過去 - 32日目 -

 昨日のことがあってか、今日はものすごく足が重たい。起きて昨日のことを振り返ってみた。昨日の俺は明らかに冷静さを欠いていた。自分よがりだった。人のことも考えないで。だからこうなったんじゃないか。謝る相手は一条、先生だけじゃない。


「昨日は悪かった。冷静じゃなかった」


 まずは母親とかえでに謝る。


「私には謝らなくていいわよぉ。他に謝る人がいるでしょ」


「私も大丈夫。私も、ごめんなさい」


 かえでは俺と母親に謝ったが母親はいつも通りの調子だ。昨日だったらこれにもイラついていたのかもしれない。でも母親の言う通りだ。謝る人は他にもいる。


× × ×


 足が重たいのは俺だけじゃなかったようだ。俺を迎えに来た人たちもみんなテンションが低い。


「おはようございます」


 この声一つとっても昨日とも一昨日とも違う。でも俺はそれを返す前に言っておくことがある。


「昨日は悪かった。マジで。冷静じゃなかった」


 みんなに頭を下げる。


「いえいえ、雛の方こそ話せと言ってしまってすみません。まさかこうなるとは思いませんでしたから」


「私もごめん。あの時みんなに助けてもらったのに昨日は助けられなくて」


「僕も、ただ聞いているだけで何も言えなかったから。ごめん」


「ごめっなさい」


 日向、更科、佐藤、渡がそれぞれ謝る。でも聞いてわかるように、今ここで一番謝りたい人物、一条がいない。


 クラスに行ってからも声をかけてくる人物の中に一条がいない。周りはゴールデンウィーク明け、そして球技大会の余韻が残っているような感じだったが、俺たちとてもじゃないけどそんな気になれなかった。


× × ×


 一番最悪な事態は免れた。一条が欠席という事態だ。登校時間ぎりぎりに来たようで話す時間がなかった。それだけじゃない。移動教室、休み時間、一条はさっさと教室を出て行ってしまうから話すことが出来ない。ここから俺だけじゃない、慎や佐藤、渡からも避けていることがわかる。


