普通= - 10日目 -

 ああ行きたくねぇ。これ昨日も言った気がするが昨日とは理由が違う。単純に昨日の疲れが取れていない。運動量に関しては昨日がずば抜けて多い。おまけに今日は金曜日。一週間分の疲れがどっと俺にのしかかる。そんな体を引きずりながら俺は学校に向かう。あぁ行きたくねぇ。


 いつものように学校に着くと一条が「おはよう」と言ったので俺は「うっす」と返す。渡には昨日覚えたての手話で「こんにちは」と返す。時間は違うがまぁ挨拶ができるだけいいか。すると


「こ、ん、い、ち、わぁ」


 ものすごく片言でぶつ切りの言葉だったが確かに聞こえた。渡が自分の声で俺に挨拶してきたのだ。なんだろうか、この時俺はものすごく嬉しく感じた。初めて渡と話ができたことの喜びか? 出来ないだろうと思ってたことが出来たことの喜びか? いずれにしろ今日俺は初めて渡と話ができた。たった一言、たった一文の短い言葉のやり取りだがそれが俺には嬉しかった。人と話すことの喜びを感じた瞬間でもあった。

 学校に着いてからの渡の挨拶で俺の疲れは吹き飛んだので今日一日はどうにかなりそうだ。ついで疑問も湧いてきた。なんで渡が話せているのか事の経緯を聞いてみることにしよう。


「なんで昨日の今日で言えるようになってんだ?」


「ふふーん、私の指導のおかげよ!」


「なんでお前が誇らしげなんだよ」


「昨日帰った後、渡さんからラインが来てちょっと付き合ってほしいって言われて」


「うー」


 これは俺にもわかる。一条は言ってはいけないことを言った。秘密にしてほしかったのだろう。サプライズとして用意していたのがばらされたので渡は怒っているようだ。


「ごめん、ごめんってばぁ」


 耳で聞いているだけだが二人のやり取りは喧嘩ではないことはすぐにわかった。いつも俺がやられているからかいと同じだ。渡も本気で怒っている様子はなく、そのやり取りの中で二人の笑い声も聞こえてきた。


「あ、矢島君も笑ってるよ」


 俺の笑う姿を見てか、渡は俺の左腕をポカポカ叩いてくる。「いてーいてー」と渡を止めようとするが渡はやめない。俺も止めるのをやめ、ただ渡にポカポカ叩かれていた。実際にはちっとも痛くなくそれも相まってか、俺からまた自然に笑みがこぼれた。


× × ×


 先週と違うことといえば昼休み、昼を食べた後の余った時間、俺たちは手話の練習をする流れとなった。まぁそれに関しては悪くは思わない。問題は今日のLHRだ。何だか嫌な予感しかしない。


「おらー席につけー」


 チャイムとともに早川先生が入ってきて席につくよう促す。今日は一体何をやらされるんだか―――。


「先週お前らが頑張ってくれたおかげで俺は残業せずに済んだ。ということで今日は・・・」


 「もしかして」とか「まさか」とかいろいろ声が飛んでいるが、こういった以上答えは分かっている。


「球技大会の種目を決めるぞ」


 ジェットコースターのようにクラスの人たちのモチベが下がった。わかってはいたが内容が内容だ。俺のモチベもダダ下がりだ。今までなかったと思っていた疲れがここにきてぐっと押し寄せてきたように感じた。


 運動苦手の人にとって球技大会というのは酷だ。苦手なのに強制参加させられるのだ。だが俺は運動できない。じゃあ運動できない人にとって球技大会というものは果たしてどんな意味があるのだろうか? 俺には意味があるとは全く思えない。ちなみに去年は保健室にずっとステイしていた。時々来るけが人の声を聞きながら。俺にはそれ以上の思い入れがない。球技大会というものはそういうものだ。


「種目はまぁ去年やってるからわかってると思うが一応、サッカー、野球、バスケ、バレー、卓球、テニス、ハンド、ドッジってところか」


 思ったとおりだ。この中で俺ができるようなものは何一つとしてない。今年も俺は保健室ステイ確定コース。


「よし、じゃあまずは出たい種目に名前を書いていってくれ」


 そう言われ、みんなが黒板に行って名前を書きだす。その中には渡もいた。耳こそ聞こえないが参加するにあたって特にチーム戦ではあまり支障がない。時間を知らせるブザーも他の人に聞くなり周りの状況を見るなりすればどうにかなる。


「矢島、お前はどうだ?」


 横から声が聞こえてきた。早川先生だ。みんなが名前を書いている中で俺のところに来たのだろう。でもどうだと聞かれたところで別にどうもしない。


「先生は俺に何かできると思いますか?」


 決してやる気がないわけでも逃げているわけでもない。『不可抗力』この一言で片づけられる。世の中どうしようもないことだってある。


「矢島のやる気次第ってところだな。参加する形は人それぞれだろ」


「じゃあ俺はどう参加しろと」


 挙げられた種目の中で俺が参加できる種目なんてあるだろうか。全く思いつかない。


「ドッジは矢島にもできると思うぞ」


「何言ってるんですか。ドッジなんて開始早々当てられて外野行きじゃないですか」


 全くその通りである。目が見えないから球の避けようがない。当てられて即終了パターンだ。外野に行ったとしても敵に球を当てるなんて偶然当たればいいほうだ。そして内野に戻って即当てられて・・・、この繰り返しだ。


「お前はドッジのルールわかってないなぁ」


 言われてものすごくイラっと来た。これ以外にドッジのルールがあるか?


