せい→おかげ - 16日目 -

「ああちょっと待って、昼の前にいいか?」


 午前中の授業が終わっていつも通り昼を出そうとしたら慎が話しかけてきた。


「どうしたの?」


「本渡先生が来てくれって」


 そういえば先生昨日更科の家に行くって言ってたな。その結果を言おうということなのだろうがもうわかっている。昨日一条がラインをしたのが本渡先生が更科の家に行く前だったか後だったかは知らないがいずれにしても本人が日曜日会うと言った。これは揺るがない。


「わかった」


「私たちも行く!」


 みんなが昼を食べている中俺たちは本渡先生のところへ行く。気がかりだったのはこの場に佐藤がいないことだったが、おそらく購買に行っているか、別件で呼び出しでもかかっているのだろう。



× × ×


「ごめんね、昼なのに呼び出しちゃって」


「別に構いませんよ、大事なことなんでしょう?」


「察しがいいわね。昨日のことについて報告するわ」


 やっぱりそうだった。俺に限らずともみんなそうだとわかっていていただろうし。


「私が行ったときにはもう更科さんは話す決心がついていたみたい。皆を困らせるわけにはいかないからって、あとはみんなに私を助けてほしいからとも言っていたわ」


 話している内容から先生が会ったのはあのラインの後だということがわかる。決心したこと、助けるというワードが出てきたことが理由だ。あの一条の素直な思いというのは更科にも伝わっていたのだ。


「やっぱり更科さんも・・・」


 一条の言いたいこともわかる。要するに更科も俺たち、正確には俺や渡と同じ思いを抱いていたということだ。言葉を濁したのは俺や渡のそばで言いたくなかったからか。


「だから私はみんなのことを話したわ。助けてくれる人たちのことを。その上で今何に困っているのか、どう助けてほしいのかをみんなに伝えるべきだとも言ったわ、でも私はそれ以上のことは言ってないから、私は今更科さんが何に悩んでいるかを知らない」


 あくまで生徒間で解決しろということなのか? それとも助けてほしいと言われたのは自分じゃないからということなのか? 先生は更科の悩んでいる内容を本当に知らないらしい。


「先生、更科さんとは日曜日に会うってことでいいんですよね?」


 先生が詳細を聞かなかった意図を理解したのか慎がもう一つの問題をぶつける。


「ええ、でも・・・」


 でも?


「本田さんや日向さんが言っていることとは別に、私はなるべく早く話したほうがいいと思うわ」


「どうしてですか?」


「昨日ラインで書いたことはあくまで昨日の彼女の意思、仮にそれが持続していたとしても長くは続かない。特に今みたいな不安定な時はなおさらよ。だから、こう言うのは悪いかもしれないけれど、彼女の気が変わらないうちに早く話したほうがいいと思うわ」


 確かに、自分も似た経験をしたからよくわかる。不安定な時は感情が変わりやすい。しかもプラス感情はすぐに変わるくせして、マイナス感情はずるずる引きずって蓄積されていく。ならなるべく早いほうがいい。


「私ちょっと本田さんと雛ちゃん呼んでくる!」


 そう言って一条は保健室を飛び出していった。連絡手段がその二人からしかない以上呼んでくるほかない。


「会う日はこの後決めるとして場所は?」


「それも問題ね。更科さんの家はマンションなの、だから大人数は入れないし。学校はやめておいた方がいいし」


 へぇ、更科の家はマンションだったのか、いやそうじゃない。マンションだと確かに無理だな。多分隣もいるだろうからあんな大人数で行ったら確実に迷惑だ。更科の両親にも申し訳ない。学校は本人が行きたくないって言っているのだからそこに行って話すのは違うし。そうなると・・・


