第一章 ~『恩知らずの娘』~
山賊のアジトを襲撃してから数週間、アリスは各国のダンジョンを攻略して回っていた。最初はガイコツ兵士が現れたダンジョンと同じEランクのダンジョンを攻略し、数日後にはガイコツ将軍クラスの敵が現れるDランクのダンジョンも攻略できるようになっていた。
「もっと強くならないと」
今日も日が昇ると同時に、アリスはサイゼ王国にあるダンジョンへと向かった。初心者冒険者なら手こずるDランクダンジョン。現れるモンスターはすべてが格上の環境は、一瞬の油断が死を招く状況だが、彼女は一切怯まなかった。
「今日は帰れないかもしれませんね……」
深い階層のダンジョンでは、その日の内に踏破できないこともあった。そんな場合は野宿をしないといけない。姫として優雅な生活をしていた頃のアリスなら耐えられない環境だったが、強くなるという決意を秘めた今の彼女にとってはどうということはなかった。
「出てきましたね。我が宿敵」
アリスの眼前にはガイコツ将軍の姿があった。二足歩行のガイコツが王冠を被り、赤いマントを羽織る姿は、もう見慣れた光景だ。
「あなたで丁度百体目です」
アリスは相手が反応するより早く間合いに入る。そしてガイコツ将軍の腕を脇に挟んで、瞬時に折る。流れるような動作に躊躇いはなく、不可思議な攻撃にガイコツ将軍は戸惑っていた。
「これで終わりです」
腕を潰されたことで防御できなくなったガイコツ将軍の頭部に蹴りを放つ。頭蓋骨が吹き飛び、地面を転がっていく。
「まだまだ、まだ足りないです」
アリスはガイコツ将軍を倒したことに満足せず、ダンジョンの下の階層へと下っていく。まるで何かにとりつかれたように戦いを求める姿は戦闘狂のそれだった。
「あれは――」
最下層に降り立ったアリスが周囲を散策していると、赤髪の女剣士がガイコツ将軍と闘っている姿を目にする。流麗な剣捌きはまるで舞いを踊っているかのようであった。
(あの様子なら手助け不要ですね)
アリスが安心して様子を見守っていると、女剣士の背後に別のガイコツ将軍が近づいているのを目にする。
「背後にモンスターが!」
女剣士はアリスの声に反応し、二体のガイコツ将軍の首を同時に撥ねる。二つの髑髏が宙に舞い、地面を転がった。
「ありがとう、助かったわ。あなたは――」
「冒険者見習いのアリスです」
「私はジェシカよ。あなたには助けられたわね」
「気にしないでください。それよりも卑怯なモンスターでしたね。よりにもよって背後から襲うなんて」
「……そうね」
ジェシカは背後から襲うという言葉にニコラを追放したことを思い出し、悲しげな顔で俯く。
「どうかしましたか?」
「いいえ、気にしないで……そういえば、あなたはここでなにを?」
「私は強くなるための修行です。ジェシカさんも修行ですか?」
「そうね。それも目的の一つね」
「それにしてもすごい剣捌きでしたね。まるでサイゼ王国一の剣士と言われた女剣士ジェシカさんみたいでした。もしかして本人だったりしますか?」
「……い、いいえ、違うわ。私はただのジェシカよ」
ジェシカがシャノア共和国で犯罪者として収容されていることはサイゼ王国内でも知るものは少ないが、もし知られていたらという不安からジェシカは咄嗟に否定する。その否定の言葉には過去の自分を拒絶する思いも込められていた。
「そ、そんなことよりお礼をさせて頂戴」
「気持ちだけで十分ですよ」
「遠慮しないで。私の実家が近くにあるの。折角だからご飯をご馳走するわ。私のお母さんのご飯、とっても美味しいのよ」
「……では、お言葉に甘えます」
断りきれないと思ったのかアリスは好意に甘え、ジェシカと共にダンジョンを後にする。そして徒歩で数十分、二人はジェシカの実家にたどり着いた。
「ここが私の家よ」
石造りの邸宅は豪邸とは程遠い古びた安普請だが、庭に植えられた果実の木と外からの視線を防ぐ木柵は、田舎風景とマッチして味のある風情があった。
「アリスは外で待っていて。お母さんと話をしてくるわ」
「分かりました」
アリスを残し、ジェシカが家の扉を開けると、そこには彼女と同じ赤髪の中年女性がいた。ほうれい線がくっきりと刻まれた顔は、年齢以上に歳を感じさせる。苦労したのだろうと、ジェシカは悲し気に目を細めた。
「ただいま、お母さん」
「ジェシカ! ジェシカなのかい!」
「そうよ!」
「あんた、今まで何をしていたのよ! いや、それよりも無事でよかったわ!」
「お母さんこそ無事でよかった。マリアはどこにいるの?」
「王都の学校よ。寮生活だから帰ってこないわ」
「成長したマリアの顔を見たかったわ」
ジェシカは妹のマリアを溺愛していたこともあり、久しぶりの再会を楽しみにしていた。それだけに会えないのが残念だった。
