第26話

答えを出すべか否か。答えは否である。


聖は私が好きだ。たぶん恋愛的な意味で、そして性的な意味で、私は聖に好かれている。

それがいつからか、なんて私に知る由もないけれど、現在目の前に『聖は私が好き』という事実が転がっている。


ファインダーの向こう側で聖がいったいどんな目をしているのか、聖が私をどういった意味で好きなのか、オレンジ色のアルバムに答えが全部書いてあった。


聖は獲物を狙う猛禽類で、私は獲物のウサギちゃん。


それを知った私はどうするか。聖の気持ちに解答を示すべきか、否か。答えは否。


私はなにもしない。


だって、なにも言われていない。いつか言う、と聖本人がそう言ったのだ。付き合ってほしいとも、セックスしてほしいとも言われていないのだから、私が積極的に解答を示すことはない。


私がすべきことは、考えることだけだ。


私は聖とどうなりたいのか。なにかを求められたときに、私はどうしたいのか。

まぁ、マスターの受け売りなのだけど。


『ハジメがショウちゃんを好きで、付き合いたいって思うなら行動すればいい。わからないうちに焦って答えを出しても、良いことなんかないよ』


そう、言ってくれた。

ふざけた口説き文句ばかり投げつけてくるけれど、こういうところは流石の大人のお姉さんだなと思ってしまう。だてに爛れた恋愛ばかりしていないとということか。


「すいませーん、ご飯おかわりくださーい」

「聖、めっちゃ食べるじゃん」

「餃子好きなの」


ところで今、私たちは餃子を食べている。


鷹取条南大学前駅から三十分ほど電車に乗って、餃子を食べにきている。

餃子が食べたいと言ったのは私で、ここまで連れてきたのは聖。餃子だったらここしかない、と言って、わざわざ連れてこられた。


芸能人のサインが所狭しと並べられているのを見るに、それなりに有名な店なのだろう。サインの展示がなければ、大衆向けの小汚い中華屋にしか見えない。

客層も、いかにも土木系の兄ちゃんや、時間のなさそうなサラリーマンばかり。餃子定食以外にも、チャーハンやラーメンを食べている者も多かった。


「餃子と白米って最強の組み合わせだと思う」

「それはわかる」


「はい、ご飯おかわりねー」


聖の目の前におかれた茶碗には、明らかにおかわりの量じゃない米がこんもりと盛られている。胃袋どうなってるの。


餃子定食、一人前で餃子八つ。ご飯のおかわりが無料で、餃子ひとつの大きさが馬鹿みたいに大きい。けれど、聖がお勧めするだけあって、とても美味しい。サインの数は伊達じゃない。

