第一章 ~『闘う決意』~

 アリスたちの腕立て伏せを見終えたニコラは、生徒たちに自習をさせ、一日が過ぎるのを待った。彼らに教えることで自分も強くなれるかもしれない、そう思ったからこそ、教師の話を受けたが、卑怯者と罵る彼らが大人しく言うことを聞くとは到底思えず、また彼自身もそんな相手に教えるつもりは毛頭なかった。


「どうせこのまま行けばクビになる。それまでの辛抱だな」


 生徒たちが求めてこない限り、ニコラはこのまま自習を続けるつもりだった。嫌々習うくらいなら、自習でもしていた方がマシだからだ。


「どこかに面白いことでもないかね」


 夕暮れの中、欠伸を漏らしながら渡り廊下を進む。下校時間を過ぎたこともあってか、人の姿はまばらになっていた。


「……喧嘩か」


 ニコラの耳に、誰かが揉めている声が聞こえてきた。その内の一つは今日聞いたばかりの声だった。


「アリスの声か」


 声がした場所まで行くと、緑色の肌をしたオーク族の女と、三人の男子エルフを庇うように立つアリスの姿があった。アリスはいつもの柔和な表情を崩し、怒りの形相を浮かべている。その理由はオーク女の嘲笑と、顔を赤く腫らした三人の男子エルフを見て、得心した。


「あの三人も俺のクラスの奴だな。仲間を傷つけられて怒ったということか」


 ニコラは姿を隠しながら、アリスたちに近づき、聞き耳を立てる。


「オークスさん、もう私の仲間をいじめるのは止めてください!」

「止めないさ。なにせあんたたち九組の連中は、私たち一組から殴られるために存在しているんだからね」


 オークスと呼ばれた女は丸太のような腕を組み、アリスたちを挑発する。土色の瞳を細めて、殴り掛かってこいと言わんばかりの表情を浮かべている。


「九組の奴らは皆クズさ。自分に実力がないから親の金の力に頼り、シャノア学園へ入学してきた卑怯者の集まりだ。そんなあんたたちに存在意義を持たせてやろうというんだ。私に感謝するんだね」

「オークスさん、あなたは自分勝手ですっ!」

「そう。私は勝手さ。だがね、力はあらゆる勝手を許容する。私が学年最強である限り、あんたたちは私のサンドバックになるしかないのさ」


 これから先も殴られ続けると思ったのか、三人の男子エルフは歯をガタガタと鳴らして震え始めた。


「分かったかい。これが九組の臆病どもさ」

「た、確かに憶病かもしれません。でもみんな優しい心を持っています!」

「優しい、こいつらが!! なら化けの皮を剥いでやる。おい、あんたたち。三人で殴り合いな。勝った奴はいじめのターゲットから外してやるよ!」


 オークスの言葉に三人の男子エルフは戸惑う素振りを見せたが、その内の一人が決意を固め、残りの二人を殴り始めた。負けまいと、二人も殴り返す。醜い争いが始まった。


「皆さん、やめてください!」

「はははっ、本当、あんたたちは醜いね。外見も性根も腐り果てている」

「わ、私の仲間を侮辱しないでください」

「いやだね。これからも馬鹿にし続けるし、いじめも止めるつもりはないよ」

「――っ」


 アリスは目尻に涙を貯めながら、拳を振り上げる。ニコラはその拳が振り下ろされる前に腕を掴んだ。


「やめとけ。オークスの狙いはお前に殴らせることだ」


 アリスはエルフの王族だ。一方的に殴ったとあっては問題になる。だから一度殴らせて、正当防衛で殴り返すつもりだったのだ。


「あんたのその顔をグチャグチャにしてやりたかったんだけど仕方ないね。姫に生んでくれた両親に感謝するんだね」


 オークスは教師のニコラがいる場で、このまま揉め続けるのはマズイと思ったのか、その場を後にする。三人の男子エルフたちも事情を追及され、オークスにいじめられているという話が広まることを嫌がったのか、気づくとどこかへ消えていた。残されたニコラとアリスは気まずい雰囲気の中、夕闇に立つ。金色の髪が夕日を反射して光り輝いていた。


「先生、私はエルフの姫なのに、誰も守れませんでした」


 アリスの瞳には涙が浮かんでいる。痛みによるものでも、悲しみによるものでもない。自分の実力が及ばないことに対する悔しさの涙だ。


「相手はオーク族の女だ。勝てないのも無理はない」


 オーク族はこの世界でもトップクラスの実力を誇る種族だ。圧倒的な筋肉と闘気量は、貧弱なエルフ族が立ち向かえるモノではない。


「先生、私は強くなりたいです」

「どんな手段を使ってでもか?」

「大切な者を守れるのなら、鬼にだってなります」

「そうか」


 気づくと、ニコラの口元から笑みが零れていた。最弱のエルフが紡いだ言葉は、本気で最強を目指す決意に満ちていたからだ。


「お前がどうしてもと言うなら、俺が指導してやる。もちろん他の生徒たちから卑怯と罵られるかもしれない」

「卑怯でも構いません」

「本当にいいのか? 俺の元弟子は卑怯者扱いされることを嫌悪していたぞ」

「仲間を守れるのなら私は馬鹿にされても構いません。私を弟子にしてください」


 アリスが頭を下げる。金色の髪が夕暮れの中で輝き、ひらりと払われる。この娘を最強にしてやろう。ニコラはそう考えるようになっていた。

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