第14話
観光経営論と、観光産業論。
火曜の五限と六限に待ち構えている、最高に暇で最高に眠たい三時間。
「ねぇ、ケンくん。ケンくんってば」
「ん?」
「無視しないでよ……」
前の座席に謙太郎とカナちゃんがいる。全学年共通でとれる講義なので一年生のカナちゃんがいても不自然ではない。ないが、二限の統計同様、カナちゃんはただのモグリである。
わざわざ五限の講義に潜り込んでなにをしているかといえば、まぁ見ての通り。
「今日のケンくんおかしいよ!」
「……おかしいのはお前だろ」
彼氏と喧嘩なさっている。
カナちゃんからの敵対心はひしひしと感じていたけれど、謙太郎との仲は問題なかったであろうに。
『ねぇ、これどう言う状況?』
グループではなく、晃太郎個人にメッセージを飛ばす。即座に既読がついて、複数のメッセージが返ってきた。打つのはやいなぁ。
『だから昼休み言ったじゃん!』
『つーか悪化しとる!』
『なんとかしろ』
『なんで私?』
返信したら、隣からジトッとした視線が突き刺さった。
『なにもしてないんですけど』
『カナちゃんずっと二橋さん二橋さん言いまくってんぞ』
『今日の昼わけたのソレじゃねーの?』
『お前とけんたろーヤッた?』
「イッ!てぇ!」
「そこ、うるさいですよー。騒ぐなら退室してください」
「スンマセン」
注意されてやんの。
ふざけたことを言い出したので全力で肩を殴っただけ。晃太郎が悪い。
私が騒いだわけでもないのに、なぜか振り返ったカナちゃんに睨まれた。
『謙太郎の女友達ってだけで嫌われてる』
『しいていうなら、私が女だったことが悪いし』
『謙太郎がカナちゃんの不安をどうにかできないことが悪いし』
『誰も悪くないんじゃない?』
「は?」
普段おちゃらけた晃太郎らしからぬ、低い低い男の声。
『そんなのカナちゃんが悪いだろ…』
そうかな。嫉妬するのは悪いこと?
害になりそうなものを事前に排除しようとすることは、悪いことだろうか。
『違うな』
『けんたろーとカナちゃんが悪くて、ハジメは悪くない』
『痴話喧嘩だろ、ようは』
『俺とハジメを巻き込むなって話』
『ハジメに嫉妬?すんのは良いけど、俺たちの空気までめちゃくちゃにすんのは害悪だろ』
そうだね、その通りだ。バカのくせに、たまにまともなことを言う。
嫉妬することも、害を排除することも、私は悪いことだとは思わない。けれど、それを迷惑と思うかは別の話。
私と晃太郎にとって、カナちゃんは害悪である。
小声で言い争うカップルの背中を見つつ、私と晃太郎は無言で会話を続けた。
ただただ、明日の昼が待ち遠しかった。
五限が終了したタイミングで、私たちはいつもコンビニに直行する。五限の終了時間は十八時十分、二十分後には六限が始まる。
最後の九十分間は空腹との戦いだ。そうならないためにも、コンビニで食料を仕入れてくる必要がある。
「こんび」
「カナちゃん、わりーんだけど、今日はもう帰ってくれね?」
「に、いこう……」
すっごい恥ずかしい。
コンビニ行こう、の一言をこんなバッドなタイミングで発したことがある女、そうはいないはず。
ほら、カナちゃんにも睨まれてるし。
「おい、晃太郎」
「それか謙太郎が連れて帰れ。代返はしとく」
「な、なんで!?なんで晃太くんまであたしのこと邪魔者にしようとするの!?」
なんでそれを、私を睨みながら言うの?
「邪魔だからに決まってんだろ」
「晃太郎!」
「場の空気壊してんのわからねーかな」
非常に居心地が悪い。逃げたい。
ほら、修羅場みたいな雰囲気になって微妙に注目集めてるし。これカナちゃんだけ帰ったら私が追い払った感じになるやつでしょう。
「全員帰ろう。私も、謙太も、晃太も……カナちゃんも」
「なんでアンタが指図すんの」
「アンタ」
アンタって。笑わなかった私を褒めて欲しい。
一番の解決策は私とカナちゃんが仲良くなって、三人組から四人組に昇格することだって、わからないらしいから、この子は。
「帰ろうぜ」
「晃太くんは黙ってて」
「カナ、帰るぞ」
教科書を鞄に入れて立ち上がる。同時に晃太郎も立ち上がる。
謙太郎はカナちゃんの腕を掴んでいた。
「ねぇなんで!あたしが悪者みたいじゃん!ケンくん!」
「カナちゃん、さすがにこれはねーわ。謙太郎とちゃんと話し合いな」
「帰るぞ、カナ」
男女の友情は成立する。それは私の持論。
友情も恋情も、双方の歩み寄りだ。敵意を持たれたら、男女に関わらず友情なんて成立しない。
友情のどこかに恋情が挟まっても、それだけのことでは人間関係は破綻しない。人間関係は脆いけど、複雑に絡み合って案外ほどけにくいのだ。
私とカナちゃんの間に、きっと情は成立しない。たぶん、この先ずっと。
アパートに帰った私は自分でも理由が分からないまま、マスターから貰った高級スキンケアセットの写真を聖に送った。「もらった。良いでしょ」の一言をつけて。
ただ、誰かと話がしたかったのかもしれない。それが聖である必要があったのか、私はまだ答えを出せずにいたのだけど。
深夜二時まで続いたメッセージのやりとりは、たぶんすごく、楽しかった。
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