「やっぱりこうなるのか」


 選択肢は一つしかない。本人がそれでいいと言えばの話だが。伝家の宝刀


「俺の家はダメですか?」


 他に良いところがない。むしろここ以外に良いところがあれば提示してもらいたい。自画自賛ここに極まれり。


「大丈夫なの?」


 当然聞かれる質問だ。だが心配はいらない。


「はい、俺の家は一軒家で広いですしうちの母親はめちゃくちゃ心広いので。実際にこのことを母親に話したら今度話したいから絶対連れてきてって言ってましたから」


「俺もその意見に賛成」


「え? 渡さんも?」


 慎が賛成することは全く驚かなかったが渡も賛成したのか。俺の家の信頼度高すぎだろ。まぁこの突っ込みは後でするとして


「あとは更科次第ってところですね」


 『更科次第』もう何度使っただろうか。でもこればっかりは強制はできないからそうするしかない。


「失礼します」


 ノックとともに本田、日向、一条が入ってきた。佐藤はいないがここにいるみんなでとりあえず情報共有をする。そして


「わかった、連絡してみるか」


 本田がそう言って更科にラインをする。連絡の内容は時間と場所についてだ。時間はなるべく早く出来ないかということ、そして場所は俺の家でもいいかということ。さてどうなるか・・・。


 しばらくして返信音が聞こえてくる。まずは返信してくれたことへの安堵がある。返信されなかったらその時点で積みだった。


「ふむ・・・」


「どうだった?」


 本田が一人で見ているのか、一条が結果を聞いてくる。


「日程と場所が決まった。日程は今日放課後、場所は光輝の家だ」


「は? 今日?」


「今日」


 思わず問い返してしまったが本田は今日と言い返してくる。ちょっと待て、いくら早いほうがいいとはいえ今日はきついぞ。


「俺今日の放課後は予定あるから無理だ」


「それについては問題ないな。遅くとも5時には終わる」


「予定って?」


「体力テストの残りだよ。光ちゃんだけ外の種目やってなかったから」


「じゃあ大丈夫!」


「他人事だからって好き勝手に」


「光ちゃん、携帯」


 どうやら俺の思いは届かなかったようだ。ヘロヘロになってから話し合うのか。唯一の救いはその場所が自分の家ということくらいだ。ため息をつきながら携帯を渡すと慎は電話をする。プライバシーもなんもないなこれ。


「全然オッケーだって、あと車出すからみんな乗っていってとも言ってたな」


「でも私たち全員乗れる?」


「父親が置いていった車があるからそっちなら全員乗れるって」


「はぁ、人んちの事情をぺらぺらとしゃべりやがって」


 本当にプライバシーもなんもない。そのうち通帳とかも見せちゃいそうで心配になる。


「すみません、よろしくお願いします」


「私からもよろしく」


 日向、本田が俺にそう言ってくる。そういうのは母親に言ってくれと言いたいところだがここはおとなしく受け取っておく。二人とも思ったより頑固なところがありそうだから。


 今更思ったが母親はこうなることを見越していたのか? いつでも歓迎とか更科も一緒にとか言っていた辺りそんな気がするが・・・。さすがに考えすぎか。逆にそこまで考えていたら怖い。テレパシーだけじゃなく予知能力まであったら見透かされるなんてものじゃない。


「それで先生はどうするんで?」


 今までずっと静観していた本渡先生に聞く。


「ここから先はみんなが頑張る番だから、私は良い結果を待ってるわ」


 ということは行かないということか。正直立会人、助け舟として先生にはいてほしかったのだが。まぁ先生も忙しいだろうしな、仕方ない。


「わかりました」


 ここはおとなしく引き下がることにする。もうここにいる用事もないので立ち上がったと同時にチャイムが鳴る。なんてこった。


「え? もう終わり?」


 昨日に引き続き今日も食べられなかった。昨日は食べきれなかっただが今日は完全にお昼抜きだ。この後のことを考えてもどっかで食べないとやばいな。休み時間にでもつまむか。


「じゃあよろしくね、更科さんを助けてあげて」


 背を向けた俺たちに本渡先生はそう言ってくる。


「はい!」


 全員が同じ反応で本渡先生に返す。そして保健室を後にする。みんな駆け足で教室に戻っている。今日か、決まった以上はやるしかない。どうなるか想像つかない。何を言うかも決まっていない。でも詰まったらみんながフォローしてくれるとそう信じている。互いに信じ合えないと俺たちも前に進めないから。


× × ×


 今更だが今日は晴れ。というわけで昨日やった体力テストの続きをやることになった。こんなことしてる場合じゃないのに。


「今日やるのは50m走、ハンドボール投げ、立幅だ。好きなのからやっていいぞ」


「じゃあ50mからで」


 そう言うと体育の先生は準備を始める。


「俺がスタート係やるよ」


 俺と一緒に佐藤がスタート地点に向かう。ゴール地点には慎がいて慎の声のする方へ俺が走る感じだ。


「光ちゃーん、聞こえるかー?」


 遠くで慎が言っているのに俺は手を振って答える。


「頑張れー!」


「頑張ってくださーい!」


 来る予感はしていたが。俺は見世物じゃねぇよ。少なくともそっちの声のほうに行くのだけはやめておこう。


「位置について、よーい、ドン!」


 佐藤の合図と同時に走り始める。遠くで慎が声を出している、その方へ!


