再会と出会い - 3日目 -

 金曜日、週の終わりでも俺の生活は変わらない。いつも通り学校に来て慎が出迎えてくれ、教室に行き、席につく。そこまではよかった。


 授業、いつも通り頬杖をついて寝る体勢に入ったら、突然横からペンでつつかれた。つつかれたのは左腕。確か左の席に座っていたのは渡だ。何か重要なことを先生が言っているのかと思ったが、聞こえてくるのは授業の話と板書の音。再び寝る体勢に入るとまた横からつつかれる。授業外だったら文句言っていたが今はそうもいかない。もうつつかれるのは嫌なので結局この後は起きているしかなかった。


 休み時間になって渡にさっきの授業のことを聞こうと思ったが、そういえば耳聞こえないんだった。さてどうしたらいいか、話しても渡には通じない。文章を書いても俺には見えない。はぁ、これじゃ一生かかっても俺たち会話なんかできないな。そう思っていた時、誰かがこっちに来た。ここで誰かと言っている時点で慎ではないのは明確、じゃあ誰か。


「二人とも、何か授業で困っていることとかある?」


 声を聞いてわかった、一条だ。気遣いで声をかけてくれたのだと思うがそれは無用なことだ。これまでもそのような余計な気遣いに対処してきたし、何より今は慎がいる。全くもって生活に心配はない。俺が話さないでいると一条は渡のほうへ行った。携帯で文字でも打っているのか、しばらくしてそれをどれどれと見た一条は


「ぷふっ、あっはははっ!」


 いきなり笑い出した。そこにどんなことが書いてあったのか気にはなったが、どうせ俺のことではないので特に気にしない。ひとしきり笑った後、一条は携帯に書いてあったことをそのまま俺にも聞こえるように話し出した。


「えーっと、授業中矢島君が隣で寝てて起こしてもすぐに寝ちゃうからどうしたらいい? だって」


 は? 携帯に書いてあったのって俺のことかよ。確かに黒板を見る以上、視界の端とかに俺が映ることはあると思う、実際どんな感じなのかは見えないので知らないが。まさか寝息が気になったとか? 自慢じゃないが寝息を立てないことには自信がある。そういえばさっきの授業中寝ようとしたらつつかれるの繰り返しだったな。


「見えねぇんだから聞いてもわかんねぇ授業聞いても意味ねぇだろ。だから寝てるんだよ。まあ今日は横から邪魔が入ってずっと寝れなかったが」


「でも授業中寝るのはダメ! 寝るならせめて休み時間ね、渡さんもそう思うでしょ?」


 そこから少し時間をおく。


「ふーん、これからは寝ちゃダメだよ、寝ても渡さんが起こすから、あと・・・瀬戸君にもお礼を言っておいたほうがいいよ」


 そう言ったと同時にチャイムが鳴ったので一条は「じゃあね」と言って席に戻っていった。うーん、授業中寝るなと言われたら何をしていればいいのか? そして渡に礼を言うならまだしも、さっきなぜか慎の名前が出てきた。どういうことだ? 暇だし考えるか。

 起こされたのは今日・・・、ということは昨日渡が何か言われたのか。昨日・・・そういえば帰り際、渡に袖つかまれたな。そこには慎もいた。俺が用がないなら帰るって言ったあとから俺の後追って来るまでタイムラグがあったな。ああこれだ、やってくれたな、俺の睡眠時間を奪いやがって。あとで文句言ってやる。


 このあとの授業も寝ようと思っていたが、横からの視線を見えないのに感じたのでやはり寝ることはできなかった。俺の気持ちいい睡眠ライフが終わった瞬間だった。


× × ×


 午前中の授業が終わり昼休みに入った。昨日までは午前中帰りだったが今日からは一日授業だ。午後の授業が今日から存在する。実に憂鬱だ。おまけに金曜日だということもあって正直言ってもう帰りたい。


