第四章 ~『教師としての復讐』~


「先生、起きてください。朝ですよ」


 アリスの鈴の鳴るような声でニコラは目を覚ます。瞼を開くと、金髪碧目の整った顔立ちが飛び込んでくる。


「道場で寝てしまったのか……」

「こんなところで寝ていては風邪をひいてしまいますよ」

「復讐を遂げるためにも健康は大切だからな」


 起き上がると、背筋を伸ばして、気持ちを切り替える。


「時間もあることだし、さっそく修行でもするか?」

「先生、よろしいのですか? 九組の生徒たちは先生が来るのを心待ちにしていますよ」

「……ジェシカがいるなら十分だろ」

「先生、不貞腐れちゃ駄目ですよ……それにモノは考えようです。なにせこれは大きなチャンスなのですから」

「チャンス?」

「先生がジェシカさんより素晴らしい授業をすれば、九組の担任はやはり先生しかいないと見返すことができます。何も暴力だけが復讐ではありませんよ!」

「確かに、俺の価値を分からせれば、ジェシカはクラスで居場所を失う! いいぞ、アリス! これでスッキリできるはずだ!」

「その意気ですよ、先生!」


 教師としてのやる気を取り戻したニコラは道場を後にする。復讐に燃える彼の足取りは軽い。九組の教室前まで辿り着くと、扉の隙間から中の様子を伺う。


「ジェシカさんはいないようですね」

「どうせ寝坊でもしたんだろ……だがおかげで好都合だ」


 恨みの対象であるジェシカがいては、いつも通りの平静さを保てる自信がなかった。彼女がいない内にクラスに馴染んでしまおうと、扉を勢いよく開く。


「待たせたな、お前たち。ニコラ先生の到着だぞ!」


 きっと生徒たちの笑顔と拍手が出迎えてくれるはずだと期待するが、ニコラの顔を見た彼らは小さく溜息を吐く。


「おい、昨日の歓迎ムードはどこへ消えた?」

「いえ、俺たちは別に先生を歓迎していないわけではないんですよ。ただジェシカ先生が心配で……」

「あいつ、風邪でもひいたのか?」


 だからこの場にいないのかと問うが、生徒たちは首を横に振る。


「実は……今朝、ジェシカ先生から念話の魔法でメッセージが届いたんですが……助けて欲しいとだけ言い残して、念話が途切れてしまって……」

「助けて欲しいか……どうせ家の中に虫でも出たんだろ」

「それなら良いのですが、いつもなら誰よりも早く登校しているジェシカ先生がいませんし、何だか俺たち不安で……」


 生徒たちのジェシカを心配する気持ちがニコラを苛立たせる。怒りが眉間に皺をよせ、気づくと拳を握りしめていた。


「どうせ大した理由じゃない。心配するだけ無駄だ!」

「でもジェシカ先生は意味もなく遅刻するような人じゃありません……きっと何かトラブルに巻き込まれたんだ……」

「あー、もう、分かったよ! そんなに心配なら、俺が念話してやる!」


 悩むより行動した方が早いと、ニコラは念話の魔法を発動させる。しかしノイズ音が流れるだけで、繋がる様子はない。異変を察知したのか、ニコラの表情が真剣なモノへと変わる。


