第一章 ~『勇者パーティの魔法使い』~

 勇者敗れる。この情報は魔王領にも拡散されることになる。それも当然でサイゼ王国との戦争で最大の障害と目されていた女勇者が敗北したというニュースは、魔王軍の戦意増大に繋がるからだ。


 だが一方で勇者を倒したのが人間の武闘家だという話も広まっていた。あれほど脅威に感じていた勇者を指一本であしらった男。どんな男なのかと、魔人たちの間で話題は尽きなかった。


「メアリー、同じ人間としてどう思う?」


 全身が筋肉の塊というべきサイクロプスの男が、足下の女中に話しかける。黒と白のエプロンドレスを身に纏った女中は、サイクロプスの世話係を任されていた。鮮やかな空色の髪とは対照的に、翡翠色の瞳は生気を失い、黙々と屋敷の掃除を続けていた。


「わ、私のような愚鈍で下劣なゴミ以下の存在が意見するなど、恐れ多くてとてもとても」

「ふっ、哀れな者だな。かつては勇者パーティの一員として我が魔王軍の幹部を何人も殺した魔法使いとは到底思えん」

「え、えへへへっ、わ、私が間違っていたんです。魔王軍の方々に勝てるはずもないのに、下等種族の私たち人間が調子に乗ってしまいました」


 メアリーはジェイの浮気をきっかけに勇者パーティを離れ、サイゼ王国へ帰還する道中で魔王軍の幹部に捕まり、捕虜となってしまった。最初こそは抵抗したが、牙を折るための折檻に耐えきれず、今では従順な捕虜として魔王軍に尽していた。


「そういえば女勇者を倒したのは武闘家だそうだ。確か名前はニコラと言ったか……」

「ニコラ……師匠……」


 メアリーはニコラという名前を聞き、瞳に生気を取り戻す。そして気づくと目尻には涙が浮かんでいた。


 勇者パーティにいた頃のメアリーは、ニコラの卑怯な戦術を理解できず軽蔑さえしていた。対照的に神話の英雄のように正面からぶつかっていく勇者ジェイに憧れと恋心を抱いていた。だが冷静になった今だからこそ分かる。ジェイは勇敢なのではなく、ただ動物のように無思慮な行動をしていただけなのだと。その証拠に彼はメアリーとジェシカという恋人がいながら、両手で数えきれないほどの愛人を抱え、最後には浮気が露呈して、すべてを失った。これは彼が獣のように何も考えずに色欲を求めた結果だった。


 戦争はお遊びではない。捕まれば死ぬ方がマシという処遇に堕とされるのだ。魔王軍から折檻を受けた今のメアリーならニコラの教えを理解できる。万全の手段を用いて、どんな卑劣な手段を用いても勝利をもぎ取る。それが魔王領との戦争という過酷な環境で生き残っていく術だったのだ。


「でも師匠……生きていて良かった……」


 メアリーは勇者パーティからニコラを追放する際に、背後から攻撃を浴びせた。当時のメアリーは卑怯者に罰を与えられたと達成感すら感じていたが、今の彼女に残っているのは裏切ったことに対する自責の念だけ。ニコラを殺してしまったのではという不安が、彼女の心を苦しめ続けていた。


「謝りたい……師匠に謝りたい……」


 メアリーが魔王軍で捕虜としての扱いを受けながらも自分で命を絶たなかったのは、もしニコラが生きているのなら、彼にどうしても謝罪したかったからだ。


 思い返せば、ニコラは優しい男だった。半人前だった頃からメアリーの世話を焼き、その卑劣な戦術で外敵から身を守ってくれた。さらに彼女が病気で寝込んだ時などは朝まで看病をしてくれ、本当の娘のように可愛がってくれた。それなのに彼の優しさに気づかず、そのお節介な性格をベタベタと煩わしいとさえ感じていた。


 恩を仇で返してしまった。裏切りの罪悪感が日々彼女を痛めつけていた。


「一度で良い……師匠の顔が見たい……」

「会ってみるか?」

「え?」

「勇者を倒した武闘家はシャノア共和国に所属している。つまり人間でありながら、魔人と人間が共存する世界で生きているのだ。莫大な金を払えば、我が魔王軍に取り込むことも不可能ではない」

「もしかして……」

「ニコラという男。顔見知りなのだろう。魔王軍にスカウトしてくるのだ。そうすればお前を捕虜から解放し、ニコラという男と共に魔王領の侯爵の称号を褒美としてやろう」

「侯爵……」


 魔王領で侯爵の地位が与えられれば、幹部として多くの部下と領地を与えられる。その権力はサイゼ王国内の大貴族以上だとも云われていた。


「そうそう、メアリー。お前には呪いを掛けてある。もし逃げようとすれば死ぬことになるからな」

「…………」

「見事ニコラを連れ帰り、二人で幸せに暮らせ。やってくれるな?」

「はい」


 メアリーは提案を受け入れ、シャノア共和国を目指す。かつての師匠と呼んだ男を魔王軍の幹部とするために。

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