「光ちゃん、昼は?」


 この声は慎だ。てか俺のことを『光ちゃん』なんて呼び方をするのはあいつしかいない。


「鞄に入ってる」


 俺がそう言うと「オーケー」と慎が返して俺の鞄から俺の弁当を取り出す。一年の時は母親が送っていくとき、途中コンビニに寄ってパンやおにぎりを買っていく流れだった。ただ今日の弁当はおにぎり、それも母親お手製おにぎりだった。どうやらラップにくるまれていたようで、慎がそれを開いて「ほらよ」と俺におにぎりを手渡す。今までだったら自分で取り出して食べていたが、まあいっか。


 渡されたおにぎりを食べてしばし、慎に聞きたいことがあったのを思い出した。でもそれを話すのに渡がいては都合が悪い。耳聞こえないのなら問題ないだろうとも思うがそれでも話しづらいことに変わりはない。


「なあ、今隣に渡はいるか?」


「・・・いや、いないけど、どうした?」


 微妙な溜めは何だったのか気にはなったがいないのならいい。問いただしてやろう。


「お前、渡に何か吹き込んだだろ」


「何のことだよ」


「とぼけんじゃねぇよ。おかげで俺の貴重な睡眠時間がパァだ」


「いや家帰って寝てるだろ。どんだけ寝れば気が済むんだよ」


 最近の睡眠時間は家と学校で合わせて10時間くらいか。家で7時間学校で3時間、こう見ると学校で寝すぎだろと思う人もいるだろうが、授業は午前午後トータル6~7時間はある。逆にわからないことを聞きながらも3時間は起きているのだ。ここは褒めてもらいたいものだが、褒められるどころか睡眠時間を削られる始末。これは由々しき事態だ。


「寝る以外することないんだからいいだろ」


「そうじゃないんだよ、もっと将来のこと考えないとな。聞くだけでもまだましだろ。そんなんじゃ授業態度1で留年するぞ」


 高校ではよほどのことがない限り留年はない。留年した人も留年するくらいだったら退学を選ぶだろう、俺の勝手な偏見だが。


「はぁ、じゃあ寝るのはやめるよ。話を戻そう、なんで渡に俺が寝たら起こすように頼んだんだよ」


 話題をずらされていたがようやく本題に戻れる。


「だって席隣じゃん?」


「そうじゃねぇよ」


 席が隣というのは確かに一つの理由ではある。だが確信を突いてはいない。


「渡さんと昨日話したとき、光ちゃんに協力したいって言ってたじゃん? でも光ちゃんはそれを断った。せっかく言ってくれたのにこのままじゃ渡さんがかわいそうだろ? だから授業中お前が寝てたら起こすように言ったわけ、そしたら快く引き受けてくれてね」


「なんで俺が授業中寝てんの知ってんだよ」


「昨日の授業中ちょっと後ろ向いたら初日から寝てたからねぇ。いやぁ肝座ってるよほんと」


「うっせぇ」


 渡が協力したいというのを慎がくみ取ったわけか。それで昨日のあのやり取りか。納得はしたが


「わかった、けどな、目見えない人からしてみればいきなり横からつつかれんのはさすがに驚くわけよ。もうちょっとなんかなかったのかよ」


「じゃあ肩トントンで起こしてほしかった? それとも耳をフーとか?」


「却下!」


 そう言うと「たははっ」と慎が笑う。そんなことされるくらいならペンでつつかれたほうがまだマシだ。


「ったく俺のためにそんな気回さなくてもいいのによぉ」


「いや、これは俺のためでもあるんだ。気にしないでいい」


 俺を気遣うのは慎のため? 何のことか俺にはわからなかったがこう言われてしまっては俺が引くしかない。


「じゃあつつかれねぇようにしねぇとな」


 そう言って俺は飲み物を飲む。飲みやすいように慎が開けてくれたペットボトルだ、中身はブラックコーヒー。本当は炭酸を飲みたいのだが開けっ放しだと炭酸が抜けてしまう、ゆえに炭酸は飲めない。実際炭酸が抜けてもいいと思う人もいるが俺はそういうのには結構うるさいと自負している。


