第四章 ~『ゲイルへの尋問』~
髭面の男が部下に集めさせた情報の中に、ジェシカ誘拐の手掛かりがあった。それは街の酒場に、赤髪の女性が運び込まれたとする目撃情報だ。
「ここにジェシカさんが……」
「ゲイルという男が経営しているそうだ。もしかしたらそいつが誘拐犯なのかもな」
「善は急げです。さっそく店に入りましょう」
店の扉を開けて、店内に入る。カウンターの前には禿頭の男が座っていた。男は見慣れない客のニコラたちに訝しげな目を向ける。
「俺はニコラ。後ろにいるのは娘のアリスだ。あんたがゲイルだな?」
「そうだが……」
「この酒場に赤髪の女が運び込まれたと聞いた」
「……誰からだ?」
「名前はなんだったか、ど忘れしてしまったな。人相の悪い髭面の――」
「リックか」
「そうだ。リックだ。奴から女の人相を聞いたが、かつて勇者パーティの一員だったジェシカと特徴が一致していた。そこで俺はピンときた。組織のアジトがここにあるってな」
「――――ッ」
組織という単語に、ゲイルは強い反応を示す。
「組織のことを知っているのか?」
「裏社会に精通する者なら常識だからな」
「それで、組織に何の用だ……」
「俺も入りたいと思ってな。紹介してくれないか?」
「入会希望者か……」
ゲイルは値踏みするようにニコラの顔を見つめる。
「裏切り者には死を。鉄の掟だ。組織に入会するのだから、覚悟はできているんだろうな?」
「もちろん」
「いいだろう。俺の上司を紹介してやる」
「そうこないとな」
「……ただ娘を入会させるのは止めておけ」
「なんでだ?」
「あんたからは俺と同じゲスの気配を感じるが、あんたの娘に悪人の適正はない」
「はははっ、そうかもしれないな」
ゲイルは念話の魔法で組織の上司に話をする。上手く話がまとまったのか、口元に笑みが浮かんだ。
「ゼペットさんが来てくれることになった」
「そいつは偉いのか?」
「組織の幹部の一人だ。礼儀を失すれば、殺されると思え」
「幹部か……そいつはいいな」
組織に繋がる糸口を見つけた以上、ゲイルは用済みだ。ニコラは口角を歪めると、彼の頭を掴んで、軽々と持ち上げる。
「な、何の真似だ!」
「組織への裏切りさ」
「ふ、ふざけるな! 組織に消されることになるぞ!」
「刺客を送ってくるなら、来ればいい。返り討ちにしてやるからな。それよりも俺の質問に答えてもらう。ジェシカはどこに消えた」
「そ、それは……」
「黙秘しても殺されることはないと踏んでいるなら止めておけ。あんたが秘密を貫くなら、俺は容赦しない」
「わ、分かった。は、話す!」
ゲイルは諦めたのか、手をあげる。降参の意思を受け取り、ニコラは彼の頭から手を離した。
「嘘なら容赦しないからな」
「嘘は吐かない。なにせ俺は何も知らないからな」
「あんたの店にジェシカがいたはずだろ?」
「ゼペットさんがすぐにどこかへと連れて行ったからな。質問はあの人にしてくれ」
組織の幹部なら引き出せる情報も多い。ゼペットという男が来るのを待つことにする。
数分後、酒場に現れたのは、緑の外套で身を隠した老人だ。高齢なのか、歩く速度は遅い。手に持つ杖から魔法使いであることが察せられた。
「で、入会希望者は誰じゃ?」
「俺だよ、俺。あんたがゼペットだな?」
「いかにも」
ゼペットとニコラは互いを観察するように視線を交差させる。緊張感が場を支配していく。その隙を突いて、ゲイルはゼペットの背後へと逃げ隠れた。
「ゼペットさん、すいません、騙されました。こいつは入会を装った敵です!」
「組織に敵対するとは馬鹿な男じゃ……だが……油断はできん。こやつ、只者ではない」
「ゼペットさん……」
「お主は儂の後ろから出るでないぞ。邪魔になるからのぉ」
