ex. ありったけの未来をくれてやる 2

まだ深呼吸してるぅー!と叫ぶ聖を無視して、玄関の扉を開けた。


「ただいまー」


うん。実家の匂いがする。玄関にはふたばのものらしき靴と、男性ものの靴だけ。


「お母さーん?あれ、いないのかな」

「おか、お、お義母さん……」


玄関の鍵は空いていたし、てっきりいると思ったのだけど。ガレージに車あったかな?ジタバタ暴れ回る聖を引きずるのに必死で、車のことなど考えてすらいなかった。

あったような気もするし、なかったような気もする。


とりあえず靴を脱いで、来客用のスリッパを出した。


廊下の奥からちりんちりんと鈴の音が聞こえる。

とことこ駆けてくる、キジトラのもふもふ。


「源ちゃんんんん!ただいま!源ちゃん、お迎えに来てくれたの?かわいいね、んー?抱っこ?」

「んッ!ぉ、おじゃまします」


あ、聖がいるの忘れてた。


我が家の可愛い前山田源十郎を抱き上げて、ひとまずリビングに足を向ける。

源ちゃんは警戒心を母親の子宮に置いてきた猫なので聖がいてもどこ吹く風であるが、ほかの二匹はそうもいかない。

あやつらは宅配便の人が呼び鈴を鳴らしただけで毛を逆立てる。


君ちゃんとハナちゃん、どこに隠れてるのかな。


「これ、源十郎。メス」

「メス?」

「メス。女の子。可愛いでしょ」


こんにちは、源十郎さん。と、手を伸ばした聖に向かって、源ちゃんがファー!と威嚇した。おっと、珍しい。


大人しく抱かれてはいるが、聖のことは気に食わないらしい。怒ってぺったんこになった耳が無限に可愛い。


「泣いていい?」

「そのうち慣れるよ」


「ハジメー?」


階段の上から呼びかけられて、顔を上げた。手すりから顔を覗かせたふたばが、ジタバタと暴れる君江とハナコを抱いている。


めっちゃ嫌がってるけど。


暴れる猫を押さえつけたまま、ふたばが階段を降りてきた。なにその全身モコモコのパジャマ。どこで買ったの。


「ただいま」

「おかえり。はい、猫」

「あ、逃げた」


どうやら私が帰ってきたことを察して猫を捕獲してくれたようだが、こちらに差し出した瞬間、一目散にふたばの腕から脱走した。


あとで怒られるまで愛でよう。いまはひとまず源ちゃんのおでこを嗅ぐ。本当はお腹を嗅ぎたいところだが、知らない人間の前で急所を晒させるのは可哀想だ。


「ぇ、と!あの、は、瑞さんの、えと、友だち?の、あの」

「彼女、聖。可愛いでしょ」

「あ、はい!新本聖です!聖なる夜の聖と書いてショウと読みます!」


ワタワタしている聖の全身を、ふたばが興味深そうに眺める。

ふたば、ちょっと痩せた?


「ふぅん。ホントに彼女なんだ」

「そう言ったでしょ」


「言ってないけど?」


ん?