「わかってるから参加しないんですよ」


「じゃあやる気がないってことか」


「別にやる気がないわけじゃないです。どうしようもないんです」


「よし、やる気がないんじゃないんならお前はドッジに出ろ。これは命令だ」


「職権乱用だ」


「文句を言うな。誰かー、矢島をドッジに入れてくれー」


 俺の言い分を全無視して決められた。やっぱりこの先生は何考えてるかさっぱりわからん。考えあってのことなのか? それともただのアホなのか?

 俺がドッジに入ることに関して、当然ほかの生徒から疑問の声が多く上がった。無理もない。目が見えてこそのドッジなのに俺を参加させる意味が分からない。でもその理由は至極単純なことだった。


「矢島もこのクラスの一員だろ。だったら参加しなきゃダメだ」


 俺もクラスの一員だから参加する。だけどクラスのことを考えたら参加しないことも一つの手なのではないかと思ってしまっている自分がいた。


「いいか? 球技大会に出る以上勝ち負けは十分大事だ。けどな、俺はそれよりもクラス全員が参加することに意味があると思っているんだよ。そのうえで勝つんだ」


 参加第一、勝負はその次か。その考えは確かに納得できる。もちろん全員が全員その考えではないのかもしれないが、そこで選んだのがドッジなのだろう。他の競技は部活でやっている人もいるから本気で勝ちに行く人の邪魔になる。だけどこの高校にドッジ部は存在しない。ある意味考えられた選択だと言える。


「矢島、お前は目が見えないから何も出来ないと思っているだろうがそれは大きな間違いだ。目が見えなくても出来ることはある。そして目が見えないからこそ出来ることもある。他のやつも助けてやってくれ」


 そう言われると俺も他の生徒も反論できない。こうして球技大会はドッジに参加することとなった。先行きが不安でしかない。どうなるんだこれ。

 他の競技も続々と決まっていく。ドッジは二種目目として参加することができる唯一の競技なので二か所に名前がある人もいる。慎や佐藤がその代表だ。この二人はいわゆるスポーツ特待生なので二種目目の参加に反論は起きなかった。まあ慎に関しては俺が参加することになったからそのサポート役として参加するという方が正しいだろう。それと名前だけでもという点で渡や一条も入れていた。


 すべての競技が決まったところでちょうどいい時間になったのでこれで解散という流れになる。球技大会は月末なのでまだ日はある。練習時間も体育の時間をつぶして行われるので問題ないだろう。あれ? てことは、俺体育出なきゃなんないのか⁉ なんてこった。知りたくなかった・・・。

 部活に行く人帰る人がいる中、一人うなだれているといつものように一条がやってくる。


「帰ろう帰ろう!」


 金曜日だからなのだろう。一条はご機嫌だ。渡も「うん」と答える。


「なんでそんなテンション低いの? 金曜日だよ」


「そらそうだろ。なんで俺も出なきゃなんねぇんだよ」


「先生も言ってたじゃん。参加することに意味があるって」


「めんどくせぇ」


「でも嫌じゃないんでしょ?」


「まぁな」


 体を動かすこと自体は別に嫌いなわけではない。だから『球技大会=運動の一環』と捉えれば参加してやらんこともない。しかしほかの人が考える運動と俺が言う運動は明らかに次元が違う。そしてこれは俺に限った話ではない。単純にボールを投げるくらいなら俺にだってできる。そこに相手を狙うという要素が一つ入るだけで難易度は大きく変わる。目が見えていなければなおさらだ。その時点で俺、いや、俺たちには非常に大きなハンデが背負わされている。そう、ハンデの対象は俺たちなのだ。チーム戦である以上それは避けられない。


「じゃあ思いっきりやる! 迷惑だなんて誰も思わないよ」


 嘘だ。誰もいないわけがない。考えないようにしているだけだ。ならばどうする? 迷惑承知で参加するか? 今までと同じように参加せずに迷惑になることを避けるか?


「渡さんから、私も頑張るから矢島君も頑張って、だって」


「・・・ちっ、そう言われたら断れねぇじゃねぇか」


「はいじゃあぴしっとする! そして帰る!」


 一条にそう言われついでに背中を叩かれた、いてぇ・・・。何も背中を叩く必要は―――と思ったがそのおかげもあってか、テンションは多少元に戻った気がする。もともと感情があまり表に出ないのでテンションがどうとか言われてもあまりわからないが。それ以上に耳が聞こえない渡が頑張ると言ってるのにダラダラ俺がやるなんてことは俺自身が許さない。障がいを持つ者同士、やれるところまでやってやる。迷惑だとかそんなことは考えない。精一杯楽しめばいい。数日前に母親と本渡先生に言われたことが早々に役立つとは思わなかった。そうか、こんなに簡単だったんだなぁ。

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