 昼休み、これも変わらない。一条は授業が終わるとさっさと教室を出て行ってしまう。このままだと何も言えずということになりかねないので


「渡」


 渡の机をトントンして呼ぶ。隣から物音がしていたのでいること自体はわかっていた。だから


「ちょっと一条を呼んできてくれねぇか。話したいことがあるって」


 それと部分部分手話を交えながら頼む。思えば渡に頼み事をするのは初めてな気がする。


「うん、まってて」


 渡がそう言うと席を立って走っていた。これで呼べなかったらもう無理だ。いや、無理じゃない。決めつけるのは早い。それにこれは義務だ。俺が俺自身に課した。


「わたりんどうしたん?」


「一条を呼びに行ってもらってる」


「そうか・・・」


「佐藤はいねぇのか?」


「ここにいるよ」


 慎と佐藤が俺のところに来た。慎にも言わなければならない。


「昨日は悪かった」


 そう言って頭を下げる。


「光ちゃん、ここ教室なんだけど」


「関係ねぇよ。マジで悪かったって思ってるから」


 周りの目なんか気にしない。それに気にしてたら時機を失うことになる。昨日みたいに。


「ちょっとごめんな」


 そう言うと慎は席を立ってここを離れていく。


「遠藤、面白がって写真撮るなよなぁ。こっちは真剣な話をしてるんだから」


「悪かったって今消すからよぉ」


 遠藤が写真撮っていたのか。俺が頭下げるのを見て楽しいか? あとでシバくか。


「光ちゃん、謝るのは俺じゃないだろ」


「わかってる。だから呼んできてもらってるんだ。本当だったら俺が行かなきゃなんねぇのによ。情けねぇ」


「そんなことないよ」


「佐藤、慰めはいらねぇ」


 慰めてもらったところで結局俺が悪いことに変わりはない。いや、今回の場合誰も悪くないか。ああもうどっちでもいい。とにかく一条とは面と割って話す必要がある。


「あ、渡さん」


 渡が息を切らしながら帰ってきた。


「・・・いない」


「は?」


 いない? 何で? どういうことだ? こうなったら


「欠席じゃねぇよな。だったら俺が探しに行く」


「わたしおいく」


「俺も行くよ。健ちゃんは———」


「わかってる。あの三人に聞いてくるよ」


 本当にどこ行ったんだよ。これじゃ話したいことも話せねぇじゃねぇか。


「ココが行きそうなところ・・・保健室は? ・・・そっか」


 慎の問いかけに渡が反応したのだろう。でもいないか。


「見える範囲ではいねぇんだ。じゃあ見えねぇところにいるんじゃねぇか?」


「どこだよそんなところ」


「例えば・・・こことか」


 ふと思い浮かんだところを手話で答える。そこは俺たちが入れないところ。それを慎も理解したらしく


「ここから遠くて探しに行きづらいところ・・・体育館のところか!」


「いってくる!」


 そう言って渡が走り出す。それを追いかけようとすると


「二人とも、呼んできたよ」


 俺と慎がいたところに佐藤が来た。ということは


「わたりんは?」


 更科、日向、本田も一緒だ。


「一条を呼びに行っている。そこにいるかわかんねぇけど」


「どこですか?」「どこだ?」


 日向、本田が同時に聞いてくる。


「ここから遠くて人があまりいない、それで俺たちが入れないところ。多分体育館のトイレだと思う」


「雛も行ってきます!」


 答えたのは日向だけだったが足音からしてそれだけじゃないことがわかる。


「慎、佐藤、更科。早く連れていけ」


 思わず語気が強くなる。でも昨日のようにただ自分の感情をぶつけているのとは違う。


「ああ」「そうだね」「うん」


 昨日言えなかったことをしっかり言うために。


× × ×


 俺たちは更科がいたから遠回りながらもエレベーターを使って一階まで下りて体育館に向かう。


 渡から遅れること5分くらい、俺たちも体育館に向かうと


「ココ!」


 更科がそう言ったことから一条が目の前にいることがわかる。ここはトイレとは違う。体育館に続く廊下だ。渡や先に行った本田や日向に諭されて出てきたのか。それとも最初からここにいたのか。いや、そんなこと、今はどうでもいい。


「一条。悪かった、マジで。お前の気持ちを考えてなかった。いや、考えようとしてなかった」


 深々と頭を下げる。誠心誠意、伝わるように。


「何で? 何で光ちゃんが謝るの? 違うよ。悪いのは私なのに・・・」


 一条の声は震えていた。違う。悪いのはお前じゃねぇ。


「悪くねぇよ、一条は。何も悪いことしてねぇじゃねぇか」


「そうだよ。俺も謝りたい。ごめん。もっと気を配って話すべきだった」


 横にいた慎も謝る。


「違う。私が———。ごめん・・・ごめんなさい・・・」


 そう言って泣き崩れてしまった。この状態がしばらく続く。俺や慎はその間も頭をあげずにいた。


「三人とも、ちょっと落ち着こう。ちゃんと話そう?」


 更科が間に入る。実際入ってくれてよかった。このままの状態が続けば多分話が進まなかった。


「僕もその方がいいと思う。ちょっと待ってて」


 そう言うと佐藤はこの場から離れていく。


「私・・・みんなに顔向け出来ない・・・」


 違うと言おうとしたら横から肩を掴まれた。慎か。


「ココは悪くない。ココだけじゃない。一条先生も」


「だって・・・、ママが、光ちゃんと慎ちゃんの、中学校生活を———」


「壊してない。何度でも言う。壊してない!」


「壊したよ! だから私は———」


「償う罪はない。だって、誰も犯してないから」


 そうだ。罪はない。先生にも、ましてや一条にも。


「もう、あんなママ・・・、見てられないよ・・・。助けて・・・」 


 本音が出た瞬間だった。一条の、心からの願いだった。


「慎、もういい」


 今までは慎が言っていたけど今度は俺が言う。


「あれはもう終わったことだ。贖罪なんか考えなくていい。もしそれ目当てでつるんでいるなら、縁切るぞ」


「おい!」


「ちょっと! 光ちゃん!」


「もう少し言い方考えてください!」


 本田、更科、日向に怒られる。でも


「俺はもともとこんな感じだ。変えようったって無理だ。んで?」


 しばらく静かな時間が流れる。それがものすごく長く感じた。


「私は・・・、みんなといたいよ。・・・一緒に」


「じゃあそれでいいじゃねぇか。余計なこと考えんなよ」


「私なんかが、いていいの?」


「そう自分を卑下するなよ。それは俺と日向の専売特許だ。お前には似合わねぇ。一条はこれからも変わらず元気でいてくれたらいい。贖罪とか罪悪感とかは考えるんじゃねぇ。ありもしない罪を勝手に着て良い事なんてなんもねぇだろ。親がどうとかそういう問題じゃねぇ。一条は一条だ。この件には無関係。よってこの話は終わり。それでいいだろ」


