第一章 ~『カツアゲされた姫様』~


 世界は大別すると東側諸国と西側諸国の二つのエリアに分けられている。二つのエリアは険しい山脈で区切られていることもあり、旅人や行商人が行き来するのみで、ほとんど交流がない。そのため東側諸国と西側諸国でエリアをまたいだ戦争は起きたことがない。


 だが西側諸国同士での争いは絶えず起きていた。特に魔人が中心の社会である魔王領と、人間中心のサイゼ王国。この二大国の戦火は年を重ねるごとに拡大していった。そんな二大国の傍にはさらにいくつかの国家がある。西側諸国で三番目の国力を有し、人間と魔人が共存するシャノア共和国や、ハイエルフとダークエルフが住む自然豊かなエルフ領。それ以外にも多種多様な小国家が存在したが、どの国も共通で抱える悩みが存在した。それは戦争を戦い抜ける強靭な兵士の不足である。


 そんな現状を打破すべく、政府は男女の魅力として最も重要視すべきは戦闘能力だという風潮を作り出した。その風潮は最初こそ中々広がらなかったが、幼少時代からの刷り込み教育の成果により、モテたければ強くなれというのが男女共に当たり前になった。そしてその風潮は現代にも引き継がれている。


 ニコラは採用試験を受験するため、試験会場へと向かっていた。柿色の煉瓦造りの家々が並ぶ景色は彼にとって見慣れたものだが、どうしても慣れない光景があった。


 シャノア共和国は、異種族たちによって形成された移民国家であり、エルフ族、ゴブリン族、巨人族、オーク族、そして人間族が仲良く暮らしている。特にニコラの住む首都シャノアは、魔王領とサイゼ王国に国境が近いため、住人のほとんどは二大国の戦争に反対し、友好を望んで移住してきた者たちばかりであるため、魔人と人間の間に軋轢は少ない。人間中心のサイゼ王国出身であり、勇者パーティの一員として魔人は悪であるという文化で育ってきたニコラにとって、魔人と人間が仲良く暮らす姿はいまだに信じられない光景だった。


「困ったことになった」


 ニコラは自分が財布を忘れてしまったことに気づいた。試験会場へ行くためには交通費が必要になるが、今から財布を取りに戻っても試験までに間に合わないし、話したこともない他人から金を借りられるほどに、彼は社交的ではなかった。


「てめぇ、よくもやりやがったな!」


 ニコラが石畳の道を歩いていると、どこからともなく胴間声が聞こえてきた。声のする方向を見ると、丸太の様な腕をしたオークと金髪蒼眼のエルフの少女がもめ事を起こしていた。


 エルフの少女はきめ細かい白磁のような肌に、絹のような金色の髪がどこか幻想的だった。目鼻立ちも完璧と云える造形で、顔だけで評価するなら非のつけどころがない。だが彼女が異性にとって魅力的かと云われれば、答えは否である。怯えたような表情に、触れれば折れてしまいそうな細い腕。強さとは程遠い彼女に言い寄る男は皆無であろう。そんなエルフの少女が、凶暴なオークに絡まれている。


 エルフの少女はどこかの学生なのか、校章の刻まれた白のブラウスに、タータンチェックのスカート姿をしている。そんな彼女を際立たせている首から掛けられたネックレス。琥珀色に輝く宝石は一目見ただけで高価だと分かる。つまりオークの男は裕福なエルフの少女から金を巻き上げようとしていたのだ。


「ぶ、ぶつかってきたのは、あなたの方ではないですか……」

「うるせえっ! てめえのようなブスに触れられたせいで、俺の一張羅が台無しだ。慰謝料払ってもらうからな」

「そ、そんなぁ……」


 少女は今にも泣きそうな表情を浮かべていた。二人のやりとりを静観していたニコラはニヤリと笑う。


「チャンス到来だ」


 ニコラは石畳の街道を速足で歩き、オークの男とエルフの少女へ近づく。二人は近づいてくる彼の姿に気づかない。


「走れ!」


 ニコラは二人の間に割り込むと、少女の手を掴んで走り出した。急に引かれた手に思考が追いつかないのか、少女は黙って彼に付いていく。その背中をオークが鬼の形相を浮かべて追いかけてきた。


 ニコラは人の目に付かない場所へ逃げようと、エルフの少女の手を引き、裏道へと逃げる。衛兵や騎士に見つかれば面倒なことになる上に、目的を果たすことができないと考えた彼は、誰も知らないような道を進み、大通りから遠ざかっていった。


「ここまで来れば――」

「残念だったな。袋のネズミだ」


 行き止まりとなった壁を背に、ニコラはオークと相対する。オークは嗜虐的な笑みを浮かべながら、無遠慮に近づいてくる。隙だらけの油断した動きを見逃す程、彼は甘くない。一瞬でオークの懐に入り込み、風船のように膨らんだ腹を容赦なく殴る。一瞬の出来事に何が起こったのか分からぬまま、オークは悶絶してしまった。


