普通=

普通= - 6日目 -

 始まってしまった・・・。休日明けの月曜日、気分最高の状態で学校に行く人はそうはいない。俺も例外ではない。面倒・だるい・行きたくない、この三拍子が俺の頭を駆け巡る。


「早くしないと遅刻するわよぉ」


 そう言われ、軽い鞄を持って外に出る。そして車に乗って登校、いつも通りの登校だ。学校までの時間、曲がる回数はだいたい頭に入っている。まぁ毎日同じルートを通っていれば当然か。

 俺の家は学校まで車で5分ほどの距離にある。その気になれば歩いていくことも可能な距離だ。『普通』の人が歩けば30分くらい? だが俺が歩けばその倍はかかる。さすがにその時間歩くのは嫌なので今こうして車に揺られている。


「はい到着」


 俺が車から降りようとすると


「あれ? 今日はあの二人ね、お礼言っとかなくちゃ」


 二人? 俺の送り迎えをしているのは慎だけだったと思うが、じゃあ慎と誰かか? しかしその予想はあっという間に覆される。


「おはようございます!」


「おはよう、二人ともありがとねぇ、ほら光ちゃんも」


 そして頭を押さえられて無理やりお辞儀させられる。声と『二人』というワードを聞いて思い出した。慎が部活の朝練をした後、ここに来るのはさすがにきついだろうということで一条と渡が手を挙げたんだった。完全に忘れていた。


「いてぇよ、そんなことしなくても一人でできるわ、ったく」


 押さえられた頭を撫でつつ俺は校舎に向かって歩き出す。


「三人とも、いってらっしゃい」


「いってきまーす」


 母親が言ったのに一条は応え俺は背を向けながら手をあげる。渡はおそらくお辞儀でもしたのだろう。三人の後ろ姿を見ながら、この時母親が何か言っていた気がしたが、一条の道案内の声がすぐ隣から事あるごとに聞こえてきたので詳しくは聞き取れなかった。


 一条の少々やりすぎなまでの道案内のおかげで教室までは何も苦労なく行くことができたが、逆にそのせいで周りから注目を浴びることとなった。そらそうだ、「ここ段差あるよ」「右曲がるよ」「ちょっとすみません」と言ってくれるのは素直にありがたいが周りからしてみれば迷惑なものだ。陰口が聞こえる。一条の声で相殺されたため聞き取れはしなかったが印象はあまり良くないものだっただろう。これは後でしっかり言っておく必要がある。昼休みか帰りにでも言うことにしよう。


× × ×


 どうやら本格的に授業に参加しなくてはならなくなったようだ。渡に起こされるのは先週だけのことではなかったらしい。週初めということもあり当然、授業が始まったら眠くなってしまう。ウトウトしていると横からつつかれた―――のではなく肩をポンポン叩かれた。おいちょっと待て、これされるのはごめんだと言ったはずだが、まさかそれを知っててやったのか? 目が見えない分、それ以外の部分が敏感になるのでほんとやめてほしい、びっくりするから。今行われている授業は英語だ。当然英語の授業だから読み合わせするということが何度か出てくる。ペアで読み合わせをするわけだが俺たちは揃って読み合わせができない。俺は見えないから読みようがないし渡はしゃべれないから目で追うしかない。仮に一方が『普通』の人であったとしてもペアで読み合わせを行うのはおそらく不可能だろう。全く、英語というものは俺たちのことを考えていない。ろくに母国語の読み書きすらできない連中が外国語を習うなど馬鹿げている。よって英語に関しては今後しっかりやろうとは微塵も思わないという結論に至った。


 次に控えるは体育、なんて日だ! と思わず叫びたくなるようなスケジュールだ。体育なんてできるはずがない。渡はまだ聞こえないだけで周りのサポートがあれば授業自体を行うことは可能だろう。だが俺はそもそもまっすぐ走ることもままならない。みんなが体育をやっているとき、俺は決まって保健室だ。そのおかげもあってか保健の先生、本渡(ほんわた)先生とは『普通』に話せる間柄である。