「は、はい」
ゼペットを身体から魔力を放つ。並の魔法使いでないと、一目で分かるほどの魔力量だった。
「さて戦う前に聞いておこう。お主は武闘家じゃな?」
「図星だ」
「ならばこの身体では危険かもしれんのぉ」
ゼペットは外套を脱ぎ捨てると、魔力を消費して魔法を発動させる。光が身体を包み込むと、枯れ木のような体が筋肉の鎧に覆われていく。光が晴れると、武闘家にさえ匹敵する屈強な男へと変身を遂げていた。
「凄い筋肉だな。だがその程度で俺と接近戦ができるとでも?」
「安心せい。身体だけで勝てるとは思っとらん。なにせ儂も武闘家の端くれじゃからな」
ゼペットは杖を捨てると、拳を縦に構えた状態で対峙する。素人が力任せに殴るなら、絶対にしない構えだった。
「ほぉ、拳法使いか」
「……知っておるのか?」
「俺も扱えるからな。だからこそ言える。構えに隙が多すぎるな。修行不足じゃないのか?」
「儂は武闘家でもあるが、あくまで本業は魔法使いじゃからな……フレディほど傾倒しておらんのじゃよ」
「フレディ?」
「儂の武術の師匠じゃ」
「他にも拳法使いがいるのか。会ってみたいものだな」
「それは無理じゃな。なにせお主はここで死ぬのじゃからな」
構えを崩さないままに、ゼペットは魔力を練り始める。
「儂が武闘家を兼務しているのは、魔法の威力を高めるための詠唱を邪魔されぬためじゃ。必殺の魔法であの世に行くがよい」
ゼペットは呪文を唱え始める。練り上げる魔力の大きさは、強力な魔法が発動することを暗に告げていた。だがそんな危機的状況に対しても、彼はいつもの余裕ある笑みを崩さない。
「そういや、あんたらの組織、ジェシカを誘拐したそうだな」
「……なぜそれを知っておる?」
「その答えを教えてやるよ。ゲイル、いまがチャンスだ! 背後から攻撃しろ!」
ゼペットは呪文の詠唱を一旦中断し、背後を振り返る。普段の彼ならそんな愚行は犯さないが、秘密のはずのジェシカ誘拐について知られていたことからゲイルが裏切った可能性を頭に過らせてしまったのだ。
背後を振り返るという一瞬の隙は、ニコラを相手にした場合、致命的なミスへと繋がる。
ゼペットとの距離を瞬く間に詰めると、そのままタックルで床に転がす。馬乗りになったニコラは、マウントポジションと称される状態になっていた。
「儂の上から離れるのじゃっ!」
「やってみろよ。できるものならな!」
馬乗りになっている相手を退かす方法はいくつかあるが、寝技を扱える者ならば腰を浮かしてブリッジをする手段を取ることが多い。
だがゼペットは拳法を扱えても、寝技は専門外なのか、腕の力だけでニコラの身体を押しのけようとする。
しかしそれではビクともしない。押しても無駄だと悟ったゼペットは悔しげな表情を浮かべた。
「さて、楽しい、楽しい、尋問タイムの始まりだ。ジェシカをどこへやった」
「お主に教えるつもりはない」
「あっそ」
ニコラはゼペットの顔に拳をたたきつける。皺でくちゃくちゃになった顔が、鼻血で真っ赤に染まる。
「まだ話す気がないか?」
「いや……話そう。なんでも聞くがよい」
「心が折れるのが早いな」
「お主の手際の良さ。いままで何人も尋問してきたのじゃろ?」
「山賊を襲うのが趣味だったんでな」
「そんな相手の尋問に、儂が耐えられるとは思えん。なら最初から諦めたほうが得策じゃ」
「利口な判断だ。では最初に聞かせてくれ。あんた、得意な魔法はあるか?」
「儂を相手にその質問をするとはのぉ」
「魔法に自信があるんだな」
「サイゼ王国で儂以上の魔法使いは、勇者パーティに属していたメアリー嬢くらいのものじゃ」
ゼペットから飛び出たメアリーの名前に、ニコラは苛立たしげな表情を浮かべるも、すぐにいつもの平静さを取り戻す。
