第6話

火曜は忙しい。


一限から、なんと六限まで埋まっている。高校生の六時間目とは違い、大学での六限なんて終わったときには普通に夜ご飯の時間になる。

別に好きでこんなに講義を詰め込んだわけではない。


そもそも火曜の一限と二限は必修単位だし、三限は準必修の第二言語、四限、五限、六限は資格認定のために欲しい単位。外せない単位がアホみたいに揃ってしまっている。


五限から六限は同じ講義室で行われるため、移動をする手間がない。

毎週、最後列に陣取って、六限の講義中に三人でコンビニおでんを食すのが恒例となってしまった。おでんが美味しいのが悪い。おでんに柚子胡椒は本気でズルい、美味しくないわけがない。


火曜が地獄のぶん、水曜は一限のみで終わる。取れる講義もあるのだが、私は自分を甘やかすのが上手いのだ。わざわざ苦労するなんてバカバカしい。休めるときに休む、帰れるところは帰る。


バイトも火曜と水曜はシフトをいれないようにしている。一年のときは必修が一限に詰まっていたので深夜のシフトは断っていたが、二年の後期は、火曜以外は余裕ある時間割になった。


「いつも水曜ヒマしてんのに!」

「そのかわり明日がヒマになった」

「合コンは今日!」


同じバーで働くフリーターの先輩から、明日のシフトと代わってくれと連絡があったのだ。恋人がどうしても今日会いたいと我がままを言ってきたらしい。


先輩の女事情はどうでもいいが、とくに断る理由もなかったので引き受けた。


「合コン、今週末って言ってなかった?」

「あれは別。うちと他大の軽音サークルが合同でメンツかき集めたやつ。今日はバイト先のやつ」

「晃太郎もよく飽きねぇな」


俺は飲みに回す金がねぇ、と一言漏らして、謙太郎がふたたびスマートフォンに目を落とす。彼女持ちは懐事情も他と違う。

カナちゃんがどういった人物か、性格や人格までは知らない。話を聞く限りカナちゃんのほうが謙太郎に首っ丈のようだが、謙太郎もそこそこカナちゃんに貢いでいる。


彼女ができてから、私以上に付き合いが悪くなったのは確かだろう。


「謙太郎はいいよなー。カナちゃんもいるし、合コンいけば当率も高いし」

「そういえば謙太、前期のときに良い感じだった子どうしたの?」


「あぁ……あいつね」


謙太郎の顔面が突然すっぱいものを口に放り込まれたようにおかしな形に歪んだ。


前期、三人揃って参加した飲み会で、謙太郎はひとりの女の子をお持ち帰りしていた。別学部の同学年だったと記憶しているが、顔や名前は覚えていない。

その子が通っているのは本校と言われるこの片田舎のキャンパスではなく、都心部のビル校舎だったと思う。


鷹取南条大学は総合大学であり、かなりの学部数をそろえている。一部の学部生はこのメインキャンパスではなく、各地にちらばる分校に通うのだ。

同じ大学の学生といえど、キャンパスが違えば会うことも早々ない。分校の人々は卒業式の日程すら違う。


都心部のキャンパスは、救命救急だとか理学療法だとか、そういった専門性の高い学部だったはず。他にも柔道整復師の国家試験受験資格を得られる学科もある。


「いまだに連絡くるよ」

「マジ!?」


おかしな形に顔面を歪めたまま、スマートフォンを机に放り出して紙パックのココアをズズっと吸った。

挙動不審な謙太郎が後頭部をガリガリかく。


水曜一限の講義を終え、現在。

学食のいつもの位置で、早めの昼食を終えて駄弁っている。


「彼女できたって言ってから、なんかすげぇ連絡増えた……」

「だから言っただろ、あの女はやべーって」

「待って、詳しく。私あんま知らないんだけど」


けして品がいいとは言えない音でココアを飲み干すと、空のそれを無造作にぐしゃっと握りつぶした。中身がひとくちでも残っていたら、あわや大惨事である。


二次会の途中で抜け出して、以来頻繁に会っていたことは聞いていた。

私はその日、一次会が終わったと同時に帰宅したので、"謙太郎の彼女候補だった"くらいしか情報をもっていない。


「あー、ハジメいなかったんだっけ?」

「一次会で帰った」

「あの女ね、最初からヤバかった。謙太郎の膝で泣いてたかんね」


晃太郎いわく、一次会のときから謙太郎にまとわりついていたらしい。昨年の大鷹祭でベースを弾いていた謙太郎のファンになった、と言って。

二次会の盛り上がりがピークに達したあたりで、男に振られただとか、寂しいだとか言って泣き出し、さらには他の女を罵倒したらしい。


「ハジメもボロクソ言われたなー」

「は?こんな美人に向かって?」

「お前の顔面だとマジでジョークになんねーから!」


私の顔が良いのは周知の事実なので、自惚でもなんでもない。知らない人間たちに盗撮されるくらいの顔である。


「なんだっけ?メス豚?」

「……俺にまとわりつく女狐」


「うは!メギツネ!」


