第一章 ~『下克上の闘い』~
試合会場の円形闘技場には多くの観客が詰め寄せていた。上級生を含めたあらゆる学年の生徒たち、彼らに授業を教える教師たち、他には卒業後のスカウトを考える外部の人間もいた。
そのすべてが今日の戦いで、アリスが勝つとは思っていない。一方的に敗北し、やはり一組の生徒は強い、シャノア学園の武は凄まじいと内外にアピールするためだけのイベントだと思っていた。それはクラスメイトの九組の生徒たちとて同じだった。勝って欲しいが勝てるはずがない。現実が見えないほど、彼らは夢想家ではなかった。
「九組のクラスメイトたちは応援に来てくれているみたいだな」
ニコラはリング入場口から、観客席を覗いてそう呟く。
「イーリスもいるな。しかし護衛のイーリスがよくアリスの出場を認めたな」
「反対されました。けれどイーリスは私の我儘に弱いんです。命の危険を感じたら、すぐに試合を中断することを条件に認めてもらいました」
「イーリスや応援してくれているクラスメイトの声援に応えないとな」
「ですね」
「声援といえば一組の奴らもオークスの応援に来ているな。いや、応援ではないか。一組の奴らはオークスが勝つと信じて疑っていないだろうからな。なぜ様子を見に来たのだろうな」
「武闘会が終わった後、懇親会が学園所有の島で行われるのですが、その時の待遇がこの勝負の勝敗や試合内容で決定するそうですから。それが気になったのでしょう」
「圧倒的に勝利すれば豪華な飯と部屋を手にするそうだな。だったら奴らにオンボロ部屋で、マズイ飯を食わせてやろう」
アリスは口元から笑みを漏らす。彼女から緊張は感じられない。その精神状態を表わすように、闘気も安定していた。
「手筈通りに進めよう」
「はい、先生」
ニコラを置いてアリスだけが入場口を通り、リングへと昇る。リングには既にオークスとセコンドの髭面教師の姿があった。
オークスは自信に満ちた表情で、アリスを見下ろす。体格だけなら大人と子供以上の差だ。外見だけなら勝ち目が感じられないほどの差がある。
「三か月間、どうやら何の変化もなかったようだね」
「かもしれませんね」
オークスがそうアリスを馬鹿にしたのは、彼女がワザと三カ月前と変わらない闘気量を維持していたからだ。理由は単純に強くなったと警戒されるのを嫌ったためだ。
相手の油断は勝利への近道となる。確実に勝つために、アリスは全力を以て、オークスを油断させるつもりだった。
「おい、あの卑怯者の教師はどうした?」
髭面の教師が訊ねる。彼は睾丸を潰されたことを恨んでいた。そしてその恨みを晴らす絶好の機会が今だった。
「先生は遅れてきますよ」
「あいつは私の指導力がないと馬鹿にした。私の生徒が勝ったなら、あの男には土下座で謝罪してもらう」
「はははっ、そりゃ良い。ぜひとも見たいねぇ」
オークスは同意するように笑う。釣られるように会場の観客たちも笑った。だがアリスだけは、オークスが勝つことを確信して油断している愚かさに、乾いた笑いを零していた。
「さて、学園長始めてもらおうか」
オークスが特別席に座るサテラに試合開始を催促する。はやく始めたくて仕方ないと、彼女の口調が告げていた。
「では決闘を開始します。ルールは魔法・武器の使用、なんでもありです。ギブアップするか、戦闘不能と判断すれば終了です。では試合を始めてください」
サテラがそう宣言すると同時に、オークスは体を闘気の鎧で覆う。アリスの五倍、ワザと抑えている今なら一〇倍近い闘気量は、アリスの肌を刺すような力強さがあった。
「私の闘気にびびって動けないのかい! あんたは死なないように苦しめてやるから覚悟するんだねぇ」
「そんなに油断していて良いのですか?」
「どういうことだい?」
「後ろを見てみなさい」
