第5話
「大丈夫なん、それ」
特盛カツカレーを食べながら晃太郎が言った。
元高校球児はブラックホールのように食べ物を胃に流し込む。特盛でも足りないこいつは、この後にコンビニで買ったパンも食べる。
「普通のひとだった」
「いや、でけーカメラで盗撮する女が普通なわけないだろ」
「おい、汚ぇな。こぼすなよ」
テーブルにぼたぼたと落ちたカレーを、謙太郎が母親のようにいそいそと拭く。ベース担当のオカン太郎と呼ばれるだけある。
キューティクルが死んでいるくせに甲斐甲斐しい。
「たしかに。でも挙動不審なところもなかったし」
「警戒しろよ。おい晃太郎、いい加減にしろ」
「スマフォでこっそり撮るやつよりマシじゃない?」
盗撮魔の連絡先をゲットした、と話したところ、墓場太郎たちに思った以上に心配された。男女の友情はない、なんて言う人間もいるが、男女の友情はたしかにここにある。
友情がいずれ恋情にかわるかもしれないというのは可能性の話であって、それを言ってしまえば同性の友情だって無くなってしまう。
そもそも、友情と恋情は両立のできる感情だと私は思っている。
ドラマや映画のような恋を経験したことがないから言えることかもしれないけれど。
「からあげ一個くれ」
「じゃあチャーシューちょうだい」
「ん」
皿にメンマ付きのチャーシューが置かれると同時に、からあげがひとつ、謙太郎の胃に消えた。
晃太郎は特盛カツカレー700円、謙太郎は醤油ラーメンとミニチャーハンセット600円、私は唐揚げ定食500円。金欠大学生に優しい食堂、バンザイ。
この学食、管理栄養学科監修で味もわるくないのだ。コンビニ食よりずっといい。しかもメニューごとに栄養素やカロリーなども記載してくれるという優しさまで持っている。
手作り弁当の持参というのは料理が得意だとか不得意だとか、そういう次元の話ではない。マメだからできるのだ。
私だって料理が出来ないわけではないし、得体の知れないものを錬成したこともない。だけど継続的に自炊をする甲斐性もなければ、毎日弁当をつくるマメさもないのだ。
「顔は可愛かったよ。晃太、たぶん好きだと思う」
「マジで?」
「小動物系だと思ってたけど、改めて見たら美人可愛い系だった」
さっきまで心配していたというのに、顔面の話をした途端に声のトーンが変わった。晃太郎の脳みそは下半身についている。
カナちゃんという彼女ができたおかげで謙太郎はご無沙汰らしいが、晃太郎のバイト代は相変わらず飯と風俗に消えている。こいつのパンパンになった財布の中身は、そのほとんどがレシートと風俗嬢の名刺である。
「合コン誘ってくれ」
「そこまで仲良くない」
「大丈夫、ハジメならいける」
チャーハンを咀嚼する謙太郎が、晃太郎の肩を軽く殴った。いてぇ!と騒ぐが、そこまででもないことは見ていてわかる。
たぶん、缶コーラ噴出事件で私が繰り出したストレートのほうが痛かったはずだ。
「盗撮魔だぞ、やべぇに決まってんだろ。ハジメもやめとけ。エスカレートするようなら警察ものだぞ、マジで」
「そうなんだけどね。うん、そうなんだけど」
「ハジメ、漬物プリーズ」
晃太郎に漬物の乗った小皿を渡して、最後の唐揚げを口に放り込む。唐揚げが嫌いな日本人は日本人じゃないと思う。むしろ人間じゃない。
新本聖に警戒心を抱けない理由は、私にもよくわかっていない。盗撮魔のくせに堂々としすぎているとか、写真を見返しているときの雰囲気とか、悪意を感じないとか、いろいろあるがしっくりこない。
なんとなく大丈夫な気がする。そう、なんとなく。
「なにが、なんとなく、だよ。悪人は善人の顔してんだよ」