ニンニクよりも黒胡椒が強いところがまた食欲を誘う。


けれど私には多いので、餃子をふたつ聖の皿に乗せた。


「あなたが神が」

「平伏し謝辞を述べよ」

「我が偉大なる瑞様、餃子の遣いであるニイモトの命を捧げます。餃子への愛を語り、祈り、餃子と瑞様の教えを世に啓蒙いたします」


ふたりでケラケラ笑って、餃子をむさぼる。


どうなりたいか、と問われたら、このままでいい。このままがいい。

聖とふたりでいる時間が、私は最高に楽しいのだ。


「ねぇ、餃子様」

「だれが餃子様か!」

「あはは!聖、スノボ合宿の用意してる?」


首を横に振る。


大学は十二月の二十三日から冬季休暇にはいる。スノボ合宿は二十六日から二泊三日だ。

まだひと月ほど猶予があるとはいえ泊まりだし、ウェアなどを自前で用意するのなら早めに動くに越したことはない。


しかしまぁ、聖の趣味は旅行だ。スノボに関連する物以外は、どうせ揃っているだろう。


「勢いで行くって言ったけど、実はスノボなんてやったことない」

「大丈夫、私もできないから」

「えっ、去年行ったんじゃないの!?」


行った。きちんと二泊三日、参加した。


「ずっとソリで遊んでた」

「可愛いかよ」


スノボもスキーもできない私は板をレンタルすることもなく、ソリで遊んでいるだけだった。だって、リフト乗るの怖いし。

私のようなスノボができない人も何人かいて、なかなかに楽しかった覚えがある。


「聖もソリする?」

「する。瑞ちゃんとふたり乗りする。瑞ちゃんが前ね、私が抱えるから!」


簡単に想像できた。


アルバムを見られて以来、聖は好意を隠さなくなった。いや、元から隠してないか。

そのくせ相変わらず発作は健在で、私もいまだ発作の発生条件がわかっていない。


「ウェアって買った方がいいのかな」

「高いから去年はレンタルした。晃太と謙太は買ってたよ。あのふたり、合宿以外でもスノボ行ってたし」

「わぁ……リア充……」


思わずと言ったふうに漏れた言葉に笑って頷く。たしかにあの二人は、世間で言うリア充の遊びを年中楽しんでいる。

冬はスノボに夏はバーベキュー。春はまだ未成年だったくせに花見で酒を飲んでいた。


ぬるくなってしまった卵スープをひとくち。え、うま!


「卵スープうま!」

「でしょ。やたら美味しいよね、ここの卵スープ。あと天津飯も美味しいよ」

「今度きたら天津飯食べる!」


聖が嬉しそうに目を細める。


落ち着かない。最近になってよく目にするようになったこの表情。落ち着かなくて背中がゾワゾワするからやめてほしい。


マスターから向けられた純度百パーセントの性欲とも違うし、カワタさんから向けられた恋愛感情とも違う。

元カレからの視線とも違えば、『付き合わねぇ?』と問うてきた男友達とも違う。


聖の好意の正体を知ってなお、あいも変わらず、この人から向けられるものは理解の範囲外にある。


こんな慈愛に満ちた表情、親からも向けられたことない。


「そういえば瑞ちゃん」

「うん?」

「今年、成人式じゃないの?」


忘れていた、わけではない。


もちろんちゃんと出席するし、実家では着々と振袖の準備が進められている。

瑞にはぜったいに振袖で出席させる!と母親が張り切っているのだ。


「振袖着るよ」

「みたい。超みたい」

「振袖の写真、みる?」


見る!と元気よく返事をした聖に、写真を表示させたスマートフォンを渡す。


「かわいい、けど……誰?若い時のお母さん?」

「姉」


「へぇ、お姉さんいたん……だ?え、へ?瑞ちゃん、お姉さんいたの!?」


うん、と頷く。驚くのも無理はない。


だって、私、ハジメだし。


「ハジメだけど次女なの。ウケるでしょ」

「お、お姉さんのお名前は?」


「ひらがなで、ふたば」


聖が、フタバ!?と大袈裟に驚いた。


幼い頃は私も気にしていなかったが、どう考えても生まれた順番と名前が食い違っている。なにを思って、二番目の子どもに『ハジメ』なんて名付けたのか。


ふたばは、私に姉と呼ばせない。


あの人にとって私は大いにコンプレックスを刺激する妹らしく、姉妹で仲良くした記憶がほとんどない。一緒にお祭りに赴いて、人混みの中に置き去りにされたことさえある。


昔はふたつ上のこの人を、お姉ちゃんと呼んでいたはずだ。


あたしは両親に愛されていないだとか、あたしはハジメの下位互換だとか、そんなことを電話でカレシさんに愚痴っているのを何度も聞いた。

カレシさんに振られるたびに「あたしはハジメほど可愛くないから」、「いいよね、ハジメは可愛くて」、「お母さんたちもハジメのほうが可愛いみたいだから」などと言われてきたのだ。


