第一章 ~『初めての授業』~
採用試験に無事合格したニコラは、あくびを漏らしながら学園の廊下を歩いていた。彼が担当するのは今日入学してきたばかりの一年生たちで、彼らの教室は学園の端にひっそりと建てられていた。
「まるで隔離クラスだ」
この学園の生徒たちは種族によって教室を分けられている。オークならオーク族の集まる教室、人間なら人間族の集まる教室に振り分けられるのだ。
だが種族の垣根を超えたクラスが二つ例外として存在している。一つは学年最強の生徒だけを集めたエリート集団の一組である。そしてもう一つのクラスは、ニコラの担当する九組で、入学してきた一年生の中でも劣等生ばかりが集められていた。
弱いと分かっているのなら、最初から入学させなければ良いではないかとも思えるが、理由を知り、ニコラは納得した。筋力も闘気も劣る彼らを入学させているのは、彼らの未知なる実力に期待してではなく、親からの莫大な寄付金が目当てだったのだ。そのため家が貴族であったり、大商人の親族だったりする者が多いとも聞かされていた。
「ここだな……」
教室の扉を開けて中へ入ると、生徒たちの視線が一斉にニコラへと向けられた。そのどれもが不快感を隠そうともしない鋭いモノだった。
ニコラも教室の生徒たちを観察するように視線を巡らせる。貧弱な肉体に貧弱な闘気量。金で入学したという話は本当なのだと理解した。
「貴様、ここに何をしに来た!」
褐色のダークエルフの少女が立ち上がると、ビシッとニコラを指さす。嫌悪感を隠そうともしない少女の顔に見覚えがあった。
「確か路地裏で投げ飛ばした……イーリスだったか」
「私の質問に答えろ? 何をしに来たのだ!」
「俺がこのクラスの担任になった。だからここにいる」
「お前のような卑怯者から学ぶことなど何もない! 早々に立ち去れ!」
イーリスの言葉に迎合するように、教室中から「そうだ、そうだ」という声が響く。卑怯者コールが鳴り響き、次第にニコラのトラウマが蘇ってくる。勇者パーティから追放された時もこんな風に袋叩きにあったのだ。
「おい、馬鹿ども。学園一の劣等生どもが教師を選べる立場だと思っているのかよ」
トラウマがニコラの理性と我慢を吹き飛ばし、教師とは思えない言葉が生徒たちに放たれた。卑怯者コールは静まりかえり、生徒たちは黙り込む。
「そもそもだ。なぜ新人の俺に、このクラスが回ってきたと思う?」
「それは……」
「このクラスを引き受ける教師がいなかったからだ。つまり俺は学園一の劣等生たちの担任という貧乏くじを引かされたのさ」
ニコラを非難していた生徒たちが悔しそうな表情を浮かべる。彼らとて自分が実力ではなく、親の力で入学した事実を良く理解しているのだ。
「お、俺たちは確かに劣等生かもしれない。けれどイーリスさんは違う。彼女はこの学園でも五指に入る実力者だ」
「この程度で五指に入れるのかよ」
「なっ!」
「だが九組のポンコツどもの中では一人だけマシな闘気ではある。その理由は察しが付く。アリスの護衛としてこのクラスにいるわけだ」
イーリスの隣の机で教科書と睨めっこをしている金髪の少女、アリスが目に入る。彼女の筋量と闘気量は一般人よりも劣るレベルだ。シャノア学園によく受かったモノだと思っていたが、タネを明かせば、彼女は王族という地位のおかげで入学できたにすぎない。
ニコラはアリスの様子を観察する。彼女は教室が騒がしいにも関わらず、教科書から目を離そうとしない。凄まじい集中力だった。
「まぁ良い。俺も望まれていないのに教えるつもりはないからな。勝手に自習していろ」
教卓にうつ伏せになると、生徒たちはポカンとした表情を浮かべるが、自分から教わることはないと言った手間、何も言うわけにもいかず、素直に自習を始めていく。
「あんな卑怯者がいなくとも我らが手を合わせればより強くなれる」
自習方法は皆、さまざまであった。アリスのように教科書片手に勉強する者、イーリスと共に、教室の後ろで腕立て伏せや腹筋を始める者、中には闘気量を増やすために座禅を組んでいる者もいる。
ニコラはうつ伏せになった腕の隙間からその様子を伺いつつも、内心ため息を漏らす。彼らが劣等生と呼ばれていることに納得したからだ。
「見どころのある奴はイーリスだけか」
ニコラは一瞥しただけで、その者の実力におおよその当たりをつけることができる。例えば腕立て伏せは身に纏う闘気を身体のどこに分配するかで格闘センスが分かるし、座禅なら無意識に闘気を垂れ流すのではなく、最大闘気量を増やすために意識して体から闘気を放出しているかどうかで、応用力や思考力を推し量ることができた。
「あいつらも確認しておくか」
ニコラはうつ伏せを止めて、黙々と座学に勤しんでいる生徒たちから、教科書を没収していく。突然教材を奪われた生徒たちは困惑の表情を浮かべる。そんな生徒たちの中にはアリスも含まれていた。
「な、なにをするのですか?」
「お前たちの強さを確認しておく。教科書を読んでいた奴らは腕立て伏せをやってみろ」
生徒たちは「自習じゃなかったのかよ」と、不満の声を漏らすが、ニコラは無視して腕立て伏せを強要する。生徒たちは弱々しい動きで、腕立て伏せを繰り返していく。一人の生徒を除いては。
「アリス、もしかしてお前……」
「恥ずかしながら腕立て伏せができないのです」
「もう一度やってみろ」
腕立て伏せは筋量が少なくとも闘気を上手く運用すれば、女子供でも容易にこなすことができる。
何が悪いのか観察するため、アリスに腕立て伏せを再挑戦させる。貧弱な闘気は腕立て伏せの力さえ生み出せず、腕を崩して、床に伏してしまう。
「やはり上手くいきません」
「今度は上半身だけに闘気を集中した状態でやってみろ」
闘気は全身から放つことも可能だが、強化したい部分を限定することも可能だ。腕立て伏せは主に腕と胸の筋肉を使用する。つまり顔や足を闘気で覆っても無駄な闘気を放出するだけなのだ。
アリスはニコラからの助言通りに腕立て伏せを行う。今度は途中で崩れることなく、無事腕立て伏せを成功させた。
「闘気を特定の箇所に集めるのは上手いんだな」
「はい。私は筋肉も闘気も少ないですから。闘気の移動速度くらいは速くしておきたかったのです」
卑下するようにアリスは話す。彼女がこの力の本当の価値に気づくのはまだ先の話だった。
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