ex. 魔界の王は追いかけたい 1
やかましいし、眩しい。
しょぼいランウェイを、黒いマントを引きずってゆっくりと歩く。たくさんの目が私を見ているけれど、だからと言って高揚感もなく、早く終わらないかなぁとしか思えない。
所詮、片田舎にあるほどほどの大学の、ほどほどの規模の学祭だ。
ランウェイを歩いたからと言って、大量のフラッシュを浴びるわけでもない。
ただ唯一、見慣れたシャッター音が最前列から聴こえてくるだけ。
こんな禍々しい格好をしているというのに、途切れることのない連写の音に、思わず吹き出してしまいそうになった。
ふふ、私たち喧嘩してたんじゃないの?あれだけ逃げ回っていたくせに。
似合ってたんだけどな、聖のあのドレス。ここからでは、あまり見えない。
聞こえてくるシャッター音で、そこにいることを感じるだけ。
真理さんたちが考えた設定が読み上げられているけれど、恥ずかしいので聞こえないふり。なに、死者を統べる魔界の王って。
端まで歩いて、マントを翻すようにきびすを返す。背を向けて、またシャッター音が遠ざかる。
しょぼいコンテストだけど、それでも照明は眩しいな。
司会をつとめる実行委員長のカピバラ男が、満面の笑みで私に手を振った。
なんだか、さらに面倒なことになりそうな予感がした。
○●○●○●○
大学三年、後期。大学生という生き物になってから迎える、三度目の秋である。
入学した頃と何か変わったか、と問われたら、そう大きな変化はないと答える他あるまい。
噴水の音を聞きながら本のページを捲る。
大学内の景色は変わりないし、講義も相変わらず退屈だ。卒業に必要な単位はあらかた取り終え、その代わりに「就活、就活」と大学側から煽られることが増えたくらい。
たいして面白くないな、と思いつつも、読み始めてしまった小説を途中で放り投げるのは気持ち悪く、ゆっくりとではあるがなんとか読み進めている。
待ち人はまだ来ない。
偽装結婚をしたレズビアンの女性とゲイの男性をテーマにした現代小説であるのだが、起伏のない物語と気取った言い回しで、最初から目が滑りっぱなしだった。
少し前に読んだ、ゲイ男性ふたりが主人公のハードボイルド小説の方が面白かったな。
ゲイ文学と言われるような小説を読み始めたのは、もちろん自分が当事者になったからである。ただ、何かで悩んだ末、答えを求めて本に手を伸ばしたわけではない。
なんとなく、気になったから。どんな考え方があるのか、どんな人生の選択肢があるのか、ちょっとだけ覗いてみたくなった。理由としてはそれだけ。
初めに手を出したのは英文学であった。『ドリアン・グレイの肖像』とか『ヴェニスに死す』とか、有名どころに手を出して、時代背景を勉強しなければ楽しめないな、という結論に落ち着いた。
しかし、まぁ、どの作品もどこか退廃的だったり、妖しげな雰囲気を纏っていたり、事実と感情を描く物語というよりは芸術品のようである。
『潮騒の少年』なんかも面白かったけれど、それもどちらかといえばあの時代のアメリカと思春期を描く耽美な芸術品だった。
そのあとは三島由紀夫作品を読み漁り、流れに流れてようやく現代小説まで追いついた次第だ。
秋の気持ちいい風に揺られ少しうとうとしたところで、肩を叩かれた。
膝の上に開いていた本が、ぱらぱらと踊る。
「おはよ、瑞ちゃん」
「ん、しょう?……お疲れ」
「待たせちゃってごめんね」
あぁ、どこまで読んだか分からなくなってしまった。いいか、別に。微睡んでしまったせいで、きっと内容も頭に入っていないから。ちょっとずつ読み返そう。
隣に座った聖が、私の膝から本を取り上げた。
「面白い?」
「読む?」
「んー、んー……読む!」
盛大に迷った末、なぜか力いっぱい頷いた。
