第二章 ~『インファイトの死角』~
「今の声は……」
ニコラが資料館で一人見張りをしていると、どこからか生徒の泣き叫ぶような声が聞こえてきた。聞き耳を立てると、声の主がオークスだと分かる。
旧校舎で非常事態が起きたと察したニコラは、護衛を任されていた本が盗まれてしまっても仕方ないと諦め、生徒たちを助けに行くことを決意して資料館を飛び出そうとした。そんな時である。入り口の扉がゆっくりと開いた。
「俺にも刺客が来たか」
訪問者はドワーフ族の男だった。小さい身体に詰め込まれた筋肉ははち切れそうな程に太い。白い髭と禿頭を見るに、かなりの高齢のように思えた。
「お主がシャノア学園の教師じゃな」
「資料館を守る警備員にでも見えるか?」
「随分と不真面目そうな警備員じゃのぉ」
資料館を放って、生徒たちの様子を見に行こうとしていただけに何も言い返せない。
「で、狙いはここの資料か?」
「いいや。お主そのものが狙いじゃ」
「どういうことだ?」
「我々の目的はエルフの姫を連れ去ることにある。だからお主のような邪魔者を排除するのが、儂の使命じゃ」
「狙いはアリスか。理由を聞いても良いか?」
「儂も知らん。ボスの命令で動いておるだけじゃ」
「なるほど。本の護衛は時間の無駄だったわけだ」
「そういうことになるのぉ」
「で、計画をペラペラ話すってことは、あんたは俺に勝てるつもりというわけだ」
「当然じゃ。ワシは今まで誰にも負けたことがないんじゃからな」
「奇遇だな。俺も背後から襲われて不覚を取ったことはあっても、一対一の闘いでは無敗なんだ」
ドワーフ男は闘気を開放する。刺すような闘気は、常人なら震え上がるだろうが、ニコラにとっては心地よい。
「それが全力か?」
「それはどうかのぉ」
「ははっ、最高だな」
相手の底が見えない闘い。これこそが武闘家同士の闘いだと、ニコラは歓喜する。ドワーフ男は、体重を前に乗せ、前進することに重きを置いた構えを作り、今にも飛びかかろうとしていた。
「さて、そろそろやるかのぉ」
「待て待て。ただ単純に殴り合うだけだとつまらん。どうせ俺が勝つからな」
「何を言いたいんじゃ」
「老人を相手にするんだ。ハンデをやるよ。蹴りは使わない」
「ほぉ、良いのかのぉ。ワシはこう見えても捌きの達人と言われておる。蹴り技がなければ、お主の打撃はワシに届かんぞ」
「いいさ。代わりに俺が勝てば、仲間の人数と得意技を教えろ」
「もう一つ条件を呑むなら教えてやってもよい」
「なんだ?」
「互いに足を止めての接近戦を提案する。避けられない距離で、お互いの拳を打ち合うんじゃ」
拳が命中する距離でのインファイトとなれば、蹴り技は役に立たなくなる。本当に蹴りを封印すると云うのなら、飲めるだろうと、暗に告げていた。
「良いだろう。足を止めて打ち合おう」
「その意気や良し。代わりと云ってはなんじゃが、先に情報を教えてやろう。ワシは全体像まで把握しておらんが、最低でも二人いることは知っておる。一人は元ランクDの冒険者で、遠距離からの踏み込みを得意としておる巨人族の男じゃ。まぁ、ワシより弱い。もう一人は今日初めて会ったのでのぉ。得意技は何も知らん」
「よし、これで心置きなく殴りあえるな」
事前に情報を聞いたことにより、ドワーフの男を気絶させても問題なくなった。
「さて約束通り」
「インファイトだ」
互いが拳の届く距離まで近づく。両腕からの攻撃だけを警戒すれば良い距離。この距離での打ち合いで負けるはずがないとドワーフ男は笑う。
「フンッ」
ドワーフ男が連打を放つ。常人なら身体に穴が空きそうな威力だが、ニコラにとっては小石をぶつけられたようなものだ。
「嘘じゃろ……」
「どうした? 本気は出さないのか?」
「ぐぎぎぎぎっ!」
ドワーフ男は怒りで何度も拳を打ち続けるが、ダメージを与えられない攻撃に意味はない。
「今度は俺の番だな。情報をくれたからな。死なないように手加減してやるよ」
ニコラが拳を放つと、ドワーフ男は拳を捌いて軌道をずらす。続いて放たれた打撃もドワーフ男は何とか捌いた。
「態勢を崩しおったな」
両腕を使った攻撃を捌かれたことにより、ニコラはガードに腕を使うことができなかった。対して、ドワーフ男は腕が一本空いている。その拳は強く握られ、必殺の一撃が放たれようとしていた。
だがその拳が放たれることはなかった。攻撃を食らったのは、ドワーフ男だったからだ。鼻が折れ、血が止まらない。受けたダメージは大きく、ドワーフ男は膝を付いて、崩れ落ちた。
「な、なにが起きたんじゃ」
両腕を捌かれ、体勢を崩していたニコラからの攻撃に、ドワーフ男の頭は疑問で一杯になる。両腕でないなら蹴りを食らったのかと疑ったが、あの態勢と間合いから蹴りが放たれるはずもないと否定した。
「ワ、ワシに何をしたんじゃ?」
「頭突きだよ」
「ず、頭突きじゃと!」
「想定外だったろ」
武道家は仮想の敵として自分を想定するが故に、どうしても頭突きのような、武道にない攻撃を想定することを忘れてしまう。
「そもそも今回蹴りを封印したのも、インファイトになったのも計算してのこと。俺の拳に注意を集めるための策略だ」
両足による攻撃がないとなれば、当然意識を拳に集中させ、敵のパンチを捌くことに注力する。これがもし蹴り技ありのルールだったなら、ドワーフ男はニコラの一挙手一投足を見逃さないように注意を払っていた。そうなれば身体の微細な動きから頭突きを予想されたかもしれない。
「俺は相手の行動や意識を制限するのが得意でね。まぁ、相手が悪かったと思ってくれ」
「世界は広いのぉ。まさかこんな戦い方があるとは」
ドワーフ男は笑いだす。その笑い声は資料館全体に響いた。
「ワシの完敗じゃ。行け」
ニコラは資料館で倒れるドワーフを置いて走り出す。目指すのはアリスのいる旧校舎だった。
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