第22話

起きたら一限が始まっていた。


「しょう、しょう」

「ぅゔ……」

「ねぼうした」


枕に顔を埋めたまま、聖の手が何かを探る。スマートフォンを探しているのだろうと分かっていたが、ちょっとした悪戯心でその手を掴む。


「はぁぁぁぁ……手ちっちゃ……かわいいかよ……」

「ふふ、あはは……あははははは!無理、聖、起きて、あははははは!」


「んぇ、え!?瑞ちゃ、え!?夢!?」


現実、と返して、握られた手はそのままに布団を跳ね除ける。うわ、今日さっむ!

時刻は九時半。どう頑張っても一限は間に合わない。


「おはよ、聖」

「まぶし……天使がいる……」

「あはは!朝から笑わせてくるのやめて!」


ごそごそと起き出して、自分が握っているものに気づいてまた変な声を出す。新本聖は今日も絶好調である。


「あー、さむ……」


自分で捲った布団を、また被る。まだ十月なんですけど。


「え、九時過ぎてる」

「寝坊したって言ったでしょ」

「はぁぁぁぁ、一限ないからいいけどぉ……天国すぎて講義とかどうでもいい……このまま永眠したい」


スマートフォンを放り出してふたたび目を閉じた聖を観察する。

すっぴんだと少し幼く見える。まつ毛、耳の産毛、整えられた眉。


ゆっくりと、まぶたが持ち上がった。


「ひぇぇ……」

「なにその反応」

「……三途の川が見えました」


瑞ちゃんに殺される、と失礼なことを言いながら、聖が笑った。


「瑞ちゃんの顔面は凶器になりうる……」

「顔だけで人を殺せるとか、国際級の犯罪者になりかねないんだけど」


私も笑って、昨晩のように聖の胸に顔を押し付ける。あったか……


「ひぇぇ……」

「まだ生きてる?」

「かろうじて」


ゆったりと、頭を抱えられた。あぁ、なんか、すごい。ハグはストレスを軽減するんだっけ。


「なでて」

「ひぇぇ……」

「ふふ……きもちいい」


髪をすくように撫でられると、全身が溶けそうになる。なるほど、人間はこうして幼児退行するらしい。


「聖、私のこと好き過ぎない?」

「そ、そんなこと……ある」


心地良すぎる温度に負けて、また意識が沈んでいく。頭を撫でていた手も緩やかになって、次第に動かなくなった。



ブーン、ブーン、ブーン、と遠くでスマートフォンのバイブレーションが鳴っている。うるさい。


ブーン、ブーン、ブーン。


手を伸ばす。見つからない。聖の後頭部で見つけたそれを寝ぼけたまま掴んで、緑のマークをタップした。


「もしも……」

『やっと出たし!もっちゃん今どこー?』

「……だれ……」


知らない女の声。


ブー、ブー、と何故か私の頭付近でスマートフォンのバイブレーションが鳴っている。もぞもぞ動いた聖がそれを掴んで、通話に出た。


「もしもし……えと、どなたでしょう」


私と、聖と、電話の向こうの誰かさんたち。

たっぷり五秒は停止していた。


『は!?え!?間違えた……?え、間違えてない!え、スミマセン、新本はそこにいますか!?』


「……ごめん、しょう。でんわでちゃった」

「あ、はい、かわります……こちらこそごめん。はい、瑞ちゃん」


通話中の画面のまま、スマートフォンを交換する。うん、たしかにこっちが私のだ。


「もしもし、誰?」

『誰?じゃねーよ!さっきの誰だよ!てか、お前いまどこだよ!』

「さっきの……しょうだね。いまね、いえ」


同じようなやりとりをしている聖と目が合う。なんだか可笑しくて、えへへ、と笑いあった。


『ショー?誰だよ!なに、謙太郎。あぁ、盗撮魔ちゃんか……って、ハァ!?また泊めてんの!?仲良しかよ!』

「なかよしだよ」


『なかよしだよ。じゃねー!!授業は!?』


授業か……どうしよう。一度耳から離したスマートフォンで時間を確認すると、すでに昼休みの時間になっていた。

いまから急いで準備すれば、なんとか三限は間に合うだろう。


聖と目が合う。どうする?


「サボる」

「休む」


声が重なった。

先週も六限をサボったけれど、出席日数にはまだ余裕がある。いいでしょ、これくらい。


『ハァーーー。わかった、んじゃ出席カードは一応書いておくわ』

「サンキュ」

『ハァーーーー。じゃな』


電話を切って、スマートフォンを放り投げて、まだ通話中の聖の胸に顔を埋め直した。眠気はもうないが、この心地良さは魔力だと思う。


「瑞ちゃん!?あ、えと、なんでもない!え、かわる!?なんで!?」


電話の向こう側、何を言っているかまではわからないが、こもった声だけ聴こえてくる。

そのままの体勢で、なぜか耳に聖のスマートフォンが当てられた。なに、喋れって?


「もしもし」

『こんにちは!』

「……うるさ」


晃太郎なみにうるさい。だれ。なんで聖は笑ってるの。


『あの!』


声が大きい。


『前から言わないとと思っていたんですが』


声が小さくなった。


「なんでしょう」


『うちの新本がすみません。隠し撮りのことも、新本が積極的に絡みにいっていることも。ご迷惑でないでしょうか』


なにを言っているのだろう、このひとは。うちの新本がすみません、ねぇ。


盗撮については、もう聖本人から謝罪を受けている。昨年の大鷹祭で、許可も出した。今となっては盗撮ですらない。


聖と距離を縮めたのは私の意思だ。聖と仲良くすると決めたのは、私の意思だ。

聖がどう動くかは聖の問題で、家族ですらない"ただの友人"に謝ってもらうようなことではない。


「私、聖のこと好きなんですよ」


『へ!?』

「へ!?」


聖が私の体から手を離した。離れていいなんて言っていない。

おでこを鎖骨に押しつけて、そのまま喋る。


「私は好きで聖と友人をやっているし、私は好きで聖の被写体をやってます」

『あ、ハイ!そ、それなら良かったです!ハイ!』


「ソ、ソウダヨネ、ウン……ビックリシタ」


そういうことなので、なにも心配いりませんよ。と、心持ちゆっくり言い切って、聖にスマートフォンを返した。

なんでカタコトになってるの、あなた。


二言、三言喋って、なにやら真っ赤になったまま電話を切った。


「な、なんかごめんね、瑞ちゃん」

「ううん」

「チエリからなに、言われたの?」


チエリは先ほどの女かな。


腕だけでなく足も回して、がっしりホールド。捕獲。内腿にスウェットの生地が触れて、なんか変な気分。


「うちの新本、だって」

「え、うん」


口を開いて、また閉じる。言うこと、なにも考えていなかった。

聖は私のでしょ、って言ったら、また発作を起こすかな。だけど、この人を所有物宣言するほど、私たちの関係は長くない。


「迷惑だなんて、思ってないよ。好きで、こうしてるの」

「ウ、ウン」


「チエリさんに言っておいて。ハジメちゃんと両思いですって」


それから聖が再起するまで、ゆうに十五分はかかった。

今日は一日サボると決めたから、いくらでも発作を起こしてくれて構わない。



私より友人をやっている期間が長いチエリさんと、どうやら推されているらしい私。友人の先輩であるチエリさんより距離が近い自信も、大事にされている自信もないけれど、チエリさんよりもずっとずっと、私の方が好かれているって、そう思いたかった。


私のなかの一番というポジションをあげるから、どうか貴女も、私を好きでいて。

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