第20話

日曜は二人揃って大寝坊し、遅めの昼食に買い置きしていたカップ焼きそばを食べた。

焼きそばの上に大量のマヨネーズをかける私を見て、聖は爆笑していた。焼きそばにはマヨネーズ、これ正義なり。


夕方、少し日が落ちてから、タバコ臭い服を着て聖は帰っていった。



「マジで泊まったん?」

「マジで泊まったし、一緒のベッドで寝た」

「俺も部屋呼べよー!」


嫌だよ。


月曜の二限は基礎ゼミII、通年の学年必修科目である。一年で基礎ゼミ1、二年で基礎ゼミII。三年になると、修学ゼミ1に名前を変える。四年の修ゼミIIのみ任意の選択科目となるが、修ゼミIIを履修しない場合は、その他のゼミを履修する必要がある。


新聞やニュースから毎週ひとつ話題を選び、それについての小レポートを提出しなければならない。少人数講義のため出席の誤魔化しはきかないし、ランダムで発表させられるため、実は相当面倒な部類の講義であった。


「二橋さんは今日も芸能ですか……それで、えーと?バンドマンと女優の不倫について……二橋さんのご意見は?」


自ら情報を収集し、社会情勢を正しく読み取る力を養うのが講義の目的だ。多大な情報に虚実入り混じる昨今、世間の同調意識に流されず、自身の意見を形にする、らしい。シラバスに書いてあった。


指名されたので立ち上がる。


新聞の記事になるような話題なら、どのようなものでも構わない。それが例えスポーツニュースでも、芸能関係のどうでもいいネタでも。


求められているのは政治だとか経済だとかの話題だとキチンと理解した上で、私は毎週芸能ネタを持ち込んでいる。

これは教授への立派な嫌がらせ。だって、私、この人に嫌われているみたいだし。


一年生の頃から毎回指名されるのだ。政治関係の話題を持ち込もうものなら、重箱の隅をつつくみたいに嫌味なコメントが降ってくる。

だから、この女が疎い芸能ネタを押し付ける。


「不倫や浮気は家庭の問題であって、マスコミや無関係の一般人が騒ぐべき話題ではないと思います。ダブル不倫だと世間に叩かれ、お互いに謝罪会見を開きましたが、謝るべき人間はマスコミの向こう側にいないだろう、と」


赤い縁のメガネが、なぜかいつもずり下がっている。それを人差し指で押し上げても、また落ちてくる。

メガネ、変えた方がいいんじゃないですかね。


「芸能人は夢を見させる職業だと思いますが?彼らの行動によって、ファンは期待を裏切られたわけですから」


「はぁ。バンドマンは音を売る商売ですし、女優は演技を売る商売です。アイドルは夢を売るかもしれませんが、あの二名に関しては周りが勝手に夢を見ていただけでは?そもそも、ふたりともそういったアイドル的な売り方はしていませんよ」


面倒くさぁ……自分で選んだ話題だけど、私だって人の不倫騒動に興味なんてない。


「主観ですが、彼らの騒動を騒ぎ立て、非難している者は、この騒動が起きる前は大してふたりに興味のない者たちに思えました。有名税なんて言葉もありますが、インターネットに書かれた言葉は立派な名誉毀損、人権侵害です」


だるだると喋る私の左右で、謙太郎と晃太郎が笑いを堪えている。なにが面白いんだ。

とりあえずふたりの脛を踵で蹴飛ばしてやった。


「不倫などと言う当事者にしか真相の分からない情報に踊らされ、同調意識でふたりを悪と決めつける。民衆がハリボテの正義を振りかざして、虚構の敵を討ち取った結果が、あの謝罪会見だと思います」


有名人だからと言って、匿名で誹謗中傷を書き込むのはやめましょう、という視点と意見で、今回はこの話題を選びました。以上。座る。


「はい、わかりました。ありがとうございます」


メガネ女が、ハァーーと大きなため息をついた。欠席もなし、課題も毎週キチンと出し、指名されたらちゃんと述べる。好かれていないことは確実だが、なんだかんだ成績は優をもらえているので、良しとする。