「今さりげなく雛をけなしましたね」


「さりげなく? 俺は堂々と言ったつもりだが」


「時と場合を考えてください」


「ふふっ———」


 この声は間違いない。一条だ。


「ようやく戻ってくれたな」


「ごめんねみんな。心配かけて」


「そこで言うのはそれじゃねぇだろ。言った本人が忘れたのか?」


「あ、そうだった。ありがと! みんな!」


 いつもの明るい一条に戻ってくれた。本当によかっ———


「いでっ!」


「光ちゃん。その言い方何とかなんないのかよ」


「仕方ねぇだろ。昔からだ」


 慎に盛大に背中を叩かれて一気に緊張が緩む。というより痛くて緊張がかき消されたといった方がいいか。めっちゃ痛い。


「はぁ、一時はどうなることかと思った」


「本当だな」


「そうですね」


「心配しすぎだっつーの」


「いや光ちゃんのせいだからね⁉」


 更科にいい突っ込みをされて本当に元に戻ったのだと自覚する。この場合は戻ったっていうより進んだっていう方がいいか。その方が印象的に良いし。


「えっと、ちょっとごめん」


「あ?」


 終わって早々何だろうか?


「光ちゃんの話、良いこと言っているのはわかったんだけど、もうちょっとわかりやすく言ってくれると嬉しいなぁ、なんて」


 あ、そうだった。相手一条だった。


「はぁー・・・」


 溜め息が出る。俺の渾身の説得も半分くらいしか届いていなかったか。でも一番大事な部分はわかっているようだから


「説明面倒。慎、パス」


「俺に投げんなよなぁ」


 そう言いながらも慎は説明してくれることを俺は知っている。よってここは慎に任せる。


「はぁ、はぁ。あれ? 話し終わっちゃった?」


 息切らしてきたのは佐藤だ。そういえば途中でいなくなってたな。


「終わった。穏便に解決した。どこ行ってたんだよ」


「ちゃんと話したほうがいいと思って部屋の確保に行ってたんだけど・・・」


「どこの部屋だよ」


「進路指導室」


 嘘だろ。進路指導室って言えば早川先生の物置部屋じゃねぇか。


「もっと他になかったんかよ。まだ保健室の方がマシだぞ」


「それ早川先生が聞いたら何て言うか」


 実際そうだ。あそこは深刻な話をするところじゃない。と言っておきながら更科の件はあそこで話したんだけど。まぁいずれにしろ解決したんだ。


「進路指導室は行かねぇ。その代わり・・・」


「その代わり?」


「一条」


「はい! ココですが!」


 どんな精神してるんだ? さっきまであんなに泣いてたのに。今度はこのテンションか。まぁいいや。


「放課後時間あるか?」


「あるけど・・・」


「ちょっと教室に残ってほしい。そこで話を聞きたい」


「・・・うん、わかった。私も話す」


「雛たちもいていいですか?」


「うん。ひなっちとわたりんとアオにも聞いてほしい。他のみんなにもちゃんと話すね」


 これでひとまずまとまった。よかった。後は放課後か。

 そう思ったときにチャイムが鳴る。


「あれ? これって・・・」


「やばっ! 授業開始のチャイムだ!」


「嘘っ⁉ 早く戻らないと!」


「私が押していく」


「わー! 遅刻ですー!」


 みんな走って教室に戻っていく。これは、もしかしなくても俺置いてかれるのか・・・


「光ちゃん早く! 急げ―!」


 と思ったら一条に腕を思いっきり引っ張られた。でも一条だからなぁ。そんなに急いでいる感じがしない。本人は至って真面目だと思うが。そして俺の背中を渡が押していく。もういつもの光景だ。もう俺たちの間に壁はない。


× × ×


 授業はやっぱり遅れてめっちゃ怒られた。でもそれ以外は元に戻っていた。一条も休み時間の時に話しかけてくるようになったし、俺たちも構えなくていられるようになったし、ついでに遠藤はシバいておいたし。


 放課後、慎と佐藤、本田は部活があるので先に出て行った。さて、じゃあ俺たちはみんながいなくなるまで待ちますか。


「皆さん、ちょっといいですか?」


 話しかけてきたのは日向だった。もうかなり人数が少なくなったので日向、更科はもう教室に入ってきている。


「どうしたの?」


「やっぱりここじゃなくて別の場所にしましょう。良いところがあります」


「まぁ場所に関して特にこだわりはねぇからどこでも」


「私もいいよ。ココとわたりんは?」


「うん、いいよ」


「うん」


 全会一致ということで、全員で教室を出て日向の後をついていく。経路から考えてみるに・・・、外・・・どこ?

