第四章 ~『卑怯者同士の決闘』~
シャノア学園の保健室でジェシカは窓の外を眺めていた。身体の痛みはメアリーの治療のおかげで消えている。肉体を覆っていた闘気も、ある程度は回復していた。
「呪いが解けたら、ニコラたちに恩返しをしないといけないわね」
ニコラは恨みある自分を救うために、同じように憎んでいたメアリーに救いを求めたのだ。命を救うためとはいえ、簡単にできることではない。
お礼を伝える相手は他にもいる。アリスもそうだ。彼女はジェシカを心の底から心配してくれている。
「私は人に恵まれているわね」
最低なのは自分だけだと、独白する。過去の裏切りが後悔となり、自分の心を責め立てる。
「なんだか、騒がしいわね」
外から聞こえてくる声は生徒たちの元気な声ではない。戦場で何度も聞いた、痛みと悲しみが混じった悲痛な叫びだ。
「私が戦力になるか分からないけど……」
ベッドでジッとはしていられない。剣を手に取ると、保健室の外に出る。廊下を進み、内庭へと顔を出すと、そこにいたのは教え子の男子生徒と、彼を襲う土人形だった。
「私の生徒に手を出さないでっ!」
闘気を足に集めると、一瞬で距離を詰める。呪いを受ける前と比べると、その剣は精彩を欠くが、相手が土人形ならば問題ない。振るわれた剣が、あっさりと首を切り落とした。
「大丈夫?」
「ありがとうございます、ジェシカ先生。無事で何よりです」
「私の事はいいから。それよりも何が起きているの?」
「僕も詳しくは……ただクラスのみんなが土人形に襲われて……それで……」
男子生徒は一人逃げてきたことを恥じるように俯く。だがジェシカは彼を責めない。肩に手を置くと、優しげに微笑む。
「敵わない相手から逃げることは恥ではないわ」
「ジェシカ先生……」
「後は私に任せておきなさい」
ジェシカは教え子たちを守るために、学園の端に建てられている九組の教室を目指す。
「あれは……」
遠目からでも分かる。教室の前には見知った二つの人影が待っていた。フレディとバニラ。彼女を地獄のどん底へと突き落とした元凶たちである。
「なんだ、君か……」
「期待していた待ち人ではありませんでしたね」
ジェシカが来ることを想定していなかったのか、二人は溜息を零す。彼らの待つ人物はすぐに察しがついた。
「ニコラを待っていたの?」
「その通り。彼は強いからね。心を削る必要がある。その手段こそが、この教室の生徒たちさ」
「まさか、生徒を人質に取ると?」
「そんな面倒なことはしないさ。それに武闘家の前にしての人質は逆に足手纏いになる。それよりも、彼の目の前で生徒たちを殺し、平常心を失わせるほうが良い。怒りは動きを単調にする。これで僕の勝利は確実となるのさ」
「させないわ。生徒たちは私が守るもの」
「呪いで消耗している君がかい?」
「確かに、私ではあなたに勝てないかもしれない。だから賭けをしたいの。バニラと私で一騎打ちをさせて」
「へぇ~、でもそれは僕に利があるのかな?」
「私が負けたら、ニコラの弱点を教えるわ」
「それは面白いね!」
フレディは本当にニコラに弱点があるとは思っていない。しかし信じていた仲間から秘密を暴露されたとなれば、心に傷を生むことができる。
それに何より、生命力を奪われたジェシカでは、バニラと天と地ほどの実力差があると睨んでいた。十中八九、勝てる賭けだ。乗らない手はない。
「そういうことだから、バニラ、よろしくね」
「ふぅ、あなたは本当に自分勝手だ。ですが、私が負けるはずもない。すぐに終わらせましょう」
バニラは魔法の詠唱を始める。その隙を剣士であるジェシカが見逃すはずがない。発動させないために、一瞬で間合いを詰めると、剣を振るう。しかし剣は杖で受け止められてしまう。
「全盛期のあなたなら、私の首は飛んでいましたね」
「ま、まだ、私の剣は負けてない!」
「いいえ、終わりですよ」
溜まった魔力が魔法へと変化する。地面から大型の土人形が生み出され、バニラの護衛となる。
闘気を纏った拳がジェシカに振り下ろされる。目にも止まらぬ速度の拳を剣で受け止めるが、衝撃は殺し切れない。吹き飛ばされて、地面を転がった。