「ゴール!」


 先生が声を出したのでスピードを緩める。いやぁ、ここ最近で一番全力で走った。もうしばらく全力で走ることはないだろう。


「記録、6.6秒」


「速ッ!」


「おつかれー」


 先生が記録を言うのと同時に一条が声をあげ、俺の方に慎が寄ってきた。


「やっぱり早いなぁ光ちゃん」


「そう言っておきながら結局お前の勝ちじゃねぇかよ」


「そうだけどほら、遠くで佐藤がうなだれてるよ」


 その光景見たかったな。さも滑稽に映っただろう。別に人の不幸を笑おうとしているわけじゃないからね、自慢だよ自慢。


 次にやるのは立ち幅跳び。これは普通に前に跳ぶだけだから大したことはない。聞くところによると一条はここで大きく尻もちをついて背中が砂だらけになったらしい。いくら見えないとはいえ、さすがにそこまでのことにはならないだろう。


「えーっと、記録2m60cm」


「私二人分くらい跳んでます・・・」


 ものすごい自虐を日向が言った。いくら盛ってるとはいえそれは言いすぎだろ。みんな静かになっちゃったじゃんか。


「落ち込むな、雛の身長はこれから伸びる」


「ありがとうございます」


 本田が何とか日向の気を戻してくれた。もしこのままだったら俺のモチベにかかわってた。ありがとうと俺も心の中で言っておこう。ちなみに二回目は遠慮してしまったからか記録はさっきに及ばず。


 最後はハンドボール投げ。投げる方向は慎の声の方向、助走についてはサークルを越えなければオーケー。そして線を越えなかった二回をカウントしてくれるそうだ、これは素直にありがたい。

 そしてハンドボール投げはみんなが一番注目しているものだ。理由は三日前に体育をやった時に俺のボールが速いことを知っているから、あるいはそれを聞かされたからだ。それに俺自身どれだけすごいのか知ることもできる。

 ちなみに一条は片手で投げたところ、何回やってもファールになったため両手投げをしたらしい。一条の体育ネタすごいな、いじりがいがある。と言っている俺もファールにならないか不安ではあるが、まぁドッジの特訓の一環と考えればいいか。


「期待してるよ」


 佐藤にそう言われてハンドボールをもらう。そして声のする方へ!


「おぉー」


 横からそんな声が聞こえる。可能な限り全力でやったつもりだ。


「記録、45m」


「すごーい!」


 一条の声とともに拍手が起こる。


「本当にすごいです!」


「部活やっている人より飛んでるな」


 日向、本田も拍手とともにそう言っている。


「すごい」


 拍手と周りの人の声で消えかかっていたが渡もこう言っていた。思えば初めてちゃんとした言葉で、俺たちにもはっきりと分かる形で声を聞いた気がする。『すごい』たった三文字の言葉だけど確かに「すごい」と、そう聞こえた。