「さんざん盗撮されてきた女の勘」
「ハジメ、冗談抜きで彼氏作った方がいいぞ」
真顔で進言してくる謙太郎に肩をすくめてみせる。
「おっしゃ!合コンだ、合コン!」
「うるせぇ、晃太郎は黙ってろ」
「ひでぇ……」
先程"ともだち"に追加されたばかりの名前をぼんやり眺めて、ついでにアイコンに設定された写真を拡大した。
なんだこれ。
あ、カメラだ。あのデカいカメラ本体の写真だった。今流行りのカメラ女子というやつ。それにしてもゴツすぎると思うけれど。
人の趣味にとやかく言えるほど、私も偉くない。まぁ盗撮されている身なので、とやかくいう権利は持ち合わせているかもしれないが。
食堂の入り口からがやがやと華やいだ女たちの声が聞こえた。
「お、噂をすれば」
私の声でふたりが同時に女たちに目を向ける。四人組、それぞれ手に持参した弁当やコンビニの袋をぶら下げていた。
「え、どれ?カメラもってないとわからん」
「あ、わかった。あれだろ、イカついバートンのリュック。晃太郎が好きそうな顔」
「それそれ。ね、案外普通でしょ?」
バートンどれだよ!と言いながら、晃太郎はおそらくリュックではなく顔面で判断しようとしている。そういうやつなのだ。
空いたテーブルについた四人組は談笑しながら、遅めの昼食を取り始めた。
「あのオレンジのリュック」
「あー、あれか。顔わかんね……」
「ハジメがきつめの美人だとすると、盗撮魔は甘めの美人」
美人の評価どうもありがとう、と謙太郎にドヤ顔をかましたら、なぜか舌打ちになってかえってきた。
事実私は美人なので、下手な謙遜はしない。そもそもこの二人に「そ、そんなことないよぉ」と可愛こぶってみたところで、気持ち悪いだなんだと罵られるだけであろう。
「キョロキョロしてね?」
「してるな」
「あ」
コンビニのサンドイッチを齧る新本聖と、遠目ではあったがバッチリと目があってしまった。
目を逸らすのも感じが悪かろうと、軽く微笑んで手を振っておく。
「すっげぇ挙動不審じゃね?」
「ぜんぜん顔みえねー」
「全然普通じゃねぇじゃん。ハジメはなに手振ってんだよ、トモダチかよ」
テーブルに頬杖をついて、目があうたびに手をひらひら。回数を増すごとに新本聖は挙動不審になり、ついにご友人のひとりがこちらを見た。
至って自然に目を逸らし、私は見ていません、というポーズをとる。私は関与しておりません。女性グループを邪な目で見ているのは、そこの髪色が汚い男ふたりだけです。
「あ、違う女と目あった。顔面偏差値五十五」
「サイテー。晃太の顔面偏差値だってエフ欄でしょ」
「それ以下だろ」
味方がいねぇ!と晃太郎が叫んでも、いつだって騒がしい食堂ではたいして目立ちはしない。せいぜい隣のテーブルから非難がましい視線が飛んでくるくらいだ。
「自分たちの顔面偏差値が高いからって調子乗んなよ!とくにハジメ!お前いい加減合コン出ろ!」
「私が美人なのと合コン欠席率は関係ないから」
「否定できない顔面なのがマジで腹立つ!」
べっと舌を出してトレーを持ち上げる。
下品に笑う晃太郎の横で、謙太郎はスマートフォンを手に取った。どうせ"カナちゃん"だろう。
「じゃ。私つぎドイツ語だから」
「じゃーなー」
「あ、ハジメ。後でさっきの統計の写真送って」
謙太郎に了解と返事をして、食堂の出口に向かう。
通りすがり様、ほかの三人に気づかれないよう新本聖に微笑みかけたら、飲みかけのレモンティーを盛大にぶちまけて大惨事を引き起こしていた。
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