「先生、世の中って障がい者に厳しいんですね」


「いきなり何言いだすの? もしかして学校嫌になっちゃった?」


 ふとこぼれた言葉だったが本渡先生はそれを聞き逃さなかったようだ。


「そんなんじゃないですよ。むしろ一年の時よりずっとマシです。でも・・・そうと分かったからこそ、俺のようなやつが『普通』に学校生活を送るのが難しいんだなぁって」


「そうねぇ、確かに『障がい者』という立場の人たちは生きるのが難しいでしょうね。でも、そう悲観的にとらえるのはあまりよくないと思うよ。それが矢島君の悪い癖ね」


「癖・・・ですか・・・」


 あまり考えたことはなかった。自分の考えが悲観的であるということを。被害者意識とも置き換えられる。確かに、今まで目が見えないことを言い訳に物事を考えてきた気がする。それについては自分でも直そうと思っている。しかし客観的に見てしまえば、そう考えざるを得ない場面が多々ある。学校生活でもそうだ、何度も言っているが障がい者に厳しい、この事実だけは変わらない。障がい者に寄り添う社会を謳っておきながら事実、それがかえって俺たちを生きづらい方向へと進ませている。そんな社会だから俺がこんな考えを持つようになっても―――


「矢島君、確かにあなたは『障がい者』よ。でも『普通』に生きることはできるわ。あなたがそうしようとしていないだけ。あなたがそうしようとしないから周りもそうしようとしない。悲観的にとらえるだけじゃなくて協調性も大事にしないとね」


「具体的にどうしろと?」


 そんなことは分かっている。わかっているからこそわからない。どうすれば『普通』に生きられるのか? 本渡先生にその問いを投げかけたところでチャイムが鳴る。


「はい、授業終わったから教室に戻りなさい。その問いの答えを見つけることが私からあなたへの宿題ね」


 そのすぐ後に慎が迎えに来て俺は保健室を後にする。『障がい者』であることを悲観的にとらえずに周りとの協調性を大事にしながら『普通』に生活する方法・・・出されている問いは簡単なもののはずなのに、俺はその問いの答えをすぐに出すことができなかった。


× × ×


 そのあとの授業は本渡先生から出された問いについて考えることにすべてを費やし、昼休みを迎えた。いつも通り慎が来て俺の弁当を開ける。


「どうした? なんかずっと考え込んでたようだけど。珍しいな」


「いや、大したことじゃねぇよ」


 そう言って渡されたおにぎりにかぶりつく。すると、こっちに向かって近づいてくる足音があった。


「渡さん、それと瀬戸君と矢島君、お昼、一緒に良い?」


「いいよ、こいつも俺と同じ意見」


「まだ何も言ってねぇぞ」


「嫌って言っていないからオッケーということで!」


 一条がそう言うとそそくさと弁当を開けてお昼の準備をする。


「一条さん、そのお弁当手作り?」


「うん、あまり時間かけて作ってないからちょっと適当だけど」


「全然全然、俺らに比べたらすごいよ」


「えへへっ、そうかな?」


 慎が言うんだからすごいんだろうけど、俺のは母親が作ったやつだぞ。遠回しに母親に悪いこと言ってるぞ。


「でも渡さんのほうがすごいよ。本格的じゃん!」


 本格的な弁当とは? と疑問を持ったがしばらく間が空き


「へー、渡さんのお弁当ってお母さんが作ってるんだ。すごーい!」


 そんなにすごいのなら見てみたいがその願いは叶わないので聞いておくだけにしておく。


「矢島君、ちょっと口開けて」


 一条から突然言われたのでおとなしく口を開ける。すると口の中に勢いよく何かを放り込まれた。


「ゴホッゴホッ・・・ッ、突然ものを入れるな! ・・・うまいなこれ」


「それ、渡さんのお母さんの作った卵焼き」


 確かに一条が本格的と言った理由が頷ける。これはうまい、いや、そうじゃない。


「いいのかよ、俺にくれて」


「渡さんがいいって」


 慎がこう答える。まぁ本人がいいのならいいか。


「悪いな」


「そうじゃないでしょ」


 前にもこう言われた気がする。だが今度は一条から。


「ありがとよ」


 これも癖なのか。『悪いな』、人によっては悲観的に捉えられなくはない。自分ではそう思っていなくても、周りは案外そういうことに鋭い、単に俺の周りにそういう人が多いだけなのかもしれないが。いずれにしても悲観的にならないように心がけておくことにしよう。そういえば言っておきたいことがあるのを忘れていた。


