第31話

なんか、頭上から愉快な音楽が聞こえる。しかも大音量。あと獣の唸り声。


「ぅゔゔ……朝……」


ちがう、聖だった。

ちらっとホテルの重たい布団が捲られて、新鮮な空気が入り込んでくる。


「……はよ」

「おはよ、瑞ちゃん。苦しくないの?」

「……ない、あったかい」


目覚ましだったらしい愉快な音楽が止んで、もぞもぞと動いた聖に頭を抱えなおされた。ホテルの寝巻きと清潔なシーツに、ものすごい違和感を感じる。


でも人の体温が心地良いから、起きたくない。


「はぁぁぁぁ、大きい黒猫ちゃん可愛いかよ、たまんねぇ」

「ふふふ、あはははは!」

「ちょ、ん、くすぐったいからそこで笑わないで!」


無理でしょ。朝からこの人、面白すぎる。


笑うと流石に酸欠になりそうな空気の薄さだったので、ずりずりと体を引き上げて布団から顔を出す。


「うぉ、近ッ!」

「そりゃ一緒に寝てたんだから近いでしょ。朝食何時?」

「んぇえと、九時まで」


ベッドの上部に埋め込まれたデジタル時計の表示は六時四分。


「まだのんびりできるよ」

「んー、うん。聖もする?」

「なにを?」


幼児退行、と答えると、至近距離の聖が間抜けな顔をしていた。

言うよりわかりやすいかと、布団を捲って自分の胸を指し示す。おっと、はだけている。


「鼻血でそう」

「ホテルのひとに迷惑だからださないで」

「善処します」


動かない聖の頭をぐいっと引き寄せて、胸に着地。ナイトブラだから痛くないでしょ。


「ちょ!まっ!あっ、はじめちゃ、んぶっ!」

「ほらほら、おとなしくして」


「んあぁぁぁぁぁ……」


無理矢理押さえつけて布団を被せたら溶けた。


「う、う、う、うで、まわしてもいい?」

「足もいいよ」


「んあぁぁぁぁぁ……」


おそらく私がしたよりも強く、両手両足でしがみつかれている。この人、なんでこれでプロのヘタレなんてやっているのだろう。


まぁいい。頭も撫でてやろうじゃないか。


「全身で瑞ちゃん……至福すぎる……今なら死んでも良い、むしろ今死にたい」

「処理が大変だから死なないで」

「死因、瑞ちゃんの過剰摂取」


顔だけで人を殺せる国際級犯罪者から、危険薬物になってしまった。


「瑞ちゃん……あの、あのですね」

「うん?なぁに?」


ぎゅっと胸に顔を押しつけて、もがもが。


「ふひでふ」


このヘタレ。



朝食バイキングというのは自分との戦いである。あれも美味しそう、これも美味しそう、あっちも、こっちも。目移りに次ぐ目移りポルカ。


美味しそうな匂いと美味しそうな見た目に、軽快でアホみたいなダンスを踊らされる。それがバイキング。


しかし困ったことに、私はそんなに食べられない。

中学生男子みたいな味覚をしているくせに、胃袋は正しく女なのだ。


いろいろ諦め、妥協した結果、いま目の前でオムレツが黄金色に輝いている。


「瑞ちゃんの目きらっきら」

「オムレツがね、言ってる。はやくワタシを食べてって……」

「ふふふ、うん、そうだね。食べよっか」


スプーンを入れると、中の半熟がとろりと流れ出る。トロトロとふわふわの楽しいボレロ。これぞ、シェフに目の前でつくってもらったふわとろオムレツ!