あれ?言っていなかっただろうか。


「私の彼女に会いたいって言ったの、ふたばじゃなかった?」

「言ったけど。カマかけようと思って聞いてみただけで、ハジメから『彼女できた』なんて聞いたことないから。普通にいいよって返事きて焦ったからね」


そうだっけ?まぁ、いいや。


なにが琴線に触れたのか、真っ赤になったままニマニマしている聖に向き直る。

腕の中のキジトラはすでに聖への興味を失ったようで、すっかり寛いでいた。


猫の記憶は一週間しかもたないと言うが、そんなことはない。実家を離れて久しいが、半年に一度しか会わずとも、彼らは私を忘れない。


意外と優秀な猫のちっちゃい脳みそを舐めるな。


「これ、ふたば。姉」

「よよよよよろしくどうぞ、お見知り置きを!あの、えとぉ、あ、これ、皆さんでよろしければ……」


「わ!やったー!めっちゃ良い匂いすると思ってた」


聖が差し出したフライドチキンのパーティーパックに、ふたばが目を輝かせた。

ほら、だから喜ぶっていったでしょ。


我が家の食卓は肥満製造工場なのだ。高級な菓子折りなんかより、ジャンクフードの方がよっぽどテンション上がる家族である。


「つか、廊下さっむいわ……はやく上がって荷物置いてきな」

「ん、うん。お母さんは?」

「お父さんとスーパー行った。混んでんじゃない?」


一日から三日まで、この周辺のスーパーマーケットは軒並み年始休みとなる。年末に人が溢れるのは毎年のことだった。


おせち用の食材ばかりで、普通のものが何も売っていない!と母親が怒るのも、もはや恒例だ。


階段を上がろうとしたところで、ふたばに呼び止められた。


「お餅食べる?」

「食べる。おじいちゃんの?」

「そう。いくつ?」


昼食もまだなのでお腹は空いているが、両親が帰ってきたら皆で食事を摂るだろう。あまり食べすぎても、お昼ご飯が入らなくなる。


実家の近くにある父方の祖父母宅に、家庭用餅つき機がある。それで作った祖父お手製の餅がやたらと旨い。

年末近くになると毎日のように祖父が散歩がてらに届けてくれるので、積極的に消費しないとカビさせてしまうことが多々あった。


「一個でいい。聖は?」

「え、えっ、お餅?私も食べていいの?」


「むしろ、ショウちゃん?にも食べてほしい。余ってるから」


じゃあ、ひとつ。と遠慮がちに頷いた。

見かけによらずたくさん食べるひとだし、ふたつくらい食べられそうだけど。足りなかったら、また焼けばいいか。


餅をふたばに任せて、二階の自室に向かう。


「え、ネームプレートかわいすぎか」

「これね、小さいときにお父さんが作ったやつ。ふたばの部屋にも掛かってるよ」


『はじめ』とひらがなで書かれた周りで、火を吹く怪獣が暴れている。青と緑を基調にした怪獣のネームプレートは、名前もあっていかにも男の子仕様だった。


ふたばのネームプレートは黄色とピンクの花。


たしかに私は幼い頃から男の子たちと走り回ってヒーローごっこなんかしていたけれど、男の子のようになりたいと思ったことは一度としてない。

ふたばとお揃いが良いと言えなかったことを、私はいまでも覚えている。


部屋の中は相変わらず雑然としていて、可愛げがない。お盆に帰った時とほとんど変わっていなかった。

母親が布団を干してくれたのか、そこだけ人の手が入っている様子が感じられた。布団カバーも冬仕様になっている。


「すぅぅぅぅ、はぁぁぁぁ」

「こら」

「待って、止めないで。瑞ちゃんの十八年間を摂取してるから」


十八年間を摂取ってなに?呼吸をするだけで過去の時間を体内に取り込めるって、それはもはや人間とは言えない。


まぁ、これで緊張がほぐれるなら安いものか。密閉でもしないかぎり部屋の空気なんてそう簡単に吸い尽くせるものではないのだし。


大草原で深呼吸をしているみたいな顔をした聖をひとまず置いておいて、さっさと服を脱ぐ。

クローゼットから愛用の寝巻き、よれよれになったオーバーTシャツを取り出した。


部屋が暖まっていないせいで寒い。


「瑞ちゃん、突然脱ぎだすのはやめましょうね?」

「裸なんて見慣れてるでしょ」

「そろそろ自分の体に黄金以上の価値があり、時として人類を狂わせる魔性の力を宿していることに気づこうね!」


無視して、聖にも寝巻きを投げて渡す。


中学時代のジャージ、左胸に『二橋』の刺繍入り。少し小さいので高校のジャージにしてやろうと思ったのだが、残念ながら見つからなかった。捨ててはいないはずなので、たぶんどこかにあるはず。


ブルーの生地。両の二の腕に赤と白のラインが入っている。これを着るとどんな人間であっても、田舎のダサ中学生に変身ができる。

これに白いヘルメットを被せれば、いわゆるヘル中の出来上がりだ。


しかし、分かっていたことだけれど、ブルーのジャージが壊滅的なまでに似合わない。スウェットも似合わないが、これは比較するのもおこがましい。本当に似合わない。


くるぶしがはみ出たツンツルテンの裾にひとしきり笑って、祖父の餅を食べに行った。

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