「メアリー級の魔法使いか。そこまで大言するのだから、さぞかし強力な魔法が使えるんだろうな?」
「もちろんじゃとも。街を丸ごと焼く大火炎魔法に、国に大きな爪跡を残す津波魔法、他には使用者の少ない収納魔法や隷属魔法も扱える。これほどの魔法使い、出会ったことがあるまい?」
「いいや、二人知っている。一人はあんたがさっき口にしたメアリーだ。そしてもう一人は俺自身さ」
「お主が魔法使い? 嘘を吐くでない。魔法習得には膨大な時間が必要じゃ。だがお主の戦い方は武道家のもの。儂のような年寄りならともかく、お主の若さで武道と魔法、両方の道を究めるには時間が足りぬはずじゃ」
「それがそうでもないのさ」
何もない空間に手を伸ばすと、魔力に反応するように空間に亀裂が走り、大きな黒い穴が開く。
「まさか収納魔法を使えるとはのぉ……」
「それだけじゃない。あんたがさっき自慢した大火炎魔法と津波魔法も使えるぜ」
「ありえん。時間が有限である以上、そんなことは不可能じゃ」
「いいや、方法はあるのさ。その答えを教えてやるよ」
ニコラは空間に空けた穴に手を突っ込むと、そこから一冊の本を取り出す。表紙には何の記載もなく、本を開けてみせるが、中身は白紙のページが並ぶだけであった。
「まさか、お主……」
「気づいたか」
「お主は悪魔か!」
「かもな」
ニコラがニヤニヤと笑っていると、アリスは話についていけないのか、疑問符を頭の上に浮かべる。
「……先生はその本を使って、何をするつもりなのですか?」
「アリスはこの本が何か知っているよな?」
「もちろん、知っています。魔導書ですよね」
「そう、魔導書だ。なら魔導書がどのようにして生まれるか知っているか?」
「いいえ。知らないです」
「魔導書は魔法使いが魔力を本に込めることで生まれるんだ。例えば炎魔法の魔導書なら炎の魔法使いが魔力を込めた結果として生まれる」
「つまり先生は魔法使いさんに魔導書を作ってもらったからこそ、短期間にいくつもの魔法を習得できたのですね」
「そういうことだ」
ニコラは読むだけで習得できる魔導書の力を利用し、魔法を習得してきた。彼自身が努力で習得した魔法は数えるほどしかない。
「でも魔導書を読んで魔法を習得することが、どうして先生が悪魔だという話に繋がるのですか?」
「魔導書を作成すると魔法使いはしばらくの間、魔法を使えなくなるんだ。簡単な魔法なら一日二日で治るが、大火炎魔法や津波魔法のような強力な魔法だと、再び魔法が扱えるようになるのに、最低でも三年は必要だ」
だから魔導書は簡単な魔法しか登録されていないのだと、ニコラは続ける。
「先生の知り合いの魔法使いさんは、そんなリスクを背負ってまで、魔導書を作ってくれたのですね」
「みんな、山賊だったからな。拳を顔面にねじ込めば、笑顔で作ってくれたぞ。ゼペットも俺のためなら喜んで魔導書を作ってくれるよな?」
「わ、儂は……魔法が生きがいなんじゃ……」
「命と魔法、どっちが大事だ?」
「ぐっ……」
ゼペットは考え込む素振りを見せると、ニコラから奪い取るように魔導書を受け取る。
「何の魔法が欲しいんじゃ」
「隷属魔法だ」
「……数年は魔法が使えなくなるのぉ」
「元気出せって。きっといいことあるよ」
「お主がいうな」
ゼペットは諦めたのか魔導書の作成を始める。魔力を本に込めると、白紙だったページが、文字でいっぱいに埋まっていく。
「終わったぞ」
「ありがとよ。まずは習得からだな」
ニコラは隷属魔法を習得するために、魔導書に目を通していく。ページを捲ると、本から魔力が抜け、彼の身体に吸収されていった。
「よし、隷属魔法習得成功! あんたのおかげだ。礼を言うぞ」