 しばらくすると止まって鍵を開ける音がする。


「どうぞ、茶道部部室です。そんなに広くないですが」


「すごーい! 和室だ!」


「でも使って大丈夫なの?」


「はい、今日は部活ないですから」


 ならいいか。それと茶道部部室って結構遠いところにあるんだな。


「どうぞ、飲み物とお茶菓子です」


「いいの⁉ ありがとー!」


 さっきからはしゃいでいる一条、昼までの雰囲気とは正反対だ。本当に同じ人? 二重人格とかじゃないよな? それと会話が部室っぽくない。実は日向の私室じゃ・・・。


「ふぅー、落ち着くー」


 一条、更科が同じこと言ってる。落ち着いたんなら


「そろそろ始めるか」


「うん。そうだね」


 そう言って一条は大きく深呼吸すると


「ママを助けて。みんな———」


 真剣な口調になって語り始める。


———————————―――――――――――――――――――――――――――


 その日は突然。家に帰ってきたママの様子が変だった。


「ごめんね。ちょっと1人にしてもらえる?」


 いつも通り夕ご飯の用意をしていた私に言ってきた。最近仕事大変っぽかったけど今日は私でもわかるくらい変だった。


「ママ、どうしたの?」


 だから私はママに何があったのか聞こうとした。でも


「ちょっと・・・ね」


 それ以上ママが言うことはなかった。だから私もそれ以上聞かなかった。


「うん」


 と、それだけ言ってリビングを出た。そのドアを閉めようとするとママが泣いているのが隙間から見えた。本当だったら慰めてあげたい。抱きしめてあげたい。大丈夫って言ってあげたい。でもその1歩が出なかった。

 廊下からママの声を聞いていた私は卑怯だと思う。これって盗み聞きって言うんだよね。その中でママはある名前を何回も言っていた。


「矢島君。ごめんなさい・・・」


 矢島君? 誰なんだろう。その人がママに何かした? もしそうなんだとしたら私はその人を許さない。絶対に。


× × ×


 昨日はほとんど寝れてなかったみたいだった。そのママはいつもより早い時間に出ていった。


「パパ、ママどうしたの?」


 ママに聞けなかったからパパに聞いてみた。


「俺も聞いてないんだよなぁ。あの調子じゃ話しかけづらくって」


 パパも知らないみたいだった。


「本当に何あったんだろ・・・」


「今日帰ったら聞いてみるよ」


「うん、お願い」


 そして私は学校に行った。でも学校の授業は全く頭に入らなかった。難しいのもあるけど、でもママが気になって。


 いつも最初に家に帰ってくるのは私だった。その後パパ、最後にママ。パパはいつも通り帰ってきたけどママが帰ってくるのがいつもよりすごく遅かった。6月って昼間が長いって聞いたことあるけどママが帰ってきたのはもう外が真っ暗なときだった。


「ただいま」


 この声ですらいつもより暗い。それだけじゃない。私が用意した夕ご飯もほとんど食べていなかった。

 私がここにいると多分話しづらいから私は自分の部屋に戻っていった。ママ話してくれたかな?


× × ×


 朝、私は早起きした。でもママはもう家を出るところだった。


「ママ・・・」


「ごめんね」


 ただそれだけ言って家を出ていった。リビングに1人座っているとパパが起きてきた。


「おはよー心愛」


 パパは寝起きいつもこんな感じ。あくびしながらこっちに来る。


「ねぇ、昨日ママと話せた?」


「まぁ話せたって言えば話せたけど・・・、これ話していいのかなぁ」


「うーん、やっぱり帰ってきてからで」


「うん、その方がいいよー」


 あくびしながらパパが答える。帰ってきてからじゃないと多分学校行けなくなっちゃう。


 その日の授業も頭に入らず家に帰ると珍しくパパが先に帰っていた。


「ただいまー」


「お帰りー心愛。ママがいないときじゃないと話せないから早く鞄置いてきなー」


 鞄を急いで置いてきてリビングに戻る。


「さてと。それじゃあ話しますかねぇ、と言ってもどこから話したものか」


「どこからでもいいから早く!」


「せっかちだなぁ。わかったよ」


 そう言って話し始めた。パパも全部はわからないって言っていたけど。聞いたこと全部話してくれた。その中にはあの名前、矢島君って名前も出てた。


「・・・」


 何か言いたいけど何も出てこない。こんなの


「これがママのクラスで起きたこと。ママは何とか解決しようと頑張っている。俺もママは悪くないって言ったんだけどなぁ」


「悪くない! 悪くないよ! だって・・・」


「心愛の口から言ってあげな。ママは悪くないって」


「うん! そうする!」


 悪くない理由はよくわからない。でも何となくそんな気がする。だからママに言う。言う!