口元から血が溢れ、全身を激しい痛みが襲う。剣を杖にして立ち上がると、膝が笑っていた。
「絶対的な力の差を理解できたでしょう。諦めて降参しなさい」
「わ、私は……ぅ……諦めない……もう二度と大切な人を裏切るような真似はしないっ……」
ニコラをパーティから追放した日のことを思い出す。ジェイに夢中になり、長年連れ添った仲間を裏切ってしまった。
追放の原因は自己本位な考えだ。自分さえ幸せならそれで良い。道を踏み外したのは、彼女が人間的に未熟だったからだ。
だがジェシカは教師をしている内に成長した。自分の命だけを優先するなら、ここは逃げるべきだが、彼女は諦めない。大切な生徒たちを守るため。自分を犠牲にする覚悟を決める。
「降参する気はありませんか……ならこれで終わりにしましょう」
バニラは土人形にトドメの一撃を命じる。再度、振り下ろされた拳は、彼女の命を奪うのに十分な威力が込められていた。
土煙があがり、バニラは勝利を確信する。だがそれと同時に、全身に痛みが奔った。
「い、いったい何が……」
土煙が消え、バニラの眼前には剣を振り下ろすジェシカの姿があった。それですべてを察する。彼女は土人形の拳を躱し、剣が届く距離まで近づいたのだ。
斬られた傷が血を流させ、バニラの意識を奪う。遠のいていく思考が紡ぎだしたのは疑問だった。
「な、なぜ、私の人形の攻撃を避けることができたのですか……」
「闘気を温存していたの。おかげで、あなたの油断を突くことができたわ」
ジェシカは治癒魔法により生命力を回復していたが、敢えて最初から全力で戦わずに、力をセーブして戦っていたのだ。
バニラは彼女の実力を見誤った。蟻を踏み潰すのに警戒する人間がいないように、格下だと油断したのが、彼女の敗北の原因だった。
「いや~、まさか君がバニラを倒すとはね」
フレディはパチパチと拍手を送る。だが顔は笑っていない。怒りが瞳に滲み出ていた。
「バニラは僕が組織で唯一認める実力者だった。そんな彼女が敗れるとは。やはり油断は敗北に繋がるね」
「次はあなたが私の相手をするのかしら?」
「是非そうしよう。だけど僕は油断しない。まずは完璧になる」
フレディは目にも止まらぬ速度でジェシカに近づく。脅威を感じた彼女は背後に飛んで距離を取る。追撃はなく、フレディはそのままバニラを拾い上げた。
「できれば最後までこの手は使いたくなかった。大切な仲間を犠牲にしたくはなかったからね」
意識のないバニラに、フレディは『超人化の指輪』を近づける。指輪は実力者の生命力を奪い取る。それは何もニコラに限る必要もない。バニラも、条件を満たす実力者だった。
呪いを受けたバニラは生命力を奪われる苦しみで痙攣を始める。口から泡を吹きながら、力を奪い取られていく。
その光景はおぞましく、ジェシカはただ見ていることしかできなかった。数秒後、動かなくなったバニラを地面に放り投げると、フレディは哄笑する。
「こ、これが僕か、力がどんどん溢れてくるよ! これで僕が世界最強だ!」
フレディの闘気量は先ほどまでとは比較にならない。怪物。頭に浮かんだのは、そんな言葉だった。
「さっそく実践だ。さぁ、ジェシカ。僕と殴り合おう」
「…………」
フレディが無遠慮に近づこうとすると、ジェシカは剣を構える。額に汗を浮かべる彼女を前にして、フレディは足をパタリと止める。
「もしかして何か罠でも張っているのかい?」
ジェシカの闘気は弱々しく、実力差を考えれば、敗北はありえない。だがジェシカは格上のバニラを倒している。油断すれば、彼女の二の舞も起こりうる。
「いいね。ならやり方を工夫しよう」
ジェシカに近づくのは悪手だと判断したフレディは、落ちていた石を拾うと、闘気を纏わせて、放り投げた。
音速を超える石礫だ。闘気の薄いジェシカに躱せるはずもない。直撃を受けた彼女は、衝撃で地面を転がる。
「今ならまだ降参を許してあげよう。ニコラの弱点を教えるだけで君の命が救われるんだ」
「ニコラの弱点ね……そんなに知りたいの?」
「僕は最強の武闘家だ。だからこそ油断しない。弱点を聞かせておくれ」
フレディの問いに、ジェシカは口元に笑みを張り付ける。そしてゆっくりと口を開いた。