「あ、そうだ。お母さんにお土産があるの」
ジェシカは先ほどダンジョンで手に入れた金貨や魔導具を渡す。生活苦の家族の助けになればいい。彼女なりの優しさだった。
「そんなもの必要ないわ。気持ちだけで十分よ」
「でもお母さん、生活大変なんじゃ」
「いいえ。私の生活は以前と比べると随分楽よ」
ジェシカの母は昔を思い出すように天井を見つめる。涙が零れないように、必死に我慢しているようだった。
「私がいなくなってから、そんなに大変だったの?」
「地獄だったわ。毎日食べるモノを求めて、道行く人たちに土下座するの。百人に一人は銅貨を恵んでくれるわ」
「…………」
「酷いときは三日間何も食べないときもあったし、病気になっても薬も買えない。マリアと二人で身体を売ろうと考えたこともあったわ。けどね、そんな私たちに救世主が現れたの」
「ニコラ……」
「そう、ニコラ様! あの方が私たちを救ってくれたの! 生活するのに十分なお金と、マリアを王都の学校に行かせる為の費用を援助してくれたわ」
「…………」
「マリアなんて『将来ニコラお兄ちゃんと結婚する』が口癖になっているのよ。無礼だから止めなさいと叱るんだけど、そうなってくれたらどれだけ嬉しいかと親だからついつい考えちゃうのよね~」
母親のニコラに対する賛辞は止まることを知らなかった。如何に彼が素晴らしいか、まるで教祖を崇める信者のように、彼女は口を動かし続けた。
「ねぇ、お母さん」
「どうしたの?」
「もし私がニコラを殺そうとしたと言えば怒る?」
「……どういうこと? 説明して」
ジェシカは母親に勇者パーティに所属してからのことを話す。卑怯な戦い方をするニコラを軽蔑し、憧れの勇者のために彼を追放したことや、シャノア共和国の魔人を襲い、投獄されていたことなど、彼女はすべてを洗いざらい話した。
聞き終えたジェシカの母は目尻から涙を零して、失望の表情を浮かべる。初めて見る母の顔に、ジェシカはゴクリと息を呑んだ。
「あ、あんたは、な、なんて事を……」
「私も悪かったと――」
「ニコラ様になんて恩知らずな! 私たち家族はあの方がいたから救われたのよ!」
「わ、私も知らなかったの。まさかニコラが私のいない間に家族を助けてくれていたなんて」
「あんたは勘違いしているわ。ニコラ様は昔から私たちを救ってくれていたのよ!」
「昔から?」
「あんたがまだ赤ん坊の頃、私は同じように物乞いをしていたの。そんな私が何の縁もなしに雇われるはずもなく、ただ毎日苦しい生活を続けていたわ。そんなとき幼少のニコラ様が『子供まで不幸にするのは可哀想だ』と、私を屋敷で雇うように旦那様に願いでてくれたのよ。もしあのときニコラ様に会わなければ、私は生きるために、あんたを奴隷として売っていたわ」
「…………」
「それからはあんたの知る通りよ。幼馴染として気兼ねない関係でいたいからと、ニコラ様は自分がしていることは秘密にして、あんたに何不自由ない生活を与えたわ。衣服に習い事、お得意の剣術だってそうよ。すべてニコラ様のおかげよ」
「う、嘘よ! 剣術は先生が私の才能を認めてくれたからよ!」
「嘘なものですか。でなければ物乞いの娘が、王国騎士から剣術を習えるはずないでしょう」
「うっ……」
ジェシカは否定の言葉を口にしようとするも、それが喉で引っかかる。彼女はどうして自分のような貧民が最高峰の教育を与えられて育ったのか、ずっと疑問に思い続けていたからだ。
ジェシカの剣士としてのプライドが粉々に砕け散っていく。どれだけ貧しくても、どれだけ辛い目にあっても、天から与えられた剣の才能がいつだって心の支えになってくれていた。その支えがなくなり、ジェシカは地面が揺れているような錯覚を覚えた。
「あんたのような恩知らずはもう娘じゃないよ! 出ていきな!」
「お母さん……」
「あんたなんて赤ん坊の頃に奴隷として売っておけば良かった!」
「――――っ」
ジェシカは母親の辛辣な言葉に涙を流す。そのまま追い出される形で家を飛び出た彼女は、外で待っていたアリスと顔を合わせる。アリスは涙で頬を濡らすジェシカを慰めるように、ハンカチを差し出した。
「悲しいことがあったのですか?」
「私ね、家族を失ったの……ううん、それだけじゃない。故郷も、友人も、思い出も、剣士としての誇りさえ何もかもを失ったの」
「…………」
「どうして私、あんな馬鹿なことしたんだろ……うぅ……私、生きている価値ないよ……最低だよ……」
ジェシカはただひたすらに泣き続ける。彼女が泣き止むまで、アリスは傍で寄り添い続けた。
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