「それはそうと、今日の朝なんだが」


「朝?」


 一条と慎が口をそろえて言う。


「一条、案内してくれるのはありがたいんだけど、もうちょっと周りのことを考えろよな。最低限の事言ってくれればいいし、そもそもあんな大きな声出さなくてもいいし」


「でもそうしないと矢島君がケガしちゃう」


「そんな大げさな」


「そうそう、こいつ見た目より頑丈だから。弱いのは目とメンタルだけ」


「なにうまいこと言ってるんだよ。褒めねぇぞ」


「違うの。もっとみんなに矢島君のことを知ってほしかった。もちろん渡さんのことも。二人みたいな人もいるってことを」


「かえって悪目立ちするだけだ。そんなの俺は望んでいない」


「それでもなにも知らないよりマシだよ。みんなは二人を知らないだけ。もちろん、私も・・・」


 空気が一気に重くなるのを感じた。『無知な他人より知ってる悪人のほうがマシ』ということなのか。確かに既知である以上対処のしようはある。だけどみんなはそれを知らない。だって俺たちのことを知らないから、こう言いたいのか? だが知ってどうする? 知ってどうにかなるのか? 俺の目が見えないことを知って他の人はどうする? 俺を避けるか? 俺を助けるか? 俺を無視するか? いずれにせよそんなの『普通』ではない。

 一条の言っているのは俺たちが『普通』ではないということをみんなに知ってほしいことに他ならない。だが俺はそんなのを望んでいない。本渡先生に『普通』に生活する方法という問いを出されておきながら、一条のやることはそれと逆行している。どうすればいいのか、何が正しいのかわからない。認識の違いからなるものなのか。そうなると俺たちを真に認識しているのはどちらにあたるのか。頭の中に次々と問いが浮かんでくる。その浮かんだ問いに対して俺は何一つ答えを出せない。


「おーい、なにだんまりしてんだよ」


 慎からこう言われてようやく気付いた、今のこの状況を。


「ごめんね、なんか悪いこと言っちゃったみたいで」


 一条が俺に謝ったみたいだが謝られるようなことを一条はしていない。


「なんで謝るんだよ。何も悪いこと言ってないだろ」


 俺がこう言うが一条は結構落ち込んでいるようだった。


「とにかくだ。俺の道案内をするのはいいがあまり目立つようなことはするな、以上!」


「道案内されてる時点で十分目立ってると思うけど?」


 いちいち俺の墓穴を掘るようなことを言ってくるのは癪に障るが、この時は素直にありがたいと思った。慎のこの一言で一条は「そうだね」と言って笑いだし、場が和んだ。渡もクスクス笑っているようなのでとりあえずこの場はしのげたと思う、俺以外は。


× × ×


 昼休みに量産された問いの答えを導きだそうとする間に、午後の授業はあっという間に過ぎていき帰りの時間になった。結局答えは出せずにいる。


「渡さん、矢島君。一緒に帰ろ!」


 こちらに来る足音とともに一条の声がした。その言葉に従い俺は席を立つ。隣の席からも椅子の音がしたので渡も一緒に帰るのだろう。


 昼休みに俺がああ言ったからか、一条は朝ほどの声を出すこともなく最低限の道案内をして俺の前を歩く。なんだかすごく申し訳ない気分だ。気を遣っているのがよくわかる。昼休み、謝るべきは俺だった、一条ではない。ここで謝ってもいいが周りの目があるのと先に一条が謝ってしまった以上、こっちが非常に謝りづらい状況になってしまった。後悔の念が立つ。あのときの自分の背中をぶっ叩いてやりたい。


 昇降口を過ぎ、母親の車が停まっている校舎北側に辿り着く。いつものようにそこには母親の車があり、俺は誘導されそこに向かう。


「三人ともおかえり。うん、いい眺めねぇ」


「違います! これは矢島君の手助けをしているだけで・・・えっと、ただいまです」


 あの一条がここまでしどろもどろになるとは。その光景を思い浮かべながら俺は車に乗り込む。


「ねぇ二人とも、ここからは歩いて帰るの?」


「はい、そうです」


 一条がこう答える。渡に関してはこの時点ではわからなかったがおおよそ予想はつく。


「家まで乗っけてってあげるよぉ」

「いえ、そんな・・・」


「いいのいいの、うちの光ちゃんがお世話になってることだし。はい、乗った乗ったぁ」


 そう言われ半ば強引に乗せられた二人、俺はいいなんて言ってないが。二人は車の後部座席に乗り「はいしゅっぱーつ」と母親が掛け声をあげて車は走り出す。これって誘拐・・・いや、考えたら負けだ、考えないようにしよう。