「ただいま」


 その声と同時に走り出す。そして


「ママ、ママは悪くないよ」


 ママを抱きしめる。


「うぅ・・・」


 ママは玄関で座り込んでしまった。そのママの背中を優しくさすってあげる。隣で泣いているママの背中を。ママは悪くないよ、ママは悪くない。


 ママは話してくれた。クラスで起きたことを。最後に


「私は担任の先生だからちゃんとしないと」


「ママ、困ったことあったら言ってね。私もパパも協力するから」


 泣いていたけど最近見れなかった笑顔が見れた。これで少しはママの助けに・・・。


————————————――――――――――――――――――――――――――


「でもそのときからママはあの事件のことを話さなくなったの。今考えたら私とパパを巻き込みたくなかったってことがわかる。私もそうしたと思うし。ママ、段々元気無くなっていくのがわかった。でも私とかパパが聞いても何でもないって言うだけ。それでママはそのクラスの人が卒業したときに先生をやめちゃったの。その後は・・・」


「言いたくなければ言わなくていい」


 今聞いていても大分きつい。俺は先生のことを考えていなかった。


「ううん大丈夫だよ。だって話すって決めたから」


 とはいっても胸が痛い。話す一条はもちろんだが俺もそうだ。引き金を引いた、当事者、俺がそうさせた、言い方は様々だが関係していることに変わりはない。


「ママはほとんど話さなくなったの。私とも、パパとも。それだけじゃなくて、外にもあまり出なくなっちゃって。だから・・・」


「私はママが前のママみたいに戻ってほしいの」


 一呼吸置いて聞いた一条の願い。でもそれは一条だけのものではない。


「俺も同じだ」


 俺、あとここにはいないが慎やかえで、母親も同じことを願っている。だから


「話したいって言ってもいろいろあったからなぁ」


 今までだったら正直言って話せば何とかなってきた。でも今回は違う。先生とはいろいろあった、しかも悪い方で。だから単純に話せば済むって問題じゃない気がする。


「ママは光ちゃんに会いたいって思ってるよ。でも・・・怖いんだと思う」


 そうだよな。これは当事者だからこそよくわかる。


「なぁ、一条は母親に俺と同じクラスってこと話したのか?」


「話せないよ。私も怖いもん」


「そうか」


 一条も一条でいろいろ苦労していたことがわかった。俺と母親、二人の相手をしていたのだ。まさかここまで波及するとは俺も思わなかった。でもそうなるとどうしたらいいんだ?


「あ、やっぱダメか」


 更科が何か言いかけて引っ込めたのを俺は聞き逃さなかった。


「何がダメだって?」


「手紙どうかなって思ったんだけどダメだったよね」


 そうか、その手があった。話すことばかり考えていて書くことを全く考えてなかった。


「手紙案採用」


「え?」


 普通だったらそんな反応になるだろう。でも俺は目が見えていた時期があった。だから俺は


「始めから見えてなかったわけじゃねぇから字は書ける。多分」


「うん」


 渡も頷いている。あれ? 何で俺が字書けること知ってるの? まぁいいや。


「ちょっと待っててください」


 日向がそう言うと何かゴソゴソしだした。何かされるのか、そうだろ、何かされるんだろ?


「ここに何か書いてもらえますか?」


 ペンを持たされただけだった。その後誰かは知らないが手を動かされて日向が用意したノートっぽいものの上に手を置かれた。


「何書くか・・・あ」


 幸いペンの持ち方は覚えていたので書くこと自体に支障はあまり無さそうだ。でもどこに書いてるかわからないからちゃんと文として書いてあるか心配だ。まぁ適当でいいか。文も適当だし。


「すごーい!」


「でも書けたのは良いとして・・・」


「悪意を感じますね」


 一条と拍手してる渡、更科と日向で反応が違うな。何か前者二人は素ですごいって思ってるんだろうけど何だろう、馬鹿にされてる感がする。対して後者二人は俺の書いた文字に不満を持っているのか。でもふと浮かんだのがこれだったからなぁ。


「ねぇ、『不労しょとく』って何?」


 当然そんな反応してくると思った。だって一条だもん。この言い方は悪いか。でもそれで理由付け出来てしまうのが一条の良いところでもある。そう、良いところだ。

 そして俺の書いた文はこう。『きゅうぎ大会は不労しょとくしたかった』


「これ雛に対して言ってませんか?」


「あ? これは俺の球技大会に対しての感想の一つだ。悪い意味はねぇよ」


「でも受け手次第で悪い意味にもなりますよ。まさかわからないとは言いませんよね?」


「わ悪かったよ、すんません!」


 横から睨まれた気がしたので素直に謝っておく。本当にふと浮かんだだけだから。日向に対して言っていたのは・・・否定しないけどそこはけなし合う仲としてな。これって仲って言うのか?


