68話  結婚したくないの?

桑上くわかみ 奈白なしろ



「……ということで、付き合うことになりました」

『ふふっ、ふふふふっ』

「……何がそんなに嬉しいんだよ」

『おめでとう~~結婚はいつ?』

「は、はあ!?!?!?」



お母さんのあられもない言葉が飛んでくるんだから、思わず声を上げてしまった。でも思ってみたら隣の部屋で唯花が仕事してるのに、まずいよな……これ。


俺は、自分の椅子にもたれかかれながら小声で言う。



「いきなり結婚って……!頼むから、そういうのやめてくれよ」

『ふふっ、それにしてもよく頑張ったわね。昔は色々と戸惑ってたのに』

「……昔の話はいいだろ?とにかく、そういうわけだから」

『あ、待ちなさい?用件だけ言って切るのはダメじゃない。私もちゃんと聞きたいことあるんだし』

「うん?聞きたいことって?」

『もうすぐでしょ?お父さんの命日』



………………ああ、そういえばそうか。もうすぐ6月だから。



『お墓参りに行くんだけど、どうする?一人で来ても唯花ちゃんと一緒に来ても私は構いけど?どうせ一度は帰ってくるんでしょ?』

「そうだな……GWにも帰ってないんだし、お墓参りは行かなきゃ」

『分かった。唯花ちゃんと相談してから後で連絡してね。私としては、二人が一緒に来てくれると嬉しいかな~』

「……なんでだよ、お父さんの命日に唯花が同行する必要はないだろ?」

『ふふっ、冷たいこと言っちゃって。本当にそう思ってるの?』

「……………………」



さすがに、何も言い返せなかった。


確かに俺たちはまだ恋人関係で、唯花に父のお墓参りにまで付いてきてもらう筋合いはない。別に家族でもないし、唯花も最近は仕事が忙しそうにしてるから。


でも、やっぱり心の奥では期待してしまうのだ。


俺と唯花は、付き合いたてのカップルと言うには少し絆が深すぎるから。唯花は言葉の節々にこれからも絶対に一緒にいるという念を送ってくるし、もちろん俺も同じ気持ちを抱いている。