「ニコラの弱点は……私のような最低な女でも助けに来てくれる、優しいところよ」
その言葉が反射的にフレディを振り返させた。その瞬間、眼の前には闘気の籠もった石礫が迫っていた。
「よ、避けられないっ」
フレディは直撃を覚悟する。と同時に彼の不意を突く形で石を投げてきた男の顔が瞳に焼き付く。その男は忘れもしない好敵手、ニコラだった。
「うぐっ」
石礫が着弾し、顔を打ち抜く鋭い痛みが奔る。頭が吹き飛んだ。そう感じるほどの衝撃は、苦痛と同時に冷静さを彼に与えた。
「まさか背後から石を投げてくるとはね。卑怯な手を使う」
目は潰れ、血が止まらない。
闘気は殴られると身構えていれば、強固な鎧となる。だが今回のような不意を突かれる形だと、その強固な頑丈さも真価を発揮できない。命があるだけ運が良いと、神に感謝する。
「もし拳で殴られていれば、僕は死んでいたかもね」
石礫は着弾するまでに闘気が発散し、威力が抑えられていた。これは闘気を纏った物体が本人から離れると力を失っていく性質のおかげだ。
「だが僕は生き残った。片目を潰されても、僕の強さは変わらない。君に後れを取ることはないよ」
「いいや、俺の方が強いさ。なぁ、アリス」
「はい」
アリスは九組を守るように扉前で闘気を放っている。彼女を倒すことはフレディにとって朝飯前だ。数秒あれば、勝敗は付く。だがニコラを前にしての数秒は致命的だ。生徒たちの命を奪うことで、彼の心を削る策が使えないと知る。
「まぁいいさ。それなら正攻法だ。拳法の恐ろしさを味合わせてやる」
拳を縦にした状態で構えを作る。闘気を身に纏った彼に合わせるように、ニコラも縦拳で構えを作った。
「まさか、君も拳法使いなのかい?」
「俺は何でもできるだけだ。多くの選択肢の中に拳法があるだけだ」
「ははは、なら拳法を専門でやってきた僕に軍配が上がるじゃないかっ! 勝負は見えたね!」
「やってみるといいさ」
フレディは眉間に皺を刻みながら、超スピードで間合いを詰める。音速を超えた縦拳が放たれる。
だがニコラは顔を逸らすだけで、フレディの拳を躱す。そしてカウンター気味に、横打で頬を打つ。強力な一撃は、彼の顔を腫れあがらせた。
「クソッ、まさか僕がカウンターを打たれるなんて……」
殴れば殴るほど、フレディはニコラからカウンターを貰う。ダメージが蓄積され、膨大な闘気で身を守っている彼でも、意識を保つのが難しくなってくる。
「だ、だが、拳法は縦拳だけじゃない。必殺の一撃がある」
フレディはニコラの足を掴もうと手を伸ばす。股間をガードさせないようにしてからの金的蹴りに繋げるつもりだった。
しかしフレディの策は読まれていた。ニコラは彼の手を払うと、顔に拳を叩きつけた。闘気を集中させた一撃は彼を吹き飛ばす。地面を転がった彼は、折れた鼻から血を流した。
ダメージのせいで動けないのか、立ち上がる素振りをみせない。
「ぼ、僕の負けだ。全身が痛くて動けないし、潔く降参する」
「俺は言葉での降参を信じない……本当に諦めるなら、ジェシカの呪いを解除しろ」
「分かったよ。でも条件がある。僕の敗因を教えて欲しい」
闘気量だけなら、フレディはニコラを上回っていた。拳法の技術も負けているつもりはない。それでも敗れたのだ。理由を知っておきたかった。
「石礫で目を潰したことだ。打撃系の格闘技は距離感が勝敗を大きく左右する。片目の相手からカウンターを取るのは難しくない」
「道理で綺麗に殴り返されたわけだね」
「それともう一つ。最後に金的に頼っただろ。一発逆転を狙って、必ずやってくると思っていた。予想していたなら、逆手に取ることも容易い。俺はカウンターで削りながら、お前が金的蹴りをしかけてくるのを待っていたのさ」
「僕は君の掌の上だったってことか。ははは、負けるのも納得だね」
笑い声と共に、フレディは『超人化の指輪』を指から外して破壊する。生命力が元の持ち主に返され、ジェシカの闘気も元に戻る。
「これで一件落着だな」
騒動が決着したと、ニコラは笑う。卑怯者同士の闘いは、ニコラに軍配が上がったのだった。
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