「はっ、誰が見るかいっ! 師匠譲りの卑怯戦法は私には通じないよ!」
オークスがそう宣言したと同時である。彼女の背後から、凄まじい闘気が発せられた。闘気量が自慢のオークスと比較して約一五倍、下手をすると二〇倍近い闘気量を背後に感じる。無視できるほどに、彼女は実戦慣れしていなかった。
後ろを振り向いたオークスの視界には、オークス側の入場口からリングへと近づいてくるニコラの姿があった。オークスは、彼が発する闘気に反応し、後ろを振り返ってしまったのだ。
「決闘の最中に背中を向けるとは、甘いですね」
背後を振り向いたオークスには一瞬の隙ができる。アリスは間合いを詰めて、オークスの腕を脇に挟みこむ、足を払う。そのまま体重をかけて倒れこみ、彼女の丸太のように太い腕を躊躇なく折った。
「いぎぃぃぃっ」
地面に転がされたオークスが苦悶の声を漏らすが、すぐにそれは怒りへと変わる。背後を振り向いた隙を狙い、腕を折られたのだと気づき、憤怒の形相を浮かべた。
アリスは反撃が来る前に、腕を離して、オークスとの距離を取る。ニコラもオークスの入場口からアリスの傍へと移動した。
「あ、あんた卑怯だよ。こんなの騙し討ちじゃないかいっ」
「私は先生の弟子ですよ。先生がこういう戦い方をすると知っていたのですから、対応できないあなたが悪いです。それにもしあなたが私に油断していなければ、こんなだまし討ちは通用しませんでした」
「ぐっ」
もしアリスのことを強敵だとオークスが認めていたなら、どれほど背後に強力な闘気を感じたとしても無視できたかもしれない。もしくはセコンドの髭面の教師に何が起こっているのか確認を取ることもできた。
だがそうしなかったのは、アリスを弱いと舐めていたから。攻撃を受けても蚊ほどのダメージも通らないと思っていたから。
だがオークスは認識を変えざるを得なかった。アリスは学年最強である彼女の腕を折ったのである。例え学年の中でもトップクラスの生徒ばかりが集まる一組の生徒でも、そんなことができる者は一人もいない。
「そういや髭面の無能教師が言っていたな。アリスが負けると、俺に土下座して謝罪しろと」
「だったらどうした!」
「当然、オークス! あんたが負けたら、これまで虐めた生徒たちに土下座で謝罪して貰うからな!」
「ぐっ!」
ニコラの言葉に、観客たちから歓声があがる。歓声をあげたのは、彼のクラスの生徒以外にも大勢いる。どうやらオークスは、九組以外のクラスの連中も虐めていたようだ。
応援の声がアリスへの声援に変わっていく。それはオークスに不満を持つ者以外にも大勢いた。観客は強者が弱者をいたぶる闘いではなく、弱者が強者を倒すジャイアントキリングが見たいのだ。
「ムカツクだろう?」
「殺してやる!」
「だったらクレーターを生み出すほどの拳をアリスの顔に打ち込んでみろよ。できるものならな」
「言われなくてもやってやる」
片腕を折られながらもオークスは立ち上がり、放つ闘気量をさらに増やす。それに呼応するようにアリスも本来の闘気量を放つ。その闘気に観客から歓声があがる。
「あれが学年最弱なのっ!」
「あの闘気量なら平均相当の実力があるんじゃないかっ!」
アリスを認める声が苛立たしいのか、オークスは雄たけびをあげる。
「あ、あんた! 三か月前から騙していたんだねっ! 弱い振りをしていたんだっ!」
「いいえ。三か月前の私は弱かったです。きっとあなたの闘気を見ただけで、腰を抜かしていたでしょう」
アリスは自信に溢れた表情で言葉を続ける。
「ですが今の私は武闘家のアリスです。エルフの姫として、ただ守られるだけの存在じゃない」
「この卑怯者があああっ」
オークスは残った片方の腕で、アリスに拳を振るう。闘気により身体能力が強化されているため、その拳は常人の肉眼で追えないほどに速い。だがそのすべてをアリスは紙一重で躱していた。