「だって。よかったね、渡さん」


 まさに不意を突かれたとはこういうこと。コーヒーを飲んでいた最中だったからに盛大にむせた。炭酸だったら地獄だった。


「ちょっと待て! 渡今隣にいるのか⁉」


「いるよ、最初っから」


 ということは俺たちの会話を最初から聞かれていたというわけか。いや、耳が聞こえないからワンチャン・・・


「俺たちの会話は携帯の音声認識機能を通してまるわかり。最近の携帯はすごいよなあほんと」


 ノーチャンだった。慎のやつ最初いないって言ってたじゃねぇか、嵌(は)められた。


「この野郎、俺を嵌めやがったな」


 思っていたことがそのまま口に出た。だがそこには不思議と怒りの感情はなかった。からかいにしてはやりすぎだと思わなくもないが、それに対して怒ろうという気は全くなかった。怒りはしなかったがそれとは別の感情で顔が赤くなったのを感じた。


「ほら、渡さんがケンカしないでって言ってるよ」


「ケンカじゃねぇよ、・・・覚えとけよ」


 俺たちのやり取りを見てか、横からクスクスと笑う声が漏れていたのが聞こえた。多分渡が横で笑っているのだろう。それを聞いてますます顔が赤くなったのを感じながら、俺はペットボトルのコーヒーを一気に飲み干した。


× × ×


 昼休み渡を前にあんなことを言ってしまったので授業中はもう寝ることができない。午後の授業はそれこそ一睡もすることができなかった。


 今日最後の授業はLHR、いわゆるロングホームルーム、学級活動だ。チャイムと同時に早川先生が入ってきて「ほらー席につけー」とけだるそうに言う。やる気あんのかこの先生。


「はい、今日やることは前回のツケを返すこと。オーケー?」


 何のことだかさっぱりわからん。同じことをみんなも考えているようで一部の生徒から「オーケーじゃないです」とか「ツケって何ですか?」とか言ってる声が聞こえてくる。


「あー説明不足だったな。じゃあ説明するぞ。前回のホームルームは自己紹介で一時間終わったな。だけどな、すげー大事なこと忘れてたのよ。それがこれ」


 そう言うと黒板に板書しはじめる。黒板に字が書かれていくごとに生徒から「マジかよ」とか「今?」とかいう声が聞こえる、大体察したわ。


「はい今から学級委員を決めまーす」


 やっぱり、本当だったらクラスが分けられた時点で決められるものだったが、この先生が自己紹介に時間を費やしすぎたため、そのツケが今回に回ってきたというわけだ。本末転倒というかなんというか。


「それプラス本来今日やるはずだったほかの委員係諸々も決めるからな。生徒諸君に言っとくがこれ今日中に決めないとまずいのでそれ決めるまで帰れないと思え」


 完全に先生の失態なのに俺らに矛先が向かれた。責任転嫁もいいところだ。常に余裕を持つのが先生の長所じゃなかったのか? 早速期待を裏切った、なんて先生だ。すると先生は係の名前だろうか、黒板にどんどん何かを書いていく。書いていくと同時にその係名も読み上げる。これは俺への配慮だろうか。それは素直にうれしいが先の失態と差し引きしても先生の評価は十分マイナスだ。しばらくしてチョークを置く音がして


「はいじゃあまず委員長から、言っとくが俺は推薦制は取らない主義だ。いろいろと揉め事が起きるのは嫌だからな。ということで立候補者は挙手!」


 推薦制じゃなく立候補制をとるのは俺も賛成だが、さてこうしたところで手をあげる人はいるのか・・・

―――

――――――

―――――――――はい。


「はいじゃあ佐藤に決定!」


 よく言った佐藤、お前は勇者だ、おかげで残業しなくて済む、とこの場にいる誰もがそう思っただろう。無論先生も例外ではない。むしろ先生が一番そう思っているとしか思えない。佐藤の勇気ある決断に拍手が起きる。


 『佐藤健介』《さとうけんすけ》クラスでは中心的な存在で一年の時も学級委員をやっていたらしい。文武両道を体現したような人で選ばれてしかるべきというべきか。俺は佐藤に関してこのくらいしか知らないので後で慎にでも聞いてみよう。