「はいじゃあ二回目」


 佐藤から再び渡されて投げる! 力が入っていたからか声も出ていた。


「記録、47m」


 それを聞いて再び拍手が起きる。


「やっぱり矢島君は主砲だよ」


 よかった、ピッチングマシンから主砲に格上げした。なんかピッチングマシンだとしょぼい感がしていたから、これで舐められることもないな。


「まさかこんなところに敵がいたとは」


 本田に言われて気づいた。そうだよ、お前ら別のクラスじゃん。


「リークすんなよ」


「さて、どうしようか?」


「咲彩さん、いじわるはメッ! です」


 日向が本田に怒っている。その横では


「かわいい!」


 一条がそう言っている。見えればほのぼのする光景だっただろう。


「光ちゃん、これは期待大だな」


「まぁやれるだけやってやるよ」


 これで自分の今の実力もわかった。あとはこれを本番にどう活かすかだ。期待されている以上中途半端にはしたくない。やれるだけやってみるか。


× × ×


 ここまでは前座で本番はこの後だ。俺の体力テストを早々に終わらせて全員でロータリーに急ぐ。もう母親は来ていたようで


「ほらみんなぁ、早く乗って」


 母親がそう言って俺を含めた全員を車に詰め込む。ちなみに車はいつもと違いアルファードなので全員余裕で乗れる。


 程なくして俺の家に着き


「大きいですね」


「確かに」


 日向と本田がそう声をあげる。ほんとに大きいかなぁ? 今までそう感じたことないけど。


「えっと今時間は5時15分ね」


 体力テストを超特急でやったおかげか、授業が終わってからまだ1時間しか経っていない。


「あと15分で来るからみんなで準備しましょ」


 時間設定は5時半だったのか。今更だけど初めて知ったわ。みんな車から降りていく。


「わ、すごい人・・・」


 どうやらかえでが既に帰ってきていたようだ。そういえば木曜日はかえでも帰るのが早かったな。ある程度の事情は教えてやったが、さすがに人が多いのに驚いているようだ。えっと、かえでと更科を入れてトータル10人か、いや多いわ。


 家に入って準備をする。本当だったら俺もやらなきゃならないのだが出来ることがないのでただ座っていることしかできない。そんな俺をよそに女性陣は飲み物の準備を、男性陣は机や椅子の準備をしている。

 何もしないのも悪いのでこの後いったいどんなことを話そうか考える。うーん、どうしようか? 上を向きながら考えていると外から車のエンジン音が聞こえてきた。どうやら到着したらしい。


 ノックする音、何人かが玄関に行く足音、父親の部屋からキャリア付きの椅子を転がす音、扉が開いて聞こえてくる会話


「遠くからわざわざお呼びたてしてしまい大変申し訳ございません」


「こちらこそこのような場をご用意していただきありがとうございます」


 双方の母親が挨拶しているのか。


「葵」


「葵さん」


 本田、日向の声がする。どうやら来てくれたようだ。


「本田さん、雛ちゃん・・・」


 今まで聞いたことない声だったからすぐにわかった。この声の主は『更科葵』に間違いない。その声は震えていて次いですすり泣く声が聞こえてきた。


「ごめんなさい―――。ごめんなさい―――」


 泣きながらも更科はずっと謝っている。


「とりあえず中にどうぞ。お母さんも」


 母親が中に入るよう言っている。少しして椅子を転がす音がして俺のいる部屋に入ってくる。


「みんなとりあえず座りましょ」


 母親の催促があり全員が用意した椅子に座る。位置は更科が中央、両脇を挟むように本田と日向、反対側中央に一条、両脇に俺と渡、俺の隣に慎、本田の隣佐藤という感じだ。そして母親二人とかえでは低いテーブルの方に行っている。あくまで俺たちで解決することだという姿勢の表れか。


「はいそれじゃあまずは自己紹介ね。お互いのこと知るためにはまず名前からってねぇ」


 俺たちはお互いのことを知っているからいいが更科は違う。そのための自己紹介の場なのだろう。


「更科葵です」


 小さな声だ、しかもその声はさっきほどではないが震えているのがわかる。

 他の人も名前を言っていく。その中で更科が反応したのは3回


「一条心愛です」


 一条はいつもの調子ではなく落ち着いた声音で挨拶する。


「あなたが一条さん・・・」


「はい、更科さん、あなたを助けに来ました」


 ラインでの返答ほぼそのままだ。『助けにきた』字で見るのと実際に声で聞くのでは言葉は同じでも印象が違う。そう言われたかったというのもあったのだろうか。


「―――」


 更科は泣いている。


「渡奏です。耳が聞こえないのでこんな自己紹介になってしまってすみません」


 俺への配慮か、渡は携帯で打った文字をスピーカーで自動再生させていた。


「矢島光輝だ。わかりにくいとは思うが俺は目が見えねぇ」


 渡と俺の自己紹介で更科が何かしら反応したことは想像がつく。ラインで一条が言っていた人が今、目の前にいるのだから。


 かえでとお互いの母親を含めた全員の自己紹介が終わったところで


「自己紹介が終わったところで葵ちゃん、何に悩んでいるのか話してみて。大丈夫、私たちはあなたの味方だから」


 母親が遠くからそう言っている。まるで心理カウンセラーを思わせるようなアプローチの仕方だ。


「はい」


 小さい声でそう言う。そしてゆっくりと語り始める、自分が今持っている悩み、思いを。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

