第一章 ~『武術の適正』~


 アリスがニコラの家(正確にはサテラの家だが)を訪れたのは、休日を利用し、修行するためであった。彼は彼女を屋敷の奥にある道場へと案内する。


 道場は大きく二つの部屋に別れていた。身体を動かすための広いスペースを確保してある稽古部屋と、道場の隅にある資料室だ。彼はまず資料室へとアリスを案内する。


「凄い量の書物ですね」


 資料室の本棚はすべて埋まり、床にも本が積まれている。小さな図書館程のスペースを埋め尽くす本は、すべて読むのに数年は必要だ。


「俺の家系は代々武闘家でな。祖先たちが残してくれた大切な遺産だ。中には伝説の勇者ロイのパーティに所属していた武闘家コルンの秘伝書もある」

「コルン様といえば、私も子供の頃にお伽噺で耳にしました。先生のご先祖様だったのですね」

「俺の先祖も凄かったが、勇者ロイも凄かったそうだぞ。最強の力で魔王を倒したロイは、誰にも威張ることのない人格者だったそうだ。どこかの勇者にも見習わせてやりたいぜ」

「勇者様とご知り合いなのですね。さすがは先生です」

「あいつと知り合いで凄いだとぉ! 知り合いであることを恥じるレベルの最低のクズだったぞ」

「現在の勇者様は人格者というお話ですが……」

「あの男が人格者なら俺は聖人だ。なんたって俺はあいつに裏切られたあげく、背中から襲われて、身ぐるみまで剥がされたのだからな」

「それは変です」

「アリスが言いたいことは分かる。あいつは上辺だけ良い顔をするから評判は良いんだ」

「いえ私が言いたいのは評判の真偽ではありません」

「え?」

「今の勇者様は女性ですよ」

「嘘だろ……いやあり得るか」


 勇者とはサイゼ王国において最強の戦士の称号であり、年に一度行われる勇者選別大会によって選ばれる。勇者となれば魔王を倒すために必要な資金と装備が与えられ、さらにサイゼ王国全土から選りすぐったメンバーを仲間とすることができる。魔王討伐のためのサイゼ王国最大戦力、それこそが勇者なのだ。だからこそ年に一度の勇者選別大会で現行の勇者よりも強い戦士が現われれば、勇者の称号はより強い戦士のものとなる。


「先生はもしかして勇者パーティに所属していたことがあるのですか?」

「忘れたい過去だが、勇者ジェイの武道家を務めていたな……」

「さすがは先生です! 勇者パーティに選ばれるには王国最高クラスの力を示す必要があると聞きますよ」

「ただ俺はコネ採用だからな。王国に選ばれたわけではなく、知り合いの魔法使いと女剣士に誘われて加入したんだ」

「知り合いの魔法使いと女剣士とは、もしや勇者パーティの一員、メアリー様とジェシカ様ですか!」

「知っているのか?」

「顔は存じ上げませんが、サイゼ王国一の魔法使いと剣士ですし、勇者パーティの一員でしたので誰もが知る名前ですよ」

「有名だったんだな、あいつら」

「あれ? でも先生も勇者パーティに所属していたのですよね……」

「俺の名前は聞いたことがないか?」

「はい……いえ、でも待ってください。確か勇者パーティに卑怯な戦術を好む武道家さんがいたと耳にしたことがあります。あれはもしかして――」

「間違いなく俺のことだな」

「やっぱりそうなのですね! でも先生の名前はどうして広がっていないのでしょうか?」

「ジェイのせいさ。あいつは外面を気にするから、卑怯者の俺の活躍が表に出ないように手をまわしていたのさ。結局、完全に情報を遮断することはできなくて、評判が落ちる前に、ジェイは俺を追放したんだがな」

「先生も色々と苦労されてきたのですね」

 アリスは悲しげな表情を浮かべる。重たい空気が資料室に流れた。

「そういえばジェイは今どうしているんだ?」

「分かりません。ただ魔王との戦いで闘気の大半を奪われてしまい、ボロボロになったと聞きます」

「予想していた結末ではあるな……」


 ニコラのいない勇者パーティでは魔王相手に戦力が不足することは目に見えていた。人を貶めることと逃げ足だけは速い勇者なら闘わずに逃げる可能性もあったが、仲間の前で無様な姿を晒せなかったのだろう。