「よーし、こっからはほかの係委員会について決めていくぞ。ということで早速で悪いが佐藤お前に任せる」


 そう言って先生はそこから口を閉じた。良い意味で生徒主体、悪い意味で放任。この先生、良い先生なのか悪い先生なのか全くわからん。

 そして新学級委員佐藤の進行のもと、委員会・係が決まっていく。佐藤は先生がやっていたことを踏まえてか立候補制をとっていた。自ら進んでこの係をやりたいという人はそんなにいないと思うが、どこかには入らなければならないので仕方なく手を挙げていく感じだ。それは俺や渡にも当てはまる。『見えないから』『聞こえないから』は理由にならない。クラスとして活動する以上、『例外』は存在してはならない。それは贔屓ひいき、果ては差別につながるから。そう、『例外』はない。しかし周りは俺たちを『例外』としてみてくる。そういう意見はこの場でももちろん出てきた。佐藤はそういう意見について「どうしたらいいですか?」と先生からの意見を仰ぐ。すると先生は


「それを聞くのは俺か? 違うだろ」


 と言って答えを出さない。先生の言うことはもっともだ。ということで俺たちに話の矛先が向く。


「二人はどう? 無理そうだったらやらなくてもいいけど」


 やはり『障がい者』というレッテルが邪魔をしてくる。誰もが俺たちを『例外』として扱ってくる、ハブられる。今まで何度こういうことを味わったか。以前はそれに抗おうとしていたが今ではその気力もない。社会がそうなのだ、学校といえどそれは変わらない。

 ガタッと椅子の動く音がした。聞こえてきたのは隣、渡の席だ。その後紙に字を書く音がして書き終わったかと思うとペンを転がして紙を掲げた。勢いからかペンが下に転げ落ちて俺の足に当たった。だがそれでは俺以外には伝わっても俺には伝わらない。


「私たちは2年9組。皆さんと同じクラスの一員です。同じ仲間としてできることを私はやります。だってさ」


 渡が書いたことを先生が代弁する。やっぱり渡も俺と同じことを考えていた。確かに俺たちは『普通』とは違う。じゃあ『普通』とは何なのか? 五体満足であることか?健康であることか? 変わらないことか? 『普通』の価値観は人それぞれだが少なくとも、俺はそういう意味で『普通』を定義してほしくはない、渡も多分同じだ。たかが目が見えないくらいで、たかが耳が聞こえないくらいで俺たちを『普通じゃない』と捉えてほしくない。


「矢島、お前はどうだ?」


 先生が俺に返してくる。渡がこう言ったのだ。例外など存在しない。


「俺も渡と同じ意見です。俺は、俺たちは俺たちを例外視してほしくない、それだけですよ」


「そういうことだ委員長、二人の意見も汲んでやってくれ」


「わかりました。では二人も係に入ってもらうよ、どれがいいか考えといて」


 そして議論が再開する。いや、ここから始まるといったほうがいいか。このクラスに入ってからというもの、今までと同じになるのではないかと考えていた。それは慎がいても変わらない。だけどこの時、俺は『2年9組にいる』という実感を初めて持った。あれ以来なかった、こんな実感。渡も俺と同じような感情を今抱いているのだろうか? そういえば俺の足に渡のペンが落ちていたな。


「ほら、ペン落としたぞ」


 俺が言ってしばらくしてから渡が気づいてペンを受け取る。俺はすぐに前を向いたがおそらく渡は俺にお辞儀かなんかしたのだろう。俺とクラスの生徒の間にはまだまだ壁が存在する。その壁は厚く、特に俺と渡の間ではその何倍も厚い壁が立っているようにこの時感じた。


 そんなこんなで係・委員会は決まっていったが・・・、どうして文実? 文実=文化祭実行委員会なのだが俺何もできねぇぞ。しかも同じ文実には慎、一条、渡がいる。慎は分かる、俺のサポート役として、渡は百歩譲って許そう、まぐれで同じになったのだろう。なんで一条がいる? 俺たちのサポートをすると言っていたが俺は承諾していない。それ以前にまぐれにしてはできすぎだろ。俺と渡が同じ、しかも文実、解せん。しかも先生はその決定に対して何も言わない。文句を言おうにももう決まってしまったので何を言っても多分聞いてもらえない。


