第47話

「かんぱーい」


聖の缶に私の缶をこつんと当てて、良く冷えたビールを一口飲む。まだ春の見えない季節だが、暖かい車内なので関係ない。

そこまでビールが好きと言うわけではなくとも、新幹線や特急電車の中で駅弁を食べながら飲むそれは美味しいと思う。夏休み、実家に帰る新幹線で知ってしまった。こう、大人になったような、そんな気がする。


同じようにビールを飲んだ聖が、いかにもおじさん臭い声を上げた。


「んんん、くはぁぁぁ」

「聖の奇声ってどこから出てるの」

「声帯」


私と聖の声帯は作りが違うのかもしれない。


どんなに頑張っても、聖のあの"言語にならない言語"は出せる気がしない。

うぇぁぁ、とか、んぉぉぉ、というやつ。


出会った頃と比べると発作は減ったが、謎の奇声は増えた。


「贅沢してる気分」

「贅沢してるからね」


実際のところ、今回の旅行先は各停でも行けるのだ。特急券という存在がなければ交通費はさらに安くなる。新幹線ほど高額ではないが、だからといって安い!と言い切れるほどでもない。


しかしこれはお金を無駄にしているわけではないと、私は強く主張したい。特急や新幹線はただの贅沢便ではない!


時間と快適さを買っているのだ。特急に乗らなければ、目的地にたどり着くまで時間がかかる。各駅であれば、今みたいにのんびり座ってビールを飲むこともできなかったかもしれない。


新幹線も同じだ。


実家に帰る際、交通費の節約に夜行バスを用いる手もある。けれど私は、いくら高くても新幹線で帰る。


安全を買う、と思っている。


絶対の安全というものはないのかもしれない。けれど、夜行バスには大きな事故が発生した過去もあった。しかし新幹線は、開業以来一度の死亡事故も起こしていない。


「瑞ちゃんを独り占め……贅沢が過ぎる……」

「そういう話か」

「そういう話です」


真面目に安全について考えた私が馬鹿だった。


私が窓側、聖が通路側。私の右隣に聖がいる、だいたいいつもの配置である。


車内販売のカートが狭い通路をゆっくり去っていった。


「お弁当たべよー!焼肉弁当ー!」

「幕の内弁当ー!」

「聖ちゃんには特別にお肉を半分贈呈ー!」


割り箸の片方を口に咥えて、パキッと割る。うん、見事に偏って割れた。


わーい!と喜ぶ聖の幕の内弁当に、肉とご飯をごっそり乗せる。私が食べきれないだけだけど。


ジャンクフードばかり食べていても太らない私、どれだけ胃袋に詰め込んでも太らない聖。どちらも体重を気にする世の女性の敵であろう。

太らないとは言え、肌荒れと無縁なわけではない。それはふたりとも大いに理解している。


「特急、駅弁、ビール、瑞ちゃん。至福」

「私の姿をツマミに酒を飲んで良いのだよ」

「最高じゃん」


あはは、と笑って肉。そしてビール。流れていく景色。


座席の前に置かれたパンフレットを手に取って、観光名所やお土産のページを流し見る。

観光しようとか、なにを食べようとか、事前にそんな話もしたのだけど、結局、温泉入って宿でダラダラしよう、という結論に落ち着いた。


なんと言っても、今回のお宿は部屋に個室温泉があるのだ。貸し切り。貸し切り温泉!人を魅了して止まない言葉だ。


ありがとう、聖のご両親。足を向けて寝られない。


「着いたらお酒とつまみ買って、宿に直行」

「そんで温泉入って」

「ダラダラして寝る」


最高、と返して肉の脂をビールで流し込む。


弁当をパクついている聖を見やると、それはそれは幸せそうにニッと笑った。思わず私も、口角が上がる。


計画とも言えない計画の続きを口に出す。


「旅館の美味しい夕飯食べたら」

「また温泉入って」

「酒飲んで寝る」


今度は聖から、最高、と返ってきた。うん、最高。


「酔っ払って、布団入って」

「寝坊してー」


「起きたら私がいる、と」


私の言葉に、ビールの缶に口をつけたまま、ふにゃっと聖が目尻を下げた。


そんな顔をされると、私の方がどうしていいか分からなくなる。


声帯の作りも違うし、表情筋の作りも違う。

感情を司る機関だって、きっと聖の方がずっと発達していて、なんだかそれに少しもやもやするのだ。


趣味もあって、感情も豊かで、そんな聖を見ていると、私の不完全さが際立つ気がする。聖の一番になりたいと願ったのは私だけれど、本当に私が聖のそばにいても良いのかなって、そんな気持ち。


聖は私の顔が好きだ。内面も好きだと言ってくれた。でも私は、好いてもらえるような内面なんて持っていない。


聖が清水の舞台から飛び降りるまで、こんなこと考えたこともなかった。

私の感情機関は壊れたままだ。


「瑞ちゃん」

「うん?なぁに?」


箸を持たない左手が躊躇いがちに伸びて、恐る恐る私の頬に触れた。手、あったかい。触れられた頬がじんじんする。


「その顔、すっごいそそるからやめてもらって良い?」

「自覚がないので対処しようがない」


お尻の下がもぞもぞする。


居心地の悪さを隠すように、頬に触れていた手を掴んで、指先に噛み付いた。


「おぉぅひゃぁ!ぬわに、を!はじめちゃん!」


がじがじ噛む。昆布と違って、出汁は出ない。がじがじ。


「あの、気持ちよくなってしまうので勘弁して……」


目を逸らした聖に勝ち誇った気になって、最後に心持ち強めに歯を立てた。


私が噛んでいた指をぎゅっと握り込んで、聖の唇がむにむにと動く。聖の心の中ではきっと、私が想像もできないほどの感情が渦巻いているに違いない。

いま聖が写真を撮ったら、それにはどんな感情が乗るのだろう。聖のファインダーから覗く私は、いったいどんな顔をしているのだろう。


私が、私の行動が、私の言葉が、聖の胸を荒らしている。


この特急電車みたいに早く走れたら、その嵐にだって追いつけるのに。


私も。


私も、聖と同じ、感情の嵐がほしい。


感情機関は壊れても、追いつけない。



窓の外を流れていく景色を尻目に、残りのビールを流し込んだ。

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