————————――――――――――――――――――――――――――――――


 あの時私は事故にあった。それは突然のこと。いつものように自転車で登校しているときだった。横から車が突然出てきてぶつかった。衝撃で私は飛ばされて倒れる。痛い、痛い、痛いよ。


 すぐに病院に運ばれて処置が施された。救急車の中で気を失ってしまったからか、その詳細は分からなかった。ただ眠っている間もその事故の光景は幾度となくフラッシュバックされた。


 目を覚ますと私を心配した家族がいた。ママは泣いている。パパは医師を呼びにすぐ出て行った。

 すぐに医師が来て私に問題はないか聞いてくる。まだ痛い、麻酔されているのかもしれないけれど痛い。そう言うと痛み止めを処方してくれると言った。

 その後は触診。看護師の人が私の体を触って問題ないか聞いてくる。頭、大丈夫。首、大丈夫。右肩、痛い。右腕、痛い。左肩、大丈夫。左腕、ちょっと痛い。胸、大丈夫。おなか、大丈夫。右脚、え? 左脚、・・・。おかしいってすぐにわかった。触られている感覚がなかった。


 医師に告げられた。脊髄損傷で半身不随。え? 私が? 頭が真っ白になった。何も考えられない。パパがどうにかならないか聞いている。でもその医師は首を横に振っている。

 ママが私を抱き寄せて泣いている。「ごめんね」と謝っている。その言葉が放心状態の私の心に刺さる。ママは悪くないよ。そう言いたいのに。出てくるのは声じゃなくて涙だった。耐えられなかった。堰を越えたように涙が溢れてきた。なんで? どうして、私が―――。


× × ×


 その後の私の学校生活は一変した。今まで当たり前のようにやっていたことができない。階段を上がることも、移動教室も、給食も、授業も、トイレも・・・。

 だから私はこれまで自分が当たり前だと思っていたことを捨てた。これからはこっちが当たり前だと、そう自分に言い聞かせて。

 私が車いす生活になってからもみんなは変わらず接してくれる。今までと変わらず、最初はそう思っていた。


 学校が変わって高校。私は『車いす生活をしている人』って最初の段階でそう認識される。だからみんなは私を助けてくれる。みんなからしてみればそれは当たり前、でも心の中で私はみんなに申し訳ない気持ちを抱いていた。


 私のせいでみんなの迷惑をかけていないか?

 私のせいでみんなの勉強の邪魔をしていないか?

 私のせいでみんなの遊びを邪魔していないか?

 私のせいでみんなの生活を邪魔していないか?

 私のせいで―――


 その思いが日に日に増しているのに気づいたのは一年後期の頃だった。それでも変わらずみんなは私を助けてくれる。その度に私はその思いを抱く。その繰り返しだった。そうしていつしか


 何で私はみんなと一緒じゃないんだろう?

 何で私はみんなに助けてもらっているのだろう?

 何で私の脚は動かないんだろう?

 何で私は学校に行っているのだろう?

 何で―――


 そんな風に変わっていった。


 二年になってもそれは変わらなかった。みんなは変わらない。変わっていっているのは私。馴染もうとしているけれどどこか許せない自分がいる。私を助けてくれるのに余計なことを考えてしまう。


 あの人私のことをかわいそうって言っているのかな?

 あの人私を助けてくれるけど面倒って思ってるのかな?

 あの人私を邪魔に思っているのかな?

 あの人私を贔屓しているって思っているのかな?