「お前らの協力のおかげで時間内にノルマを達成することができました。拍手!」


 先生が一人盛り上がって拍手を手招きし、生徒がそれに適当に応じる。


「係が決まったわけだからお前ら、その係を全うするように。サボり押し付け等々行った場合は俺からきつーいお仕置きが待ってるから。そこんとこよろしく」


 お仕置きとは何ぞや、内容次第ではサボったほうが楽なんじゃね? と思ったが先生のお仕置きより慎や渡、一条からきつく言われるほうが怖いのでやめておこう。


 決め終わったと同時にチャイムが鳴り本日の学校は終わる。なぜだろうか、LHRだから長いはずだったが、今日に関してはいつもよりずいぶん短い気がした。


× × ×


 いつも通り帰り支度をする、と言っても鞄を持つことくらいだが。そしていつも通り慎が来て一緒に帰る―――わけにはいかなかった。


「瀬戸君と矢島君。今日一緒に帰ってもいいかな? 渡さんもね」


「いいよ、あーでも俺部活あるから校門までだな」


「俺も歩いて来てるわけじゃねぇからそんないられねぇぞ」


「ぜんぜん気にしないで。それに、瀬戸君は矢島君をいつも送り迎えしてるんでしょ? 部活もあって忙しいのに、もしよかったらその役、私たちが変わってあげてもいいかな、なんてね」


 大した時間も距離もない。ただ、その時間を慎が割いていてくれていることに俺は申し訳ない気持ちがしていた。あいつには俺に時間を割くのではなく部活とか、自分のことに時間を費やしてほしい。何度そう思ったか。

 そんな慎の負担を少しでも減らせるならいいと思う。だが代わりとしてその役を担うのが一条と渡、不安しかない。この二人にその役が務まるのか? それ以前になんで慎が俺の送り迎えをしていることを一条は知っているのか? 慎の朝練が終わる時間に合わせて学校に来るから朝は結構ぎりぎりだし、帰りは何もなければさっさと帰る―――、理由これじゃん。一条より遅く来て一条より早く帰る。それなら一条が俺たちの動向を知っていても不思議じゃない。


 ここで断っても多分ついてくると思うので反論はしないことにする、面倒だし。俺が帰る様子を見ているのだろうか、一条、渡は俺の後ろを歩いてきている。そして俺はいつものように校門へと歩みを進める。


「ねぇ、矢島君って校門までの道のりとかわかってるの?」


 文章だけ見ると方向音痴のやつに言う言葉だ。だが俺は方向音痴ではない。ていうかこれは持論だが目が見えなくて方向音痴だったら多分生きていけないと思う。あくまで持論だが。


「まぁな、歩く方向は曲がる向きから、距離は自分が歩く時のストライドがわかれば大体わかる。階段とかの段差はこの杖からわかるし、それ以上に慎がいれば段差とかの心配はねぇな」


「わぁ、矢島君ってもしかして私より頭良い?」


 なんだかすごく馬鹿にされたような感じがしたが深く考えないことにしよう。これも一条が友達ととるコミュニケーションなのだとして受け取ろう。あれ? そうすると俺はもう友達認定されているのか? ・・・沼にはまりそうなのでこれ以上は考えない。


「前、階段あるぞ」


 慎が言って数歩歩くと階段に差し掛かった。この高校の階段は普通の階段とは違い降りるごとに曲がっていく。バリアフリーの欠片もない凶悪な階段だ。

 実を言うとこの高校には数年前からエレベーターが設置されている。障がい者用のエレベーターでじゃあそれ乗ればいいじゃんという話なのだが俺は一度も乗ったことがない。乗ると何言われるか。みんなこういうことには敏感なのだ。要するに他者の行いには敏感に反応し、気持ちには鈍感なのである。俺がエレベーターに乗ると「あいつばかり楽しやがって」と陰口を言われる。そして俺がうるさく感じるのをよそに陰口はどんどん広がりを見せていく。陰口言われるくらいだったら最初から言われるようなことをしなければいい。というわけで俺はエレベーターには乗らない。


 そうこうしているうちに階段を下りて昇降口にたどり着く。これまた特殊だが昇降口があるのは二階、出た後は長いスロープになっていてそれを下って校門という感じだ。慎が「ほらよ」と言って俺の前に靴を置く。それを履いて再び歩き出す。その様子を一条と渡はどうやらまじまじと見ていたようだ。「ふむふむ」という一条の声が聞こえた。

