第二章 ~『南の島と筋肉』~


 夏と云えば海。海と云えば白い砂浜と水着である。眼前には生徒たちの水着姿が並び、和気藹々とはしゃぎ合う様は穏やかな日常であった。


「それにしても俺も教師らしくなってきたな」


 ニコラは九組の担任として生徒たちの監督のために、懇親会が行われる孤島にやってきた。この島そのものが学園の所有物であり、島の東側には白い砂浜と青い海が広がっている。島の中央にはシャノア学園の旧校舎として使われていた施設が立ち並んでおり、島の自然にそぐわない大理石の校舎や資料館もあれば、ゲストが寝泊まりするための自然と調和したコテージもある。


「だがまさか一組の生徒の面倒まで見ることになるとはな」


海辺で楽しんでいる生徒の中には九組以外の生徒も混じっていた。それはアリスがオークスを倒したショックで、一組の担任だった髭面の教師が学園を去ったことが原因だった。そのしわ寄せがニコラに回ってきたのである。


「一組と九組の生徒は随分と仲良くなったものだ」


 アリスがオークスを倒したことにより、クラス間の差別意識が薄まった。そのおかげか今では完全な対等とまでは言いきれないが、近しい仲間として一緒に遊べている。


「それにしても一組の生徒たちの身体は九組と違うな」


 割れた腹筋と盛り上がる力瘤、そして身体を覆う闘気が異性への魅力となっていた。対して九組の生徒たちは細い腕に細い脚、太っているわけではないが、痩せているわけでもないお腹。そしてとどめは微弱な闘気だ。魅力の欠片も感じられない。


「オークスはやはりモテるんだな」


 ニコラの視線の先にはアリスと戦ったオークスと群がる男たちの姿があった。ビーチの男どもの視線を釘付けにしているのは、丸太のような腕と盛り上がる胸筋、そして割れた腹筋に圧倒的闘気。オーク族の女は容姿だけなら他の種族に劣るかもしれないが、強さこそ一番の魅力であるこの世界では、さしたる問題になっていなかった。


「アリスは残念だな……」


 ニコラの視線の先には赤いビキニを着たアリスの姿が映っていた。白い肌に赤い水着は似合っていたが、如何せん、腕と足が小枝のように細い。そして細い身体とは不釣り合いに大きな胸は、強さとはかけ離れた肉体だった。


「闘気はかなりマシになったが、あの肉体では男は寄ってこないな。もう少し腕回りを太くしないと。それに比べて護衛のイーリスはかなり鍛えているようだ」


 アリスの背後に立つ護衛のイーリスは、小麦色の肌に白い水着が良く似合っている。アリスと違い、腹筋は割れて、腕に力瘤ができている。闘気量もアリスの倍近い量だ。


「先生、どうですか、私の水着姿は?」


 ニコラの元へ駆け寄ってきたアリスが、最初に口にした言葉がそれだった。何と返そうか迷ったあげく、大人な対応をすることに決めた。


「似合っているぞ」

「えへへ、先生ならそう言ってくれると信じていました♪」

「姫様、こんな男に近寄っては――」

「イーリス、先生に失礼ですよ」

「姫様……」


 イーリスは悔しそうに歯を噛みしめる。だがアリスの命令には逆らえないのか、軽く頭を下げた。


「……先ほどの言葉は謝罪する。だがこれだけは言っておく。私はお前が嫌いだ」

「知っている」


 護衛のイーリスの目を盗み、アリスはニコラの道場に通っていた。護衛として良い気分でないことは察していた。


「だが姫様を強くしてくれたことには感謝する。礼を言う」


 イーリスは再び頭を下げると、護衛に差し支えない少し離れた場所へと移動する。アリスとニコラを二人だけにしてやろうという配慮だった。


「先生は海に入らないのですか?」


 アリスの声色から一緒に海で遊ぼうと誘っていることが伝わった。だがニコラは首を横に振る。


「断る。人間は浮くようにできていないからな」

「もしかして泳げないのですか?」

「泳げないのではない。泳がないのだ。海にいる時に襲われると、波に足を取られて満足に戦えないからな」


 適当な言い訳を付けて、海へ行くのを断ると、アリスが残念そうな表情を浮かべた。何だか悪いことをした気持ちになったニコラは、話題を変えるために、視線を巡らせる。イーリスが視界に入った。


「そういえば、イーリスとの仲は長いのか?」

「はい。子供の頃からの親友です」


 アリスとイーリスは共にエルフ領の城で暮らしてきた。アリスは守護される姫として、イーリスは彼女を守る騎士として育ち、二人の信頼は家族のように固いのだと云う。


「イーリスの両親とも仲は良いのか?」

「いえ、イーリスのご両親はダークエルフとハイエルフとの大戦で亡くなりましたから」

「血縁者はいないのか?」

「……先生だから信頼して話しますが、いまからする話はここだけに留めてください」

「分かった」

「イーリスは先の大戦で滅んだダークエルフの王家の血筋でした。つまりダークエルフの姫なのです」

「……そういや十年に一人の才女がダークエルフの長の妹で、行方不明だと聞いたが、それがまさかイーリスのことなのか?」

「はい。ダークエルフの長であるケルンさんとイーリスは腹違いの兄妹です」

「なぜ兄であるケルンは許されているのに、イーリスは許されていないんだ?」

「ケルンさんのお母様はダークエルフでありながら、ハイエルフにさえ救いの手を差し伸べるような人でした。そのためダークエルフの王族はそのほとんどが処刑されましたが、ケルンさんだけは許されました。しかしイーリスのお母様は、ダークエルフの主戦派に属しており、戦争を引き起こした原因となった人でした。そのため大勢のハイエルフから恨みを買っていたのです。このままでは罪のないイーリスまで処刑されてしまう。そこで私のお父様がイーリスを行方不明として扱い、家族として招き入れたのです」

「そのことをイーリスは知っているのか?」

「いいえ、知りません」

「なら裏切る可能性はないか……」

「……先生でも怒りますよ」


 アリスは冷たい口調で告げる。ニコラは素直にすまなかったと謝っておく。気まずい雰囲気が流れる。そんな空気を壊すように、日差しが肌を刺す真夏のビーチに漆黒のドレスを身に纏ったサテラが姿を現す。表情には焦りの色が浮かんでいた。


「まずいことになったわ」 

「どうかしたのか?」

「この島に闖入者よ。それも面倒なのがね」

「武闘家を育てるシャノア学園の敷地に乗り込んでくるだけで、面倒な奴なのは明白だ。いったい誰なんだ?」

「指名手配されている魔人よ」

「魔人がいったい何の用だ?」

「分からないわ。ただこの島には各地から集めた武術本を寄贈した資料館があるわ。マニアなら高値で欲しがる代物だから、それを求めてかも」

「なぜそんなモノがこんな島にあるんだよ……」

「旧校舎の教材はそのままにしてあるのよ。生徒たちが島にいる時も勉強できるようにね」

「……南の島で勉強する奴がいるかよ」

「とにかく済んだことを話しても仕方ないわ。悪いのだけれど、本の護衛をお願いできないかしら。最悪、盗まれても問題ないけど、黙って持っていかれるのも癪だしね」

「生徒の監督はどうする?」

「私がやるわ」

「それなら……」


 渋々ながらもサテラの提案に同意する。ニコラは一人寂しく資料館へと向かう。背中にはアリスの視線が突き刺さっていた。

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