「まぁまぁ、でも字書けるの知らなかった。しかもちゃんと読める字」


「馬鹿にしてるだろ」


「さっきひなっちにやった仕返し」


 日向が言い返すならまだしも、更科が言ってきた。何かもういいや。このままだと仕返し合戦になりそうだから。


「まぁそれは置いといて、どう書くかだよなぁ」


「私も協力する!」


 元気よく一条は返事したけど一条の文章力が心配だ。それは不安材料ではあるが


「書くことへの協力は感謝するが、中身は自分で考える。そうしなきゃ意味ねぇ」


 俺が俺の言葉で書かなければ意味がない。伝えたいことも伝わらない。あくまで協力してもらうのは書くことだけにしてほしかった。


「うん、その方がいいと思う。でも・・・」


「書くことはお手伝いしますよ」


 息の合った返しをする更科と日向。二人はわかってくれたようだ。


「うん。やっぱり私も書く」


 さっき協力するって言ったのに今度は一条も手紙を書くと言ってきた。まぁそれについては止める理由がないし一条も母親に対して言いたいことがあるのだろう。じゃあ直接言えば良いじゃんという単純な話でもない気がするし。


「まぁそれについては止めねぇよ。俺は俺で書くしな。心配事って言ったら語彙力くらいか」


「ごいりょく?」


「・・・何か私も心配になってきた」


「雛もです」


「え? 何? どういうこと?」


 『語彙力』わかんねぇのか。本気で心配になってきた。とは言っても一条は小難しい文字書くよりも感情で書いた文のほうがいい気がするな。更科の件があるし。


「まぁ語彙力無くてもいいか、伝われば」


「ねぇだからごいりょくって何?」


「確かに、ココならノリでいけそうだしね」


「はい、解読できれば大丈夫だと思います」


「わたりんみんなが無視するー」


 そう言って渡に助けを求める一条。まぁ語彙力については渡が教えてくれるだろう。教えることあるか? まぁいいや。


「さてと。俺はそろそろ帰るわ。聞きたいこと聞けたし、手紙の中身考えなきゃなんねぇし」


「そうですね。もうだいぶ暗くなってきましたし、これで解散にしましょう」


「私電話するね。ママと光ちゃんのお母さんに」


 俺の母親に電話? あ、そういえば誕生日会の時に自分の携帯番号ばらまいたんだった。何だろう、溜め息しか出てこない。


「私ちょっとはあるよ! 語彙力!」


 かなり遅れた突っ込みをしてきた一条。当然だよ。なかったらそもそもこの高校にいねぇよ、って突っ込もうとしたけど何か怒らせそうだからやめておこう。せっかく仲直りしたのに。ん? 喧嘩したわけじゃないから仲直りじゃないか。和解だな。


「今から来るみたい。光ちゃんのお母さんはすぐ来れるけど私のママは時間かかるからなぁ———」


 電話してくれたのはいいけどその言い方、何だろうか。違和感しかない。


「何だよその言い方。何期待してるんだよ」


「期待? 何のこと?」


「とぼけんじゃねぇよ」


「とぼけてないよ。ママは光ちゃんの家に向かってるみたいだし」


「もう手遅れだった・・・」


「これは雛も行かなければですね。電車代を浮かせるためにも」


 更科のやつ、俺の家が学校から近いのをいいことに待機所として使う気だな。しかも電話で母親にちゃっかり許可とりやがって。悪知恵の働き方が普通じゃない。それと日向も便乗してるし。定期券なんだから電車代も何もねぇだろ。


