第三章 ~『オロチと正体』~


 メアリーとの修行を開始してから数日後、とうとう決戦の日がやってきた。闘技場にアリスの姿はない。試合直前まで休ませてやりたいというニコラの配慮だった。


「ケルン、お前も結果が気になるんだな」


 闘技場には先約の姿があった。イーリスの兄であり、ダークエルフの長でもあるケルンである。


「師匠が出るからな。見ないわけにはいくまい」

「オロチか……奴はいったい何者なんだ? 俺と比べれば雑魚だが、ジェイをあっさりと倒したのは正直驚いたぞ」

「……聞いていないのか?」

「ん? なんのことだ?」

「いいや。知らないならいい。俺が正体を明かしてもいいが、あの人は茶目っ気のある人だからな。隠しているということは、お前を驚かせたいのだろう」


 ケルンは穏やかに笑う。かつて感じた印象とは大きく違う、嫌味のない微笑みだった。


「……そういえばイーリスには会えたのか?」

「いいや、俺が会いに行けば色々な誤解が生まれるだろうからな。ただ遠くから顔を見た。間違いなく妹だった」

「そうか……」

「主役が到着したようだぞ」


 ケルンの声に反応するように、アリスが闘技場に到着する。落ち着いた立ち振る舞いは、一人前の武道家らしい佇まいだった。


「先生、お待たせしました」

「休息は十分に取れたか?」

「はい。おかげで闘気も安定しています」


 闘気の安定性は体調に依存して変わる。今日のアリスは、体調が良いおかげもあってか、乱れの少ない力強い闘気を放っていた。


「オロチも到着したようだぞ」


 和服姿の剣士、鬼の仮面を被ったオロチが姿を現す。彼もまた調子が良いのか、ジェイと闘った時より闘気の威圧感が増していた。


「オロチ……」

「ニコラくん、まさか君とこんな場所で再開するとはね」

「俺のことを知っているのか……」

「声を変える魔法を使っているから気づかないか……元の声で話せば、僕が誰だか分かるかな」


 オロチの声が高い音から低い音に変わる。ニコラはそんな彼の声に聞き覚えがあった。声と脳に記憶されていた人物の顔が結びつき、霧が晴れるように徐々に鮮明になる。そしてニコラは答えに辿り着いた。


「叔父さんっ!」

「久しぶりだね」


 オロチは鬼の仮面を外して、顔を露にする。黒髪黒目の整った顔立ちは、サテラやニコラの面影を感じさせた。


「どうして叔父さんがここにいるんだ?」

「いや~話すと長くなるんだがね。かいつまんで話すと、僕が東側の国を旅して帰ってきた後、弟子を何人か取ってね。その内の一人、ケルンくんが国王戦なるものに参加するというじゃないか。こんな面白そうなお祭り、外から見ているだけだとつまらないだろ。だから参加したんだ」

「……姉さんはずっと叔父さんのことを心配していたぞ」

「我が娘ながら優しい子だからね。けれど僕にだって言い分がある。ニコラくんにしろ、サテラちゃんにしろ、僕の正体になぜ気づかないんだい! ニコラくんなんて、ダンジョンでばったり出会ったのに気付いてくれないなんて酷いじゃないか」

「ダンジョンで会った姉さんの偽物は叔父さんだったのか……」


 ニコラはダンジョンでの修行中にサテラの姿をした誰かと出会ったことを思い出す。冷静になって考えれば、私有地のダンジョンでばったりと遭遇する可能性があるのは、サテラ本人と家主であるオロチの二人だけだ。


「本当、薄情だよ、ニコラくんは……」

「そもそも、そんなに気づかれたいなら、なぜ声を変えたり、仮面で顔を隠したり、偽名を使ったりしたんだ? 本名のチルダで登録していれば、俺もすぐに気づいたぞ」


 オロチの本名はオーロリー家のチルダであり、オロチという名は、本名を改変したモノだった。故にニコラも聞き覚えのある名前だと、モヤモヤとした印象を抱いていたのだ。


「そんなの簡単さ。可愛いサテラちゃんやニコラくんに、愛の力で僕の正体を見抜いてもらいたかったのさ。それに僕が出場していることがバレると、ファンが集まってくるだろ。こう見えても有名人なのでね」

「さすがは世界で五本の指に入る冒険者様だ」

「それに自由気ままな旅人をしているのに、僕の居所を知られてはサイゼ王国に連れ戻されるかもしれないだろ。僕はまだまだ若い。色々な経験を積んでみたいのだよ」

「自由か。それなら今回、叔父さんは負けてくれるよな?」


 国王戦の優勝とはすなわちエルフ領の王になるということである。王は臣民の生活の責任を背負う。自由と正反対の責任ある職務である以上、オロチが優勝を望む理由はない。


「いいや、僕が自由を欲するのは新しい経験が欲しいからだ。生憎だが僕は王という職務を経験したことがないのでね。優勝させてもらうよ。それに君たちも勝利を譲られるのは嫌だろう?」

「そうか? 戦わずに勝てるなら、楽だし最高だな~としか思わないが……」

「アリスちゃんはどうだい?」

「私はダークエルフとハイエルフが手を取り合って幸せに暮らせる国を作るためなら、私の心情はどうだって構いません」


 アリスも本音では正々堂々と戦い勝利することを望んでいる。しかし自分の気持ちを押し殺してでも、他人の幸せを優先する。アリスはこの場にいる誰よりも王に相応しい器を持っていた。


「なぁ、姉さんはどう思う?」


 気づくとサテラも闘技場へと姿を現していた。呆れるような表情でオロチを見据えていた。


「私は中立な立場だから、無条件に負けるべきだとは言わないわ。けれど娘を放り出して自由に生きてきた父さんを、アリス様にぜひとも成敗していただきたい。私は一人の観客としてそう望みますし、きっとエルフ領に住む者たちもそれを望んでいます」

「姉さん……」


 ニコラとアリスは戦う意思を込めた瞳でオロチを見据える。確かにサテラの言葉は正しい。アリスが無条件に勝利した場合、ハイエルフたちは賛同するだろうが、ダークエルフはそれを理由に国王戦の無効を訴えるかもしれない。再び血で血を洗う革命を避けるためには、誰もが納得できる結果を示す必要がある。


「オロチさん、私は絶対に勝ちます」

「ニコラくんの弟子か。どれだけ強いのか戦うのが楽しみだ」


 オロチとアリスは闘技場のリングへと上る。エルフ領の支配者を決める闘いが始まろうとしていた。

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