 車中では母親と後ろ二人が話している。実際話しているのは母親と一条だが、渡と母親の会話の間は一条が取り持つような感じになっている。


「二人ともごめんねぇ、光ちゃん学校で手間かかるでしょ」


 隣に俺いるのになんてこと言うんだこの母親は。まぁ事実だから反論しようとは思わないが。


「いえ、そんなことないです。まぁ多少は・・・」


「手間かかるんだろはいはい、わかってるよ」


「まだ何も言ってないよ」


「あははっ、よかったわねぇ、いい友達ができて」


「ほっとけ」


「照れてんじゃないわよぉこのこのー」


「やめろ、しっかり前見て運転しろ」


 俺が照れたのを察して頭をガシガシしてきたので俺はそれを振りほどいた。


「仲いいですね」


 しまった、後ろに一条と渡がいた、完全に見られた。恥ずかしさから自分自身、火照っているのを感じていた。

 そんな中今まで聞いたことない声がしていた。誰かの笑い声? 聞いた感じと状況から理解した、渡の笑い声だ。今まで渡の声は聞いたことなかった。耳が聞こえないからそもそもしゃべらないし笑うことはあってもそれが声となって出ることはなかった。そんな渡が笑っていた、声を出して。


 以前こんなことを聞いたことがある。『聴覚障がい者にとって自分の声はコンプレックスを抱くものである』と。確かに自分の見えない部分にコンプレックスを抱く人は多い、これは障がいの有無に関係なくそうだ。ゆえに人はその部分を隠そうとする。ある人は本当の自分を隠し偽物を演じ続け、ある人は見えない目線を気にして目立たず隠れるようにし、ある人は聞こえない声を気にして声を発しないようにしている。この場合俺は二番目、渡は三番目が当てはまる。だから今まで渡は声を発することを極力避けてきたのだろう。まぁこればかりは本人に聞いて確かめてみないとわからないが。


 なんにせよ渡が声を出して笑っていたことに関しては俺だけでなく、一条も驚いていたようで


「へぇ、渡さんってそんな声だったんだね。聞けて良かった」


 一条がこう言うと渡は笑うのをすぐにやめ、口を閉じてしまった。緊張がほぐれたためふと出てしまったのだろうか、一条に言われて笑いをやめたことから先の俺の仮説は正しかったと言える。だがそれを理解したのは俺だけでなく他にもいたようで


「渡さん、別に自分の声を隠す必要ないんじゃない? 周りの視線なんて気にしなくていいわよぉ。あなたはあなたらしく、自分に誇りをもって生きればいいの。別に耳が聞こえないからって、そんなんで自分を隠すくらいなら、そんなのはやめたほうがいいと思うわよぉ」


 母親があまりにも的確な答えを返してきた。それは渡に対して言っていたが俺の胸にも深く突き刺さった。自分自身を隠さずに生きる、簡単なことのように思えるが、全くそうではない。事実俺も隠している部分がある。それは渡も一条も、言った張本人である母親にだってあるだろう。だが完全にそうすることはできなくてもそれに近づけることはできる、そう言いたかったのか?


 ふと考えた。今日出された問い、「『普通』に生きるにはどうしたらいいのか?」 この答えが『自分自身を隠さずに生きること』なのではないかと。協調性を考えるとこれは最適解に近い。ただ、それができるかと言われたらはっきり言って無理だ。とりあえず次の体育の時間にこの答えを持っていってみるか。


「まぁやれって言ってすぐできることじゃないから、そこはみんなの努力次第ってところねぇ」


 この時母親が『渡自身の努力次第』ではなく『みんなの努力次第』と言ったことに少し引っかかった。信頼とか絆とかそういうものか? でもこの問題はそれだけでどうにかなるようなものでもないと思うが。