「読み終わったら貸してあげる。面白くないけど」
「うぇ、面白くないの!?」
「うん。面白くはない」
ふふっと笑えば、聖もふにゃふにゃの笑顔を返してくれる。
ときおり残暑に苦しめられるけれど、今日は涼しくて良い。
私が「読む?」と聞いた小説を、聖はあますことなく読んだ。本を読み慣れないせいか、時間は倍以上かかっているけれど、それでも聖は全て読み、感想まで教えてくれる。
瑞ちゃんが考えていることに、ひとつでも追いつきたいから。
そんなことを言っていた。でも、同じ本を読み、聖の感想を聞くたびに、私たちの思考がいかに別物であるのかを、私はまざまざと知る羽目になった。
それもまた面白いと思えるのだから、不思議だ。
「さっきねぇ、別世界みたいになってたよ」
「………どこが?」
「瑞ちゃんの周りが」
軽く当たりを見渡してみたけれど、たむろしている学生が多いくらいで、いつもと変わりない景色だった。
私が睡魔に負けているあいだに面白いことが起きていたなら、それは少しばかり残念だ。
「噴水と本と、微睡んでる瑞ちゃん。絵画みたいだった」
「私か」
「見る?」
見る、と頷いて、カメラの液晶を覗き込む。
なるほど、たしかに小さな液晶に詰まった景色はまるで絵画のようである。
本を開いたまま目を閉じる女の周囲が、噴水の飛沫でキラキラと輝く。風に揺れる髪が、その絵の穏やかさを際立てていた。
しかしこれは明らかに贔屓目だろう。
「聖、本当に私のこと好きだよね」
「うぇぇぁぁ……す、好きだけど!こここれは、瑞ちゃんがあまりにも美オーラを放っているからであって、私がどうとかは関係ないんじゃないかなぁ!」
「綺麗だね、聖の写真」
聖の手からずるりとカメラが滑り落ちたので、慌てて支えた。重い。
こんなものを日常的に首から下げていたら、慢性的な肩こりになるに決まっている。
「瑞ちゃん、もしかしてまだ眠い?」
「うん」
「んんぐぅ……!さっきから吐息がヤバい!可愛いけど!可愛いけどダメ。こんな瑞ちゃんを道端に置いといたら誘拐される!」
帰ろう!と手を引かれ、立ち上がる。面白くない本が、地面に落っこちた。
「ハジメさーん、ショウさーん!」
「あ、叶だ」
小さい影が走り寄ってきて、私たちの目の前で急停止した。
ふわりと香る、さわやかな香水の匂い。ウッディ系の、男性もの。
最近になってソウマ先輩と同じ香水をつけ始めたらしく、そのせいか叶の雰囲気がちょっとだけ大人っぽくなった。つけすぎた甘ったるい香りで、周囲の鼻をねじ曲げていた頃が嘘のようである。
「どしたの、叶。随分ご機嫌だけど」
ご機嫌の叶がちらりと、繋がれた私たちの手を見て、何事もなかったかのように目を逸らした。
女同士を気持ち悪いと思わないのか、そう聞いてきたこともあったけれど、私たちの関係に勘づいて尚、叶の態度は変わらない。
明るくて、面倒くさくて、今どきの可愛い後輩だ。
「え、なんかハジメさんの色気ヤバくない?何事?こっわ」
「ヤバいよね!?ヤバいんだよ!眠いだけでこんなことになっちゃうの、歩く猥褻物だよ!青少年なんちゃら法に引っかかる!」
「失礼なこと言われてるのは私にもわかる」
で?と促せば、そうだった!と声を上げた叶が目の前になにかのチラシを突き出した。
あぁ、今年の大鷹祭のチラシか。
「顔面の偏差値だけなら他の追随を許さないお二人にお願いです!」
だけってなによ。
たしかに内面は欠陥だらけかもしれないが、はっきり言われると傷つくのだけど。
「ハジメさん!ショウさん!どうか今年のミスコンと男装コンに出てください!」
は?
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