第一章 ~『山から降りた無職』~
人はなぜ働くのだろうか?
後世にまで名を遺す立派な人物たちは、往々にして働かない。世界の謎を解き明かした賢者や、多くの人を感動させた芸術家は、パトロンの庇護を受けながら自分のしたいことだけを追求する。その生き様は親族の脛を齧りながら自分のやりたいことを自由にして生きる無職そのものではないか。
「だから武闘家は働いたら負けだと思うのだよ」
ニコラが悟りでも開いたかのような表情で告げると、対面のソファに座る黒髪の女性が、眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情を浮かべた。
「…………」
「武闘家の日々は常に鍛錬が求められる。肉体維持に技の練度向上、その道は終わりがない。さらに働くと社会とのしがらみができてしまい、命を賭けることを躊躇わせる。だから俺は働かないのだ」
「あなたの言い分は分かったわ。これからも私の脛を齧り続けていきたいということね」
「つまりはそういうことだ」
女性の眉間に刻まれる皺が深くなっていく。怒りを抑えこむ時、彼女はいつだってこの表情を浮かべる。
「あなたが弟でなければ、いますぐにでも追い出してやりたいわ」
「あはははっ、俺は素敵な姉を持てて幸せだな」
腰まである黒髪と大きな黒い瞳をした女は名前をサテラといった。戸籍上の関係は従姉同士だが、姉弟同然に育てられてきたため、今では家族としての関係を築いている。その姉に養ってもらっているのが、ニコラというわけだ。
こんな関係になったのは半年前のことだ。勇者パーティを追放されたニコラは、人との関わりをなくすために、職を持たず山籠もりをしていた。だがそんな生活をいつまでも続けていてはマズイと、彼の食費を払い、住む家を提供してくれたのが、サテラというわけだ。だが半年間、一度も働こうとしない弟に、さすがの彼女も我慢できなくなっていた。
「そもそも俺は金に困っていない。姉さんが衣食住を提供してくれるし、小遣いが欲しければ親切な盗賊どもから奪えばいいからな」
サテラは大きなため息を吐く。ニコラは実戦訓練と称して、国境付近に潜伏する山賊のアジトを襲撃するのを日課としていた。彼にとって山賊とは引き出しに手間のかかる貯金箱のようなモノで、社会のゴミ共を掃除できることに、一種の達成感さえ抱いていた。
「その盗賊たちから奪ったお金はかなりの金額だと聞いているのだけれど、いったい何に使っているのかしら?」
「秘密だ」
「あなたのことだから、どうせ禄でもない理由なのでしょうね」
サテラは不機嫌を隠そうともせずに、再びため息を吐く。
「そんなにため息ばかり吐いていると幸せが逃げていくぞ」
「余計なお世話よ!」
「それにだ。姉さんはどうしてそんなに俺を働かせようとするんだ。一生遊んで暮らせるだけの金持ちなのだから、俺一人養うくらい構わないだろ」
「はぁ~、これが伯爵家の跡取り息子だなんて」
「伯爵は叔父さんに名誉として与えられただけの称号で、領地も何も与えられてないんだ。俺は名誉なんていらない。姉さんが結婚したら、その旦那にでも継がせればいいさ」
ニコラの叔父、つまりサテラの父親であるチルダは冒険者として世界で五本の指に入るほどの成果を残した。オーロリー家のチルダといえば知らぬ者はいないほどに名前が知れ渡り、その功績として王から伯爵の称号と、末代まで遊んで暮らせるだけの金貨を与えられた。順当に進めば、伯爵の称号は男子であるニコラがそのまま継承する予定となっていたが、彼は権力に興味がなく、サテラの自由にすればいいと考えていた。
「そういや叔父さん、今回の旅は長いな。どこへ行ったか心当たりはないのか?」
「あるはずないでしょ。相変わらずの行方知れずよ」
「叔父さんなら、俺の働きたくない気持ちも理解してくれると思うんだがな」
「あの人は何も考えていないだけよ。けれど私は違う。私は父さんのお金を自由に使う許可を得ているわ。だからあなたを養うことも容易よ。けれどね、このお金はあなたを穀潰しに育てるためのものじゃないのよ」
「穀潰しとは失礼な。さすがの姉さんでも怒るぞ」
「家から出ていくなら、怒ってくれて構わないわよ」
