第二章 ~『魔導書と東の国』~
アリスが連れてきたのは、手作り菓子を売る露天商だった。店の前には大勢の女性たちが長蛇の列を作っている。
「アリスも女の子だから、甘いモノに目がなくても無理ないか」
「先生、何を言っているんですか。こっちですよ」
アリスが指さした先にはロープで囲われた特設リングの姿があった。リングを取り囲むように観客たちが選手を応援している。
「あそこで何をやっているんだ?」
「賞品を賭けた武闘イベントです。そして私たちの今日の目的地でもあります」
「まさか、お前……」
「デートの最中にも修行を忘れない。どうです? 私も武闘家に染まってきたでしょう」
アリスの言葉に呆れを通り越して感心してしまう。普通の女の子なら街に遊びに来た時まで、修行のことは考えない。彼女は心根から武闘家になろうとしていた。
「ちなみに賞品はなんだ?」
「魔導書だそうですよ」
「……どんなに安くても金貨一〇〇枚はするぞ」
魔導書は読むだけで魔法を習得できるアイテムで、魔法習得の努力を嫌う金持ちに良く利用されている。高額が故に庶民の手には届かない高級品であった。
「魔導書が欲しいのか? ただ魔導書で覚えられるのはレベルの低い魔法だけだぞ」
「私もそれについては知っていました。ただ今回の賞品は、主催者が東側の国から持ち帰った珍しい魔法の魔導書だそうですよ」
「へぇ、それは興味深いな」
「ただ参加料は金貨一枚と少し高額です」
「にしても随分と挑戦的だな」
魔導書の中の魔法にもよるが、最低でも金貨百枚はする高級品だ。最低でも一〇〇勝しなければイベント主催者は儲けられないので随分と分が悪い賭けのように思えた。
「また一人挑戦者が現れたようですよ」
リングへ視線を向けると、一人の大男が挑戦しようとする姿があった。対する運営側が用意した選手はピンク色の仮面を被った女性だ。ボディラインを強調するようなシングレットと、そこから伸びる二の腕と足の筋肉から、彼女が武道家であることが察せられた。
「だが筋肉に比べて、闘気は未熟だな」
下手をするとアリスよりも少ないかもしれない。であるにも関わらず運営側は彼女なら勝てると信じているのだ。
「挑戦者の大男も闘気量はたいしたことないな」
体格の良い外見とは裏腹に、大男は仮面女と変わらないレベルの闘気を放出している。
「仮面の女性はリーゼさんといって、九八連勝中のチャンピオンだそうですよ」
「あの闘気で? 嘘だろ?」
「闘気量についてはルールがありますので」
「ルール?」
「はい。闘気を一定に制限して戦うことで、力量差による大きな怪我をなくしているそうです」
「なるほど。もしかしてだが、二人が顔を殴っていないのもー―」
「安全のためのルールです」
「いくらなんでも闘気量が少なすぎると思ったが、そういう裏があったのか。なら筋量が多いと有利だな」
「はい。ですがリーゼさんは自分より大柄の相手にも負けたことがないそうです」
事実、リングに視線を送ると、大男の拳をリーゼは華麗に躱していた。その動きに乱れはなく、かなりの実践経験を積んでいることが察せられた。
「躱すだけで勝負に出ないな」
「リーゼさんはいつも相手の攻撃を躱し、余裕を見せつけてから倒すんです」
「随分と詳しいんだな」
「実は今回のデートの目的はリーゼさんの技を先生に見せることですから」
「技?」
「ええ。我々の役に立つかもしれない技です」
リーゼが大男の打撃をギリギリで躱し続けた結果、スタミナが切れたのか男は息を荒げ始めた。その様子を見て、彼女はとうとう攻撃動作へと移る。
片方の腕で男の腕を掴むと、もう片方の腕で男の腕を組むように纏わりつかせる。そのまま大男の背中に、腕を動かすと、彼は悲鳴をあげて、ギブアップを宣言した。
「あの技、先生が教えてくれた技に似ていませんか?」
「似ている。どこで学んだのか興味深い」
他人の格闘術は中々お目に掛かれるモノではない。ニコラはリーゼの一挙手一投足を見逃さないように観察する。
「アリス、このイベントに挑戦してみろ」
「私がですか?」
「武闘家と安全に戦えるなんて貴重な機会だからな。胸を借りて来い」
「はい!」
金貨一枚を渡し、アリスはリングにあがる。ニコラは彼女に助言するため、リング傍まで近づく。
「御手合わせ、よろしくお願いします」
アリスは頭を下げて挨拶する。それを受けたリーゼは腕組みをしながら、満面の笑みを浮かべた。
「やったわ……」
「え?」
「やっと女の子の挑戦者がきたあああああっ!」
「い、いきなりどうかしたのですか?」
「一〇〇人目でようやく女の子よ。どれほど待ち望んだことか」
「よ、喜んでもらえたならよかったです」
「これは喜びなんかじゃないわ。歓喜よ。これまでの挑戦者はオッサン・オッサン・デブ・デブ・オッサンと、男臭いったらありゃしないわ。やっぱり殴り合うなら百合。女の子でないとね♪」
「は、はぁ」
面倒な人と戦うことになったと、アリスは戸惑いを見せるが、すぐに気を取り直す。如何に相手の性格がハチャメチャでも自分より格上の相手に一瞬の油断は命取りになる。
「早速私から行くわね。そ~れ~」
リーゼは体重を乗せていないゆらりとした蹴りを放つ。防御する必要性すらない蹴りは、アリスを舐めている証拠だった。だがアリスは一切の油断なく、足を上げて蹴りを防御すると、間合いに入って、仮面女の腹部に拳を叩き込んだ。