思わず吹き出してしまった。たしかにキツネ顔と言われることはままある。女だし、キツネ顔だし、女狐というのもあながち間違いではない。


「俺をたぶらかすクソビッチ。顔だけのバカ女。ブランド品を男に貢がせてる。詐欺女、ヤリマン」


思わず晃太郎と一緒に爆笑してしまった。


「悪口のレパートリー豊富すぎない?」

「本当、それ。会うたびにハジメの罵詈雑言聞かされたかんな」

「というか謙太、なんでその面倒くさそうな女持ち帰ったの?」


手の中でココアの空きパックを弄びながら、目を逸らされた。どこか気まずそうな顔。


まさか顔が好みだったとか言わないだろうな。


「顔が死ぬほど好みだった」

「オイ」

「あと体もだろー」


オイ。

まあ、理解できない男の理屈を並べられるより、わかりやすくていいか。顔が好きなら仕方ない。


「ヤるだけならいいかな、と」

「俺はやめとけって言ったから!メンヘラのにおいしかしねーじゃん、あの女」

「いや、まぁ、おっしゃるとおり……クソ面倒なことになってる」


飲み会の最中に泣き出して他の女を罵倒するし、片道一時間半かけて勝手に会いにくるし、その度に男の女友達を罵倒するし……

顔が好みなら仕方ないと言ったが、顔が好みでも遠慮したい。


「ねぇ謙太、カノジョさんそのこと知ってんの?」

「……言ってねぇ」


三限が始まるチャイムが鳴った。このいかにも学校、というようなチャイムを、私は案外気に入っている。都心部のキャンパスは講義開始の音が鳴らないらしい。


昼のピークタイムを終えた食堂に残っている者は、四限以降に講義を控えている者か、私のように用もないのに駄弁っている者だけだ。ときおり、昼食の時間を逃した教授が片隅で定食を食べていたりもする。


「カナに会わせろって言われてんだよなぁ……」

「私以上に警察案件じゃない?」

「ハジメの盗撮魔ちゃんも相当っしょ。でもまぁ、カナちゃんには話したほうがいい」


晃太郎の言葉に同意して頷くと、何故か謙太郎が顔の前でパンっと両手を合わせた。スマン!の言葉と同時に。


「え、なに……」

「スマン。マジでスマン。ハジメの名前勝手につかった。マジで、ホントに、このとおり、許せ」

「うん?うん……うん?」


なんて?

咄嗟の理解が追いつかずに、アホみたいな顔を晒してしまった。


……いや、なんて?


「彼女できたからもう連絡すんなって言ったら、相手はハジメかって聞かれて……あ、コイツいつかカナのこと刺しかねねぇって思って……咄嗟に肯定しちゃった」

「オイ。しちゃった、じゃないから」

「スマン、マジで」


ゲラの晃太郎ですら顔が引き攣っている。彼女欲しいマンの晃太郎があれだけヤバいと騒ぐ女だぞ。


「カナよりハジメのほうがストーカーとかそういう奴の対処に慣れてると思って」

「慣れるわけあるかアホ!」

「さすがの俺も引いたわ」


鞄に携帯番号の書いた付箋が連日貼られていたり、どの車両に乗っても必ず向かい側に同じ男が立っていたり、すれ違ったと思ったらわざわざ引き返して顔を覗き込んでくる奴がいたり。


一番危なかったのは、タクシー待ちの酔っ払いオヤジに突然肩を掴まれてキスされそうになった挙句、そのままタクシーに乗せられそうになった時だろうか。あの時はタクシーの運転手が助けてくれたので事なきを得た。


しかし、今のところ警察のお世話になったことはない。

名前も知らない危険人物には遭遇してきたが、痴情のもつれで揉めたこともない。



「相談もなく勝手に巻き込むのはあり得ないでしょ……」

「スマン、なんでもする。マジで……本当スマン」

「なんでもするなら自分で解決しろよなー。今回に関しては百パー謙太郎が悪いだろ」


その女がどれだけ異常なのか分からないし、今のところなにか実害があるわけでもない。知らないところで"カナちゃん"の身代わり人形にされていたことに憤りはしても、身の危険を感じるほどではなかった。


テーブルに肘をついて、はぁー、と大きなため息をつく。面倒なことにならないことを祈るばかり。


カシャ、カシャン。


三人同時に顔を上げた。

オレンジ色の大きなリュックを背負ったカメラ女と目が合った。おそらく、レンズ越しに。

昨年の大鷹祭からおよそ一年、暗黙の了解で盗撮を許してきたけれど、こうして盗撮中に目が合うのは初めてのこと。


ギギギ、と壊れたロボットのようにカメラごと顔を背けたと思いきや、おてもやんのように頬を染めて、そのまま走って逃げていった。


三人で顔を見合わせ、特に理由もないまま腹を抱えて思い切り笑った。

私も、晃太郎も、謙太郎も。たぶん、あのおてもやんカメラ女の堂々たる盗撮に毒気を抜かれたに違いない。



謙太郎の元セフレよりもずっと、あの子のほうが安全そうだと、私はこのときこっそり思ったのだった。

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