第49話
「もう一回しゃぶしゃぶって言って」
「しゃ、ぶ、しゃ、ぶ」
「うひゃぁぁあ!健全な単語なのに十八歳未満立ち入り禁止だぜー!」
馬鹿なんじゃないかな?
肉をしゃぶしゃぶしながら、しゃぶしゃぶ言わされている。まったく意味が分からない。
肉汁とか、おしゃぶり昆布とか。聖が喜ぶから、こっちもついノリノリでセクシーに言ってしまう。
感性とか笑いのツボが、二人とも中学生レベル。
浴衣の胸元を指でつまんで、上目遣い。
「しゃ、ぶ、しゃ、ぶ」
「ひゃぁぁぁ!最高にえっちでーす!」
「あははははは!ほんとバカ!」
やっている私も、たぶん人のことを言えない。膳を前にして女二人、なにをやっているんだという話。
ちょうどいい具合の肉を食べながら、収まらない笑いにくっくっくっと喉から声が漏れた。えっちでーす、とか言いながら聖も笑ってるし。
「はぁー、笑った」
「瑞ちゃんのね、声が悪い」
「悪口にしか聞こえない」
また笑う。
なんだかたいそうな名前がつけられた豚肉は油があっさりしていて柔らかく、飲み物みたいに胃に落ちていく。
子供舌の私でさえ、これは良い肉だとわかる。良い肉、うま。
「高いわけでもなく、低いわけでもなく、じわっと耳に染み渡る吐息混じりの瑞ちゃんボイス。読み聞かせしてもらったら天国見えると思う」
「吐息混じり?」
「自覚ない?ハ行とサ行がヤバいよ?寝起きとか完全に十八禁だよ?」
知らんわ。
とてもどうでも良い話だが、録音された自分の声を聞くと、ものすごい違和感を感じるのは私だけではないだろう。
喋っていても分からないが、録音した声は母の声に似ているなぁと思った記憶がある。
十八禁ボイスのことを考えながら、サービスの熱燗をひと舐め。
日本酒の美味しさなんて分からないと思っていたけれど、甘味の強いこれは非常に美味しい。温められて鼻につんと当たるアルコールに、飲み過ぎては危ないなぁなんて思った。
「聖、このあと大浴場行く?」
「いくー。お部屋の温泉と効能が違うらしいよ」
「これ以上美肌になったらどうしよ」
おどけて言ったら、真剣な顔で「世界が終わる」なんて言うから、今度こそ畳に転がって笑った。
「顔面で人が殺せて、中毒性のある危険薬物で、ついには核兵器ばりの破壊力まで手にしてしまったか」
「え、なにそれ、瑞ちゃんそんな危険人物だったの?」
「ぜんぶ聖が言ったんだからね!?」
もう駄目だ。腹筋こわれる。あぁ、楽しい。
「うーん、甘口の方が好き」
「わかる。辛口より飲みやすい」
「でも、見て、聖。値段が倍」
大浴場は混み合っていて長居できなかったので、そうそうに切り上げて部屋で晩酌している。
行きの途中で買った酒とツマミ、売店に売っていた日本酒の飲み比べ三種。
ふたりとも酒好きというわけではないのに、旅行中という非日常でタガが外れていた。
風呂上がり故に血流が良く、ふたりともすでに肌が赤い。
「これ、甘口とか辛口の問題じゃなくて、値段の問題じゃあないかね?瑞くん」
「そのとおりな気がするよ、聖くん」
「でもうまーい」
飲み比べセットについていた各日本酒の紹介には、甘口辛口の他にもフルティーだとかキレのいい後味とか、まぁまぁわけの分からない単語が並んでいる。
吟醸とかにごりとか、子どもなので分かりません。値段もぜんぜん可愛くない。
「聖、こっち」
「ん、んー?」
「ここ。ここきて、ここ」
右隣の畳をぱしぱし叩くと、お猪口に口をつけたまま聖がポカンとしていた。
湯呑みで日本酒を飲むのも風情がないと、わざわざロビーに電話して借り受けたのだ。冷か熱燗か聞かれ、冷だと返したら、わざわざ木桶に氷を入れて持ってきてくれた。
「な、なにゆえ?」
「聖はここって決まってるから」
「お、お姉さん、い、いいい意味がわからないなぁ!」
すっごい目が泳いでいる。それが面白くて笑ったら、不満げな顔で睨まれた。
ぜんぜん怖くない。
「いーからはーやーくー」
「精神統一してからでいい?」
「ダメに決まってる」
御無体な!と言われても、駄目なものは駄目。
「だって、聖すぐ逃げる」
「自己防衛って言葉知ってる?」
「食われる危険があるの、どちらかと言えば私のほうじゃない?」
また変な顔してる。
でも、駄目。
「しょーちゃん、はやく、ここ」
「んんんぐぅ……っ、い、いきます、いきますから!その可愛いお顔をこちらに向けないでくださいまし!わたくしの純情ロマンチックお豆腐ハートがギリギリと絞られておりますわ!」
「ふふふ、意味わかんないから」
わざわざ座椅子と座布団をずるずる引きずって、向かい側から引っ越ししてきた。
「えへへぇ」