「こんな理不尽な礼を言われたのは、長い人生の中で初めての経験じゃ」
「習得したし、早速使ってみるか。対象に触れながら命じればいいんだよな。最初の命令だ。『俺の不利益になることはするな』。この命令に従うか?」
「従おう」
隷属魔法をかけられたゼペットは、全身を悪寒が包み込んでいくのを感じる。もし破れば、どんなペナルティがあるのか、想像するだけで恐ろしい。
「でも先生、こんな簡単な命令で本当に大丈夫なのですか?」
アリスが心配している理由を、ニコラはすぐに察した。もっと細部まで命令を下したほうが良いのではと危惧しているのだ。
「必要ないさ。この命令はかなり応用が効く。例えば俺に危害を加えるのも弟子であるアリスを襲うのも俺の不利益に繋がるからできないし、隷属魔法を解除するために努力することや、俺の情報を第三者に流すこともできなくなる」
「なるほど、さすがは先生。考えていますね」
ニコラが不利益になる可能性が少しでもあれば、行動が制限される。この命令の抜け穴を見つけることは不可能に近い。
「さて隷属魔法もかけたし、俺の不利益になるから黙秘もできなければ、嘘も吐けない。聞きたいことを聞き出すとしよう」
「何が知りたいのじゃ」
「まずは組織について教えろ」
「王国で暗躍する組織でのぉ。最強の戦士を生み出すことを目的としておる」
「悪の組織とは思えない理想だな」
「優秀な仲間を雇うのも、武具を揃えたりするのも、金がかかるからのぉ。悪行は資金稼ぎのための方法でしかない」
「アルバイト感覚で犯罪に手を染めるなよ。まだ無職の頃の俺の方がマシじゃねぇか」
労働は金を得るための手段だ。もし金があれば労働に費やす時間を修行に当てることもできる。
資金の重要性は誰よりも働きたくないと願ってきたニコラだからこそ重々に理解していた。だからこそ無職の汚名に耐えることなく、悪辣な手段で金を稼ごうとする組織の存在が許せなかった。
「次の質問だ。組織の規模と、戦力を教えろ」
「規模はかなりの大きさのはずじゃ。だが幹部ごとに縦割りの部門構成になっておってのぉ。全体像は儂ですら把握しとらん」
「ならボスは、どこのどいつだ?」
「バニラという老婆が組織を纏めておる」
「そいつが最大戦力なのか?」
「……強さだけならフレディじゃろうな」
「確か、お前の拳法の師匠だったよな……ますます会うのが楽しみになってきたよ」
ゼペットの拳法はお世辞にも完成度が高いとは言えないが、光るモノはあった。フレディとの戦いをニコラは願う。彼はより強くなるために、いつだって強者を求めていた。
「先生、拳法とは道場の書物に書いてあった格闘術のことですか?」
「今はもう失われた技術だがな……かつては東側の国で使われていた、人によっては卑怯だとする格闘術だ」
「卑怯ですか……」
アリスはニコラから卑怯を学び、格闘術を会得してきた。だがそれは互いに分離されているもので、格闘術そのものが卑怯だったことは一度もなかった。
「拳法という格闘術はな、金的打ちをルールで認めているんだ。だから拳法使いは急所攻撃に躊躇いがないし、それを技にまで昇華させている」
「金的で技ですか……」
「例えば相手がガードできない状態で急所を潰すために、足を掴んだ状態で、股間に膝蹴りを入れる技がある。相手の金的を潰すことに容赦がない点では俺と同じだな」
「先生と同じ……」
「だからこそ楽しみでもある。武闘家は同格の敵と戦って、初めて成長できる。奴の拳法と俺の卑怯。どちらが上か試してやるさ」
ニコラはギュッと拳を握りしめる。まだ見ぬ強敵に期待し、胸を躍らせるのだった。
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