「それじゃあ帰ろー!」


「帰ろー帰ろー!」


「おー!」


 女性陣はテンション高くていいですね。もう俺の家はたまり場として定着してしまった。それ思っただけで俺はダダ下がりだよ。


 いつも待っているところに来るともう母親が来ていたようだ。


「お帰りーみんなー!」


「ただいまでーす!」


 昨日あれだけヘイト溜めていたのに何か何もなかったみたいなやり取りだなこれ。


「さてと帰りましょうかぁ。まずはアオちゃんから」


「みんなありがとう」


 ガチャガチャやってるってことは更科をみんなで車に乗せているのか。少しして


「はいじゃあみんな乗って乗ってぇ」


「お願いしまーす!」「よろしくお願いします」「おえがいします」


 そう言って残りの人も乗っていく。さてと俺も乗るかと思ったが


「あれ? 光ちゃん乗れないや。えーっと、ちょっと待ってねぇ」


「乗れないやじゃねぇよ」


 何で乗れねぇんだよ。あれか、車いす乗せてるから一番後ろ使えないのか。だとしてもなんで俺が乗れねぇんだよ。俺迎えに来たんじゃなかったのかよ。こんなことなら俺が一番最初に乗っておけばよかった。


「よし、これでオッケー! ほら光ちゃん乗って乗ってぇ」


「何したんだよ」


「大丈夫! バレなければ!」


 バレなければ? どういうこと?


「ぷふっ! ひなっちピッタリ!」


「本当にごめん。ひなっち」


「ふふっ」


 みんなが日向のことを言っているけど何だ?


「雛、一生の不覚です・・・」


「おい、本当に何したんだよ」


 一生の不覚って言うくらいだ。よっぽどの事でもされたか。


「言わないでください」


「何かすげー遠くから声するんだが」


「どうせ雛は人権ないですよ。まさかコンパクトサイズがこんなところで活かせるとは思いませんでした」


 何だろう。今痛烈な皮肉を言った気がする。


「みんなはこのこと絶対に言っちゃダメよぉ」


 何か大体予想できた。この車の二列目は本来3人しか乗れない。でも今いるのは一条、渡、更科、日向の4人。じゃあどう乗せるか。方法は二つ。一つ、誰かの膝の上に日向が乗る。だとすると日向の声が近くで聞こえるはずだからこれは違う。ということは二つ、車いすを置いた三列目の空いたスペース。これもう人権ないじゃん。ていうかこれ見つかったら捕まるんじゃ・・・、いや、考えないようにしよう。見つからなければセーフ。日向なら小さいから大丈夫! ここで注意。これを見ているドライバーの皆さんは絶対に真似しないようにしましょう。


「ここがココの家?」


「うん。わたりんとさーちゃんの家もすごく近いんだよ」


「そんなに近いんですか。いいですね」


 どうやら一条の家に着いたようだ。ドアを開ける音がして一条と渡が降りていく。


「またね。月曜日に」


「うん。またね」


「はい、月曜日に」


「またね」


「じゃあな」


 各々挨拶する。俺も一応手話を交えて挨拶しておいた。そして一条と渡が降りたので日向が席を移動して二列目に乗り込む。ようやく人権が戻ったようだ。


 車を走らせ始めて少し


「よかったじゃない。和解出来たみたいでぇ」


「まぁな」


「すごく大変でしたけど」


「うんうん。喧嘩になっちゃうかって思ったくらいでした。誰かさんの言い方が悪いせいで」


「和解出来たんだからいいじゃねぇか。あ、そうだ」


 そういえば母親に聞きたいことがあったんだった。一条もいなくなったことだし。


「昨日のあの態度、何で突き放しにかかったんだよ。解決したんだから話してくれてもいいだろ」


 これは俺に限らず今ここにいる更科や日向も同じように思っているはずだ。いつもとは違う態度、いや、逆の態度って言った方が合ってるか。そんな態度を取った理由を知りたい。


「あぁそれねぇ。まず、みんなには悪いことしちゃったわねぇ。でも謝らないわよぉ。その結果解決できたんだし、私のあの態度も意味があったってことでしょ」


「その意味を教えろってんだよ」


「はいはい。全くせっかちなんだから」


「何か腹立つな」


「光ちゃん。人にはそれぞれペースがあるんだから。ダメだよ、急かしちゃ」


「お前はいつから親になったんだよ」


「そんなこと言っている間に家着いちゃいましたけど」


「はいじゃあ更科さんが来るまで家でゆっくりしていってねぇ。そのほうが話せるでしょ」


「先延ばしにされた感が否めない」


 話延ばされ、更科に親目線の説教をされ、日向に場面展開され、なんだかなぁ。話の主導権を握れてない感じって言えば良いか。そんな感じがしてしょうがない。


 家に入って全員がくつろぎ始めたところで、全員がくつろぐっておかしいな。ここ俺の家なのに。


「さてと、光ちゃんの質問の答えを言いますかねぇ。といっても昨日ほとんど言っちゃってるんだけどねぇ」


「みんなに解決してほしかったって言うのが私の答えよ。まぁ本音を言っちゃうと、みんなが光ちゃんの親友としてちゃんと支えられるかを見極めたかった。あと光ちゃんが一歩踏み出すのを邪魔したくなかった。要するに親バカだったからってことなのよぉ」