 あの人―――


 そしてどんどん負の感情が湧いてくる。申し訳なさ、劣等感、罪悪感、そこに孤独感、疎外感、恐怖も相まって私の感情はもう限界に近かった。


 先週の火曜日、私の周りにはいつもと変わらず助けてくれる人がいる。横を別の生徒が通りかかった。多分その生徒はそんなことを思っていない。でも、私には邪魔なやつが通っているって思ってるんじゃないか? って気がした。それから周りの目線、声はすべて変わった。全部が、全部が悪いものに見えた。居心地が悪かった。暗い、楽しくない。もう限界だった。


 次の日から私は学校に行くのをやめた。本当はもっと前から行きたくなかった。でもみんなに心配かけたくなかった。だから無理をして学校に行っていた。

 もう今は怖い。みんなに会うのが、学校に行くのが。今もこうしてみんなの前にいるけれど、目を合わせられない。こんなどうしようもない私のために集まってくれて。本当にごめんなさい、ごめんなさい・・・。


―――お願い―――、助けて―――


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

————————――――――――――――――――――――――――――――――

 

 全部聞いた。ここで言う『全部』は『言われたこと全部』であり『過去を全部、隠し事なしの全部』というわけではない。もちろん根掘り葉掘り聞くことは出来た。でも本人が語ろうとしているのを邪魔したくなかった。俺たちはインタビュアーではない。


 聞いて思ったことがある。更科は俺と同じだ。しかも性格まで似ている。ものを言わないタイプだ。何を言ってもどうにもならないと自分の中で見切りをつけてしまう。そして何かの拍子に爆発する。ただ俺と更科は爆発の方向が違かっただけのこと。


「俺から言っていいか?」


 確認を置く。


「はい光ちゃん」


 母親がこう言う。他誰も反対しないので続けよう。


「更科、お前は馬鹿だ」


「なっ⁉」


「ちょっと⁉」


 本田、一条が反応する。そらそんな反応になる。傷を負った人の傷をさらに抉るようなことをしているのだから。聞こえる形で動揺していたのはその二人だが、他にも動揺した人はいたに違いない。


「みんな、光ちゃんの意見を聞きましょう」


 母親がみんなを落ち着かせる。ここで俺を止めないということは俺の言うことがわかっているのか。まぁいい、この際だ、言いたいこと全部言ってやる。更科のことも、俺のことも、みんなのことも、全部。


「もう一度言う、お前は馬鹿だ。悩み事があるんだったら素直に吐いちまえばいいじゃねぇか。溜め込んで良い事なんて何もねぇよ。でも言ったら迷惑かけるんじゃとか思っているかもしれねぇけど今この中に言われて迷惑だなんて思っているやついるか?」


「思ってないよ!」


 元気よく一条が答える。他の人も一条の言うことに続いて「うん」とか「そうだよ」とか言っている。


「いねぇんじゃ言っても問題ねぇよ。愚痴でも文句でも何でも言えばいい。俺らはそれを否定しねぇ。まぁこう言ってる俺も人のこと言えねぇけどな」


 自虐交じりに言っているが事実そうだ。


「でも・・・」


「でもじゃねぇよ」


 続きを言おうとしたらそれを遮られる。


「私の苦しみなんか―――!」


「わかるはずねぇだろ、話さなきゃ。今はこうやって話せているからいいけどな、もっと前に話そうと思えば話せたはずだ」


 そう、わかるはずがない。さっき話してはくれたもののそれが全部だとは微塵も思っていない。だから


「話せよ。まだ全部聞いてねぇぞ」


 いつだか慎に言われたことを今度は俺が言う。多分慎も俺がこう言ったことに対して何らかの反応をしているに違いない。


「脚が動かないことの苦しみなんか誰もわからない! みんな私に優しくしてくれるけど私にとってはそれが苦痛なの!」


 堰を切ったように大きな声で更科が言い始める。


「みんなと同じ目線に立てない、みんなと歩調を合わせられない、今なんかみんなと話すこともできない、こうやって一方的に不満を押し付けてばっかり、迷惑をかけてばっかり。さっきは思ってないって言ってたけどどうせそれも嘘なんでしょ? 私の前だからそう言ってるだけなんでしょ?」


 さっき話したことのほぼ繰り返しだが語気が明らかに違う。これが本心だということがわかる。


「私のせいでみんなに迷惑をかけるならいない方がいい。どうせ私なんか―――」


「それ以上言わないで!」


 更科の声を遮ったのは一条だ。椅子の音がしたので立ったのだろう。


「違う、違うよ・・・。誰も迷惑だなんて思ってないよ」


「何を根拠にッ!」


「そんなのいらない! だって友達だもん!」


「私とあなたは初対面、だから友達なんかじゃない!」


 するとパチーンという音が鳴り響いた。


「それ雛に対しても言えますか⁉」


 今まで黙っていた日向が突然言い出す。叩いた? のも日向なのか?