闘気を制限しているとはいえ、殴られたなら痛みを伴う。リーゼは苦痛に顔を歪めると、アリスの攻撃から逃れるために、背後へ飛びのいた。
「あなた、もしかして武闘家?」
「分かりますか?」
「私の蹴りを防ぐ動作、素晴らしかったもの。それに続けてのパンチも体重の乗った良い一撃だった。素人が力任せに殴るのとは違う。武闘家の一撃だったわ」
素人かそうでないかはパンチを打たせてみれば簡単に分かる。素人は腕の力で殴ろうとするが、玄人は体全体のキレを使い拳を放つのだ。アリスの一撃は素人のそれではなく、動きだけなら武闘家と名乗れるだけのキレが備わっていた。
「うふふ、楽しみね。私、今までいろんな女の子と闘ってきたけれど、武闘家の女の子とは楽しんだことがないの」
最初に動いたのはリーゼだった、彼女はアリスへ接近すると、腰を回して正拳を放つ。体格で負けているアリスはリーゼを近づけさせないために前蹴りを放つが、威力が足りずにアリスだけが吹き飛ばされてしまう。
「アリス、絶対に近づけさせるなよ」
「は、はい、先生」
ニコラの言葉に反応したアリスは足を使い、何とかリーゼから距離を取ろうとするも、リングでは逃げるスペースが限定される。じわりじわりと追い詰められていく。
「先生、私はピンチかもしれないです」
「かもしれないではなく、ピンチだな」
「どのようにして戦えば良いでしょうか?」
「アリスはストライカーだ。関節技のレベルはひいき目に見ても高くない。掴まれたら負けると思え」
「つまりは触れさせずに殴り続けろということですね」
「そういうことだ」
口で言う程簡単なことではないが、アリスの目の良さがあれば不可能ではない。
「ほ~ら、捕まえちゃうわよ」
リーゼはアリスの打撃を防ぎつつも間合いを詰めていく。アリスは華麗な動きでリーゼの接近を躱すと、彼女の腕に蹴りを浴びせる。すると蹴られた腕は紅く変色し、腫れあがっていく。
「腕ばっかり蹴るなんて酷いじゃない」
リーゼはリングを上手く使い追い詰めていく。リング上での戦いに慣れていないアリスは逃げ場をどんどんなくしていき、とうとう掴まれてしまう。
「は、離してください」
「離すはずないでしょう。これからがお楽しみの始まりよ」
リーゼがアリスの態勢を崩して馬乗りになる。そして流れるような動作で関節技をかけようと、腕を掴みにくる。それに対して、アリスは寝技の攻防を有利にするため、両足で相手の胴に纏わりつくような形を取り、何とか関節技から逃れていく。
「腕を潰しておいたのは正解だな」
打撃を使い、相手の腕にダメージを与えておくことで、掴み合いに持ち込まれても優位に進めることができる。その教えの効果が実戦で表れていた。
「アリス、以前教えた馬乗りになられた場合の逃げ方を覚えているな」
「はい、先生」
アリスは口元に笑みを浮かべると、リーゼを自分の元へと引き寄せ、鼻に噛みつこうとする。本当に噛みつけば反則だが、その動作だけでも相手の態勢を崩すには十分だ。
噛みつきから逃れようと態勢を崩した仮面女を振り払うと、今度はアリスが馬乗りになる。そしてすぐに相手の腕を持ち、ひじ関節を極める。
「痛い、痛い、もっと優しくっ! もっと緩く!」
「ギブアップということで良いですね?」
「ギブよ、ギブ。だから許して」
敗北宣言を聞いたアリスは腕を離す。リーゼは息を荒げながら、玉の汗を額に浮かべていた。
「あなた、強いわね。その技はあの男から教わったの?」
リーゼがニコラに視線を向ける。その言葉に同意するように、ニコラは不敵に笑う。
「リーゼさんも強かったです。格闘術は誰から教わったんですか?」
「師匠よ。外見はあなたの先生に似ているわね。同じ黒髪黒目よ。今はエルフ領で国王戦の準備をしているから、もしあなたが出場するなら会えるかもね」
「国王戦?」
「あら、知らないの? あなた、エルフのお姫様でしょう?」
「私のことを知っていたのですね」
「あなた、有名だもの。にしても意外だわ。王族なら国王戦に関する情報を知っているはずなのだけれど」
「……お父様は私に大切なことを何も教えてくれませんから」
「まぁ、いいわ。いずれ知ることになるでしょうし。私からは何も言わないわ」
「?」
「ちなみにもしあなたが国王戦に出場するなら覚悟しなさい。師匠は私より遥かに強いわよ。きっとあなたでは勝てないわ。いいえ、違うわね。あなたでなくても勝てない。私はあの人より強い人を知らないもの」
「奇遇ですね。私も先生より強い人を知りません」
アリスの言葉に満足したのかリーゼはリングを降りると、運営から一冊の本を受け取り、そのままアリスに手渡す。それは賞品の魔導書だった。
「これが賞品の魔導書よ。きっとあなたの役に立つはず。ぜひとも活用して頂戴」
「ええ、必ず」
魔導書を手にしたアリスがリングから降りると、ニコラが「よくやった」と彼女の健闘を称える。アリスも気恥ずかしげに、頬を緩めた。
「そういや聞いていなかったが、オークスを倒して目的を果たしたんだ。それでもまだ俺の弟子を続けるのか?」
「当然です。私はもっともっと強くなりたい。そしてあなたの隣に立てる女になってみせます」
「それでこそ俺の弟子だ」
誰かを倒すという目的ではなく、ただ強くありたい。それこそまさに武闘家の言葉であり、アリスが真の意味での武闘家になった瞬間であった。
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