第一章 ~『捕らわれた女剣士』~


「囚人番号一六、面会だ!」


 シャノア共和国と魔王領の国境沿いに設置された罪人を捕らえるための収容所で、一人の女性が看守に呼び出される。


 その女性はかつてサイゼ王国一の剣士とまで云われ、赤髪の乙女のジェシカといえば誰もが知る名前だった。だがそれも過去の栄光。今の彼女は汚れた赤い髪と生気のない瞳、まるで浮浪者のような佇まいをしており、一見しただけでは彼女を知るものでも気づくことはできないだろう。


「私に面会したい奴とはいったい誰なのだ?」

「我が国の将軍様だ」

「将軍がいったい何の用事で……」

「私は聞いていない。面会室で本人に直接聞くのだな」


 案内された面会室は、収容所の中でも賓客が訪れた時にだけ使用している部屋だった。赤い絨毯を踏みつけて部屋の中に入ると、蒼の皮鎧姿で、勲章を胸で輝かせる男が立っていた。


「私はシャノア共和国の将軍の一人、ライズウッドという者だ。君は元勇者パーティの一人ジェシカだね」

「はい」


 ジェシカが収容所に罪人として捕らえられているのには理由があった。彼女はジェイの浮気をきっかけに勇者パーティを離れ、サイゼ王国へと戻る道中、魔人を見かけて斬りかかったのだ。だが彼女が襲ったのは戦争をしている魔王領の魔人ではなく、サイゼ王国と友好関係を結んでいるシャノア共和国の魔人だった。


 ジェシカは気づかない内に魔王領の国境を越えてしまい、シャノア共和国の領内にいると知らなかったと弁明したが、サイゼ王国としても彼女一人のために友好関係を崩すことはできず、ジェシカに出頭を命じたのだ。


「私も忙しい身でね。さっそく本題に入ろう。君はニコラという人物を知っているか?」

「ニコラ……」


 卑怯者として勇者パーティから追い出した幼馴染みの男の名に、ジェシカは胸を痛める。当時のジェシカは勇者であるジェイのことを崇拝していた。莫大な闘気と身体能力を駆使して、人類の敵である魔人を切り伏せていく。その鮮烈な強さにジェシカは夢中になった。彼の頼みならどんなことでも叶えてやりたいとまで考えていた。


 だがジェイは魔王に敗れ弱体化し、魅力を失ってしまった。さらに彼はメアリーだけでなく、数十人の女性と関係を持っていた。これではただの魅力のない浮気性のクズである。ジェシカはすぐに愛想を尽かした。


 ジェイと離れ、彼に対する信仰心を失うと、ジェシカはニコラを追放したことが間違いだったと後悔するようになった。彼の戦術は確かに卑怯だったが、生き残るために必要なことをしただけで、決して裏切って良い理由にはならないと今更ながらに気づいたのだ。


「ニコラがどうかしたのですか?」

「知っているのだな!」

「はい。ニコラは私の幼馴染みで、子供の頃は一緒に遊んでいましたから」


 ジェシカの母はニコラの家で召し使いとして雇われていた。そのため年の近いニコラとジェシカは共に遊ぶことも多く、子供の頃は兄や弟のようにさえ感じていた。


「君の幼馴染みのニコラという男について我々は調査していてね」

「……あいつ、何か罪でも犯したのですか?」

「いいや。ニコラは勇者を倒したのだ」

「ゆ、勇者をですか!」

「しかも指一本で、軽くあしらったそうだ」


 ジェシカは現在の女勇者が歴代最強の実力者だと噂されていることを知っていた。そんな女勇者を指一本で倒す。勇者パーティに所属していた頃のニコラであれば不可能なことであった。


「勇者を倒した男、ニコラについて我々は調査をした。すると山賊を狩ることで金を奪っていたことが判明した」

「あいつらしいですね」

「ニコラはその金の一部をある家に送っていたのだ。そしてその家がジェシカ、君の実家だ」

「え?」

「君の実家は職を失った貧しい母親と妹の二人暮らしだ。君が捕まるまでは君の給金でやってこられたのだろうが、その金がなくなれば収入はゼロだ。ニコラが金を送るまでは物乞いをしていたそうだ」

「う、嘘……」

「本当だ。だからこそ金の流れを遡り、私が君と面会しているのだ」


 ジェシカの手は震え、目尻には涙も浮かんでいた。ニコラはジェシカのことを恨んでいるだろう。だが彼は妙に義理堅く、境界線がしっかりとした男だ。裏切った張本人のジェシカを許すことはないだろうが、その家族は別だと考え、生きるための金を施してくれたのだ。


「もしニコラに会うことがあれば、私が謝っていたと伝えてください」

「断る。謝るなら君が直接頭を下げるべきだ」

「それはそうなのでしょうが、私は捕らわれの身です」

「分かっているとも。だから君にチャンスをやろう」

「チャンスですか?」

「我が国はニコラを味方にしたいのだ」

「味方にというと。あいつを軍に所属させたいと?」

「そうなれば最良だが、シャノア共和国にいてくれるだけでも良い。とにかく我が国は戦力が欲しいのだ」

「戦力ならば軍隊が――」

「軍隊か。それがいったい何の役に立つ。卓越した個人が指揮官を倒して回るだけで軍隊は瓦解するのだぞ」


 個人の武力に差がない状態なら軍団の意味は大きい。だが個人の力があまりに強大すぎる場合、数で押す戦術は体力こそ削れても倒すまでには至らない。闘気で身体を強化した人間を倒すには同レベルの実力が必要だからだ。


「魔王領には魔王が、サイゼ王国には勇者がいる。だが我がシャノア共和国には卓越した個人がいない。もし戦争になれば魔王か勇者、そのどちらかがシャノア城に乗り込んでくるだけで、我が国は敗北する」

「ですがシャノア共和国は魔王領とサイゼ王国、そのどちらとも友好的な関係を……」

「それは両国が戦争状態にあるからだ。戦争が終結してみろ。すぐにこちらに侵攻してくるぞ」


 同時に二カ国を相手するのは軍事学的に褒められた行動ではない。だからこそ現状の平和があるだけなのだと、将軍は続ける。


「とにかく抑止力が欲しいのだ。我が国も魔王や勇者に相当する戦力がいるのだと知れば、敵は簡単に手出しできなくなる」

「つまり平和のためにニコラが必要だと」

「その通りだ。そして君にはニコラを懐柔するための協力をしてもらう」

「…………」

「協力してくれるのであれば、牢から出そう。そして成功の暁には莫大な富を約束しよう。もちろん君とニコラ、どちらにもだ」


 ジェシカはどうすべきかを逡巡する。その迷いは莫大な富を得られるかどうかではなく、ニコラにとってどちらが最良であるかを考えるが故に生まれたものであった。


「受けます。きっとニコラにとっても平和な生活の方が良いでしょうから」

「おお! 助かるよ!」

「手始めにニコラをこの国に留めたいのなら、勇者を倒した話に箝口令を敷くべきです。あいつは目立つのを嫌がりますから」

「すぐに対処しよう」

「次に私をあいつのところに送ってください。必ず説得してみせます」

「期待している」


 ジェシカはニコラを説得するため収容所を後にする。彼女は平和のため、ニコラをシャノア共和国の味方に付けることを心に誓うのであった。


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