「あ、私の家はここです」


 一条が言ったのに応えて母親は車を停める。


「あれ、渡さんもここで降りるの?」


 渡も降りるようだったのでそれを母親が聞いた。どうやら渡の家はここから歩いて5分程度のところらしい。


「そう、じゃあ気を付けて帰ってねぇ。バイバイ」


 それに「ありがとうございました」と一条が答える、渡も歩き出す。それを見送ってから


「さてと、私たちも帰りますかねぇ」


「ああ」


 俺は窓に頬杖を突きながら答える。車が発進し出したところで、さっきのことについて聞いてみる。


「なぁ、自分を隠さずに生きることってできるのか?」


「それができるかは努力次第って言ったはずよ、聞いてなかったのかなぁ?」


 はぐらかされたので別の質問をぶつけてみる。


「聞いてたわ、じゃあ・・・『普通』に生きるにはどうすりゃいいんだ?」


「何? 哲学的なこと聞いてきて、そんなの私にだってわからないわよぉ」


 もっともな答えが返ってきた。この問いには明確な答えがない。だからそんな問いを出されて俺も困っている。


「あくまで一個人としての意見が欲しいだけだよ」


 俺がそう答えると運転しながらしばらくうーんと考え込んでこの答えが返ってきた。


「私が『普通』に生きるためにすることねぇ、・・・『その瞬間を精一杯楽しむこと』、・・・『後悔しない選択をすること』、かなぁ」


「その心は?」


「『その瞬間を精一杯楽しむこと』は言わなくてもわかるでしょ。だって楽しくなきゃ、そんなの空っぽも同然じゃん」


「いや、別に楽しく生きるためにすること聞いてるわけじゃないんだけど」


「そうよぉ、じゃあこっちからも聞くけど、中身のない空っぽな人生とぎっしり詰まった人生、光ちゃんにとっての『普通』の人生ってどっち?」


「例えが極端すぎなんだよ」


「まぁそうねぇ、それじゃあ中身のない人生を送った人が自分の人生を振り返った時、その人生は『普通』だったって言える?」


「いや、『普通』じゃねぇって思うんじゃねぇか?」


「そうねぇ、自分の人生を振り返るとき、私たちはどうしても他の人と比べちゃうのよ。その結果、自分の人生は『普通』じゃないってなる、こういうことよねぇ?」


「ああ」


「じゃあもう一つ、中身が詰まった人生を送った人が自分の人生を振り返った時、その人の人生は『普通』だったって言える?」


「『普通』じゃねぇよ」


「その通り。でも人って自分と他人を比較したとき、どうしても自分を低く見がちなのよねぇ。客観的には『普通』じゃないって思うかもしれないけど、主観的に見てみたら案外『普通』ってことにならないかしら?」


「いや、ならねぇと思うけど」


「この際『普通』かどうかはどうでもいいのよ。人生エンジョイしてなんぼだから!」


「答えるの放棄したな」


「二つ目もそう、過去の人生でそれが一番良いと思って選択した、そのおかげで今の光ちゃんがいるのよ。でも、このあとやるのは『一番良い選択』じゃなくて、『後悔しない選択』よ」


「一番良いと後悔しないの何が違うんだよ」


「よく考えてみることねぇ。ヒント! 一番良い選択だからと言って後悔しないわけじゃない。逆に、後悔しないからと言ってそれが一番いい選択とは限らない。わかるかなぁ?」


「教えてくれねぇのかよ」


「光ちゃんはまだ学生なんだから、考えないとねぇ」


 ヒントがだいたい答えになっていることは分かる。だがいまいち理解しきっていない部分がある。一番良い選択をした結果、後悔しないのでないか? これが『普通』に生きることとどう関係しているのか? 何もここまで考えなくていいのでないか? 

 とりあえず言われたことを整理してみると、後悔しない選択をすることによって将来自分の人生を振り返った時、未練がなく、結果としてまっとうな人生を送ったと思うことができるということか。


 だが今まで聞いてきたのはあくまで『健常者』の場合だ。俺にそれは当てはまらない。そもそも選択の時点で健常者より選択肢が少ない。しかも選択も自分で行えるとは限らない。他人に矯正された人生なんて楽しいわけがないし、『普通』ではない。俺は『普通』であるため努力してきたが、やはり違う。俺は『普通』になれない。ゆえに俺たちは今を楽しむことも後悔しない選択をすることもできなかった。

 しかし、それは過去であり未来は変えることができる。少なくともこの話を聞かされていなかったら未来は変わらなかった、定型だった。それを崩すために俺は俺なりに努力を重ねていくべきなのだろう。『普通』の人生に近づくために。

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