「あ、あなたは誰なのですか?」

「俺は無職、ではないな。教師になる予定の男だ」

「教師ですか?」

「シャノア学園を知っているか? そこの教師になるのさ」

「知っているも何も、今日から私もシャノア学園の生徒ですよ」

「嘘だろ。その貧弱な身体でか?」

「だからこそです。こんな自分を変えたくて、お父様とお母様に、学園へ行くことを認めてもらったのです」


 えっへんと胸を張るエルフの少女は愛らしさこそあったが、強さは微塵も感じられない。サテラからシャノア学園のカリキュラムを聞いていたニコラは、少女が入学後、苦労するであろうことを確信した。


「そういえばお礼がまだでしたね。私はアリス。学園の一年生です。助けていただき助かりました」

「俺はニコラだ。よろしくな」

「本当に助かりました。一時はどうなることかと」

「気にするな。俺には俺の目的がある」


 ニコラは当初の目的を遂げるべく、気絶したオークの身体をまさぐり始める。


「財布、財布っと、おおっ、あった! しかもたんまりと持っているぞ。金貨が一三枚。これだけあれば、学園への交通費としては十分だろう」


 この世界な交通手段は主に三つ。一つは遥か昔から変わらない馬を利用した移動だ。例えば荷馬車は多くの物資を運べ、小回りも効き、何より料金が安い特徴がある。二つ目は龍による移動だ。こちらは一度に運べる物資の量は少ないが、空路なので渋滞がなく、移動速度は馬よりも速い。だが天候に左右されてしまう欠点がある。そして三つ目は移動魔法による瞬間移動だ。これは魔法陣を設置した場所同士を一瞬で移動できる優れものであり、あらゆる交通手段の中で最も早く移動できる。しかし魔法陣の設置には熟練の魔法使いが膨大な工数を費やす必要があり、各国の首都や、重要拠点にのみ置かれている。また設置までに時間が掛かるため、小回りが利かない欠点もある。


魔法陣による移動魔法は一度使うたびに使用料が必要になる。一度の使用料は距離によって変わるが、首都シャノアから学園までなら銀貨一枚程度なので、奪った金貨で十分すぎるほどだった。


「お金を盗るのですか?」

「こいつはカツアゲしようとしていたんだ。金を奪われても文句を言えんだろう」

「それはそうかもしれませんが……」

「ともかくアリスには関係ないことだ。気にしないことだな」


 目的を遂げたニコラはこの場から立ち去ろうとした。その時だ。女の怒声が裏路地に響き渡る。


「姫様!」


 声がした方向に視線を向けると、褐色の肌とピンと伸びた耳を持つ、ダークエルフの少女が立っていた。透き通るような銀色の髪と月のように輝く黄色の瞳は芸術品のように美しいが、その美しさを台無しにするような怒りの形相を浮かべている。校章の刻まれた白のブラウスのおかげでシャノア学園の生徒だと分かる。


「貴様、こんな裏路地に姫様を連れ込んでどういうつもりだ?」

「いや、俺は――」

「問答無用!」


 褐色の少女が一気に間合いを詰めて殴り掛かってくる。間合いの詰め方や殴るときの体重の乗せ方から、少女がかなりの実力者だと察せられた。


 だがニコラからすれば所詮は生徒の一人。問題にならないレベルだ。少女のパンチを躱すと、ブラウスの襟を持ち、背負い投げた。投げられた少女は背中から地面へ落とされる。ダメージを軽減するため背中から落とされたことに気づいたのか、少女は屈辱の表情を浮かべていた。


「イーリス、何をしているのですか?」

「姫様がどこかへ連れ去られたと聞き、助けに参ったのです」

「私は大丈夫です。先生――になるかもしれない人が助けてくれましたから」

「この男が……」


 イーリスと呼ばれた少女が値踏みするような視線をニコラへと向ける。


「……すまない。てっきり姫様に害をなす悪人かと思った」

「勘違いで人を襲うとは酷い奴だな。それに俺の善良な顔を見ろ。誘拐なんてするように見えるか?」

「典型的な犯罪者顔だな。あと絶対友達いない」

「友達いないことは今回の話と関係ないだろ!」

「そうですよ、イーリス。人には常に優しくあれ。あなたは我が家の家訓を忘れたのですか」

「申し訳ございません、姫様」


 アリスに注意されて反省したのか、イーリスはしゅんとした表情を浮かべる。先ほどまでの強気な表情が嘘のようだ。


「先生が私たちの担任になればいいですね」

「担任になる以前に、試験に受からないとな」

「試験ですか……確か今日行われるのですよね」

「ああ。入学式前に学生たちへのアピールも含めて、公開試験が行われるんだ」

「時間は大丈夫なのか?」


 イーリスが懐から懐中時計を取り出す。そこには試験の開始時間をすでに過ぎた時刻が刻まれていた。


「まずいな。試験に遅刻なんてしたら、姉さんが怒り狂うぞ」

「私を助けてくれたから遅れたようなものです。よければ私の方からも学園に事情を説明しますよ」

「なら頼む。俺は急いで学園へ行く」


 そう言い残して、ニコラはシャノア学園へと走り出した。その背中を、アリスは微笑を浮かべて見送った。

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