「この!この!可愛い酔っ払いめ!私の心を弄びやがって!この!」
脇腹をつついてくるから、抗議する意味もこめてその膝にごろんと頭を乗せた。
「あぁぁ、ふぁぁぁぁ!は、じ、め、ちゃ!お、ひ、ざ!」
「される方が好き?」
「膝枕のお話ですか!?」
膝枕のお話ですけど。
聖の柔らかい太ももに頭を乗せて、仰向け。下から見上げるのは、なんだか不思議な気分だ。
手を伸ばして、栗色の髪に触れた。
お風呂上がりでふわふわだけど、緩いウェーブがとけかかりストレートに近い。聖に見下ろされながら、その髪を手の中でいじって遊ぶ。
「髪、私も触っていい?」
「うん」
するりと前髪が梳かれ、一房を手にとる。耳に触れて、くすぐったい。聖の視線で顔が焦げたら、どうしてくれるんですかね。
髪を放す代わりに、肩を掴んで引き寄せた。心持ち、強め。
「キスしないの?」
「して、い、いの?」
返事の代わりに引き寄せる力をまた強める。私、酔ってるなぁ。
覆い被さるように近づいてきたから、最後の数センチ、顎を上げて私から唇を寄せた。
柔らかい。唇も、耳をくすぐる指も。
「……ん、もう一回」
何度も触れて、啄むように少し吸われる。キスってこんなに気持ち良かったかなぁ。
何が違うのだろう。唇の柔らかさ?ヒゲの有無?指先の暖かさ?なんだろう。
強引さのない穏やかな唇が気持ちいい。温泉の残り香、聖の匂い。
でも。
「ん……しょう」
「ぅ、ん」
「んふ、ふふ、あはははは!無理、笑う!腹筋プルプルしてるじゃん!あはははは!」
気づいてしまったら、笑いを止めるのは厳しかった。
そうだよね、完全に体を折り曲げた姿勢だもんね。そりゃ辛いはずだ。
聖の膝から畳に転がり落ちて、お腹を抱えて笑った。だって、頬にプルプル震えた浴衣の生地があたるのだ。笑うなと言う方が無理がある。
聖は真っ赤になって悶絶しているけれど、腹筋の辛さを我慢してまでキスを続ける聖は、ちょっとどころか最高に面白い。
ごめんね、私がもう一回、なんて言ったからだよね。
ごめんね、良い雰囲気をぶち壊して。でも、聖も同罪。
「あー、笑いすぎてお腹痛い」
「私は胸が痛いよぅ」
「ふふ、ごめんね」
ヨタヨタと既に敷いていた布団まで這っていき、おいで、と手をこまねく。
布団まであの宿泊所と違う気がする。知らんけど。
聖の顔を見て気づいた。あぁ、これはまた逃げる。
「逃がさん!」
「どぉぉうわッ!」
「おもっ!」
後ずさろうとした聖の腕を掴んだら、体勢を崩して私の上に降ってきた。流石に同じような体型の女が降ってきたら重たい。
「ぉぉぉぉうううう……や、わ、ら、か……」
「私は重い」
「あの、じゃあ、その、離してくださいませんか」
それはできないお願いですねぇ。
どっこいしょ、と上に乗っていた体を布団に転がして、寝転がったまま向かい合う。
うん、やっぱりお尻の下がもぞもぞする。
体を寄せて、また唇を重ねた。
「ん、む!」
唇を重ねることは気持ちがいい。別な人とは何度もしてきたはずなのに。
でも、もぞもぞする。相手が聖だって思うたびに、聖と触れ合っているんだって実感するたびに、体のどこかが居心地悪くて疼くのだ。
舌先で唇を舐められたから、ちょっとだけあけて迎え入れた。
じん、と疼いて、びり、と痺れる。
あぁ、これは駄目なやつだ。気持ちいい。
でも、口の中に逃げ場なんてない。絡んだ舌がまた痺れる。響く。背筋を伝って、どんどん下のほうに。
それと同時に、またお尻の下がもぞもぞし始める。
唇も舌も触れたまま、目をあけてみた。聖、どんな顔をしてるかなって。
「っ……!ん、っ」
虹彩のグラデーションが美しい、茶色い目。
なんでこっち見てるかなぁ!目、閉じててよ!
色々と耐えきれなくなって、口の中の舌を追い出して、距離をとった。
「目、閉じてよ」
「善処します」
「一般的には丁寧なお断り文句だよ、それ」
手が、指先が、うなじを撫でる。くすぐったい。熱の溜まった視線。手が、あっつい。
だけどその手は、それより下に降りてくることもなく、無遠慮に浴衣をはだけたりもしない。
わかっている。これはヘタレているんじゃない。
熱は溜まっているけれど、だって、目の奥がとても優しい。
聖は知らないでしょう。
いつも私から逃げようとするのは聖だけど、でもね。でも、本当は。
慣れない違和感に耐えられなくて、本当は私のほうが逃げ出したいんだって、聖は知らないでしょう。
優しい目に疼くこれは、いったいなんなの。
「…………しあわせ」
私も、って返してあげたいと思ったのは、本当だよ。
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