率直に言おう。


知らんがな。


ふたばは私より成績が良い。ふたばは私より運動ができる。ふたばは私より歌が上手い。ふたばは私より社交的。


だけどふたばは、私より身長が低くて、私よりずっと体重が重たい。我が家の肥満生産食卓の犠牲になった女。


家族の愚痴なんか溢しているからカレシに振られるのであって、私は一切合切関係ない。ふたばのカレシなんか会ったこともないし。


「似てるねぇ」

「そう?マジで?」

「うん。瑞ちゃんを丸くしたらこんな感じになるんじゃない?」


そう、だろうか。写真の中のふたばはぶすっとむくれていて、ぜんぜん楽しそうではない。

母が着て欲しいとごねた振袖も、写真だけ撮って、式にはスーツで出席していた。


体質という遺伝を受け継いだ私が、ふたばは羨ましかったのかもしれない。

だけど私は、いつだって不機嫌にむくれているふたばが羨ましかった。


不機嫌なふたばのご機嫌をとるために両親はいつもふたばを構ったし、ふたばは成績が悪くて怒られたこともないし、ふたばは運動音痴を笑われたこともない。


同級生の男の子に「動けるデブ」と笑われて、泣きながら帰ってきたことがあったっけ。


ふたばは女の子の友達が多くて、家に友達を連れてくるのはいつもふたばだった。小学校からの幼なじみがいるのも、高校で出会った親友がいるのも、ふたばだ。


「瑞ちゃん、お姉さんとあんまり仲良くないの?」

「一方的に嫌われてる。私の顔が良いから」

「あぁー……なるほど……顔面国宝だもんね、瑞ちゃん」


顔面国宝。

知らないうちに国の宝にまで上り詰めていた。


スマートフォンに映る、ぶすくれたふたばを見る。似ているだろうか。似ているのかも知れない。


顔だけじゃなくて、性格も。ふたりそろって、無い物ねだりだ。


「ねぇ、聖」

「はい、なんでござろう」

「突然の武士やめて」


スマートフォンの画面を、顔の横に並べて見せる。


「私が太ったら、どうする?」

「…………………え?」


聖は私の顔が好きだ。

聖は私の体が好きだ。


以前、なにをしたら幻滅するかと問うたことがある。いろいろ物騒な単語を並べ立てて、挙句この人は「なにをしても幻滅できない」とのたまった。


でも、もしこの見た目を失ったとしたら。

顔面ありきの聖の好意は、どうなるのだろう。


じっと私の顔をみつめ、じっとふたばの写真をみつめ、また私の顔を見る。


「真面目な話していい?」

「いいよ」


「私ね、瑞ちゃんの顔がものすごく好きなの。世界の宝だと思ってるくらい、超好き」


国の宝ではなかったのか。世界に昇格した。


「一年半くらい瑞ちゃんの顔面をパパラッチし続けてね、どんどん好きになって、今ではこうして至近距離で観賞できるようになって、もっと好きになった」

「観賞」


「うん、観賞。でね、話ができるようになって、仲良くなって、あ、え、私たち仲良くなってるよね!?」


急に焦り出した聖に首肯して、続きを促す。

同じベッドで寝た仲だもの。仲良くなかったらなんだと言うのだ。


「だけどね、それ以上に瑞ちゃんの中身に対する好感度が急上昇なの。鰻登り。天井知らず。天元突破。瑞ちゃんの優しさがね、猛烈にツボなの。瑞ちゃんの言葉がね、死ぬほど好きなの。内臓がぐちゃぐちゃになりそうなほど、瑞ちゃんの内面が可愛いの!」


私いま、すごい勢いで告白されている気がする。


知っていたけれど、聖が私を好きだって知っていたけれども。こうして言葉にされると、なんか、すごい……


「瑞ちゃん、耳真っ赤ですが」

「恥ずかしくない方が無理がある……」


「あー、うん、えと、はい……だからね、あの、瑞ちゃんがマシュマロボディでも、瑞ちゃんが事故で顔面に大怪我しても、瑞ちゃんの中身が瑞ちゃんのままだったら、私はずっと瑞ちゃんのことを、えと……えー、はい、そういうことです」


そこでヘタれるのかよ!このヘタレ!


「と、ととととというかね!瑞ちゃん、太るとかぜったいないでしょ!体質とかそういう話じゃなくて!太ったら痩せる努力するでしょ!」

「するね。気づいた瞬間からダイエットするね」

「でしょ。もし、事故で顔が可愛くなくなったら、瑞ちゃん、どうする?」


どうするもなにも、そんなの決まってる。


「借金してでも整形するし、それでもダメならメイクでなんとかする」


「そういうところ。そういうところが、超絶……えと、その、好ましいと……思っている次第でありまして、はい」


笑った。お腹を抱えて、笑ってやった。

聖が変な顔をするから、聖が変な動きをするから、聖がヘタレだから。


すごく、嬉しかったから。


笑いのツボがおさまった後、照れてエヘヘと笑ったら、聖が絶望したような顔になった。


なんでカメラだしてなかったんだろう。って。



私は聖の、そういうところが。

すごく好きだと思った。

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