「葵さん。雛は迷惑だなんて思ったことありません」


「どうせそれも―――!」


「嘘じゃないです! 何で自分で勝手にそう決めつけちゃうんですか! 少しは雛たちの気持ちも考えてください! 雛たちを信じてください!」


 意外だ、まさか日向がここまで言うとは。同時に更科がこうも頑なな理由がわからない。


「信じられたらこんなに苦労しなかった!」


 くそ、なんだか過去の自分を見ているようで腹が立つ。


「そこまで!」


 話が平行線になっていることを悟ったのか母親が止めにかかる。止めてくれてよかった。もし続いてたら・・・


「お互いの言い分はわかるわ。他人を信じることって難しいものねぇ。だからまずは、両者ともに謝罪しなさい」


 『謝罪』その言葉が出てきて驚いた。思えばこの話が始まってから一度も面と向かって謝罪の言葉がなかった。更科はただ一方的に謝っていた。対して俺たちはそれにいいよと答えていただけだ。面と向かっていないし俺たちはそもそも謝っていない。


「なんでそうしなきゃならないかはわかるわよね。それとも自分がどんなことをしでかしたのかわからない、なんて言わないわよね」


 叱咤とまではいかないがかなり強めに言ってくる。それに気圧されたのか


「ごめんなさい」


 日向が最初に謝る。それを皮切りに他の人も謝る。当然俺も謝る。そして最後に


「・・・私こそごめんなさい」


 小さな声で更科が謝った。


「はいじゃあ全員謝ったところで、ここからは私がみんなが抱えている問題について客観的立場から説明してあげる」


 思えばこの場には更科の母親もいるはずだ。全く口出ししないのは多分俺の母親が口止めしているからだろう。あの状況で口出ししなかった方が不自然だ。


「まずは葵ちゃん。あと追加で奏ちゃんと光ちゃんもだけど。三人はまず被害者意識を持つのをやめなさい」


 以前言われた。可能な限り直せとは言われていたがまだ直っていなかったか。


「みんながあれこれやってくれるから申し訳ないっていう気持ちを持つのは当然よ。でも捉え方の違いでそんなのはどうにでもなる」


 これは先日言われた。どこで言おうかと思っていたが。


「そこで二つ目、何でもかんでも『障がい』を言い訳にするのをやめなさい。脚が動かないせいで、耳が聞こえないせいで、目が見えないせいで、こう言い訳するのははっきり言って逃げているとしか思えない。みんなから逃げて、自分から逃げて、現実から逃げて、その先に何があるの? 何が残るの? 何もないじゃない。その結果自分も他人も信じられなくなるし頼れなくなる」

「そして三つ目、自分に誇りを持ちなさい。『障がい』を『障がい』って捉えるんじゃなくて『個性』って捉えるだけでも随分変わるじゃない。そう、三人はみんなと違う視点から物を見ることができる、これのどこが劣っているというの?」

「これ全部やるにはまずは見方を変えること、そこからやりなさい。これは前に光ちゃんにも言ったけど『何とかのせい』って考えるんじゃなくて『何とかのおかげ』って考える。これをやるだけでも違うわよ。それだけで物事をポジティブに考えられるようになるから」

「次、それ以外の人たちね。まずはこの三人を特別扱いするのをやめなさい。これは世の中全体に言えるけどそもそも『健常者』と『障がい者』って分け方がおかしいのよ。同じ人間なのに何で同じに接せないの? おかしいと思わない? これは一種の差別よ、そこから生まれるのがさっき言った被害者意識だったりするんだから。そんなのは絶対ダメ」

「二つ目、無用な手助けはよしなさい。助けてほしいときは本人が助けてほしいサインを出すから、それが言葉か行動かは人それぞれだけどね、過度な助けはいろいろな差を浮き彫りにさせるから。でももし助けてほしいって言われたらその時は全力で助けてあげる。そのために今回来たんでしょ?」

「三つ目、三人の立場になってよく考えなさい。その立場に立って初めて見えてくるもの、感じてくるものとか絶対にあるから、だからお互いを知るためにまずはよく話しなさい。形式的なものじゃなくて相手の顔をしっかりよく見て」