「何だよ、考えなしじゃなかったのかよ」


 聞いてなんか恥ずかしくなった。だから突っかかりも中途半端になってしまった。そんな意図があったのか。母親も母親で俺を気にかけているんだな。昨日愛情から来ているって母親と更科の母親が言っていたがその意味がようやく分かった。


「ちょっと、アオちゃん⁉」


 さっきまで良い話していたのに母親が慌てふためいている。何があったんだ?


「すみません。ちょっと感動してしまって」


「ほらティッシュ」


「ありがとうございます」


 更科の声が震えている。感動した? まさか———


「泣いてんのかよ」


「泣いてないよぉ」


「矢島さん。空気読んでください」


 やべ、声出ちゃった。当然出たものを引っ込めることなどできるはずもなく日向から辛辣な言葉をくらう。


「私だけじゃないと思うわよぉ。親はみんな子供に対してそう思ってるはず。方針は違えど、ねぇ。だから、親に感謝しないとねぇ、ねぇ光ちゃん」


「言わせる気かよ。俺は言わねぇぞ」


「またまたー、照れちゃって」


「言わねぇぞ」


 言えるわけがない。そんなの恥ずかしすぎて多分一回死ねる。心の中で思うだけでいいだろ。


「では矢島さんに代わって雛が———」


「言わんでいい」


「ありがとうございますぅ。お母さん」


 日向が言おうとしたのを止めたのに、それを聞いてか聞かずか更科が半泣き状態でお礼を言っている。


「言うなっての」


「その言葉はみんなの親に、ねぇ」


 そうだぞ。言う相手はここにいる母親じゃねぇぞ。自分の母親に言え。俺は言わねぇが。あ、そうだ。


「そうだ。それだけじゃなかった。一条先生のその後について———」


「待って光ちゃん。それは言わなくていいわよぉ」


 何か食い入り気味に止められた。


「先生とは解決したらゆっくり話そうと思ってるから。そこで聞ければいいし。そうすれば水に流すことも出来ると思うから」


「そんな簡単に流れるものかよ」


「今の光ちゃんを見たらきっと、ねぇ」


 きっと、か。ならば絶対に解決しなくちゃな。俺もいつまでもこんなことを引きずっていたくない。ケリをつけるって言ったらいいか。何にせよ先生を立ち直らせたい。


「大丈夫です。光ちゃんならやってくれます。私の時のように」


「やるときはやるって瀬戸さんも言っていましたから」


 そうだよ。やるときはやるよ。ん? ちょっと待て。そっちじゃねぇよ。


「ごめんくださーい」


「お? 来たみたいよぉ」


「それじゃあ帰ります。ありがとうございました」


「ありがとうございました」


「いえいえこちらこそ。またのお越しをー」


「じゃあな」


「うん、また」「はい、では」


 そう言って家を出て行く。母親のおかしいだろ。「またのお越しを」ってなんだよ。店じゃねぇんだぞ。いやいやそれもそうだがもう一つはさっきの更科の発言だ。私の時のようにって俺ほとんど何もしてねぇぞ。買いかぶりすぎだよ。せめて球技大会の時のようにに修正してほしい。そっちの方がやった感はある。


 更科、日向が帰った後


「光ちゃん。ちょっといい?」


「あ?」


「もし一条先生と話す機会があるなら伝言を頼みたくてねぇ」


「自分で言えよ。ゆっくり話すんじゃなかったのかよ」


「その前よぉ。いきなりだと話しづらいでしょ」


「まぁ、それもそうか」


 そして伝言を聞いた。うーん、意味があるようには感じるけど伝わるかなぁ。それとこれどう伝えたらいいんだ? 手紙? 口頭?


「しっかり伝えてよねぇ」


「忘れなければ」


「そこはおとなしく『はい』って言っておけばいいのぉ」


「頭揺するな」


 頭をいいようにかき回されてちょっと目が回る。勘違いしないでほしいのは別に目が見えないから目も回らないというわけではない。見えなくても目は回ります。確かめてみたい人は目を瞑ってグルグル回ってみればわかります。


 手紙か、なんて書こうかなぁ。これ考えてるだけで土日潰れそうだ。


 

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