「興味もないくせによくもベラベラ喋れるな」


ニヤニヤしながら小声で言う謙太郎を睨みつけて、頬杖をついた。

声が小さくて、吃音のある女の子が指名されている。話題は政治家の横領疑惑について。


「興味ないけど……実際あの会見は馬鹿馬鹿しいと思ったし」

「確かに。謝るなら世間じゃなくて、迷惑かけた仕事関係だよなぁ」


謙太郎の選んだ話題も、彼女と同じ政治家の横領疑惑。あ、チクチクつつかれている。可哀想に。あの女、男子学生にはチクチクしないのが腹立つのだ。

いま連日ワイドショーを賑わせているのはこの横領問題と、私が選んだ芸能人夫婦の不倫問題だ。

晃太郎はたしか、野球選手の引退についてだった。こいつが選ぶものも、私と同じくらいふざけてると思うけど。


「つか、ハジメ、今日なんか違う?」

「違わない」


うそ、違う。服装の雰囲気が、まず違う。


普段私はタイトなスカートやスキニーパンツを好む。だって私、足長いし。モノトーンが似合うことを自覚しているので、選ぶ服装もそれに準じたものが多い。

ヒールの高い靴が好きなので、スニーカーが市民権を得ている中で、頑なにヒールをカツカツ慣らしている。


だけど今日はマキシ丈のハイウエストスカートに、ボウタイのドット柄シャツ、気温に合わせてボアのパーカー。しかも足元はスニーカー。

誰とは言わないけれど、雰囲気だけでも真似をした。


だって、ねぇ?


「いやいや、今日のハジメさんだいぶガーリーよ?」

「うっさい晃太郎だまれ」

「ひどい!」


可愛いと思って買ったはいいが、似合わないよなぁと積まれていた服たちだ。勇気を出してコーディネートしてみました。

しかも、今日は毛先を緩く巻いている。


「そこ!お静かに!」

「はーい、すみませーん」


晃太郎のせいで注意されたんだけど。そこ!って言ったけど、目あったし。


服装に合わせるならネイルも変えたいなぁと、講義中ずっと、親指のカボチャくんを触っていた。



「飯だ飯ー!腹減った!」

「俺、今日はスペシャル」

「私もスペシャル」


鷹条キャンパス月曜限定スペシャル定食。唐揚げ、ハムカツ、生姜焼きの、「本当に健康栄養学科監修か?」と問いたくなる、アホみたいなメニューである。

しかもこれが600円。食べるに決まってる。


「俺はスペシャル特盛ー!」

「私、豚汁に変更で」

「俺、ダブルサラダで」


プラス五十円で味噌汁を豚汁に、プラス百円でサラダを一種類追加できる。

大盛り百円、特盛二百円。みそ汁はおかわり可だけど、豚汁はおかわりできない。


三人連れ立って、学食までの道のりをダラダラ歩く。

私たちは学食常連だが、コンビニで済ませる学生も多くいる。彼らは空き教室で駄弁りながらコンビニ飯を楽しむのだ。


「ハジメ、なんか今日小さくねー?」

「スニーカーだから」

「ほんとだ。んなの持ってたんだな」


ふたりが足元を見る。これ、千円なの。見えないでしょ。


前方の教室から、ガヤガヤと学生たちが出てきた。可哀想に、授業時間をオーバーされたらしい。


その中に、見つけた。


「あ」


「ちょ、おい!ハジメ!?」

「ハジメさーん、どした!?」


墓場太郎を置いて、一団のなかに見かけた人物に向かって走る。すご、スニーカーだと走れる。


目立つオレンジ色のリュック。


ぐんぐんと近づきながら、ふふっと口元が綻んだ。スキニーも似合うじゃん。


「しょう!」

「お、わ!は、瑞ちゃん!」

「おはよ!」


つかまえた!


リュックを掴むとバランスを崩しそうだったので、腕を掴む。だって、珍しく今日はヒールが高いみたいですし?


「もっちゃんの姫さまじゃん……!」


いつぞや、私と聖の昼食を邪魔したひとだった。仲良くなるつもりはないので、適当に無視する。


聖の両腕を掴んで、首元に顔を寄せた。


「すぅーーーーー」

「え、なに!?え、瑞ちゃん!?」


「あはは!私の匂いだ!」


もらった香水をつけていこうと思った。だからそれに合わせて、服装もちょっとだけ変えてみた。考えることは同じ。


今日は、聖のほうが背が高い。


「じゃーね!」


聖を解放して、謙太郎たちのところに戻る。ウケる、唖然としてる。

謙太郎も、晃太郎も、聖のお友だちも。


聖は両手で顔を覆って、しゃがみ込んでいた。



愉快な気持ちで、声に出して笑う。楽しい。楽しかった。こんなふうに笑えることを、二十年生きてきて初めて知ったのだ。


「おい、なんだ今の!」

「仲良くなり過ぎじゃね!?」


戸惑っているふたりを、全力の笑顔で迎え撃つ。


「決めたの」



私は聖のアイドルから、聖のお友だちへ昇格するって。

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