「念話を邪魔する魔法が使われているな……」

「先生、それって……」

「トラブルに巻き込まれたってことだ」


 敬愛するジェシカの危機に、生徒たちはゴクリと息を呑む。場の空気が凍り付いたように、誰も言葉を発することができなかった。


 そんな時である。アリスがハッと表情を変えた。


「先生、ジェシカさんから念話が届きました!」

「どうしてアリスに……」

「分かりません。ただ私とジェシカさんは友人同士ですから……先生に直接念話をかけるよりは話しやすいと思ったのでしょう」


 ジェシカとアリスは武者修行中に出会った友人だ。だからこそ険悪な関係のニコラと直接話すよりも弟子のアリスを緩衝材にした方が話しやすいと考えても不思議ではない。


「ジェシカさん、いまどちらに? はい。なるほど……えええっ!」

「話の内容を俺にも聞かせてくれ」

「ジェシカさん、念話の内容を皆さんにも共有しますね?」


 アリスはジェシカに許可を取り、念話を共有状態へと変えると、人々の歓声が微かに聞こえてきた。その音から繁華街の近くにいることが察せられる。


「ジェシカさん、先生に繋げました。きっと助けになってくれるはずです」

『ニコラ……』

「ジェシカ、何かトラブルに巻き込まれたんだってな。ざまぁないな」

「先生!」

『いいの、アリス。私が悪いのだから……』

「ただ話だけは聞いてやる。いまどこにいる?」

『実は私、サイゼ王国のサイフォンという都市にいるの』

「サイゼ王国ってなんでまた?」

『それは……ニコラが教室に現れずに姿を消したでしょ。直接会って、謝りたくてね。サイフォンに住む人探しが得意な魔法使いに頼ろうとしたの』

「謝罪くらいで俺が許すとでも?」

『思わないわ。でも謝りたかったの……ごめんなさい……っ……』

「…………」


 自分のためにトラブルに巻き込まれた事実が、ニコラの憎悪を緩和させる。冷静になった頭で、話の続きを促す。


「はぁ~~それでどんなトラブルに巻き込まれたんだ?」

『実は……サイフォンに到着すると同時に、怪しげな二人組に襲われたの』

「ジェシカを襲う二人組か。随分と命知らずだな。どんな奴らだ?」

『一人は老婆で、もう一人は若い男よ。何かの組織に所属しているみたいで、他にも仲間がいることを匂わせていたわ……』

「強いのか?」

『強いわ。老婆は広範囲に対して念話遮断の魔法を使っていたから、かなりの魔法の使い手ね。運よく魔法の射程外に逃げられたけど、隙を付けなければ、この通話も繋がっていなかったわ』

「若い男の方はどうだ?」

『こちらの方がより厄介ね。私では逆立ちしても勝てる気がしないほどの強者よ。それこそ勇者に匹敵するかもしれない』

「勇者はさすがに大げさだろ」


 勇者はサイゼ王国の最高戦力だ。そんな人間が誘拐に手を染めるとは思えない。


『そうね。勇者は誇張だったかも。けれど少なくとも冒険者なら国内トップランクに相当する強さよ』

「それほどの敵に襲われる心当たりは……きっとあるよな。お前クズだし」

『反論できないわね。でも恨まれる心当たりがないの。それに相手の動きが怨恨目的ではなかったわ。まるで私を誘拐しようとするような意図を感じたの』

「……もしかすると営利目的の誘拐かもな」

『誘拐って、わざわざ私を?』

「サイゼ王国には強者専門の誘拐を生業にしている組織があると聞いたことがある。その組織の仕業なら、ジェシカが狙われたのにも納得できる」

『強者専門の誘拐って、そんなリスクの高いことをなぜ?』

「さぁな。なにせ理由はいくらでも思いつくからな」


 強さが魅力に直結するこの世界だ。優れている者を欲する可能性は挙げればキリがない。


「強者を誘拐するには、かなりの組織力が必要だ。勇者に匹敵する若い男もそうだが、人材も揃えているのだろう」

『そんな相手からどうやって逃げきれば……』

「無理だろうな」

『え?』

「だから無理だ。誘拐を専門にしているくらいなんだ。人探しもお手のモノだろう。すぐに追い詰められて捕まえられる」

『で、でも、一度逃げられたのだから、まだ可能性が……』

「ないさ。そろそろこの念話も遮断されるはずだ。集団で囲まれたら抵抗むなしく、連れ去られるしかない」

『そ、そんなの……っ……い、嫌……』


 ジェシカの声にノイズが乗り始める。ニコラが予言した通り、念話遮断の魔法により通信が妨害されていた。


「ジェシカ、おーい。聞こえているか?」

「ジェシカさん! 無事なら返事してください!」


 アリスとニコラの問いかけに念話先のジェシカは答えない。念話が完全に遮断されたと証明するように、虚しいノイズ音だけが残った。


「ははは、ざまぁねぇな。俺を裏切ったりするからバチが当たったんだ! お祝いのパーティでもやるか!」

「先生!」

「どうした、アリス?」

「ジェシカさんを救ってくれませんか?」

「さすがにお前の頼みでもそれは……」

「俺たちからもお願いします!」


 念話を聞いていた九組の生徒たちは、ジェシカを心配しながらも、自分たちでは何もできない無力感に苦しんでいた。そんな彼らが選んだのは、頭を下げることで、ニコラに託すことであった。


「お前たちの頼みは分かった。だが俺はジェシカのことが憎い。そんな奴を助けに行けと頼むのか?」

「…………」


 ニコラの声には強い怨嗟が含まれていた。そんな彼に無理強いすることはできず、生徒たちは俯いてしまう。だが一人だけ顔を上げる者がいた。ニコラの愛弟子であるアリスである。彼女は真摯な瞳を彼に向ける。


「先生はジェシカさんを助けるべきです!」

「いくらアリスの頼みでも俺は……」

「先生はジェシカさんを恨んでいるのですよね? その恨みを自分以外の誰かによって果たされることを良しとするのですか?」

「うぐっ……そ、それは……」


 相手を破滅させる一撃は自ら振り下ろすからこそ意味があるのだ。自分のあずかり知らないところで勝手に不幸になったとしても、ニコラの気が晴れることはない。


「先生が復讐を遂げるため。ジェシカさんを助けにいきましょう!」

「あーもう、分かったよ。ジェシカを助けてやるよ!」

「それでこそ先生です!」


 ニコラはジェシカを助け出すと宣言する。生徒たちの期待の眼差しを受けながら、彼は動き出すのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る