第44話
「げーんきねーなー!」
「うっさい、晃太」
「春休みだよー?長い長い春休みだよー?元気出していこーぜー!」
後期の成績を確認して、思ったより悪くない内容に安堵の息を漏らした。落とした単位はひとつもなし、一年と二年、取れる単位をフルで詰め込んだので、残りの二年間は楽ができそうだ。
まぁ、来年度からは就職活動が始まるし、そうも言っていられないだろうけど。
「なー、春休みどっかいかね?泊まりで」
「島行きてぇ」
「南?」
残り二十四単位。必修と資格認定科目だけで足りるかな。足りなかったら何の講義を取ろう。特に興味がある分野もないし。
耳から勝手に流れ込んでくる太郎たちの話を、単位のことを考えて頭から追い出す。追い出したところで、また流れ込んでくる。
旅行なんて気分じゃない。
「なぁ、ハジメ大丈夫か?」
「ん?うん。べつに」
心配そうな謙太郎の視線から逃げるように、無理矢理笑ってみた。
問題はない。何も。元に戻っただけだ。退屈で、謙太郎や晃太郎といるときにバカな話をして笑う、時々美味しいものを食べる、好きな服を買う。慣れた日常。
元に戻っただけだ。
「あ、あれショウさんじゃね?おーい!ショウさーん!」
はっと顔を上げた先に、いつもの面子といる聖が見えた。
ぶんぶんと手を振る晃太郎に驚いたような顔をして、胸元でちょっとだけ手をふり返す。
そのまま、背を向けて去っていった。
「ハジメ、行かねぇの?」
「うん」
私の方を、見なかった。
「たぶん、賞味期限が切れたんだと思う」
「は?何の話?」
「なんでもない」
私が熱を出したあの日以来、聖は私を避けるようになった。
用事があるから、忙しいからと昼食は断られ、ストゥルティにも顔を出さなくなり、メッセージのやりとりもあの日から止まったまま。
私の生活から、シャッター音が消えた。
マスターは飄々と、元のハジメに戻っちゃったなー、なんて残念そうにしていた。そんなことを言われても、私自身、自分の身にどういう変化が起きているのかキチンと理解していないのだから、対処のしようがない。
やっと見つけた『楽しい』を失くしてしまっただけのこと。
「なー、おーい、ハジメー」
「泣きそうな顔すんなよ……」
「してない」
してるだろ、と呆れたように言った謙太郎が、缶のコーラをくれた。
キンキンに冷えている。寒いんですけど。
「なぁ、ショウさんとなにがあったん」
「なにもない」
「なにもないわけねぇだろ」
なにもないから困っているのだ。
あの日の話をしたくても、聖が近くに来てくれなければ話もできない。そもそも、私もなにを話していいのか分からない。
どうすれば良かったの。
マスク越しのキスを受け入れたら良かったの?
マスクを引き摺り下ろして、キスしたら良かったの?
分かんないよ。
「帰る」
「あ、おい!」
今でも思い出すと、手の甲がじんじんと疼く。もっとして欲しかったとさえ思う。
だけど私には、どうすれば良いのか分からないの。聖。
春休みいつ帰ってくるの、という母のメッセージに、返信を返せずにいる。
後期の講義が終わったいま、バイト先とアパートを往復するだけの毎日だ。
大きな事件といえば、店にカワタさんが来たことだろうか。
気まずそうにドアから顔を覗かせたカワタさんを見て、いらっしゃいませも言わずにマスターが外に連れ出した。おそらく五分ほど。外で話をして、店内に戻って来たのはマスターだけだった。
私は従業員を大事にするからね、とウインクしたマスターは格好良かったけれど、正直どうでもいい話だった。
カワタさんは私にとって、すでに過去の人間だ。始まってすらいない、私に嫌な思い出だけ残して過去に流れていったひと。
カワタさんがふたたび常連になったとしても、私の無意識は、あの日までのカワタさんと同じ扱いをしないだろう。
私の人生に、カワタさんという人間は必要ないのだ。
まぁ、情を向け合うこともないと思っていた叶と友人になったりもしたから、なにがどう転ぶのかは分からないけれども。
あぁ、カワタさんのことを思い出しても、叶のことを思い出しても、なにを思い出しても、聖の影がある。
二十年のなかで聖といた日々なんて、ほんの数か月しかないはずなのに。
大学もない。バイトもない。大型テーマパークに行こうとか、冬のキャンプをしようとか、太郎たちのメッセージに適当な返事を出して、本屋から出た。
秋頃まで買っていた少年漫画の雑誌。数ヶ月読んでいなかったので、連載中の話が意味わからないことになっていた。
なんか知らないキャラ出てるし。なんか修行始めてるし。主要だったキャラが死んでるし。
でも暇なのだ。
そういえばまともに連載を追いかけていたときですら、その理由が面白いからではなく、やることがないから、だった。
電子書籍で買っても良いのだが、なんとなく漫画は紙の雑誌で読むものというイメージがある。小学生の頃、同級生の男子たちと回し読みしたときの印象が強いのかもしれない。
寒さに震えながらアパートの階段をのぼる。あ、郵便受け見るの忘れた。けど、いいや。どうせ大事なものなんて届いていないだろうし。
本屋の袋と食料の入ったコンビニの袋が、ぶつかってしゃかしゃかと不快な音を立てた。
コートのポケットから出したアパートの鍵。原付のキーと、ドン・ホセと名付けたペンギンがぶら下がっている。
最初はカバンにつけていたのだけど、ケイトスペードのバッグにあまりにも似合わなくて、鍵に付け替えた。
階段をのぼりきったところで、目があった。
目が、あった。
「おかえり」
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