60話 吹っ切れていないから
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………羨ましい。
少しスクリーンに目を向ければピュアな恋愛映画が見れるというのに、私の視線はさっきからずっと、隣に座っている唯花のペアリングに縛られていた。
最初には当たり前というか、唯花と桑上さんは私たちに遠慮してペアリングをはめようとしなかった。でも、私と秀斗が何度も大丈夫だと言ったから、そのまま指にはめてこうして映画館にまで来たのだ。
わたしは何故、ジュエリーショップなんかに向かったのだろう。
あそこは、一緒に住んでから一年くらい経った時に偶然、気まぐれで入った店だった。あの頃はまだ私たち二人とも大学生でお金がなかったから、値段が張るアクセをプレゼントできるほどの余裕もなかった。
『見て見て、秀斗。これめっちゃ綺麗じゃない?』
『へぇ、そうだね……って、うわっ。高っ』
『あははっ、そうだよね~ここ、大学生が買うにはちょっと高いよね』
『…………そうかも』
でも、ちょうどそれから3ヶ月くらい経った誕生日に、私はあの指輪を急に渡されたのだ。
そう、今も私の隣に座っている、この男に。
『えっ、これ……!?』
『覚えてないか?前に綺麗な指輪だって言ってただろ?』
『ええ!?でも、これけっこう高いヤツじゃない?カップルリングもあるのに、急にどうして……!』
『……………』
あの頃も生真面目で、眼鏡をかけていて、馬鹿正直なあの男は。
耳まで顔を真っ赤にさせて、こういったのだ。
『……じゃ、婚約指輪ってことで……いいんじゃないかな』
『………………………え?』
『婚約指輪……あ、結婚指輪じゃないから!それはちゃんと、社会人になってから渡したいし……!』
『…………婚約って、本当に?』
『…………ああ。社会人になったら、改めてプロポーズするから。その時まではちゃんと……これを持っててくれよ』
私は、嬉しかった。
嬉しくて嬉しくてどれだけ泣いたかもよく覚えていない。とにかく誕生日という事実を忘れそうなくらいに泣いて、ただただ幸せに打ちのめされて、愛する人に抱きついていた。
だって、あの頃はまだ私がイラストレーターとしてちゃんとした結果も出してない時期だったのだ。イラストレーターという不確かな進路を選んだわけだから、現実的な秀斗の性格からしたら未来に不安が確かにあったはずだ。
にもかかわらず、秀斗は私を信じて、私を選んでくれた。それが嬉しかった。あの頃が私たちの恋愛のピーク時だったかもしれない。
……そして、今の私の指にはなんの指輪もはめられていない。
『…………別れよう。僕はもう疲れた』
『……そ、それはこっちの台詞よ!ええ、いいじゃないの。別れてあげる!こんな指輪なんか、そこのゴミ箱にでも捨てればいいじゃない!!』
吐き捨てるように言ってゴミ箱に投げた、その指輪が戻ることもなかった。
それから毎日のごとく泣きながら、考えていた。どうして別れたのか。どうしてあんな風にしか言えなかったのか。
おかしなことに、一度別れて頭をすっきりさせれば見えなかったことが段々と見えてきて、その状況を客観的に受け入れることができる。人はいつも、なにかを失ってからようやくその存在の大切さを噛みしめることができる。
私たちは、結局言葉が足りなかったのだ。
お互い腹を割ってなにが嫌だったか、互いに何を改善して欲しいかをちゃんと打診すれば上手く行ったかもしれないのに、プライドを先立てて最悪な結末を迎えてしまった。
はっきり言おう。私は、何でもかんでもできる秀斗に確かな劣等感を抱いていた。
「面白かったな~恋愛映画はけっこう久しぶりだけど、普通に楽しめた」
「だよね?口コミ調べておいてよかった~~」
映画が終わった後、私たち4人はエスカレーターに乗りながらビルの外に足を向ける。
私の前にいる唯花と桑上さんは、お互いをちゃんと大切にしながらも対等な関係であることがよく分かる。
でも、私たちは違った。私と秀斗の関係は全然平等じゃなかったから……だから、少しでも優位に立とうと色々してたけど。
思い返せば、本当にバカだったなと自分でも思ってしまう。
「これから夕飯食べに行くんですけど、なにか食べたいものありますか?」
桑上さんが投げてきた質問に、隣の秀斗はすぐにかみつく。
「あ、僕は別になんでもいい」
「……私も。あ、お酒はなしでお願いします」
「分かりました。じゃ……そうですね。俺たちがよく行ってるステーキ専門店がありますけど、そこに行ってもいいですか?ちょっと歩かなきゃいけませんけど」
「いいですよ、お願いします」
「はいっ、じゃ行きましょうか」
ビルの外に出てしばらく歩いても、桑上さんは相変わらず唯花と話していた。あの二人には今日一日で何度も気を使わせてしまったから、あんな風に楽でいてくれると私としても助かる。
閑散とした道の中、その初々しいカップルの後姿に淡く微笑みながら、私は元カレを見上げた。
「……あのさ、秀斗」
「うん?どうした?」
「家に帰ったらアカウントのブロック解除しておくから、確認よろしく」
「………………………は?」
「……電話番号も、前と同じだから」
「ちょっ………雪」
「私はね、たぶんだけど」
私は前を歩いている二人の姿をもう一度見た後に、視線を戻す。
「復縁したいと思っている……かも、しれない」
「……………」
「……でも、これは私の勝手でしょ?昔みたいに私の我がままをあなたに押し付けるつもりはないよ。だから、あなたが選んで。別れた後にも私に連絡くれたら、あなたもその気だと受け止めるから」
「……………終わった関係に拘るなんて、僕が知っている藍坂雪じゃないな。あのクールっぷりはどこに行った」
「私、何度も言ったけどクールなんかじゃないよ」
そう、この男はずっと私をクールだとかなんだとか言ってたけど、まったくもって違う。
私はただただ元カレが忘れなくて、2年以上くすぶった失恋を引きずっている、バカな女なだけだ。
「クールだったら、あんたのことはとっくに吹っ切れてた」
「………………」
「ということで、確認よろしく」
それだけ言い残して、私は前を歩く二人に近づこうとする。これ以上秀斗と二人きりで話したらなんというか、メンタルが削られそうで色々ときつい。
拒まれるかもしれない怖さもあって不安もあって、とにかく大変だ。
そうやって3分くらい歩いたところだろうか。いつの間にか後ろにちょっと離れていた秀斗に気付いて、振り返ると。
ふと、聞きなれた着信音が私のミニバッグの中で響いた。
「えっ?」
それからスマホを取り出して差出人を確認した瞬間、私はその場で立ち止まってしまう。
秀斗は私の様子をしばらく見ながらすぐに私に追いついて、そのまま私を通り過ぎながら言う。
「……着拒はしてなかったんだな」
なにかがおかしいのを気づいたのか、前を歩いていた唯花と桑上さんは怪訝そうな顔でこちらを振り向いていた。秀斗は肩を竦めながら、さっきより少しだけ赤くなった顔で私に手招きをしてくる。
私は立ち止まったまま、もう一度見慣れた番号を見下ろして。
苦笑を零しながら、スマホの画面を何度か撫でて、再びバッグにスマホをしまった。
「……本当、バカ」
こんなに早く答えを出されたら、不安がってた私が変に見えるじゃない。
本当に、バカだから………。
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