「おいひぃ」


聖が絶望した顔してる。あぁ、カメラ持ってきてないのね。

仕方ない。スプーンに乗せて、差し出す。


「あーん」

「あーん!?」

「デートの定番でしょ」


テーブルに聖のフォークがからんと落っこちた。床じゃなくて良かった。


「よ、よろしいので?」

「この私がよろしいと言っておる」

「でででは、遠慮なく!い、いただきまする!いただきまするぞ!い、いざ、もがッ!」


うるさいから口に突っ込んだ。


「ね、美味しいでしょ?」

「幸福の味がします」

「そりゃ良かった」


楽しいから明日もこうしていたいと、そう思った。思ってから思い出す。明日からも二泊三日、一緒にいられる、と。



「まず、牛を見ます」

「うし」


バスに揺られながら今日の計画を確認。昨日今日と、デートコースはすべて聖にお任せだ。


「続いて、モルモットと戯れます」

「もるもっと」


向かう先は県立の大きな公園。フラワーガーデンが有名らしい。冬でも花が咲くのかと思いきや、カルーナという花が見られるらしい。

あとはバラ園もある。花は詳しくないので知らないが、薔薇は冬にも咲くのだろうか。


県立公園のお隣には牧場があるらしく、聖の計画ではこちらへ先に向かう。


「モルモットのあとはヤギに餌をあげます。ひと皿百円」

「やぎ」


百円。高いのか安いのかまったく判断がつかない。


「羊のお散歩を見ます」

「ひつじ」


羊のお散歩とは。


「そのあと、ジンギスカンを食べます」

「エグい!」


なぜ敢えて羊のあとにジンギスカンなのか!


「昼食後、寒さに震えながらソフトクリームを食べます」

「たのしみ」


羊の疑問が解明されていないが、まぁいいか。命に感謝しましょう、ということで。


「そのあとフラワーガーデンに移動してバラ園のクリスマスイルミネーションを見ながら紅茶を飲んで夜景を見ながら食事をして私が清水の舞台から飛び降ります」

「待って最後なに」

「突然の京都」


いや、それ私のツッコミ。


突然の早口と突然の京都で、内容がぜんぜん頭に入ってこなかった。牧場のコースは丁寧に動物まで指定されていたのに、最後なに。


「ということで、ほら、つくよ瑞ちゃん!」

「ちょっと、こら、バスが止まってから立ちなさい」

「はーい」



牧場、侮っていた。超楽しい。


思っていた以上にビッグな牛さんに、コートの裾をモシャモシャ食べられそうになったところから始まり、終始笑いっぱなしである。

牛舎の中でぼんやりしている二頭の名前が「ハジメくん」と「ショウくん」で、シンパシーを感じて"四人で"写真をとった。


ショウくんが気の弱そうな顔をしていて、すっごい笑った。


私に撫でられると大人しくしているのに、聖の手からは猛然と逃げ出すモルモット。ヤギに皿ごと餌を奪われる聖。それも三回。

私に撫でられると大人しくしているのに、聖の手からは猛然と逃げ出すウサギ。羊に脛をどつかれる聖。それも三回。


「なんで私動物に嫌われるんだろう!さっむ!」

「あはははは!聖が、近づくと、あはは!逃げ、逃げる、羊、あははははは!」


「瑞ちゃん笑いすぎだから!可哀想な私を慰めてよ!さっむ!」


一番笑ったのは、羊のお散歩を無惨にも散らした聖だろうか。

かわいい!と言いながらカメラを構えて近づいた途端、先程までトットコ可愛らしく歩いていた羊たちが散っていった。


呆然とした聖の背中が切なすぎて、思い出しただけで腹筋が攣る。

しかも、半笑いの飼育員に慰められる、という追い討ち


「はぁー、聖が笑わせてくれるからぜんぜん寒くない。ソフトクリームうま」

「私は寒いよぅ……美味しいけど」

「今度は動物園いこうね、ふふふ」


結構本気で凹んでいるらしい聖の口元に、ソフトクリームを乗せたプラスチックのスプーンを近づける。

あ、食べた。餌付けの気分。


「ヨーグルトおいしい」


私はミルクとヨーグルトのハーフ。聖はミルクアンドミルク。普通のミルクよりも濃厚らしい。


お返し、というように差し出されたそれを食べる。うま!


「牧場の味がする!」

「わかる。牧場の味」

「もう一口ちょうだい」


開けた口に、スプーンが滑り込む。うま!

私もスプーンを差し出す。聖が口を近づけたタイミングで、スプーンを遠ざけた。


「あははははは!」

「すぐ!そういう!悪戯をする!」

「でも好きでしょ?」


絵に描いたように"ぐぬぬ"という顔をしているので、今度こそその口にスプーンを突っ込んだ。


スプーンを咥えたままこちらを見て、お尻の下がもぞもぞするような、あの優しい笑みを浮かべた。もぞもぞする。



「私、綺麗な黒猫ちゃんひとりに好かれたら、他の動物に嫌われてもいいや」

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