「ジェイが生きていて良かった」

「追放されても、やはり仲間は仲間。心配だったのですね……」

「いいや。俺の手で復讐してやりたいと思っていたからな。勝手に死なれると困るんだ」

「…………」


 必ず見つけ出して復讐すると誓った相手が生きていると知り、ニコラは拳を握りしめた。彼の怒りは一年以上経った今でも風化していなかった。


「ジェイの話はもういい。修行の話に戻そう。ここにある本がこれからアリスに学んで貰う格闘術だ。俺の教える技の三本柱の一つになっている」

「三本柱ですか」

「ああ」


 三本柱の一つは相手を油断させ、必殺の金的や目潰しを放つ戦い方、二つ目は状況をコントロールし、自分に有利な展開へと持ち込む戦い方。そして三つめがここに積まれた書物である。


「ここにある書物の中には古今東西の格闘術の書物がある。イーリスを投げた技や多種多様な打撃技に関節技。それらの格闘術からアリスに適した技を選択して教えていく。どうだ、強くなれる気がしてきただろう」


 アリスがゴクリと息を呑む。ニコラの話を聞いて、強くなった自分が頭の中で思い浮かんでいた。


「この世界には体系的に教えられている格闘術は存在しない。だからたいていの武道家は、ひたすら筋量と闘気量を増やす訓練を積み、戦闘は足を止めて、打ち合うだけ。アリスが戦うオークスも同じ戦法を取るだろう」

「だから私は格闘術を学び差別化するのですね」

「そうだ。闘気量や筋量が劣っていたとしても、立ち回りと格闘術さえあれば、十分勝機があると俺は考えている」


 さらに云うなら、相手がアリスを見下しているのも勝算の一つだ。必ず勝てると思っている相手に対策を考える者は少ない。逆にこちらは相手を調べる時間もやる気も十分にある。


「まずはアリスの素質を見る」

「素質ですか?」

「格闘術は多種多様だ。そのすべてを三カ月で学ぶのは不可能だ。だからアリスに向いている格闘術を集中して教える」


 格闘術は大きく分けて二種類ある。一つは打撃系、ストライカーと呼ばれる拳と蹴りでの攻撃を主体とする者たちだ。もう一つは組技系、グラップラーと呼ばれる投げ技や関節技を得意とする者たち。大別すると、この二種類があり、どちらに向いているか見分ける方法は多種あるが、最も簡単なのは身体的特徴から判定する方法だ。


「ストライカーは筋量よりもリーチが優先されるから高身長であればあるほど有利だ。グラップラーは掴みあった時のパワーが要求されるから筋肉質であればあるほど有利だ」

「つまり高身長で、筋肉質ならどちらの素養もあるということですね」

「だな。だが天は二物を簡単に与えない。身長はもちろん、体質によって筋肉が付きにくい場合もある。そんな時、どちらかが片方だけ優れているならどちらの道を進むべきかの指標になる」

「私の場合は……」

「どっちも駄目だな」


 アリスは筋肉質でなければ、身長も高いとは云えない。身体的特徴だけで判断するなら、格闘に向いている体形ではなかった。


「やはり私は才能がないのでしょうか?」

「結論を急ぐな。体形以外にも素質を判断する方法はある。例えば性格だな」

「性格ですか?」

「グラップラーは気が強い性格であればあるほど有利だ。攻防の中で防御を優先しがちな組技では、頭の片隅で攻撃に移る隙を常に伺っておかなければならないからだ」

「ストライカーはどうなのですか?」

「実は温厚で冷静な判断を下せるタイプの方が有利だ」

「温厚な方が有利なこともあるのですね」

「殴り合いの中で頭が熱くなると、どうしても防御が疎かになる。打撃系格闘術の場合は常に拳を顔の前で構える必要があるから、組技系以上に防御が疎かになりがちだ」


 どんな状況でも常に防御を考える。これは気の強い性格な者ほど疎かになってしまう。


「私はどちらかと云えばストライカー向きですかね?」

「間違いなくな」


 ニコラは本棚から適当に何冊か本を掴んで渡す。その棚には格闘術に関する本をまとめていた。


「取りあえずこれを今日中に読んでおけ」

「分厚い本ですね。先生はこれをすべて読まれているのですか?」

「もちろんな」

「やはり先生は卑怯なだけではないのですね」

「ん……」


 ニコラはアリスの言葉に引っかかりを覚え、自然と反応してしまう。


「アリス、まさかお前、俺のことを卑怯なだけの奴だと思っていたのか?」

「いいえ、まさか。先生は凄い人です」

「本当に俺が強いと信じているか?」

「はい」


 アリスの爽やかな返事にもニコラは納得できない表情を浮かべる。


「予定変更だ。その本は午前中に読んでおけ。観戦するのも知識があった方が理解できるからな」

「観戦ですか……午後から何かされるのですか?」

「俺が卑怯な技を使わなくとも強いということを証明してやるよ」

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