俺はもう、夏目唯花以外の女とは付き合える気がしない。


たぶん、俺は唯花としか付き合えなくて、唯花も俺としか付き合えないと思う。唯花から送られる愛はそれほど重くて、激しいものだった。



「……分かった、後で唯花に聞いておく」

『はい、分かりました』



父が亡くなったのは俺たちが4歳の頃。正直、残っている記憶とすれば葬式でみんなが泣いているから、つられて俺もわんわん泣いた記憶しかいない。


でも、その時に唯花が俺の手を握ってくれて、一緒に泣いてくれて……俺の初恋はそこから始まって、今になってこう実を結んでいる。できれば、この時間をずっと味わいたい。


電話を切ると、まるで待っていたかのようにドアがノックされた。



「あ、はい」



案の定、普段のラフな部屋着姿の唯花はつかつかとこちらに寄ってきて、当たり前のように俺の膝の上に座ってくる。



「あ、ちょっ」

「なぁ~~に?椅子が一つしかないから仕方ないじゃん」

「いや、ベッドに座ればいいだろ?」

「……ふうん、本当にそれでいいの?」



……卑怯なヤツめ。お風呂入って来たからかシャンプーのいい匂いするし、おまけに俺の腕まで自分のお腹に回して……はあ。


本当にこいつ、付き合ってから距離感がおかしくなったんだよな……。



「原稿は大丈夫なのか?」

「うん、今日の分はさっき書き終えた。それより、誰と電話してたの?」

「ええ~~盗み聞きは感心しないな」

「うっかり聞いちゃっただけだから!さすがに私でもそこまではしないって……で、誰?」



唯花は、俺にもたれかかったまま頭を反らせて唇を尖らせる。俺は苦笑しながら唯花をぎゅっと抱きしめてから言った。



「お母さんと電話しただけだから、安心していいぞ」

「ふうん、おばさんか……ていうか、安心ってどういうこと?」

「俺の彼女さんはとにかく嫉妬深いから」

「…………………ぶぅ」



自覚はあるのか、何も言わないで頬を膨らませるのが余計にかわいい。俺は噴き出しそうになるのをどうにかこらえながら、唯花の首筋に顔を埋めた。



「GWには色々あって実家に帰らなかったから、その謝罪も兼ねて付き合っているの報告したんだよ。えっと……いいよな?お母さんに知られても」

「当たり前じゃん。それで、おばさんはなんて言ったの?」

「まあ、普通にお祝いされてから式はいつなのかとからかわれ………じゃない。今の話はなし」

「ええ!?なんで!?し、式って……まさか結婚式!?」

「だから、お母さんはあくまで軽く冗談言っただけで……!こ、こら、暴れるな!椅子が揺れるだろうが!!」



急に体の向きを変えようとするから、俺は椅子が壊れないか心配しながらもどうにか唯花を両手で支えた。


そして、ついに俺と向かい合った唯花は目を細めながら、明らかに不機嫌な口調を放つ。



「……ふうん、私と結婚したくないんだ?」

「なんでそういう話になるんだよ!!お前、最近本当一々重いからな!?」

「……ううっ、やっぱり結婚したくないんだ~~しくしく」

「泣くふりやめろよ?涙全然出てないから」

「ああ~~つまんない。むぅぅ~~んちゅっ」

「!?!?!?」



いつものように拗ねたと思ったら、すごく自然にキスしてきて心臓がドカンと鳴る。


それに一度のキスじゃ満足できなかったのか、唯花は俺の首に両腕を回して本格的に俺の唇を貪ってきた。



「んむっ、ちゅっ、れろれろ……ちゅっ、んん……」

「ちょっ、ん……!んちゅ、ちゅっ、んん……んむっ!」



息が絶え絶えになった頃にようやく唯花が顔を少しだけ離して、さっきと同じく唇をへの字にして見てくる。


あまりに近すぎる距離とシャンプーの香りと、銀色の髪と唯花の口元についている唾液で、頭の中が暴力的に崩れていく。


慌てている俺の姿に満足したのか、唯花はニヤッと笑いながら俺の頬を両手で包んできた。



「仕返し」

「……なんの仕返し?」

「知らない。なんか、ムカついたから」

「……ムカついたからって人の唇で遊ぶなよ」

「この唇、私のものだし」

「…………………………」

「……なによ、不満ある?」



……たまにサラッととんでもないこと言ってくるんだよな、こいつ。


本当になんなんだ。急に弱気になって子供のように甘えてくると思ったら、時々想像もしてなかった大胆な真似をしてくるし。


惚れた弱みだろうけど、俺はこういう時の唯花には勝てない。



「……そんなに俺と結婚したいのか?」

「……分かっていることをわざわざ言わせないでよ」



………ああ、本当にこいつは。



「そっちは?」

「は?」

「結婚、したくない?私と」

「……さっきの言葉そのまま返す。分かっているなら、わざわざ聞くな」

「やだ、言葉が欲しい」

「……日頃からもうたくさん好きって言ってるだろ?」

「ふうん、20年も私と一緒にいたのにまだ分からないんだ。私がどれだけ甘えん坊で寂しがり屋で、臆病なのかを」



……甘えん坊ならとにかく、臆病なら男の上に乗っかってキスなんかしないと思いますが。


でも、俺はもう辻褄が合ってない唯花さえも好きになっている。



「い、いつかは、必ず………」

「………ケチ」

「な、なんでだよ!これくらいで十分だろ?」

「私が望んでいるのは、お前と結婚したいという言葉だけど?」

「……付き合って2ヶ月も経ってないのに結婚って、普通にヤバいだろ」



その言葉を聞いてようやく現実に戻って来たのか、唯花は大きく目を見開いてから苦笑を浮かべた。



「………そ、そうだよね。やっぱそうなるよね………ごめん。ははっ、当たり前か。私たち、まだ付き合って2ヶ月も経ってな―――うむぅっ!?」

「んちゅっ、ちゅっ、んん………」

「んんん!?!?」



急に落ち込んだ顔が見たくなくて、それとさっき突然とキスされたから。


その仕返しに同じことをしてやると、唯花は明らかに驚いた様子で体をビクンビクンと跳ねさせる。でも、次第に目を閉じて、溶けるように俺にもたれかかりながら舌を動かし始めた。


さっきの乱暴なキスとは違う、慰めと安心が滲んだねっとりしたキス。


唇を離すと、唯花の目が蕩けているのが見える。潤ってて、息が荒くて、顔が真っ赤になって……そんな彼女さんをぎゅって抱きしめてから、俺は言う。



「……お前しかいないから」

「ふ、ふえぇ……?」

「いずれはちゃんとプロポーズする。だから、その時になったら……ちゃんと、受けてくれよ」



抱きしめたおかげで顔が見えないのをいいことに、普段なら絶対に言わなそうな恥ずかしいことを言ってのける。


耳元でささやかれた唯花は、ぶるぶると体を震わせてから俺を抱きしめている腕に、もっと力を入れてきた。



「………本当、ズルい」



……自然な流れで背中をポンポンと叩いてやると、唯花はさっきよりも恨みがましい声で、再び言ってきた。



「本当、ズルすぎる……」

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