「なぜ! なぜ命中しないっ!」
アリスは躱すと同時に、戻しの早い軽い蹴りをオークスに浴びせる。攻撃を躱しては蹴りを放つことを繰り返し、徐々にダメージを蓄積していく。
「必殺の打撃はどうしたっ! クレーターを生み出す拳は噂だけか」
「うるさい!」
ニコラが野次を飛ばすと、オークスはムキになって何とか命中させようと拳を振るう。だがその攻撃はすべて躱され、反撃の蹴りが飛んでくる。蹴りを防ごうと、オークスが闘気を足に集中させると、今度は顔に軽い拳が飛んでくる。
気づくと、オークスは片膝を地面に付いていた。アリスの蹴りは一撃一撃こそ威力は低いが、何度も受けたダメージが蓄積され、立てなくなってしまったのだ。
「くそっ! どうしてっ! どうして勝てない! どうして私の攻撃が命中しないっ!」
拳の速度は圧倒的にオークスの方が速いのだ。そのすべてを躱されることに、彼女は納得できなかった。
「躱せた理由は簡単です。私はあなたがパンチしか打ってこないことを知っていたからです」
「はぁ?」
オークスは怪訝な表情を浮かべて、首を傾げる。
「何を言っているんだい。今回は私が蹴りを使わなかっただけで、使おうと思えば使え――」
「使えません。いいえ、使わないように私があなたをコントロールしました」
「コントロールだって!」
「あなたの過去の試合を魔法水晶で見ましたが、蹴りを使って勝利したことは一度もありませんよね」
「それはたまたま――」
「いいえ。あなたは蹴りが苦手なんです。正確に表現するなら足に闘気を集めるのが苦手なんですよね」
オークスが試合で蹴りを使う場面は、相手がボロボロになり、反撃できない状態で使用するくらいで、攻撃の主軸は拳による連打がほとんどだった。
「つまり蹴りは使いたくないはずなんです」
「そ、それでも、私の闘気はあんたの闘気の五倍近くあるんだ。闘気を集中せずとも、蹴りでそれなりのダメージは与えられる」
「……変だと思いませんでしたか?」
「何がだい?」
「あなたのクレーターを生み出す拳を打てと誘発する先生の言葉ですよ。普通なら対戦相手に必殺技を使えなんて言いませんよね」
「まさか……」
「あれこそがコントロールです。あなたは必殺技のパンチを使えと、対戦相手から煽られている。さらに蹴りは苦手な上に、その足に対して私が蹴りを浴びせていますから痛みもある。痛んで苦手な蹴り技と、得意で無傷な腕を使ったパンチ、どちらを選ぶかは、実際にあなたの行動が物語っています」
オークスは絶句していた。自分が今まで学んできた、筋肉と闘気を増やすトレーニングとは違う、勝利するための技。オークスはアリスの戦術に感動に似た気持ちを抱くようになっていた。
「正直、一番の課題はあなたの腕を折ることでした。仮に蹴りを制限したとしても、両腕を使った早い打撃を繰り出されると、私に勝ち目はありませんでしたから」
しかし片手のパンチしか飛んでこないなら、アリスは容易に躱すことができる。それが闘気量に五倍の差があったとしてもだ。
「つまり油断しなければ私が勝っていたんだな」
「ええ。だから私はあなたを油断させたんです」
闘気の量をワザと減らして見せ、弱気な態度で相手を調子づかせる。そういうテクニックを駆使するのがアリスの戦術だった。
「私は単純な力比べではあなたに決して勝てません。ですが喧嘩。喧嘩だけなら私はあなたより強い」
「……負けたよ、あんたの勝ちだ」
足によるダメージで立つことができなくなっていたオークスは素直に負けを認める。学年最弱が学年最強に下克上した瞬間だった。
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