 昇降口を後にして長いスロープを下る。俺たちが行くのはその先の校門、ではなく校舎北側のロータリーがあるほうの校門だ。そっちは生徒の出入りがあまりなく逆に車の出入りメインの校門だ。その校門にたどり着くとそこには母親がいつものように車を停めて待っている。


「どう? ここまでが一連の流れ。朝はこの逆の手順を踏めばいいよ」


 慎が二人の反応を見る。そのあと「そっか」と答えたのでおそらくどっちかは理解したのだろう。


「わかったけど・・・、矢島君っていつも朝何時ごろにここ着くの?」


 一条がこう返したので慎が「そっか」と答えを返したのは渡だと理解する。慎が俺の送り迎えをしていることを知っているのなら時間くらい知っていてもおかしくないと思うが、多少時間の前後があるのでこの質問が来るのも理解できる。


「慎の朝練が終わった段階で着くようにしてるから8時20分くらいか?」


「そうだね」


 慎がこう答えたのでその時間なのだろう。時間について気にしたのはいつぶりだろうか。


「わかった。じゃあその時間に私たちもここに来るようにするね。あっそうだ、連絡先交換しようよ、この4人で」


 時間の次は連絡先の交換ときた。これもいつぶりだろうか。


「ラインでいい? 光ちゃん、携帯貸して」


 俺はそれに応えポケットから携帯を取り出して慎に渡す。


「え? 瀬戸君って矢島君の携帯の暗証番号知ってるの?」


 当然の反応だ、普通ならあり得ない。だが俺が携帯を持ったところでそれは宝の持ち腐れだ。画面が見えない以上どうすることもできない。電話をするにも誰かに携帯を操作してもらう必要がある。なので有事に備えて慎には俺の携帯の暗証番号を教えている。慎が俺の携帯に何もしていないことを祈りつつ・・・


「知ってるよ。だって光ちゃん持ってたって使えないじゃん」


「うるせぇ、俺を機械音痴みたいな言い方すんな」


 そんな会話を挟みつつライン交換が行われていく、携帯からそんな音がしているので。


「はい、これでオッケー。これで私たちと連絡が取れるね」


 俺ラインのコメント欄見れないんだが・・・、そんな俺の考えをよそにライン交換が行われた。


「あ、渡さん笑ってる。そんなに嬉しかった?」


 渡そんなに嬉しかったのか。一条がラインのコメントで渡に言ったことと同じ文を送ったのか、渡のほうからブンブンと音がした。わかりやすいな、俺が昔読んだ漫画で恥ずかしいときに顔を赤くして「そんなんじゃないから!」と頭をブンブン振る表現があった。その情景がふと浮かんだ。その姿を見てだろうか、一条と慎の笑い声も聞こえてきた。その光景を想像して俺も自然と笑みがこぼれた。


「じゃあ帰るわ」


 ふと出てしまった笑みを隠すように俺はその場を去ろうとする、母親も待たせているし。


「おう、また月曜日な」


「またね、矢島君」


 慎、一条の声が聞こえてきた。渡の声は聞こえてこなかったが多分手を振るかお辞儀をするかしていたのだろう。それを背に受けつつ俺は車に乗り込む。


「光ちゃん、あの子たちは新しいお友達?」


「友達って言えるほどの仲じゃねぇよ」


「何言ってんのよぉ、連絡先まで交換しといて」


「見てたのかよ」


「丸見えよぉ。いい子たちじゃない。で、どっちが好みなのぉ?」


「顔知らねぇのに好みの何もねぇだろ」


「それもそうねぇ。でも私から一つ忠告。友達は一度作ったら大切にしなさい」


「だから友達じゃねぇって」


「ふふっ、光ちゃんのあんな顔、久しぶりに見たわよ」


「見てんじゃねぇよ恥ずかしい」


「あははっ、だから丸見えって言ったじゃない」


 そんな会話を交わしながら車は進んでいく。車の中でこれほど会話が続いたのはいつ以来だろうか。この後も母親とさっきのことについての会話をしながら車はさらに進んでいく。道中西日が差し込む時間があった。この時の西日はいつもよりずっと暖かく、俺の目は光を感じないのにその西日はとてもまぶしく思えた。

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