺は唯花の手を両手で包んで、その手を自分のおでこをくっつけてから考えた。


すべて俺のせいだ。俺がヘタレなせいで、こいつを傷つけたから……と。


一体、俺はなにをやってたんだろう。唯花の立場なんて何一つ考えなかった。唯花がどんな気持ちでこの一週間を過ごしてたのかを、少しも思わなかった。


ただ単に、別れるかもしれないというのが怖くてずっと問題を先延ばしにしていた。もし俺が男らしく答えを出していたら、もしくは腹を割って話そうとしてたら……何かが、変わったかもしれないのに。



「っ、うっ………はぁぁ……」



自分への罪悪感と情けなさと、唯花に対する申し訳なさで泣きそうになる。ここまで自己嫌悪をしたのは初めてかもしれない。


ただただ、謝罪の言葉だけが心の中で積もっていく。肩が自然とぶるぶる震えた。


そんな風に自分を責めていた、その時。


ぽん、と俺の頭の上に何が置かれたような気がした。



「え………?」



反射的に顔を上げれば、唯花が笑っている姿が視界に入ってくる。


体を起こしてはいなかったけどその顔は、ちゃんと俺が知っている笑顔だった。



「ゆい……か?」

「なに、その反応。まるで私が重病にでもかかったような表情をして。言ったよね?ただの風邪だって」

「……起きてたのか?」

「ううん?さっき起きたの。でも、自分の体は自分が一番よく知ってるし……それに、誰かさんの泣き声が聞こえたから」



…………泣き、声?



「……なに泣いてるのよ、本当に」

「……………ぁ」



止める間もなく、唯花は体を起こして俺の頬を撫でていく。その時になってようやく、自分が泣いていることに気付いた。


本当に仕方ないと言わんばかりの顔で、唯花はクスクスと笑う。



「本当に変。痛いのは私なのに、なんであなたが泣いてるの?」

「……………それ、は」

「あんたって、たまにこうなるよね。めっちゃくちゃ心配性になって、私のことずっと気にして」

「…………………」



………………ああ。


ヤバい。涙が止まりそうになかった。俺は自分の頬を包んでいる唯花の手の甲に自分の手を重ねて、俯いてから言う。



「唯花」

「うん」

「……ごめん」

「……なんで白が謝るの?」

「…………俺のせいだろ。お前がこうなったのは」

「えっ、もしかしてわたし、本当に重病とか?」

「そんなわけじゃない。ただの風邪で合ってるけど……でも、俺がお前を傷つけたから、体調崩したんだろ」

「ああ……なんだ、そんなことか」

「そんなことじゃないだろ……」

「そんなことなの、だって……あはっ」



言葉を区切って、唯花はいきなりぐいっと俺の顔を持ち上げてくる。


俺の情けない顔を見て、ヤツは何が楽しいのか愉快そうに笑い声まで上げながら言ってきた。



「あんたが、こんなにも私のこと心配してくれるんだもん。だから、別にいいの」

「………どれだけ心配したのかは、お前には分からないだろう?」

「そんなことを言う前に先ずは涙を止めてくれないかな~あんた、今もめっちゃくちゃ泣いてるよ?」

「………………………」

「……私も、ごめんね。いきなりその……ああいうことしちゃって」

「………………………………ああ」



くすぶっていた悩みが真夏の雪のように溶けて行く。俺は深い息を零して、苦笑いだけを浮かべた。


その後、俺は日が明けるまで唯花の傍にいてから、その日の朝に一緒に家に帰った。

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