「温厚な俺が怒るはずないじゃないですか、お姉様!」
眉間にしわを寄せるサテラと、謝罪するニコラの姿は対照的だった。姉のサテラは大きな瞳に、筋の通った鼻、色素の薄い唇は煽情的な魅力を放っていた。さらに白い肌と身に纏う黒のドレスが彼女の魅力を際立たせている。
一方、弟のニコラは顔こそ整っているが、手入れされていない黒い短髪に、死んだ魚のような生気のない黒い瞳と無精髭、それに加えてボロボロの胴着姿のせいで、折角の容姿が台無しになっていた。
「とにかく、あなたには働いてもらいます」
「あはははっ、チョー受ける。俺みたいな無職のゴミを雇う職場なんてあるはずないじゃん」
「あなたがどうしようもない駄目人間だと知っている私が、そのことについて何も考えていないとでも? 私が仕事を斡旋するわ」
「仕事か。もちろん給料が高くて、休みも多くて、働かなくても文句を言われない職場なのだろうな?」
「そんな仕事あるはずないでしょう。けれどね、あなたにピッタリの仕事よ」
「ちょっと待ってくれ。俺は本気で働くつもりはないんだ。理由は姉さんも知っているだろ」
「ええ。脛を齧って楽して生きていくためでしょう」
「…………」
「冗談よ。でもね、あなたもそろそろ過去のトラウマを克服して人間社会に溶け込んでいかないと。世の人たちはあなたが思うほど悪い人ばかりではないわよ」
「……一応聞くが、何の仕事なんだ?」
「私が学校を経営している話はしたわよね。丁度欠員が出て、新しい教員を募集しているの。あなたにはそこで教師になって貰うわ」
「俺が勉強を教えられるとでも」
ニコラは人生のほとんどを武闘家として過ごしてきた。そのため学力は国内でも下から数えた方が早い。
「勉強を教えられるとは思っていないわ」
「なら何を教えるのだ」
「あなたも知っての通り、出生率が落ちていることが社会問題になっているわ」
「随分と話が大きくなったな」
「話は最後まで聞いて。出生率を上げるためには結婚する男女を増やさないといけない。そこで男女の魅力を学校で磨くべきだという声が挙がったの。そこで生まれたのが、私の学校」
「魅力的な男女か。それはつまり――」
「ええ。強さよ」
一昔前までは異性に対する魅力とは、収入や顔や知能だった。だがそれも昔の話。今はどれほど収入が多くとも、どれほど顔が整っていようとも、どれほど頭が賢くても、弱ければ評価されない。もちろん収入と顔と知能が優れていることが魅力であることに変わりはないが、魅力に対する強さの比重があまりに大きくなりすぎたのだ。
そんな風潮を指して、ある評論家はこう表現した。人間の価値は筋肉で決まると。男女ともに強者を求める世界で、強さを提供する学園の存在は、需要に応えた必然であった。
「あなたは無職の穀潰しだけど、勇者パーティの一員だったし、武道の腕前は相当のモノ。教師として採用されるはず。人に教えることで、あなたも成長できるはずよ」
あながち的外れな意見でもなかった。武術家の中には弟子を取ることで強くなる者も存在する。教えるという行為により、今まで体で学んできた内容を体系的に整理することで、技の練度が増すのである。
「学園で教師か~、対人スキルのない俺が馴染めるか不安だ」
「大丈夫よ。教師の中には人間以外の種族、例えば巨人族やドワーフ族もいるけれど上手く溶け込んでいるわ。人間のニコラならすぐにみんなと仲良くできるはずよ」
「だといいがな」
「あと付け加えておくけど、採用試験があるから、頑張ってね」
「試験か。面倒だが仕方ないな」
ニコラは試験があるという話を聞き、口元に笑みを浮かべる。試験に落ちて教員になれなかったとなれば、さすがのサテラも仕方ないと、彼の無職生活を認めるに違いない。
「あ、ちなみに試験は私も見に行くから。もしワザと試験に落ちるようなことがあれば、あなたをこの家から追い出すからね」
「えっ?」
「路頭に迷いたくなければ死ぬ気で挑みなさい」
有無を言わせぬ笑みを浮かべるサテラを前にして、ニコラはただただ頷くのだった。
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