第四章 ~『縦拳使いのフレディ』~


「私、捕まりたくない……」


 ジェシカは誘拐犯から逃れるために逃げ込んだ廃屋で、一人ポツリと言葉を漏らす。なぜこんなことになってしまったのかと、頭を痛めていた。


 ニコラの言葉を信じるならジェシカの居場所は既に特定されており、誘拐されるのも秒読みの状態だ。恐怖で手が震え始めるが、こんなことでは彼に笑われてしまうと、勇気を振り絞って、恐怖を振り払う。


「誘拐犯がいるなら出てくればいい。私は負けない」

「いいや、君は負けるよ」


 気づく間もなく、ジェシカの傍には若い男と老婆が立っていた。若い男は金色の髪と灰色の瞳をしていた。一見すると優男に見える顔立ちだが、彼が放つ禍々しい闘気がそれを否定している。


 老婆は黒い外套を羽織り、杖をついている。念話の妨害範囲から高位の魔法使いであることは間違いない。皺くちゃの顔はのっぺらぼうのように無表情だ。


「あなたたち、何者?」


 少しでも情報を集めようと問いかけるが、老婆は沈黙で返した。だが若い男は楽しそうにニヤニヤと笑う。


「僕はフレディ、そしてこっちの老婆はバニラ。君を誘拐する犯人たちだよ」

「……私を誘拐してどうするつもり?」

「僕たちの組織は強さを探求していてね。そのために君を利用したいのさ」

「……私に剣の稽古でもして欲しいのかしら?」

「僕より弱い君がかい。冗談でも笑えないね」

「なら私をどう利用すると?」

「とある魔導具を使用するための、生贄にしようと思っている」


 フレディは口元を歪めて笑う。まるで悪魔のような笑みに、背中に冷たい汗が流れた。


「僕たちの組織では、勇者や魔王を超える研究をしていてね。そこで生まれたのが、この『超人化の指輪』さ。この指輪は他者から生命力を奪い取り、装着した者がその力を得ることができるんだ」

「生命力ね……私の寿命でも欲しいの?」

「理解が甘いね。生命力は闘気や魔力の源でもある。強さの源をすべて僕のモノにできるのさ……でもこの魔導具は不完全でね。対象とできる人間は五人までだし、それに何より生命力を奪う際に、激しい苦痛が襲うからね。君ほどの強者でないと、耐えられないのさ」


 ジェシカはゴクリと息を呑む。このままでは生命力を奪われ、激しい苦痛に苛まれることになる。


 大人しく捕まるわけにはいかないと、ジェシカは腰から剣を抜いて、フレディへと剣先を向ける。彼女は王国一の剣士と称された実力者である。勝てずとも逃げるだけならばと、闘志の炎を燃やす。


「現実を受け入れられないとは悲しいね」

「諦めの悪い性格なのよ。それに私の剣を素手のあなたに防げるかしら」

「防げるとも。なにせ僕は最強の武道家だからね」


 フレディは親指を上にして、拳を縦にした状態で構えを作る。見たことのない構えに、ジェシカの額に汗が滲む。


「僕の縦拳に驚いているみたいだね。格闘術は世の中から廃れてしまって久しいからね。無理はないよ」

「格闘術って確か……ニコラが話していた……」

「おや、知っているとは驚きだね。格闘術を知る者は組織の武道家だけだと思っていたよ……ふふふ、どうせ僕より弱いだろうけど、そのニコラという男に興味があるな。是非、戦ってみたいね」

「……井の中の蛙とはあなたのことね」

「どういう意味かな?」

「そのままの意味よ。あなたは強いわ。でもね、ニコラはあなたより遥かに強い。決して彼には勝てないわ」


 ジェシカの挑発するような台詞に、フレディは怒りで眉根を潜めた。一触即発の空気に支配されていく。


「そして私もよ。あなたなんかに負けないッ!」


 口火を切ったのはジェシカの方だった。彼女は上段に構えた剣を大きく振り上げて、フレディに斬りかかろうとする。しかしその瞬間、彼は拳を縦に構えたまま、打突を放っていた。放たれた打撃は直突きと呼ばれる格闘術である。


 目標に向かって一直線で走る拳を、フレディの闘気がさらに加速させる。ジェシカの視界から拳が消え、気づいた時には顎を貫かれていた。脳を揺らされた振動で脳震盪を起こした彼女は、視界を白に染めて倒れ込む。


「ふふふ、やはり僕が最強だ。ニコラという男も、この僕に勝てるはずがない」


 フレディは狂乱の笑みを浮かべて、気絶したジェシカを見下ろす。誰よりも自分が最強だと自負する男の顔だった。



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