第三章 ~『メアリーと師匠』~
特設闘技場を後にしたニコラたちは、まずは拠点を確保するためにエルフリアの宿屋を訪れた。隣には酒場があり、冒険者たちが主に利用する五月蠅い宿屋であったが、ニコラは値段と利便性からそこに決めた。
「質素な部屋ですね」
「これでも清潔な分、まだマシな方だ。それにエルフリアの街中にある点もポイントが高い」
部屋はベッドが二つ置かれているだけの、ただ眠るためだけの部屋だ。ニコラはベッドに腰掛けると、アリスも合せるようにちょこんと腰を下ろした。
「アリス、お前にはまずランキング八位を目指してもらう」
「トーナメントに出場するためですね」
「そうだ」
アリスはまだ一戦もしていないため、ランキングは最下位に等しい。上にあがるためには強者と闘う必要がある。
「ですが私と闘ってくれる人はいるでしょうか?」
「いるさ。アリスはハイエルフの姫だ。憎んでいるダークエルフも当然いるだろうからな」
「感情に訴えかけて試合を組むわけですね」
「さらにもう一つ手を考えている」
ニコラは懐から革袋を取り出す。そこには溢れんばかりの金貨が詰まっていた。
「このお金は」
「シャノア学園の退職金だ。これを対戦相手のファイトマネーにする」
「そんな! 先生に悪いですよ」
「気にするな。俺が好きでしていることだ」
「……先生、見かけによらず、弟子想いですよね」
「ま、まぁな」
ニコラは気恥ずかしげに頬を掻く。その仕草が愛らしく、アリスはクスリと笑ってしまった。
「先生、前のお弟子さんはどんな人だったのですか?」
「うーん、子供っぽい奴だったな。あとワガママだった。俺が一人で出かけると自分も連れていけと怒るんだ。最後は裏切ったし最低の弟子だったよ」
「そうなんですか……」
「過去の弟子のことはいい。今の俺にはアリスがいるからな」
「はい、先生♪」
アリスが嬉しそうに頬を緩ませているのを見て、ニコラは心穏やかな気持ちになる。だがすぐにそんな気持ちを引っ込めてしまう。廊下から人の気配を感じたからだ。
続いてアリスも気配に気づき、扉に視線を送る。扉はゆっくりと開かれ、完全に扉が開いた時、そこには空色の髪と翡翠色の瞳、黒い外套と魔法の杖を手にした少女が立っていた。
「師匠!」
メアリーがニコラに飛びかかるように抱きつく。彼女の瞳には再会の喜びで涙が溢れていた。
「なぜここにお前が? それよりも俺を裏切ったくせによく顔を出せたな」
「わ、私、反省しました。だ、だから、だから……」
「とにかく離れろ。話はそれからだ」
ニコラはメアリーと距離を取り、ベッドに腰掛けるよう促す。メアリーは促されるまま、腰を下ろした。
「師匠、ごめんなさい。私が間違っていました。師匠は私を守るために技を教えてくれたのに、その恩を仇で返してしまって……」
「……お前本当にメアリーか? 誰かの変身魔法じゃないのか?」
「可愛い弟子の顔を忘れたんですか?」
「憎い弟子の顔は覚えているよ。けど俺の知るメアリーは謝ることを知らない女だぞ。こんな場合、俺への罵倒がもれなく付いてくるはずなんだが」
「尊敬している師匠を罵倒だなんてそんな……」
「口を開けば卑怯だ、阿呆だと。俺のことを駄目人間扱いしていただろう」
「あれは師匠の素晴らしさを知らなかった私が愚かだったのです」
メアリーは隣に座るニコラの手を握ると、上目遣いで擦り寄る。
「私は師匠と別れた後、魔王軍に捕まりました。そこで初めて気づいたんです。私は師匠のことを慕っていたんだって」
「…………」
「師匠は両親を亡くした私を育ててくれましたし、寂しいときは添い寝もしてくれました。私の我が儘も何でも聞いてくれて。だから私、師匠と再会できて本当に嬉しいんです」
「……メアリーの言いたいことは分かった。どうやらお前も学んだようだな」
「師匠!」
「で、どんな卑劣な罠を仕込んでいるんだ?」
「え?」
「俺の教えた相手を油断させる戦術なんだろ」
「し、信じて貰えないのは分かります。けれど師匠のこと、本当に大切に思って――」
「背後から魔法で襲ってくる奴のことなんて信用できるか!」
「し、師匠……」
「俺は卑怯だし、最低な人間だと自覚しているさ。けれどな。長年連れ添った仲間を裏切るようなことはしない!」
「…………」
「メアリー、俺はお前のことを実の娘のように思っていたんだぞ。それなのに俺の気持ちを裏切った。だいたい魔王軍に捕まって捕虜にされたからどうした? 俺が同情するとでも思ったか? 残念だったな。俺はお前が苦しんだことに喜びを覚えても不憫だとは思わない」
「う、うぅっ……」
メアリーは大粒の涙を零して嗚咽を漏らす。ニコラに触れられていた手は離れ、ベッドのシーツを握りしめていた。
「師匠、ご、ごめんなさい。わ、私、師匠なら許してくれると思って、甘えてしまって。師匠のことを殺そうとしたのに……ははは、私、本当に最低ですよね」
「自覚していたんだな。なら俺の気持ちも分かるだろ。出て行け。二度と顔を見せるな」
「……師匠、最後に一つだけ言わせてください」
「…………」
「信じて貰えないかもしれないけれど、私は師匠のことが大好きでした。今までお世話になりました」
メアリーはベッドから立ち上がると、部屋を立ち去る。その後ろ姿をニコラは呆然と眺め続けた。
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