「ここからは全員の共通事項ね。これも光ちゃんに言ったけど完璧な人間なんてどこにもいないのよ。だから劣等感を持つ理由なんてないじゃない。私なんかこう見えて運動まったくダメだから。みんなにもあるでしょ、他と比べて自分が劣っている部分とか。だから自分を卑下しない。あとさっきも言ったけど『せい』じゃなくて『おかげ』って置き換える。更科さんで考えると脚が動かない『せいで』って考えるのはダメ。脚が動かない『おかげで』って考えるのよ。こう変えるだけでも印象だいぶ違うでしょ? それに実際、脚が動かない『おかげで』今のこの関係がある。それ無しじゃ絶対ここには辿り着かない。みんなあなたの『おかげで』この場にいるのよ。この二つだけでも覚えておきなさい」

「長くなっちゃったわね、あと最後に、これからはみんな『親友』ね。『友達』じゃないわよ」


 長々と語られた説教、いや、説法か。こんなことは道徳の授業でも教えられることはない。そんな機会がそもそもないのだ。そう考えると母親の言っていたことがよくわかる。俺たちがこうして集まることなんかもはや奇跡と言っていい。だからその奇跡を無駄にしてほしくない、お互い会話をしてほしい。これが母親の考えなのだろう。前に俺が教えられたことにも通じる。


 『友達』じゃなく『親友』か。少し前までは『友達』であることすら認識していなかったのに。飛躍しすぎているとは思うが反論しようとも文句を言おうとも思わない。


「はい!」


 みんながこう返事をしているから。学校生活のやり直し、新たな門出、どの言い方が正しいのかはわからない。でもここから確かに始まった。みんな一緒に。


 少し前まで止まっていた時計は動き出し、それがみんなと合わさって同じ時間を刻み始める。


「みんな、ありがとう・・・」


 更科が泣いている。それを見て隣にいる本田、日向が寄り添っているのが見えなくてもわかる。更科が落ち着いた後


「葵ちゃん、明日学校行けそう?」


「はい、努力します」


「大丈夫! 何かあったら私たちが助けてあげるから!」


「雛が最初に言うはずだったのに・・・」


「みんな同じ気持ちだから誰が言っても変わらないぞ、雛」


「そうそう、俺たちも遠慮なく頼ってくれていいよ。自慢じゃないけど世話役としては一流だからな」


「世話役一流って」


「かけられ役一流の俺が太鼓判押してやる」


「えっと、わ、私も、まだ中学生ですけど、何かあったら言ってください」


「わたしも、あなたおたうけます」


 俺を含めてみんな口々に言っていく。それに更科は


「うん、よろしくね!」


 今までの声とは明らかに違い明るいトーンになっていた。それを聞いて一気に場の空気が緩んでいくのを肌で感じた。その後もしばらく他愛のない話が続いた。


× × ×


すっかり日が暮れた後、全員が解散してしばし、夕飯を囲みながら


「いやぁよかったよかった」


「俺たちほとんど何もしてねぇ」


「そうね、だから、これからしていくのよぉ」


「それって私も入ってる?」


「もちろん、かえでも『親友』でしょ?」


「うん」


「それはそうと光ちゃん、さっきの発言の真意を聞こうじゃない」


「どの発言だよ」


「お前は馬鹿だって言った辺りよぉ」


「ああ、あれは俺の率直な感想だ」


「感想?」


「あいつの話を聞いていると、何だか前の自分を思い出すような感じがしてな。今だからこそああやって言えたが多分一年の時じゃ、ああは言えなかったな」


「そうねぇ、私も同じこと考えてたわぁ。だからかな? 余計放っておけなかったというか、同じことになってほしくないっていうか」


「ああ、俺も人のこと言えたガラじゃねぇのによ」


「それじゃああれってお兄ちゃん自分にも言ってたの?」


「そうだな」


「ふーん、成長したじゃない」


「いきなり何言いだすんだよ」


「別にぃ」


「はぐらかすなよ」


 いつものようにこんな会話をしながら夕食を食べる。いや、いつもとは違うな、心のしこりが取れたかのような感じがして清々しい。非常に気が楽だ。だからだろうか、会話は弾み食事も進む。いつもこの三人で囲んでいるのに今日はとても賑やかだった。周りに人がいるんじゃないかと、そう錯覚するほどに。

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